4.推しと、推し部屋と、思わぬ真実
その日の夜会が終わったあと、わたしはエレン様を自分の部屋にお連れすることになった。本当はとっても嫌だったけど! ご案内することになった。
(だって推しの頼みじゃ断れないもの。エレン様が願うなら、どんな無茶でも全部叶えて差し上げたいもの)
もしもエレン様が世界征服を企む極悪人だったとしたら、わたしは彼のために権力を振るう稀代の悪女として歴史に名を残したかもしれない。推しへの想いは人を盲目にする。簡単には抗えないものだ。
ややして私室の前に到着し、深呼吸を一つ。わたしは勢いよく扉を開け放った。
「ここがわたしの部屋よ。驚かないで――――って言われても難しいかもしれないけど、どうか冷静に――――くつろいでください」
「これは……想像していたよりも、ずっとすごいですね」
エレン様はそう言ってひっそりと息を呑む。わたしは彼からそっと視線をそらしつつ、全身に冷や汗をかいた。
(やっぱり……ドン引きされてる。全く、なにが悲しくて推しに推し部屋を見られなきゃならないのよ……)
わたしの部屋は、思う存分エレン様を愛で、エレン様の息吹を感じ、エレン様を支援するために存在している。
部屋に入るとすぐに、神絵師に描かせたエレン様のでっかい壁紙がわたしたちを出迎えてくれた。調度類はすべて、彼のイメージカラーである黒に金、藤色で統一している。
それから、カーテンやクッションにはエレン様の家紋と魔法陣を自分自身で刺繍した。棚の上にはエレン様愛用の香水に、彼をイメージして作り上げたアクセサリーが並ぶ。
この他にも、部屋中の至るところにわたしのエレン様への愛と想いと推しグッズが溢れている。エレン様はソファに腰かけ、そんな部屋をしげしげと見回していた。
「これ、俺ですか? すごい……そっくりですね」
「そうね……」
(頑張ってそっくりに描いてくれる絵師様を発掘しました。色彩センス抜群な塗師様との合作です。現在進行系で、反対側の壁紙を準備してもらっています)
「このクッションの刺繍も綺麗だ。紋様の細かい部分まで再現されていますね。もしかして、俺の実家から取り寄せたのですか?」
「違います…………」
(それ、縫ったのわたしです。何十も何百も同じ模様を刺していれば、自然と上達するものです)
「このお部屋がヴィヴィアン様がおっしゃっていた宝物庫なのですか?」
「いえ、宝物庫はこことは別に……」
(どうしよう。めちゃくちゃ恥ずかしい)
穴があったら入りたい気分だ。エレン様はエレン様で居心地が悪いだろうし、なんだかとっても申し訳ない。だからこそお父様の部屋に案内したかったんだけどなぁ(しかし時すでに遅し)。
「――――ヴィヴィアン様、なにかございましたらなんなりと、このジーンにお申しつけください。僕が必ずあなたをお守りします」
とそのとき、護衛騎士の一人が声をかけてきた。
ジーンは8年前からわたしに仕えてくれている26歳の伯爵令息で、超がつくほど真面目な男性だ。わたしを守ることに命をかけているからエレン様を警戒しているらしい。同席する気満々っていう表情をしていた。
「ありがとうねジーン。だけど、ジーンは部屋の外で待機していて。エレン様とふたりきりで話したいことがあるの」
「しかしヴィヴィアン様」
「しかし、じゃない。下がっていなさい」
ことはエレン様の名誉に関わることだもの。
エレン様がどんな反応をするか、想像するだけでちょっと怖いし。ついでに言うと、お父様が勝手をしてごめんなさいって謝る気満々だから、帝国の威信にも関わってくる。皇女っていうのは人に頭を下げてはいけない生き物だから、たとえ相手が側近のジーンでも、わたしのそんな姿は見せるべきではない。
「あっ、ヨハナ! お茶をありがとう! あなたも部屋の外で待機していて」
「はい、ヴィヴィアン様」
侍女のヨハナからお茶のカートを受け取って、わたしは部屋の扉をパタンと閉める。
それから改めてエレン様へと向き直った。
「ひとまずお茶をいれるから待っていてくれる?」
「もちろん。それにしても、ヴィヴィアン様自らお茶をいれてくださるのですか? 嬉しいです。皇女様でもお茶をいれられるものなのですね」
