06.天空世界ムーカイラムラーヴァリー
――突然、指輪の光に包まれたヒカルは思った――。
……なんだ? 眼の前に、筒状の光の道が見える。
その光の道を、誰かが通り抜けていた。
そして気づく。それはヒカル自身だった。
「なぜ、俺自身が『俺』を見ているのだろう?」と、彼は不思議に感じる。
その道の先には光の壁が見えて、それが真っ直ぐヒカルへ向かってきた。
「ふふふ♪」
突然彼の耳に、なにか笑う声が聞こえた。
そして、彼の周りが光りに溢れる……。
……そこでヒカルの目が覚めた。
まさにその感覚は、夢から覚めたような感じだった。
彼は、片膝が地面についている。
(俺はどこかにうずくまっているのか……)
ヒカルはそう思い、触れている地面の感触を両手で確かめる。
(土の地面?)
彼は目を開けて起き上がり、周囲を見渡し声に出す。
「ここは?」
周囲は木と、生い茂る葉に覆われていた。
ヒカルは立ち上がり、自分の姿を見る。
家を出たときのジャージの上下と、ランニングシューズのままだった。でもなにか違和感を感じる……。彼はポケットをまさぐった。
「あれ? スマホとサイフがない……っていうか、ティッシュとハンカチだけはあるのか……」
この状況になって、ヒカルは思う。あの光……間違いなく原因はあの子。メイダが言っていた『聖神器』だろうと。
「だとすると……」
ヒカルはそう口に出し、メイダが言っていたことを思い出す。
――私は、自分の世界である……『ムーカイラムラーヴァリー』からこの夢の世界へやってきました――。
「冗談ではないよな……ではここは、ムーカイラムラーヴァリーなのか……」
ガサガサッ。
そう思った瞬間、うしろの茂みでなにかが動いた。
ヒカルは音がした方向に振り向き、動いている茂みをよく見る。
(この展開は……。漫画ならモンスターが出てくるパターンだけど)
ガサガサッ……。
「えっ……ちょっと、まっ」
彼は驚く。なぜなら、茂みから現れたのはモンスターには違いなかったものの、想像とは違う生き物だったからだ。その生き物は、ヒカルの世界でもよく見るフォルムだった。
「これって……蟻?」
眼の前の生物というか、そのモンスターはアリだった。
でも、普通のアリではない。ヒカルの世界で言う、牛くらいの大きさがある巨大なアリ。
しかも見るからに狂暴そうで、頭部の口には牙が見える。頭には……。
「アリにツノなんかあったのかよ。とても「アリさん」なんてかわいいもんじゃないな……」
「シャー!」
はじめて聞くアリの声。威嚇している音が、なぜかネコに似ていた。
アリは、勢いよくヒカルに襲いかかってきた。
かなり素早いが、動きが真っ直ぐだったので、彼は横に飛んでかわす。
アリは止まらず進み、途中で身体の向きをヒカルのほうへ向けた。アリの大きな下半身が「ブルッ」と揺れる。
(下半身の重さを反動にして方向転換しているのか……)
アリはまた彼に突進してきた。動きは同じように真っ直ぐだったので、さっきと同じように横へかわすが、アリは先ほどと同じように、方向転換を行う。
ヒカルは木を背にしてアリと対峙したが、そこにアリはバカの一つ覚えのように突進してくる。
「虫だから知能は低いのか?」
彼はまたかわすが、アリはそのまま真っ直ぐ進み、ヒカルの背にあった木に衝突した。
「よし! って……」
ヒカルはアリが木に衝突して上手くいったと声をあげたが、まさかの木が根本から折られている。
(これは、まともに受けたらひとたまりもないかな……)
ヒカルの額に、冷や汗が滴り落ちる。
「ジャー!」
威嚇音でわかる。アリは怒っていた。
再びヒカルへ向かってくるアリ。
ヒカルは再度かわそうとするが……。
「!!!」
彼は足下の枯葉に、足を滑らせた。
その瞬間、彼はその体勢のまま地面へ転がり、攻撃をかわす。それでアリの牙はかわせたが、バランスを崩したところに、アリの足がヒカルの太ももに当たる。
「ツゥ!」
ジャージが裂けて、太もものあたりから血が滲み出た。
(致命傷じゃない。落ち着け……こんなときは……)
ヒカルは母から教わった「気」を溜める呼吸をする。
その瞬間に左手がうずいた。目を手に向けると、はめている指輪がボンヤリと光り出しているのがわかる。
