45 それぞれの行動規範
そして、トレヴァたちがバドに追いついたその瞬間、目にしたものは――柱をつたって降りてきただろう巨大なヘビが、牙をむきながら弾丸のような速度でバドに襲来しているところだった。
「バ!? ――」トレヴァは名まえを叫ぼうとしたが、焦るあまり息だけが吐きだされ、声にならなかった。
しかし、それでもバドはすんでのところでヘビに気づき、身をひるがえして柱をけり、そこから逃れた。
バドにはトレヴァたちをかえりみている余裕がなかったので、おそらく声をかけなくても襲撃をかわすことはできただろうが、離れた場所でたちあがったバドは、あきらかな安堵を目もとにうかべてトレヴァたちをみた。
広間のような空間だった。
燭台が設置された柱が等間隔でたっており、中央に少し大きめの照明がある以外はなにもない。
それでも全体的にあかりは貧弱で、視野が確保されていないため、正確な広さは把握できないが、集会場のような用途の部屋だったのかもしれない。
アルバートは目を細める。
もともと視力がよくなかったので、すべてのものがぼんやりとしていた。
「なんなの!?」ルイがベルトから短剣をとりだす。「なんで、あいつがヘビに襲われてるの!?」
しかし、だれも返事ができなかった。
バドが横目でルイを視認して内心つぶやく。(おれだって知らねェよ――)
トレヴァがよそ見をしたバドに叫ぶ。「おい、気をつけろ!!」
その警句にうながされてみると、一度はバドにかわされて体勢を崩したものの、巨大ヘビはふたたび床でまるまったのち、あたまをもたげてバドをにらんでいた。
舌さきがちろちろと高速で動き、バドは一瞬それにみとれそうになったが、「そこから離れろ!」とトレヴァがつづけて警告したので、それにしたがって跳びのいた。
すると、それまでバドがいた空間をヘビの牙が噛みちぎった。
ぎりぎりのところでかわせたバドの下腹部が緊張できりきりした。
ヘビの動きがまさに野生の速度だったので、アルバートは恐怖から背筋が凍りつき、ルイの腕に鳥肌がたつ。
巨大ヘビがちょうど、あかりのもとで照らされた。
肌は淡い褐色で、楕円形の斑紋がある。ぐにゃぐにゃしているが、表皮そのものは硬そうな印象をうける。
最初にみたときは10メートルくらいあるようにみえたが、じっさいはおそらく5メートルほどだった。
胴まわりは40センチくらいだろうか。
頚がくびれており、あたまが三角形だった。眼が細長い。
「まむしだ――」ディレンツァがつぶやく。「規格外だがね」
「私、動物にせよ昆虫にせよ、手脚の数が多すぎても少なすぎても嫌いなのよね……」ルイが舌をだす。
「すごい牙だよ――噛まれたら、けがどころじゃすまなそう」
アルバートが一歩あとずさる。
無意識の後退だった。
「毒がありますね!?」トレヴァがけわしい目つきでディレンツァをみる。
(勇ましいものだな)とディレンツァは感想をもちながらうなずく。
「基本的にまむしは毒で外敵を動けなくさせてから呑みこむ。本来は遅効性の毒のはずだが、あの体躯のサイズではどうかはわからない。ただ、通常のものでも毒性は非常に強い。血清はもっていない。解毒の魔法もないわけじゃないが、効果が毒にまさるかどうかは疑問だ――」
アルバートが眉をしかめる。
ディレンツァがちらりと全員をみる。「巻きついて締めつけるちからも相当だろう。もともとヘビは相手を絞め殺してから呑みこむものも多い――」
ルイが身ぶるいする。
絞殺されて、呑まれたところを想像したかまではわからない。
トレヴァはメオラのデスマスクを思いだした。
なぜか笑顔のようにもみえなくはなかったが、夢見心地ではなかったことは確かだ。
しかし、そうこうしているうちに巨大まむしの攻撃が再開された。
ふたたびバドに狙いをさだめ、はねるゴム球のような動きで襲来した。
バドは横に跳びのき、右手でハンドスプリングをして距離をとった。
両足着地はきれいに決まる。
バドはそのまま柱を迂回するようにして奥に逃げる。
まむしはしゅるるるると擦過音を発しながら、それを追いかけていった。
「あのばか、やるじゃない!? 運動神経だけはいいのね」
ルイがにやりとしたので、トレヴァが半笑いで応える。
「でも、形勢が転じたわけじゃないし――なんとかしないと!」アルバートがあたふたする。
「わかってるわよ!」
ルイは駆けだす。
少し迷ったすえにアルバートもついていく。
トレヴァはディレンツァをみる。
ディレンツァは口をつぐんで、バドたちが去ったほうをみている。
なにごとかを思案しているようだった。
トレヴァは正面に向きなおる。
バドもまむしもルイもアルバートも視界からは消えている。
あかりがとどかず、部屋の奥がうかがえなかった。
「おれも行きます――」トレヴァは動かないディレンツァを残していった。
トレヴァはすぐに現場に追いついた。
まるで蛇使いとキングコブラのような距離感をもって対峙するバドとまむしを、少し離れたところからルイとアルバートが見守っている状況だった。
ルイのかざしている短剣がうすあかりを反射して、トレヴァの目に入る。
