03.はめられた指輪
――貴方の小指にはめてください!
放たれた彼女の言葉。ヒカルはとっさに、自分の指へ指輪をはめた。
その途端、さっきまで感じていた熱のようなものが、一気に引いてうそのように消え去る。
彼は眼の前にいる、金髪少女の顔を正面から見た。
「あのぅ……。大丈夫でしょうか?」
ヒカルは気づく。いまさらだが、彼女が話したのは日本語だった。
そのイントネーションはとても流暢で、外国人とは思えないくらいの発音。まるで、普通の日本人とかわらないほどに。
「あぁ……特に問題は……」
ビクン!
(なんだ? 急に指が……)
「あっ!」
ヒカルは、声を上げると地面にうずくまった。左手の指輪をはめた小指部分から痙攣がはじまったからだ。
小指から左手全体へ。そして腕から肩にまで痙攣が広がったと感じた瞬間、痙攣は止まり、代わりに身体中の血管の中に「何か」がはいずり回る感覚に汚染される。
「身体の中で……何かが蠢いて……うぅ!」
ヒカルはいままで体験したことがない感覚に恐ろしくなり、すがるように彼女を見上げた。
だが彼女は、顔面蒼白で狼狽えている。
「こんな……どうして」
彼女の口走った言葉と様子からも「これ」をどうしようもないのが、ヒカルにもわかった。
(クソっ……どうしたら)
――いい? 身体に異変が起きたら、まずは自分の心を落ち着かせなさい。そのためには――。
ヒカルはその瞬間、子供の頃から母によく言われていたことを思い出した。
ヘソの下。「丹田」のあたりに意識を集中して呼吸をする。お腹を中心として集まった「気」を身体全体に広げていくのだ。緊張したときや、体調が悪いときは母にやらされていた呼吸法だった。
「すぅ~はぁ~。すぅ~はぁ~」
まずは、頭と身体を落ち着かせるように呼吸する。
そして呼吸によって作り出した「気」を意識しながら全身に張り巡らすのだ。
ヒカルのその様子を見て、彼女は「えっ! その呼吸は……」と、驚きの声をあげる。
ヒカルは感覚で作った「気」を操作するように意識する。そして、身体の中の気が侵入してきた「何か」に合わさった。
「グゥ!」
彼は思わず声に出した。身体の中の「何か」と「気」が小さく反発したからだ。
「あの……」
ヒカルの耳に、彼女の心配する声が聞こえる。
彼は大きく息を吐き、目を開いたが驚いた。
なぜなら、眼前に彼女の手の平があったからだ。しかもその手は、ボンヤリと光っている。その手は彼に触れようとしていた。
「ちょっと待ってくれ……」
ヒカルはそう言いながら「ストップ」の意味合いを込めて、両手の手の平を開いて彼女に向けた。
彼女はその彼の動作に、一瞬「えっ……」と、戸惑ったような声を上げる。
ヒカルは呼吸を続けた。ゆっくりとだが、侵入した「何か」が薄まってきている。いや、自分と合わさっているという感じが正しい。
「ふぅ――っ」
さらに1分ほどたち、ヒカルは最後に大きく息を吐いた。
「もう……大丈夫みたいだ」
彼は彼女に向かって、そう告げた。
彼女は、驚いたように声に出す。
「手を……見せていただけますか?」
彼女はそう言うと、ヒカルの左手を自分の両手で支えるように触る。
一瞬、彼女の触れた部分から、彼の身体の中を「何か」が通過するような感じを受けた。それは最初の「何か」とは異なり、むず痒くなるような感覚だったが、不快なものではなかった。しばらくして彼女は口を開いた。
「……特に問題はないようです。安定もしているようです、でも……」
「でも?」
彼女の話を聞いて、ヒカルは聞き返す。
「夢の世界の住人が……なんで」
彼女は、変なことをボソッと口走った。
(夢の世界?)
