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魅惑のアルデンテ

 鍋に向かって指を振る。鍋に水が満たされる。

 次にコンロに向かって指を振る。途端に炎が揺らめいた。

 水が沸騰するのを待って、ぐらぐらしているお湯に塩を入れ、パスタを一掴みさっと入れた。湯の中でくっつかないようにトングでほぐす。

 鍋から離れず茹で加減を見つめる。

 固すぎず柔らかすぎないように注意して、頃合いになったら引き上げる。

 一本味見をしてみると、コリっとした芯がやや残る、絶妙な茹で加減のパスタであった。

 これこそが、ああーー魅惑のアルデンテ。

 ちゅるりとパスタを食べたルーチェの背後に人が立った。

 続いてぬっと右手が伸びてきて、ルーチェの肩越しにパスタを掴む。

 消える右手とパスタ。

 そうして背後から人の声がした。


「ふむ……味がないな。人間というのはこんなに味気ないものを食べるのか?」

「…………!」


 ルーチェが背後を振り向くと、赤い瞳と視線がかち合う。口元がにぃっと弧を描いた。


「なんで私の部屋に勝手に入っているのよ!」

「先輩が後輩の面倒を見るのは当然だろう?」

「それは就業時間だけの話でしょ! 今日は休日よ! っていうか、許可なく勝手に入ってこないでくれないかしら!?」

「嫌ならば常時結界でも張っておくべきだな」


 あまりにも傍若無人な物言いに、ルーチェは何も言い返せなくなった。

 ルーチェの私室にやって来てパスタを食べた人物は、最近モンテシエナ中立魔法保管銀行に入職し、ルーチェの後輩となったアル・エティアという魔族の青年だった。

 しかしその正体は、五百年前の人魔戦争にて人類の敵となった史上最悪の魔王ーーバアル・ゴエティアである。

 ルーチェはパスタをお湯から上げ、お皿に移すと、あらかじめ作っておいたミートソースをかける。ひき肉とみじん切りにした玉ねぎ、そして新鮮なトマトをじっくり炒めて煮詰めて作った特製のミートソースだ。


「ああ、上からソースをかけるのか。そうすると美味そうだな」

「あげないわよ」


 にべもなくルーチェが言うと、背後の後輩は長身を折って身をかがめ、ルーチェの肩に顎を乗せる。そしてわざと拗ねた声を出した。


「可愛い後輩に、昼食をご馳走してくれないんですか……?」

「っ、あのねぇ、そんなことしたって騙されないんだから……っ!?」


 振り向いたルーチェが決然たる声でそう言うも、至近距離に迫った顔立ちの良さに思わず怯んだ。

 魔族特有の赤い瞳、黒い髪、少し尖った耳に、血色が悪いほどに白い肌。

 そして完璧に整った顔立ちは、見る者を妖しく魅了する力がある。

 しまった、顔を見なければよかったわと後悔してももう遅い。

 後輩は、その美麗な顔立ちに憂いの色を浮かべ、哀愁漂う様子で長いまつ毛に縁取られた瞳をそっと伏せる。


「先輩と、もっと仲良くなりたいと思っていたんですけど……」

「…………!」


 もしルーチェが、アルの事をただの新人職員だと思っていたら、きっと一発で絆されていた事だろう。

 しかしルーチェはこの青年の正体が齢五百年を超える、魔族の国ルキフグスにおける七十二人いる悪魔の序列代位一位の大悪魔だという事を知っている。

 知っていてなお決心がぐらつきそうになりつつ、視線をベリッと剥がして皿を手に取り、言った。


「そんな演技したって無駄よ。一人分しかパスタ茹でてないんだから、あげられないわ」

「でもソースはまだまだ余ってますよね」

「うっ」


 図星だった。余ったソースは冷凍しておこうと思ってわざと大量に作っていたのだ。


「パスタだけ茹でればいいんだから、追加で茹でてくださいよ」

「…………パスタ食べたら、出て行ってくれるかしら」

 

この問いかけに、後輩はにこりと良い笑顔を浮かべる。

 ルーチェは鍋に再び水を張り、湯を沸かし、そしてパスタの詰まった瓶を掴む。


「好きなだけ茹でていいわよ」

「ありがとうございます」


 パスタの瓶を手に取って後輩は、蓋を開けて中からパスタを一掴み取り出すとーー真ん中からバッキリパスタを折って鍋に入れた。ルーチェはこの暴挙に喉をひゅっと鳴らして顔を青ざめさせ、一瞬動きを止めた後、腹に力を入れて声を振り絞った。


