13.推しを摂取するという概念
先輩の言葉で我に返ったそのとき、ちょうどリリアンがお盆を手に戻ってきた。
「お待たせいたしました。カプチーノをおふたつ、お持ちしております」
ニコニコと愛想のいい笑みを浮かべながら、リリアンがテーブルにカップを置く。明るく元気な受け答えの割に、その手付きは優雅かつ丁寧だ。そういえば、姿勢や歩き方も美しかった。まるで名のある貴族に仕える侍女――――いや、貴族そのものの立ち居振る舞いのように。
けれど次の瞬間、それとは全く別の理由で、俺は驚きに目を見開いた。
「これ……魔術師団の紋章ですか?」
小さなティーカップのなか、カプチーノに描かれた繊細な模様。それは俺たちがしょっちゅう目にしているもの――――魔術師団の紋章だった。
「ええ、そうです! 本当は魔法陣を描きたかったんですけど、さすがにレベルが高すぎてラテアートにできなかったので……もう少しシンプルな魔術師団の紋章を描いてみました」
「シンプルな、って……言うほどシンプルではないと思いますけど」
というか、普通に複雑だ。三日月の中に大きな五芒星が入り込み、その周辺に細かい模様が散りばめられている。飲み物というよりもはや芸術作品に近い。俺は素直に感心した。
「一体どのぐらい練習を――――試行錯誤を重ねたんですか?」
「えーーっと、ざっと二年弱ってところでしょうか? 最初は簡単な模様から練習して、段々複雑な模様を描けるようにしていったんです。あっ、もしもエレン様が別の模様をお好みなら、ハート型とか、ウサギとか、葉っぱや花なんかも描けますし、短い文章も書けると思います。本当は魔法が使えたら、もっと複雑な模様が書けるかもしれないんですけどね。ないものねだりをしても仕方がないので」
リリアンはそう言いつつ、全く苦労をにじませない。むしろ楽しげな様子だった。
「どうしてそこまで?」
「……? えっと、そこまでっていう感覚は正直言って全くないですよ。全部楽しんでやってることですから」
リリアンは心底不思議そうな表情で首を傾げる。納得できない――――そんな俺の感情を読み取ったのだろう。彼女はそれからそっと瞳を細めた。
「最初はただの趣味だったんです。好きなものを思う存分愛でたい、表現したいっていうのがキッカケでした。……なんというか、目や耳から摂取する推しもいいんですけど、それだけだと味気ないなぁって思いはじめまして」
「……ん?」
段々とリリアンの話が難解になってきた。『推し』とか『摂取する』とか、言葉の意味はわかるものの、何が言いたいのかイマイチ理解できない。そんな俺を置いてけぼりに、彼女はうっとりと頬を染めた。
「我慢ができなくなってしまったんですよ。頭の中が推しを愛でる言葉で溢れかえって、身体中が熱くてたまらなくて。もっともっと、この溢れかえる愛情を表に出したい! 共有したい! 昇華させたい! これ以上は体がもたないってなったときに、いよいよじっとしていられなくなって。それで、自分の体を動かすこと――刺繍をしたり、文章化して推しへの愛を実感することにしたんです。それに、食べ物や飲み物を作って体内に取り込むと、推しを内側から愛でられているような気分になれるかな? って思ったんですよね。そうこうしている内に店を――――知り合いが店を出すことになって。せっかく魔術師団の近くに店を構えるのだし、皆さんにも楽しんでいただきたいなぁって思ったんです。あっ、ちゃんと使用の許可はとってますよ? 魔術師団は大事な大事な国家機関ですからね!」
そう口にしたリリアンは、活き活きとして楽しそうだった。きっと刺繍をしているときも、ラテアートを作っているときも、今と同じように、とても嬉しそうな表情を浮かべているのだろう。
(見てみたいな)
何故だろう? いつまでも眺めていられそうな気がする。俺は思わずクスリと笑ってしまった。
「あっ……すみません、わたしったら。エレン様が優しいのをいいことに、いつまでも長々と話してしまって。せっかくのコーヒーが冷めてしまって」
「え? ……ああ、俺は気にしないよ」
俺が笑ったことを呆れたと受け取られてしまったらしい。リリアンは頬を真っ赤に染め、ティーカップに向かって手を伸ばす。けれど、間一髪。俺がティーカップを奪い取った。
「あっ……あの! 新しいカプチーノにお取り替えしますから!」
「いいよ。気にしないって言っただろう? というか俺はこれがいい。これが飲みたいんだ」
これまで俺はなにかに執着したことはない。これがいいとか、これが欲しいという感覚がよく分からなかったし、こういうときはあっさりと相手の言い分を聞くタイプの人間だった。
けれど、自分でも不思議なことに、俺は今、目の前のこのティーカップを奪われたくない。絶対に渡したくなかった。
「ダメです、困ります! エレン様が気にしなくても、わたしが気になります! だって、エレン様には一番美味しい状態で、美味しいコーヒーを召し上がっていただきたいんです!」
リリアンは必死だった。大きな瞳を涙で潤ませて、とても可愛い。
――――と、俺はまたもや自分の思考に驚いた。こんな感情、これまで覚えたことがない。本当に意外なことだった。
「また来ますから――――そのときはできたてのコーヒーを飲ませてください。いいですね?」
この件について、一歩も引かない姿勢を見せれば、リリアンはグッと唇を引き結び、それからコクリと小さくうなずく。俺はニコリと微笑んだ。
「うん……美味いよ」
あのとき飲んだコーヒーは、本当に、お世辞抜きに美味かった。ミルクが甘くて、コーヒーがほろ苦くて。リリアンの想いがたっぷり詰まっていて。涙が出るほど心にしみた。
(一度きりのつもりだったのになぁ)
ついつい再来の約束をしてしまった。
けれど、次回はコーヒーと一緒になにを頼もうかとか、どんな会話を交わすか考えているだけで、なんだか楽しくなってくる。嬉しくなってくる。
そんな俺のことを、一人ゆったりとカプチーノを楽しんでいた先輩がじっと眺めていた。