「あのさ……。いろいろ聞きたいことがあるのだけど」
ヒカルは左手の小指にある指輪を突き出し「これって何なんだ?」と問いただす。
「えっ……とっ……」
そう聞かれた彼女の顔が、ドンドンと青くなるのが彼にはわかった。
ヒカルは「聞かれて困ることなのか……」と思いながら、まずは彼女を落ち着かせることにした。
「俺の名前は北畠光。とりあえず「ヒカル」でいい」
ヒカルは、自分の名前を彼女に告げた。
「ヒカル……」
「あぁ、そうだ。君の名前は?」
彼女は「ハッ」となり答える。
「私の名はメイダです」
「メイダ? 純粋な日本人には見えないけど……。流暢な日本語だから、もしかしてハーフなのかな?」
ヒカルはそう聞き返すが、彼女からは思いもよらない答えが返ってくる。
「日本人……。もしかして日本というのは、この『夢の世界』の名称でしょうか?」
「ん? ちょっと待ってくれ。君……メイダが言う「夢の世界」の意味が、俺にはよくわからない。日本と言うのはこの国の名前だし、ここは『夢の世界』なんかじゃなくて現実の世界だ」
「…………」(ヒカル)
ヒカルは正直「これは……やばい子だ!」と、心の中で叫ぶ。「この子は……病院に連れていったほうが、よいかもしれない子か?」と、一瞬考えたときに彼女が再び口を開く。
「あっ、そうですねごめんなさい! アワワ……。この世界の人にとっては、ここの世界が現実で……」
なんだかメイダが慌てはじめたので、この話はやめといたほうがよいなと、ヒカルは感じる。
「まぁ……それは置いといて、それよりもこの指輪は一体なんなんだ?」
彼はそう言いながら、自分の右手で左手小指の指輪を外そうとした。だが……。
「ん? あれ? 外れないぞ……」
彼はそう言い、さらに力を込めて指輪を自分の指から外そうとする。
「クッ! ダメだ……。なぜだ?」
「見せてください」
ヒカルはメイダにそう言われ、小指を彼女のほうへ差し出した。
「動かないでください」
メイダはそう言うと、自分の両手でヒカルの左手を包んだ。
さっきと同じように、彼女の手がボンヤリと光る。
「…………」(ヒカル)
「どうやら、ヒカルの『オーラ』に指輪が染まったようですね……」
メイダの話に彼は「オーラ? その『オーラ』ってのはなんだ?」と、口に出した。
目の前にいるメイダが、普通ではないことはすでに疑いようもない。ヒカルはそれがわかっていたから、素直に言葉に出して聞いてみる。
メイダは首を少しかしげて、可愛らしい表情を作りながら答える。
「ええと、オーラとは身体の中で生成するエネルギーです」
「ん? エネルギー? 説明がそれだけじゃわからないんだが……」
メイダの漠然とした言い方に、ヒカルはさらに問いただす。
彼の困ったような顔つきを見て、彼女は「ハッ」と気づいたような表情をし、あらためて話し出す。
「ええと、オーラは身体の中で生成し展開すれば、身体能力を上げられますし、体外へ放出して物体に定着させれば、力を与えることができます」
「…………」(ヒカル)
この子はやはり説明が下手だなとヒカルは感じながら、それは漫画なんかでよくある魔法のようなものだろうかと想像した。
「ではそれを……今見せてもらうことはできるかい? じゃないと信じることなんかできない」
全ては事実を客観的に見ることが重要なのだと、ヒカルは思う。彼の母親である沙也加が、日頃から自宅で怪しい機械の実験を行っていることから、日常的に物事を確かめるクセがヒカルにもついている。
メイダは彼の要求に「はい。ちょっと待ってください」と告げる。スクッと立ち上がると、目の前にあった大きな桜の木に近づく。そして……。
ドゴ!
