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預けた品

 行く時とは違い、戻るのは一瞬だった。

 何せバッジには転移魔法陣が刻まれているため、触れて魔法を発動させればあっという間にモンテシエナの玄関口まで行けるのだ。


「つまりこのバッジ自体が魔導具になっている、ということなんですね」

「そういうことよ」


 アルの感心したような言葉に、ルーチェは頷いた。

 チェスターの父は足が不自由なため、アルが腕を肩に回して支えている。進んで引き受けたアルに意外に思いつつ、「後輩なのでこれくらいのことはやらせて下さい」と言われ、若干戸惑う。

 この魔王様は、後輩ムーブを明らかに楽しんでいる節があった。

 ただ申し出自体はありがたいので、そのままお願いした。


「保管品の引き出しは勤務中の行員にお願いすることになりますので、私たちはここまでしかご一緒できないのですが……」


 何せ勤務中でもないのに制服を着て、顧客を連れて行ったとなれば問題視する人もいるだろう。本来であれば顧客をモンテシエナまで連れて行くためには、かなりの金額を請求することになる。本日ルーチェがやったことは、言ってしまえば職権濫用に他ならない。


「いやいや、本当に何から何まですみません……! ここまで来ればあと一息なので、一人で行きます」

「お気をつけて」

「はい」


 片足を引きずりつつ、ひょこひょこと歩いてモンテシエナ銀行内へと消えていく後ろ姿を見送り、ルーチェとアルはその場に留まる。

 あいも変わらず玄関口にはさまざまな人が行き交い、見張りの騎士が問題はないかと目を光らせている。ルーチェは騎士の目から隠れるように隅に移動し、チェスターの父親が戻ってくるのを待った。


「先輩って、お人好しですね」


 不意に放たれたアルの言葉にルーチェは肩をすくめる。


「だって、放っておけなかったのよ」


 怪我をした父親を治したい一心で、一人で遥々モンテシエナまでやって来たチェスターを見て。確かにチェスターの家はモンテシエナから比較的近い場所にあったが、それにしてもリキシャに乗り、国境を越え、大人ばかりが集まるモンテシエナまで来るのは大変だっただろう。そんなチェスターを追い返すなんて、ルーチェには出来なかった。


「でも、前の私だったらきっと……手助けなんてしなかったと思う」


 規則に照らし合わせれば、今回ルーチェがしたことは決して良いことではない。無報酬で顧客を連れて転移魔法陣を使用したというのは、厳罰ものである。それに、顧客の事情を聞くというのも職務から逸脱した行為だ。

 だから以前であればきっと、一人トボトボ歩くチェスターを気にしつつも、その後ろ姿を黙って見送っていたに違いない。

 規則を守り、職務を遵守し、モンテシエナ中立魔法保管銀行で働くエリート行員ルーチェ・アイローラとして。

 気持ちが変わったのは先日の一件によるところが大きい。

 ルーチェはちらりとアルの横顔を伺い見る。魔族特有の白い肌に赤い瞳が輝いている。その目はなんでもお見通しだ、と言っているようだった。

 規則にがんじがらめになり、職務を全うしている中、自分でも知らずに抱いていた銀行への不満。預かる品物にも、預ける人の事情にも、一切関与せずただただ金だけを受け取って保管するだけの毎日。明らかに盗品であろうものを、眉ひとつ動かさずに預からなければならない。その時感じる、まるで共犯者になったかのような罪悪感に気がつかないふりをしていた。

 そうしたルーチェの葛藤を払拭してくれたのが、先日のアルの行動だ。

 圧倒的な力で盗品を奪い返したアルは、その足でミダス総裁の下へルーチェを連れて行き、これは職務を逸脱した行為ではないと教えてくれた。

 気持ちが軽くなった。

 心の奥底に澱のように沈殿していた気持ちが、払拭された。


「……だから、出来ることならやろうって、思うようになったのよ。勿論やりすぎない程度にね。ダメかしら」


 ルーチェの問いかけに、アルは魔王の顔で笑いかける。


「いや、いいと思うぞ。縮こまって規定を守り、言うことを聞いているだけが仕事ではないだろう。お前にはお前の想いがある。それをできる範囲で全うすることの、何がいけないんだ。誰がなんと言おうと、俺はお前の意思を尊重する」


