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46 前進するために

 身体がまるで自分のものではないみたいな感覚で、腕をさわる指の感触さえ他人のものであるかのようだった。

 どうやらトレヴァが知り合った男は魔法使いらしい。

 バドはしばらくみずからの冷えきった皮膚をさすりながら、ようやく理解した。


 それもこんなせまい地下空間で、吹雪を起こしたのである。

 尋常ならざる判断と決行だ。


(イカれてるぜ)バドは充血した瞳で魔法使いをにらむ。


 しかし距離がわりとあったため、表情まではうかがえず、魔法使いがバドをみているのかさえわからなかった。


 冷たいを通りこして、すべての感覚が一時的に麻痺している。

 いまなら痛覚さえないのではないか――バドは氷のようになっている腕やふくらはぎをこすりながら思った。

 いま急に動いたら、筋を痛めるか、あるいは神経を損傷してしまうのではないか。


 それでもバドが頚をまわせるようになり、周囲をうかがうと、近くまできていたトレヴァも似たような状況におちいっており、唐突な魔法の効果に驚き、また身体を按摩して回復につとめていた。


 そして、間近にせまっていたヘビはまるで冬眠してしまったかのように動きをとめている。

 

 微動だにしないヘビは、さきほどまでの多彩な跳ねかたをしてくるものより、ずっとちいさいような気がした。

 それでも、たとえ床にころがっているだけでも充分にぶきみだった。


 これに頭部を噛みちぎられそうになったのだ――バドは抑えようもなく、身ぶるいする。


 すると、ちびの女の高い声がした。「ほら! さっさと逃げるわよ――!!」


 バドがルイのほうをみると、トレヴァも頚をそちらにかたむけていた。


(逃げる――!?)バドの腕の摩擦がとまる。


「そうか……」トレヴァが青いくちびるでつぶやく。「ディレンツァさんが時間稼ぎをしてくれたんだ」


「は?」バドは露骨に眉をしかめる。


 トレヴァはバドを見かえす。「吹雪の魔法でヘビの攻撃をとめてくれたんだろ? みてわからないか!? まむしから逃げるための余暇をつくってくれたんだよ!?」


 トレヴァの非難の目に、バドは視線を床に落とす。「そういうことじゃねェよ――」


「……なにが?」


「なんだよ……」バドは今度は怒りに身体をふるわせる。「そもそも、おれはそんなこと頼んでねえぞ……なんだよ、吹雪って――しかも、おれまで巻きぞいにしやがって」


「死んでないだけましだろ? 助けてもらって、なに言ってんだよ!?」


「そのうえ、逃げろだ?」バドはゆっくりと歩きだしたが、それは巨大まむしがころがっている方向だった。「なんで手助けされたうえに、逃げなきゃなんないんだよ……」


「おい、なに言ってる!? へんな理屈こねてる場合か!?」トレヴァが声を荒げる。

 

 ルイやアルバートもなにか警句めいたことを叫んでいるようだったが、バドには聞こえていなかった。


「ちがう――」バドはまむしのしっぽをみる。


「だから、なにがだよ!?」トレヴァは業を煮やしてこぶしをにぎる。

 いまにも駆け寄って、ぶん殴りたい衝動に駆られた。


「ちがうさ」バドはゆっくりと屈伸して前傾姿勢になると、まむしのしっぽのさきから30センチくらいのところを両手でつかむ。


「おい、なにやってんだ!?」トレヴァは唖然としてその動作をみつめる。


「おれは逃げるためじゃなく、まえに進むためにここにきたんだ!!」

 

 バドはそう言い放つと、巨大まむしをもちあげようとふんばる。

 

 まむしの皮膚をつかんでいる指と腕には相当ちからがこめられていることが浮きあがった血管でわかる。


 トレヴァはようやく理解した。

 バドは独力でまむしを退治しようと考えているのだ。

 それを矜持の一種だと思っているふしがある。


(ばかにもほどがある――)トレヴァは歯を喰いしばり、バドに向けて歩み寄ろうとする。

 一発お見舞いしなければ、ここにいる全員が被害をこうむりそうだ。


 しかし、トレヴァがそう決断したとたん――巨大まむしの身体が大きく波打った。

 まむしもまた、バドやトレヴァたちよりは遅くではあるが、ブリザードの凍てつきから回復しつつあったのだ。


 しっぽをもちあげられた衝撃で、まむしは反射的に身を大きく跳ねあがらせたのである。

 頭部がまるでばねじかけの玩具かなにかのように床から宙に跳びあがった。


 まむしは口を全開にして、キシャァアアアア!! と奇声をあげるかのような音をとどろかせながら、バドを睥睨する。


 バドはまむしの口内にならぶ牙をまのあたりにする。

 そして、驚きのあまり言葉さえ発することができなかった。

 しかし、それはトレヴァもおなじで、身動きひとつできないでいた。息をするのも忘れてしまいそうな瞬間だった。


 まむしがその牙でバドの顔面をえぐりとらんと急襲する――バドは思わず目を閉じた。


 しかし、つぎの瞬間に巨大まむしの頭部ははじきとばされんばかりにバドから遠のいた。

 痛々しい身のよじりかたで、ふたたびまむしは石床にたたきつけられる。

 