――神器があれば、体外へ飛ばして攻撃できます――。
メイダの言葉が、頭に浮かんだ。
ヒカルは呼吸で集めた「気」を左手に集中させた。その瞬間、左手の光が大きくなる。
彼はそれを見て「いける!」と感じた。ヒカルの世界で、メイダが頭上へ放った光。
彼はそれをアリに向かって繰り出そうとし、左手を突き出した。
「シャー!」
アリは左手の光を見て、一瞬怯んだように身体を低くした。
「いっけぇ――!」
ヒカルは掛け声を出し、光りを前へ飛ばそうとした。
……だが、左手の光が飛ぶことはなかった。それどころかゆっくりと光は消える。
「うぅ!」
急にヒカルの身体が重くなった。
彼は再度呼吸を行おうとする。
「ガァハッ! ダメだ「気」が集まらない。呼吸が……」
アリが突っ込んできた。攻撃をかわしたいが身体が重くて動かない。
(ダメだ……)
ヒカルが迫ってくるアリの頭部を目前に感じたとき……。
「シュッ」
うしろの茂みから、なにかが飛ぶような音がした。
「ガッ!」
そして、アリの口に矢が突き刺さる。
アリは矢が刺さった口を、上にあげるようにして首を回す。見るからに苦しそうだった。
ガサッ!
茂みの中から、飛び出るように人影が現れた。
人影は、素早くアリに近寄ると、アリの頭部と胴体を連結する箇所へ向かって剣を振り下ろす。
「ジャッ……」
ドサッ!
胴体を切断されたアリは、低い悲鳴を上げると地面に崩れ落ちた。
ヒカルは、現れた人をよく見る。
(……かなり若い)
それは、彼と同年代の若者だった。
身長もヒカルと同じくらい。東洋人のような顔つきだが、髪の色は赤毛だった。細見だが、機敏さを感じさせる無駄のない身体をしている。
ヒカルが観察するに、着ているものは革製か樹脂製にも見えるヨロイ? いや、胸のあたりしか防御していないから胸当てだと感じた。その彼の右手には剣が、左手には弓が握られている。背中には矢筒が見えた。
その彼が、うしろに座り込んでいるヒカルのほうへ振り向く。
「おい。座ってんなよ……。死にたくないなら起きやがれ」
その彼から、まさかの厳しい言葉が出てきた。しかも日本語だ。
上から睨みつけるように言われたので、負けじとヒカルは睨み返した。
「このオルミーガは数匹の群れで行動する。近くに仲間がいるぞ!」
「えっ!」
その言葉でヒカルは立ち上がる。
「ついてこい!」
赤毛の若者が走り出したので、ヒカルもしょうがなく後を追う。
茂みの中を走るが、アリにやられた太もものあたりがジンジンする。骨は大丈夫そうだから、今は大丈夫だと、ヒカルはそう思うことにした。
「お前、名前は?」
赤毛の若者は、走りながらヒカルの名前を聞いてきた。定番なら「先に名乗ったらどうだ」とか言うのだろうが、面倒だったので素直に答える。
「ヒカル。北畠ヒカルだ」
「キタバカケ?」
そう唐突に言われたので、ヒカルは「カチン」ときた。
「キタバタケヒカルだ!」
ヒカルは、大きな声で言い返す。
「悪い悪い……。言いづらいから「ヒカル」でいいか?」
「あぁ……」
「俺の名はダイタ。ダイタ・アージだ。
「…………」
2人は、しばらく走って茂みを抜けた。
「「!!!」」
そこでは数人の男たちが、さっきと同じアリ。オルミーガと戦っていた。
ヒカルは周囲を確認する。近くにべつのアリが2匹いて、戦っている1人の男を襲っている。その男は、器用に攻撃をかわしていた。
それを見てダイタが矢筒から矢を取り出し、弓に矢をつがえるが、ヒカルが「ん?」と、口に出す。
なぜなら、ダイタが構える矢。その先端の矢じり部分が、ボンヤリと光っていたからだ。
「その光は?」
ヒカルはまた口にだした。
「フッ!」
ダイタは彼の問いかけを無視し、息を吐くような音とともに素早く矢を放った。
放たれた矢は真っ直ぐ飛んで、オルミーガの胴体に突き刺さる。
ヒカルは「今の呼吸は……」と、ダイタが行った呼吸が気になった。
「俺の『オーラ』がどうかしたか?」
ダイタがヒカルのほうを向き、そう答える。
(そうか……これが……オーラか)
「ダイタァ!」
