48 ぶたのけつ
憔悴し切っている顔つきだったが、バドの目はまだ半分ぐらい野望や憤怒といったものに満ちて濡れていた。
排水の匂いがたちこめはじめたひろい部屋のなかに、バドとそれに対峙するようにトレヴァ、ディレンツァ、ルイ、そのうしろのアルバートがいた。
ルイが顔をしかめながら口をとがらせる。「あなた気づいてないのかもしれないけど、私たちが手助けしなかったら、今頃あなた、あのヘビのおなかのなかなのよ!? それわかってる!?」
「うるせぇ――」息を切らした合間にバドはつばを吐く。
「もうなんで理解できないの!?」ルイは両手であたまをおさえる。「あなた、要するに〈鹿の角団〉に騙されてるのよ!?」
「うるせえ――なんでそんなこと、おまえに言われなきゃなんねぇんだ」
ルイはキィイッと歯ぎしりする。「もう行きましょうよ、こんなばか置いておいて」
「ふん、さっさといけよ」バドが口もとをぬぐう。
(だめだ――)アルバートは焦燥をあらわにする。
バドは自分たちを信じていないので、説得することはきわめて難しい。
どう話せば、バドの心をつなぎとめられるのか――。
ディレンツァが一歩まえにでる。「――落ち着いて聞いてほしい」
バドはなぜか身構える。
ディレンツァの声が大人らしく、低かったからかもしれない。
興奮していたルイでさえも少し肩のちからがぬけた。
「ルイが話したことはあながち無根拠ではない。〈鹿の角団〉は大きな勢力網をもっているため知名度があり、それなりの権力を所持しているが、やはり狡猾でもあるし、それ以上に冷徹でもある。きみが思っている以上に、まともとは言いがたい組織だ。私たちももう、何度かだしぬかれているし、かれらの残虐性のようなものもみせつけられている」
ディレンツァはバドの目をみつめていた。
「きみのようなまっすぐな情熱をもった少年を利用することだって、なんのためらいもなくするだろう。こと欲しがっている宝石のかけらを手に入れるためなら余計にな。きみを懐柔しようと甘い条件を提示し、その実それが陥穽であるということは容易に考えられることだ――」
バドはなにか反論をしかけたが、結局なにもいわずにディレンツァから目をそらした。
ルイとやりとりするようには簡単ではないことを悟ったのだろう。
「きみも勘づいているのではないか――この話の異常性のようなものに」
「……ふん」バドは応えずに、左手のひらで右手の甲をなでる。
「私はきみやトレヴァが属していたギャング団の仲間たちが不当に殺し合いをするとは思えない。類は友を呼ぶという言葉は、そういう意味では真実ではないかと思っている。きみの仲間がきみの仲間たちを殺したという……だが、あの光景がその結果だとはどうしても思えない」
バドはくちびるをかむ。「でも……トミーがそう書き残していたんだ」
「やはり、きみをここへみちびく書置のようなものがあったということだな」ディレンツァは腕を組む。「だが、そんなものはどうにでもなる」
「え?」
「その字が本人のものかどうか私は知らないが、〈鹿の角団〉ならそんなことはどうにでもできる。たとえばかれらなら、ナイフを首筋にたてて、書かなければ殺すというような脅迫ならお手のものだろうからな」
「――そんなわけ……」バドは言いよどむ。ないと断定する要素はない――。
「その可能性を考えていなかったということもないだろう? あるいは意図的に考えないようにしていたか。うまくいかないかもしれないという想定を排除したい気持ちはわからなくもない」
バドは奥歯を噛みしめる。「ぐっ……」
「だが、おそらくすがたを消したきみの仲間――トミーはいま危機に瀕しているだろう。あるいはもう、厳しいことを言わせてもらうようだが、きみのほかの仲間たちと同様に本当の意味ですがたをくらませてしまったということも……」ディレンツァは眉をしかめる。「充分にありえることだ」
バドは「ふっ」と一瞬息を吹いた。
まるで笑いだそうとしているかのような反応だったが、そのあと「はっ、はっ」と呼気をみだした。
急激に思考をめぐらせたことで、一種のパニックにおちいったのではないかとアルバートは心配したが、バドは涙目になってディレンツァをにらんだ。
「うるせーな、さっきからよ。あとから追いかけてきて、ちょっと手助けしたからって、偉そうに説教たれたりしてよ」バドは顔を赤らめる。「わかってるさ、そんなこと!! なんかおかしいなんて、ずっと思ってたさ! あんたから指摘されなくたって、おれだって勉強はできなかったけど、そういう空気を感じられないほど鈍感じゃねぇんだ――」
バドは両手をげんこつがふるえるほどにぎりしめた。
「でも、そんなのはおれの目で確かめるぜ! おれはおれの実力や運で道を選ぶんだ。それでだめならしかたがないじゃないか。トミーが死んで、おれも死んで、それで終わりならそれでいいんだ。おまえらに、おれの気持ちなんかわからんだろ!? どこまでいっても、なんの手がかりもみつからない――どこからもなんの光も射してこない恐怖がわからんだろうが!!」
バドの声が静まりかえった地下空間に反響した。
ディレンツァはもちろん、ルイもアルバートも黙りこんだ。ディレンツァは無表情で、ルイはあきらめのみえるあきれ顔だった。
アルバートは適した言葉がみつけられず、ほぞをかむ。
〈鹿の角団〉の陰謀かもしれないと覚悟しているうえで行動しているのだとしたら、もはや制止のしようがないではないか――。
バドの息切れだけが音として残った。
もはや、ディレンツァもルイも手だてを失っていた。
アルバートの目には、バドが背をみせて走り去る光景が浮かんできてさえいた。