 トレヴァだけが間近でその場面を目撃していた。

 背後から矢じりのような勢いで飛んできた短剣が、まむしの片目に突き刺さったのだ。


 あっけにとられたトレヴァがふりかえると、投剣したのはルイだった。


 緊張から青ざめたルイは、トレヴァと目が合うとそれでも笑みをうかべる。「命中したわね、私ってば天才じゃない!?」


 トレヴァは微笑する。


 バドもぐったりしたまむしのしっぽをつかまえたままルイをみる。


 それと目が合うと、ルイは不敵に笑う。「ふん、さっきの借りは返したからね!」


 バドもまた唐突な展開に度肝をぬかれていたので、返事ができなかった。


「天才でも偶然でもなんでもいいよ、助かりさえすれば!」アルバートが悲鳴にも似た叫びをあげる。


「なによ、狙ったんだけど!?」ルイがにらみかえすと、アルバートは降参とばかりに両手をあげた。


「おい、油断するな!!」ふいにディレンツァがよく通る声で叫んだ。「相手の生命力をあなどってはいけない!」


 みんながそれにつられて、巨大まむしをみた。

 まむしは痙攣していたが、確かに死にいたる可能性はなさそうだし、どちらかといえばすぐにでも動きだしそうだった。


「さっさと逃げるのよ!!」ルイが右手を高らかにあげて、出口のほうにかたむける。


「逃げるが勝ちだね」


 アルバートが賛同を示したが、バドがそれにしたがうそぶりをみせなかったため、全員が脚をとめる。

 すでに一歩踏みだしていたアルバートは勢いでつんのめる。


「おい、ヘビをさっさと放せよ!! おまえなんか丸呑みにされちまうぞ!?」トレヴァがいらだちの感情をこめながら叱咤する。


 それでもバドは真顔のまま巨大まむしをみつめていた。

 そして、数秒ののちつぶやく。


「逃げるなら勝手にいけよ――おれはいかない」


 そして、まむしをつかむ手にちからをこめた。

 しかし、それに反応してまむしの身体が波紋のようにゆれる。再始動する前触れである。


 トレヴァの目に落胆がうかぶ。「死にたいのか!?」


「いまがチャンスなんだよ――」バドはちいさくうめくようにくちびるを動かすと、まむしの身体を抱きよせるかのように引きつけた。「こんなヘビごときに勝てないようなら、おれは終わりなんだ――」


「な!?」ルイの目にもそれが自殺行為に映った。


「おい、放せって!? 気でも狂ったのか!?」


 トレヴァの声に、まるで返事をするかのように巨大まむしがあたまをもたげた。

 

 アルバートが「ひっ」と息を呑む。


 しかし、それと同時にバドがゆっくりと横回転をはじめた。


 はじめはまむしを床にひきずるような速度で、まむしもあらがいの姿勢をみせていたが、バドがふんばり、顔を真っ赤にそめて、綱引きでもしているかのように「ぐぅぅああああぁああ――」と言葉にならない声をあげはじめると、回転はどんどん加速していった。


 巨大まむしはなんとしてもバドの頭部を攻撃しようと体勢をととのえようとしていたが、回転すればするほど慣性が働いて抵抗できなくなった。


 ルイは口をあんぐりさせながら、バドのジャイアントスイングをみつめた。

 長さ5メートルほどの巨大まむしの体重がどれほどあるかは見当もつかなかったが、少なくとも自分にはできない芸当である。

 アルバートも無理だろうし、おそらくディレンツァでも不可能だろう。


 バドは巨大まむしのしっぽを抱えたまま、コマのようにまわりつづけた。

 全身から発汗している。


「目がまわらないかな!?」アルバートが声をあげた。

 

 しかし、だれも返事をせず、固唾をのんで状況を見守る。


「ぅぁぁぁああああああ!!」

 やがて、バドが回転のさなか急にその両手を離した。

 三半規管や握力に限界がきたのだろう。


 それでも、放擲された巨大まむしはまるで海中をただようロープかなにかのようにうねりながら宙を舞った。

 だれもが無言のままそれを見送る。


 そして、まむしは部屋の壁に激突した。


 まるで爆発でもするかのような打音が響きわたり、ルイの目には一瞬まむしがぐちゃぐちゃになったかのようにみえた。

 しかし、それを視認するよりもさきに、もっと驚くべきことが起きた。


「か、壁が――」アルバートが口をぱくぱくさせる。「壊れた!?」


 まむしが激突したことで、壁が崩れ落ちたのだ。

 

 衝突点からひび割れた壁は、やがてまむしの身体ごと瓦解して、不恰好な楕円状の穴があいたかたちになる。

 無数の石片が落ちたことで塵埃がもわもわとたち、うすあかりのなかできらめく。


 すると、室内にうっすらと腐臭のようなものがたちこめだした。


「なに!?」ルイが敏感に反応する。「なんだかくさくない!?」


「排水だ――」ディレンツァが指摘する。「おそらく、この地下空間は下水路に併設されているかたちになっているのだろう」


「壁もうすかったってことかな」トレヴァがつぶやく。


「ああ、もう、いや。さっさとでましょうよ、こんなところ!!」ルイが憤怒でヒステリックになりながら、バドをにらむ。「あんたも、意地をはってないで!!」


 その言いかたでは聞かないよ、とアルバートは指摘したかったが、どうすればいいのかわからずにくちびるをかむ。


(どう説得すればいいのか――どんな言葉をかければいいのだろう――!?)


 バドがゆっくりとルイをかえりみる。

 全力を尽くしたバドは両肩をゆらして、はげしく息をみだしていた。

 腕や脚の露出部には血管が青筋となり、顔じゅうから汗があふれだしている。

 目には涙がたまっているようにみえた。


 そして、ちらりとトレヴァに視線を向けてきた。

 トレヴァはその様子に、かつてのバドを思いだした。


 あのときのバドも、息をみだしながらトレヴァのまえに現れたのだ――。

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