矢が刺さったオルミーガと戦っていた男が、ダイタの名を叫んだ。その声でオルミーガは首を傾け、ヒカルたちのほうへ向いた。目標を変更したようで、ヒカルたちへ向かってくる。
ダイタは、一瞬躊躇するように腰の剣を抜く仕草をみせたが、思い切ったように剣から手を離して背中の矢筒から追加の矢を抜いた。そして、矢を構える。
なぜダイタが、剣を抜くのを躊躇したかはわからない。でも、事態は一刻を争う。
「貸してくれ!」
ヒカルはダイタの腰に手を入れて、強引にその鞘から剣を引き抜いた。
(重いな……)
彼はそう感じながら剣を構える。剣道で言えば中段の構えだ。
オルミーガは2人に迫ってくる。その胴体には矢が刺さったままだ。
ダイタはまだ矢を放たない。ヒカルはダイタより前に出てオルミーガの注意を自分へ誘導する。動きは真っ直ぐなだけだから、アリの突っ込みを横にかわした。
そして先の戦闘で、ダイタが剣を入れた箇所、頭部と胴体の連結部分に向かって剣を振り下ろした。
ガチーン!
「なに! なんでだ!」
ヒカルの剣がアリの硬質な殻に当たって、オルミーガから弾かれる。
「フッ!」
そのとき、ダイタが矢を放った。
オルミーガの近距離で放たれた矢は、その頭部を狙っている。
ガチッ!
でも矢は、オルミーガの頭部にあるツノに弾かれた。
ダイタは「まじか!」と、叫ぶ。
オルミーガは、ダイタを正面から見据え「シャー!」と声をあげながら、彼に襲いかかる。
ヒカルにはオルミーガの動きがスローに見えた。でもダイタはかわせない。ヒカルはそのとき「例の呼吸」をした。
これは「気」じゃない「オーラ」だとヒカルは考えを改めた。一気に出すんじゃない。身体の中で薄く練り上げるんだ。そのオーラを両手へ展開し、剣へ移動させる。
メイダが言っていたことを再度思い出す。
――本来オーラそのものは体外へ放出することはできません。必ず物体、物に定着させる必要があります。要は外には「飛ばない」のです――。
ヒカルの両手から「剣」にオーラが流れる……。
そして、剣が光り出した。
その光る刀身をヒカルはオルミーガに向かって振り下ろす。
ズバッ!
振り下ろされた剣は、オルミーガの胴体部分を真っ二つにしていた。
その切れ味が、想像とは違う感触だったので、ヒカルは震えを覚える。
(なんだ……この感じ。切ったというよりバターを溶かしたような……)
「お前……。なんだよそのオーラは……ウッ!」
ダイタはそうヒカルへ言ったが、突然倒れそうになる。
ヒカルは、ダイタを倒れる途中で抱き留めたがその瞬間に彼の「身体が熱い……」と、気づいた。
ヒカルは、ダイタの額に手を当てる。
「こいつ熱があるじゃないか……」
そのとき後方から「おい! 大丈夫か?」と、2人に対して問いかける声がした。振り返ると、オルミーガを倒し終わった男たちが側にきていた。その中の男が口を開く。
「ダイタの奴、突然飛び出していったんだ。お前は?」
問いかけられたヒカルは、ダイタを見ながら答える。
「はい。こいつに……ダイタに助けられたんです……」
ヒカルが思うに、変な乗り物の台車に乗っていた。
その乗り物は、農業に使うトラクターのようなもので、馬力がありそうな車両のうしろに台車がけん引されている。その荷台にヒカルたちは座り、ダイタだけは寝かされていた。
「このオーラクターは旧式だから速度は遅いが、その代わり出力は高い。この『バウザ諸島』のように高低差がある島では便利なタイプだな」
一緒にいる若者。20代前半くらいの男性が、そう言った。彼は自分を「ケルヒ」と紹介したが、ぱっと見、髭がない中東系の顔つきの若者だった。
(ここは、バウザ諸島と言う地名なのか……)
諸島と言うことは、日本で言う小笠原諸島のように、幾つかの島々が集まっている場所なのだとヒカルは認識した。
「もうすぐ森を抜けるから、下まで空が見えるな」
「ん?」
ヒカルはケルヒが「下までの空?」と、「妙なことを言うなと思ったが、この場で聞くのはためらった。この世界の常識は、彼の世界とは異なる。しらない自分をさらけ出すのを躊躇したからだ。
森を抜けて下り坂になる。先まで陸地が見渡せて、向こうには大きな街があり、その先には陸地が……途絶えていた。
(ん? 陸地が途絶えて?)