しかし、その背中が現実になるまえに、トレヴァの声が沈黙を切り裂いた。
「おい、よく聞けよ、ぶたのけつ――」
バドの眉がぴくりと動いた。
「おれはおまえとのつきあいが長いから、おまえの思考回路ぐらいわかってるつもりだ。だから、おまえ、うそついただろ?」
トレヴァは挑発するようなことを語りかけていたが、目つきはそうでもなかった。
まるで懐かしい時代を思いだしているかのような瞳をしていた。
だから、バドもすぐに否定をしなかった。
「デュアンやメオラをトミーが殺ったってことを、おまえが疑ってたなんてうそさ。仮になにかおかしいと感じてたとしたって、それを真剣に問題として認識なんてしてなかったはずだ。おまえはいま、ディレンツァさんから聞いて初めて、その可能性をよく吟味したんだろ――」
バドは当惑した目でトレヴァをみていた。
反駁したかったが、できないのだ。
トレヴァの言うとおりだった。
バドは功を焦るばかり、トミーはあの手紙のとおりに殺人を犯したのだと思ったし、日頃から陰険だったトミーならやりかねないとさえ考えた。
どぶねずみ同士なかよくやろうや、と笑っていたトミーを回想して、それも少しへんではないかといぶかったりもしたが、それを盗賊が仕込んだことだとまでは想像しなかった。
なにもかも、逐一冷静にかんがみれば奇妙なことばかりだったが、つきつめて答えを求めることはしなかったのである。
「ディレンツァさんたちは正しいんじゃないかとおれも思ってる。トミーはいつも自分を過大評価して自慢してるようなやつだったけど、じっさいはおれたちとおなじで臆病者だっただろ。あいつがご自慢の武器を使ったところを、おれはみたことがない」
トレヴァの話し声だけが響いていた。
「おれは〈鹿の角団〉と直接話したわけじゃないけど、入口にいたごろつきたちの対応だけでわかったよ。易々と交換条件の交渉にのるような連中じゃないだろ」
バドののどから音がもれた。
声にならない言葉だったが、おそらく言葉にしなくていいものだったのだろう。
トレヴァはななめ下に目線をかたむける。
「おまえはばかだよ。ばかで……ほんと、どうしようもないばかだ。身勝手で、神経質なくせに、他人を思いやることなんかめったにない。高望みするくせに、努力はしない。直情的で、あたまも使わない。近道ばかりしたがるし、工夫もしない。おまえなんかと幼なじみで、最近は後悔することばっかりだ――」
アルバートは一瞬、トレヴァが泣いているのかと思ったが、うつむいたトレヴァの顔はどちらかといえば笑っているような表情だった。
「だけど……おまえといっしょにいると、人生が孤独なものだってことを、ときどき忘れることがある」
トレヴァは視線をバドにもどした。
正面からバドを見据える。
その目はバドのそれとおなじようにうるんでいた。
「もっとずっと、現実をしっかりと受けとめるんだ。おれたちの人生なんて、良いことなんか少しもない。悪いことばかりさ。でも、じっさいにそれが起きていることなんだ。これはちがうなんて思っちゃいけない。ちがう人生なんかどこにもない。どれだけうまくいってる人生を夢想してみたって、そんなのは真実じゃない。いま、生きてる人生がすべてさ。血を流して、痛みを感じている人生がすべてなんだ。そうだろ?」
バドは口をつぐんで、トレヴァをみていた。
さきほどまでの怒気は消え去っている。
むしろ、迷子のような顔つきをしていた。いまの不安と、未来の不安に満ちた迷子の顔。
まるでその不安の声に応えるかのように、トレヴァはなんとか笑みをつくり、うなずいた。
「それでも、人生なんて未来になにが起こるかまではわからないさ。これからさき、もしかしたら、いつかどこかでうまくいくこともあるかもしれない。だから……まわり道してみようぜ。おまえの夢なら、おれがいっしょにさがしてやる」
トレヴァは一歩踏みだした。
「だから、いくな。ここは逃げるんだ――」
それだけ話し終わると、室内はふたたび広大な湖畔のように静まりかえった。
だれもが沈黙をやぶることを拒んでいた。
ルイでさえもそっぽを向いて口を閉ざしていた。
ただ、バドの返答を待っていた。
やがて、突然――まるで尻を鞭でたたかれた馬のようにバドが大声をあげた。
「あああああああ!」
ルイも驚いてバドに目をもどした。
「くそっ! くそっ!! どうしておれはいつもこんななんだ!? くそぉぉお!!」そうして突拍子もなく、聞きとりづらい絶叫をこだまさせると、床を蹴って全力で駆けだした。
「あっ!?」トレヴァとルイとアルバートが驚嘆したが、バドはどんどん走り去る。
しかし、その方向は、まぎれもなく出口のほうだった。
「あ、あっ――」トレヴァは追いかけようとして、ふとためらい、三人をふりかえった。
「いいわ、行って――あのばかじゃ、道に迷いかねないから!」
ルイが皮肉めいた顔をして笑うと、ディレンツァが大きくうなずいた。
「ここは任せて、きみたちは町をでるんだ。事件については私たちがなんとかする」
「あ、はい――ご迷惑をおかけしました!」トレヴァは目を細めると、ふりかえることなく駆けだした。
部屋をでると、足音さえもすぐに聞こえなくなった。
バドとトレヴァがいなくなると、ふたたび施設内は落ち着いた。
冷ややかな空気は排水の匂いだったが、「ふぅ」とアルバートが胸にたまった息を吐いた。
ルイがそれを横目でみて、「私たちもとりあえず脱出よね。もういまはとりあえず盗賊とか、宝石のかけらとか言ってる気分じゃないわ」と提案した。
二人とも、なんの異論もなく同意した。