 自信に満ちた言い方に、ルーチェもつられて笑顔になった。


「ありがとう」


 二人で待っていると、チェスターの父親が戻ってきた。相変わらず片足をひょこひょこさせたまま、右手に何かを握りしめ、ルーチェの元へとやって来る。


「お待たせしてすみません」

「無事に引き出せました?」

「はい。全部を引き出す必要はなかったので、いくつか」


 そう言って握りしめた掌を開いて、二人に見せてくれる。

 肉球のついた掌の上に乗っていたのはーールーチェの人差し指くらいの長さの、薄紅色の、平べったい何かが詰まった瓶だった。


「…………これは?」

「鮭とばです」

「シャケトバ??」


 聞いたことのない名前に、ルーチェもアルも首を思いっきり傾げた。チェスターの父は、朗らかな笑顔を浮かべながら、鮭とばについて説明してくれる。

「我が家に代々伝わる秘伝の製法で作られた干物です。秋に川に戻ってきた鮭を捕まえて、さばいて海水で洗って干して作ったものです。そのまま食べると硬いんですけど、塩っけのある鮭をしゃぶっていると口の中にじんわりと鮭の旨味と塩辛さが広がって、それはもう美味しいんです。せっかくなのでおひとつずつどうぞ」

 そう言って瓶の蓋をぱかりと開けた父親が、ルーチェとアルの手にひとつずつ鮭とばを握らせてくれた。かさかさした感触で、軽く、硬い。これが本当に食べ物なのかと疑わしい見た目をしている。


「毎年毎年たくさん作っては、行事の時に食べているんですけどね。隣に住んでいるコリー爺さんの一家が食べ尽くす勢いでねだって来るので、モンテシエナに預けることにしたんです。確かにこの鮭とばには魔法が付与されているので、多少の不調なら吹き飛ばす効果があるんです」


 父親は鮭とばを瓶からもう一つ取り出して齧り出す。鋭い牙で噛み付くと、鮭とばは真っ二つに折れ、ボリンボリンとすごい音を立てながら噛み砕かれた。


「うん、美味しい」


 そしてそーっと足をつくと、その場で少し足踏みをし、それからジャンプをした。


「よし、治った」

「えっ、本当に!?」

「ええ。治りました」


 まさかの治った発言にルーチェはびっくりしたが、確かに先ほどまで引きずっていた足はもうなんともなさそうだった。

 チェスターの父親は、丁寧に頭を下げてお礼を言う。


「ありがとうございました。これでまた漁に出られます。クエンダにいらした時には、ぜひまた我が家をお尋ねください。精一杯のお礼をいたします」


 晴れやかな笑顔を浮かべてチェスターの父はモンテシエナにくるりと背を向け、クエンダのある方角へと歩いて行った。その足取りは軽やかで、スキップでもしそうな勢いだ。


「先輩、良いことしましたね」

「そうね」


 ルーチェはこくりと頷いた。


「ところでモンテシエナって、食料品の保管も承っているんですね」

「……まあ、預かったものが経年劣化しないよう、保管庫には状態を保存する魔法がかかっているから、そういう人がいてもおかしくはないけど……それにしても、あんなに調子悪そうだった足の怪我を瞬時に治すこの食べ物って、一体なんなのかしら……」


 そっと掌に乗った鮭とばに視線を落とすルーチェ。食物というよりもミイラに近い見た目をしているこれを食べるのは勇気が入りそうだ。


「あ、結構美味しいですよこれ。酒に合いそうな味がする」

「もう食べたの!?」

「かったくて噛み切りにくい」


 眉根を寄せて苦労しながら鮭とばを食べるアル。

 ルーチェは食べようか食べるまいか迷った挙句、とりあえず一口、ほんの小さく齧ってみた。 

 ほんのりと鮭の風味が漂うそれは塩気が効いていて、確かに最近感じていた疲労が軽減された気がした。


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