ヒカルには途絶えた先に海があると、当たり前に思っていた。だが陸地の先は海ではなかった。
(海が無い? ……これは……空?)
陸地の先は、遥か遠くまで見渡せる空。そして、さらに先には幾つもの島々が見える……。そして……その島々は全て空中に浮いていたのだ。
「これが……。ムーカイラムラーヴァリーの世界なのか……」
ヒカルは何気なく、そう口に出していた。
「ん? どうした? この世界の名を口にして」
ケルヒが、微笑みながらヒカルにそう言った。
街に到着するまでの間、ケルヒとはいろいろなことを話した。とは言え、ヒカルは怪しまれないように、自分のことを「森に入って迷った人間」と、取り繕う。
その途中でダイタが目を覚まし、強引に起き上がろうとした。
それをケルヒが止めて、三人で話し続けた。
ケルヒとダイタの2人は、国に雇われている『コルドア団』と呼ばれる傭兵団に所属しており、『オルミーガ』と呼ばれるアリを駆除しにきたとヒカルに説明した。
ちなみに、そのオルミーガの死骸がヒカルの目の前に横たわっている。手足と胴を切断して、高く積まれ縛られていた。その様子は気持ちが悪く、ヒカルがいた現実世界の女性が見たら卒倒するかもしれない。
またヒカルは、この死骸が様々な物に作り変えられる素材になるらしいと、ケルヒに教わった。
ヒカルは母親のせいと言うか、育った環境のせいでいろいろなことを彼らに聞きたい欲求にかられた。だが、変なことを聞くと怪しまれる。ヒカルは言葉を選び、虫とは関係ないことで、一つだけ疑問に思っていたことをダイタに聞いてみた。
「アリと戦っているとき、どうして剣じゃなく弓を選択したんだ?」
横になっていたダイタは、気まずそうにヒカルから顔を背け、恥ずかしそうに言った。
「剣より弓のほうが得意だったんだよ」
「違うだろ。剣が苦手なくせに」
ケルヒが茶化すように、ダイタへ言い返した。
「あぁ、そうだよ」
ダイタが、すねたように肯定する。
「なんでかねぇ。飛び道具のほうが得意なんて、器用なのか不器用なのかよくわからん奴だよ、お前は」
ケルヒが、微笑みながらそう言った。その表情は弟を見るように穏やかだった。
そうして、何気ない話をしながら街に到着した。
街は大きく活気があり、ヒカルは漫画なんかでよく見る、ファンタジーの異世界を見ているようだと感じた。
ドカッ! ドン!
そのとき、まさかの誰かが殴られる音とともに、ヒカルたちが乗っているオーラクターへ向かって、大きな男がぶつかってきた。
その男は頭を抱えながら起き上がり、声を荒げる。
「テメェ!」
「ふん! いきなりあたしの身体に触るからそうなんのよ!」
(ん? この声どこかで……)
ヒカルはその声を聞き、どこかで聞いたことがあるような感覚を覚えた。なので、声のする方向へ顔を向ける。その瞬間、声を発した女性とも目が合った。
その女性が「えっ!」という表情をしながら声をあげる。
「あれ? ヒカルじゃん」
ヒカルも「えっ!」と、驚きの表情になる。
なぜならそこに立っていたのは、カッコよく正拳突きのポーズを決めていたミナミだったからだ……。