その木をいきなり殴った……。
「ちょっと!」
ヒカルは想定もしなかった彼女の動作に、驚き叫ぶ。
先ほどメイダの手が光るのを見ていたので、その延長線上、手から何かを出すのかと想像していたからだ。まさか木に殴りかかるとは、想像もしなかった。
メイダは「あれっ?」と、少し困ったような顔をして言う。
「あれ? さすがに折れなかったみたいです……」
「……」(ヒカル)
メイダはそう言ったが、ヒカルは彼女が拳を打ち込んだ木の表面を見た。そこにはハッキリと拳の跡が現れている。普通の女の子には、到底不可能な一撃だった。
しかも、メイダが拳を打ち込んだ体勢も不自然だった。空手の正拳突きや、ボクシングで言うストレートのような予備動作が、全くなかったからだ。
「あれ?」
彼女は、打ち込んだ自分の右手を広げながら見つめる。
「どうした! 拳を痛めたのか!」
ヒカルが素早く彼女に近づき、メイダの手を覗き見た。
「いえ、手は大丈夫です。でもなんか……体内のオーラを体外へ放出できない感じなんです……」
「……」(ヒカル)
メイダがまた、わけがわからないことを言い出した。
「オーラを放出できないとどうなるんだ?」
意味がわからないまでも、ヒカルは話に合わせてメイダに問いかける。
メイダは首をかしげて、困ったような顔をした。
「ええと、身体によくないことが起ります」
「よくないことって?」
ヒカルはそう言いながら「説明の仕方……」と、心の中で叫び、半分諦めながら「もう少し、具体的に説明してくれないか」と告げる。メイダは「えっ、はい」と答えて話し出す。
「生成によって身体の内部に溜まったオーラが、体外へ排出されず、身体に悪影響を及ぼします。これを『オーラ溜まり』と言いますが……悪影響は人によって様々です。動けなくなったり、熱が出たりします。でも……」
彼女は、左手を頭上へ伸ばした。
「ハァッ!」
メイダの掛け声とともに、彼女の左腕から光が飛び出した。小さな光だったが、3.4メートル上にあがってから弾けて消える。
ヒカルはその光景を見て「これで十分説明できたんじゃ?」と、彼女をジト目で軽く睨む。メイダは、ヒカルの目に動じることなく言う。
「大丈夫ですね。オーラを放出できました。『神器』を通せば問題なくオーラを放出できるようです」
メイダは自分の左腕を俺に見せながら、微笑んで答えた。そこには、小指以外の指にはめられた4つの指輪が垣間見えた。
ヒカルは、自分の左手小指にはまった指輪をメイダに見せる。
「もしかして……その『神器』って、これもか?」
ヒカルの言葉に、メイダは彼から目をそらしながら気まずそうに答えた。
「えっ……あぁ~はい……」
子どものいたずらを親にとがめられたような彼女の仕草に、彼はため息を吐く。
「ハァ~。それで、君はいったいどこからやってきたんだ?」
ヒカルは、一番聞きたいことを聞いてみた。
「それは……」
「「…………」」
メイダは、ヒカルの問いかけに停止した。どこまで話してよいのか迷っている感じだ。
それにしてはとヒカルは感じる。様子はともかく、ホントに綺麗な子だと。テレビやファッション雑誌にいても違和感を感じないほどだろう。「まったく……この不自然な感じがなかったら。もったいない……」と……。
そのとき「ぐぅぅぅぅ~~」と、間の抜けた音が響いた。
メイダが、顔を赤らめている。ヒカルの腹じゃない。それは、メイダのお腹が鳴る音だった。
「なんか食べに行こう。ついてきて」
「は、はい!」
2人は谷中霊園を出ると、日暮里駅近くのパン屋に入った。店内には、たくさんの焼きたてパンが並んでいる。
「わぁ~♪」
メイダがそう言い、顔がほころぶ。店の中をキョロキョロ見ながら、興味深そうにパンを覗き込む。
「好きなパンを選んでいいから」
ヒカルの言葉に、彼女は目を爛々と輝かしながら「はい!」と答える。
メイダは、バゲットにチーズとキノコ、チキンが乗ったパンと、クロワッサンを選んだ。ヒカルは、ソーセージの惣菜パン。飲物も一緒に買う。
そこから近くにあるお寺の敷地に入らせてもらい、人けがないのを確認してから、そこのベンチでパンを食べた。
メイダはパンにかぶりつく。
「とても美味しいです……。こんな豊かな味のパンは、食べたことがありません。」
彼女はそう言うと、アッという間に2個のパンを平らげてしまった。
ヒカルも食べ終わり、オレンジジュースを飲みながら聞いてみる。
「あのさ……」
ヒカルの問いかけに、メイダは満面の笑みで「はい」と答える。聞くべきなのだが……聞きづらい……。
「メイダ」
ヒカルはそう呟き、真面目な顔で彼女を見た。
「君はどこから来たんだ?」
彼はあらためて、聞くべきことを彼女に聞いてみた……。