「ーーパスタを、折るんじゃなーいっ!!!!」


 昼下がりのモンテシエナ中立魔法銀行の居住区域に、窓を震わせるルーチェの怒号が響き渡った。



 ルーチェは出来上がったミートソースパスタを食べながら、収まらない怒りを目の前の男へとぶつける。


「信っじられない、パスタを折るなんて、あり得ない! 言語道断の鬼畜の所業よ!!」

「そこまで怒るとは……折った方が早く茹るかなと思ったんだが」

「何を言ってるのよ、ダメに決まってるんでしょ! パスタは長くないと、ソースが絡まらないんだから!!」

「すまない。料理なんてしたことがないから勝手がわからなかったんだ。謝る」


 目の前の男は後輩ぶることも忘れ、魔王時の口調でそう謝ってきた。


「もうぅうう……! ってか大体、どうして力の大部分を封印してまでこの銀行で働くことにしたの!? 暇つぶしならもっと他にも色々とあるでしょう」


 ミートソースパスタを頬張りながらルーチェはアルへと問いかけた。

 するとパスタをもぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み込んだアルは、事もなげにいう。


「実は俺は普通の生活にちょっとした憧れがあってな。普通に働き、金を貰い、自炊するという生活を送ってみたかったんだ。暇だし。だがルキフグスだと皆が俺の正体を知っているから難しいだろう? そこで古くからの知人であるミダスの下でしばらく厄介になることにしたんだ。ところでこのパスタ、美味いな」

 アルがパスタを食べながら、そんな感想を述べてくる。

「あ、そう? まあ、魔王様にそう言ってもらえると嬉しいけど」

「あまり食べ慣れない味だ。お前の故郷の料理か?」

「そうよ」

「アイローラといえば、ランバルド王国の古い魔法の名家の名だろう? なぜここで働いているんだ」


 ルーチェはこの質問に、パスタを食べる手をピタリと止めた。


「……さすがは魔王様、詳しいのね」

「人魔戦争では、お前の先祖に酷く手を焼いた記憶がある。ミダスの代わりに招集された魔法使いだったが、舐めてかかった分痛い目を見た。結局仕留め損ねたしな」


 この言葉にルーチェは、再びフォークにパスタをくるくる巻き付けながら、息を吐き出した。


「御明察の通り、私の生家アイローラ伯爵家は魔法の名家だわ。ただ、代々金遣いが荒いのと、領地経営に向かない性格でね。おまけに肝心の魔法の腕前も、当主ごとにばらつきがあるせいで不安定で、代を重ねるごとに落ちぶれて行ったの。おかげさまで私が生まれた時には貧乏貴族で没落まっしぐらよ。幸い私は魔法の腕前はあったから、少しでも家の足しになればいいと思ってこうして働きに出ているってわけ」

「なるほどなぁ」

「ミダス総裁の言う通り、結局世の中、お金なのよ。お金がなかったら何にもできやしない」

「そんなことはない」

「え……」


 アルはルーチェをまっすぐに見据え、キッパリと言った。


「世の中、金がなくても力があればなんとかなる。他を寄せ付けない圧倒的な力さえあれば、金も人も思いのままに動かせるぞ」

「…………」


 ルーチェは目の前にいる魔王兼後輩を半眼で睨みつけた。

 金と力。

 方向性は違えど、向かっている先は同じではないだろうか。

 もっと、愛とか信頼とか言うのかと一瞬でも期待した自分が馬鹿だった。

 ルーチェはパスタを巻き付けたフォークをパクリと口に運ぶ。

 酸味が効いたトマトソースと、じっくり炒めた玉ねぎの甘み、そしてひき肉のジューシーな味わいがパスタに絡み、渾然一体となって口の中に広がった。

 ルーチェのストレス解消方法は料理することと食べることである。

 今日は先日のドタバタ騒動の疲れを癒すべく、腕によりをかけて朝から料理していたというのに、どうしてストレスの原因になるこの男と一緒に食事をしているのだろうかーー。

 心休まらない食事時間にルーチェが黙り込んでいると、何を思ったのかアルが声をかけてきた。


「何だか疲れている様子だな。仕事の悩みか? 休みの日くらいのんびりしないと、心が疲れるぞ。そうだ、気晴らしにこの

モンテシエナの中を俺に案内してくれないか」

「それのどこが気晴らしになるのよ」

「部屋にこもって悶々としているから良くないのだ。ミダスが金をかけまくって造り上げたこの建物内を、俺はもっとゆっくりと見て回りたい。というわけで案内してくれ」

「いや」

「よし、食ったら行くぞ」

「ねえ、私の話聞いてた!?」


 アルはルーチェの意見に聞く耳を持たず、昼食を終えると立ち上がり、「さあ行こう」と促した。


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