「え? っと、そうね。わたしってかなり凝り性で、お茶をいれるのも好きだったりして……色々再現したいものとか、こだわりとかあったりするから」
エレン様の仰るとおり、皇女は普通、自らお茶をいれたりしない。だけどわたしは目的のためなら手段を選ばない女だ。
お茶をいれる技術だってエレン様を崇め、彼の存在を感じ、推しまくるために必要だったから磨きあげた。本当に好きでやっていることなのだ。
「あっ……だけど」
「どうされました?」
「今夜は紅茶しか準備がないんです。エレン様が好きなのはカプチーノなのに……」
急なことだったから、エレン様をお迎えするための準備時間が十分に取れなかった。
本当なら、ならエレン様が一番好きなものをお出ししたい。たとえこれから婚約をなかったことにするのだとしても、大事な大事な彼の時間をいただくんだもの。少しでも喜んでほしいし、楽しんでほしいんだもの。
「――――俺のこと、よくご存知なんですね」
「そりゃあ、わたしはエレン様の大大大ファンだもの! この世界でわたしほど、エレン様のことを想っている人間はいないわ! 好きな人のことを知りたいと思うのは当然のことでしょう?」
答えれば、エレン様が目を細める。途端に気恥ずかしくなって、わたしはウッと口をつぐんだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます。とても美味しそうです」
ティーカップを受け取りながら、エレン様が微笑む。そっとミルクを差し出したら、彼は嬉しそうにそれを受け取った。
「そろそろ本題に移りたいのだけど」
「はい、ヴィヴィアン様」
「あの……その…………」
どうしよう。いざ話をしようと思うと、なんて切り出したらいいかわからなくなる。エレン様の大切な時間を奪っているのだし、早くしなきゃってわかってはいるんだけど。
「俺たちの結婚について、でしょうか?」
「……! ええ、そうなんです」
モタモタしていたわたしに、エレン様は助け舟を出してくださった。こういう頭の回転のよさとか、気遣いができるところとか本当に素敵。好き。こんなときだっていうのに、ついつい心をときめかせてしまう。
「実は……結婚について、父が大いなる勘違いをしていて、エレン様には大変申し訳なく思っているの」
「大いなる勘違い?」
「ええ。実は……ごめんなさい! 父はわたしがエレン様に熱狂するあまり、結婚までもを望んでいると勘違いしていたんです。そのせいでエレン様がわたしとの結婚を強要されてしまうなんて…………本当に、なんてお詫びをしたらいいか!」
「ヴィヴィアン様⁉」
驚きに目を見開くエレン様を前に、わたしは勢いよく頭を下げた。
「娘のわたしが言うのもなんだけど、お父様ってめちゃくちゃ親バカで……エレン様と結婚ができたら、わたしが喜ぶと思っていたみたいなんです。だけどわたしは……」
「お待ち下さい、ヴィヴィアン様。まずは頭を上げて」
「でも……」
気がついたらエレン様はわたしの隣に移動していた。それから、わたしの頭を上げさせると、じっとこちらを覗き込んでくる。
(どうしよう! 近い、近い、近い、近すぎる!)
推しがこんなに近くにいて、平常心でいられる人間なんていない。己の肌のコンディションとか、恐ろしいほどうるさい心臓の音とか、荒くなってる鼻息とか、いろんなことが気になって本題をついつい忘れそうになってしまう。わたしはゴクリと唾を飲んだ。
「ヴィヴィアン様……ヴィヴィアン様のほうこそ、大きな勘違いをなさっています」
「え? わたしが? 一体何を?」
勘違い? そんなの、全く思い当たるフシがない。
己を指さしつつ、わたしはそっと首を傾げる。
「ええ、そうです。俺は陛下に結婚を強要されてなんていません。寧ろ、自らあなたとの結婚を望んだのですから」
「え…………?」
待って。
待って、待って。
ありえなさすぎて意味がわからない。エレン様の言葉がすんなりと頭に入ってこない。
落ち着いて、エレン様の言葉を何度も何度も反芻する。
(エレン様は結婚を強要されていない。寧ろ、わたしとの結婚を望んでいた……って)
「えぇ⁉」
ようやく理解が追いついた瞬間、わたしは思わず叫び声を上げた。