「どうしよう――」アルバートが二の足を踏む。「ここでみんなでいっせいにいきなりとびかかっていったら、逆にぼくたちが噛まれたりしそうだよね」
「そうね」ルイが片方の眉をあげて、うなずく。「まだあいつが追いかけられてるほうが被害が少ないわ。王子じゃ、あのヘビの動きに対応できないもの」
ルイの皮肉にアルバートが反応するよりもさきに、ふたたび巨大まむしがバドに向けて跳ねあがった。
キシャァァアア! という紙を瞬時に切り裂くようなかん高い音がこだまする。
アルバートは思わず目を閉じてしまった。
「右だ!!」トレヴァが叫ぶ。
その声を聞くやいなや、バドは右に向けて身を躍らせる。
ルイはトレヴァを一瞥してから、バドをみる。
スペースだけで判断すれば、バドはまむしの攻撃を左右どちらにでもかわすことはできた。
しかし左には壁がせまっていたため、右に移動した場合のほうがそのあとの行動範囲がひろいので、トレヴァのアドバイスは的確だといえる。
「なんだ……いいコンビじゃない」
ルイは感心してつぶやく。
なんにせよ、二人のあいだで行動規範のようなものができあがっている。
「ルイ、よそ見!!」アルバートが声を裏返らせる。
ルイがはっとして正面を向くと、巨大まむしは口をばっくりと開けて、ルイの目前にせまっていた。
巨大まむしはなかなかバドを捕らえることができず、かつその理由が獲物の仲間たちが加勢しているせいだと気づいたため、即座に狙いを数が多くいるほう(ルイたちのほう)に定めて、身をよじり、跳躍したのだ。
アルバートとトレヴァはまむしの心変わりと急接近をまのあたりにしたため、それぞれ思いの方向へと回避することができたが、ルイだけ出遅れてしまった。
(しまった――!!)
驚愕に目を見開くと、まるでルイの顔面を噛みちぎろうかという勢いで巨大まむしの口がせまる。
牙が光る。
ルイは反射的に、両手を顔のまえでかさねた。
防御の意味だったが、意味はなさないだろう。
流血はまぬがれそうにない。
しかし、予測したタイミングで、まむしの攻撃はやってこなかった。
ルイがおそるおそるまぶたを開けると、まむしの接近はさきほどルイがかるい諦観をおぼえたあたりでとまっていた。
(え!? どういうこと――!?)
巨大まむしの全容がぶるぶるふるえている。
よくみれば、バドがまむしのしっぽを両手でつかみ、動きをとめることで、ルイへの攻撃を阻止したのだった。
まむしの牙はルイまであと数センチのところで停止している。まむしはちからの反動でしびれているみたいに痙攣していた。
まむしのちからは野生のそれなのだから、当然相当なものであることが予想できる。
まむしのしっぽをにぎりしめているバドの手には骨がうき、腕では筋肉がもりあがっていた。
ふんばっている足腰ふくめ、バド自身もぶるぶるふるえている。
「あ、あ――」ルイはなにかを声をかけようとしたが、言葉にならない。
「さっさと動けよ――」バドが歯噛みをしながらうめいたので、ルイは急いで巨大まむしから逃れる。
ルイが距離をとったのを確認すると、バドはぱっと両手を離した。
その拍子にまむしは前方にもんどりうつようにしてころがった。
まむしはぐにゃぐにゃともがく。
トレヴァはふとその光景に、昔競走馬がころんだとき、そんなふうな暴れかたをしていたことを思いだした。
「助かったわ……」両手をこすりあわせているバドを、ルイはみつめる。
「ふん、これで借りがひとつだからな」バドはにやりと笑う。
しかし、顔には疲労と焦燥のようなものが大粒の汗といっしょにうかんでいた。
「なによ、借りって、あなたが悪いからいけないんでしょうに――」それでもルイは、バドの軽口にのった。
バドの目が大きくなる。「は? なんでおれのせいなんだよ――!?」
しかし、口論がつづくことはなかった。
巨大まむしが体勢をたてなおし、バドに向けて踊りかかったのだ。
まむしは当初の予定どおり、バドを獲物にすることに決めなおしたようだ。
しかも、それまで以上に、全身から怒りの感情をにじませているようにみえて、アルバートはふるえあがる。
「わっ!? くそ、むっ!! くっ――!!」
バドは巨大まむしの追撃を、すんでのところでかわしていく。
しかし、あきらかにまむしの猛攻は、さきほどより苛烈だった。
石床をたたくバドの靴音が、動揺を物語っている。
あきらかに劣勢だった。
ルイは短剣でもって一か八か斬りかかってみようか考える。
巨大まむしの皮膚は硬そうだった。
ちょっとやそっとのことでは、表皮を切り裂くことはできないのではないか。刃こぼれしてしまうようなケースもありうる。
(どうしよう――)ルイは周囲をみる。
アルバートもトレヴァも、ルイとおなじように様子をみることしかできていない。
猛獣とおなじで手だしが難しい。
柱がたちならぶおかげで、かろうじてバドは巨大まむしの牙をやりすごしている。
そういえば、ディレンツァは――。
ルイがそう思ったそのとき、背後からディレンツァが叫んだ。
「目を閉じて、口をふさげ!!」
ふりかえったルイの目には、一面にひろがる光のつぶてのようなものがとびこんできた。
無数のかがやきが視界を覆い尽くす。
ルイは警告されたとおり、目を閉じて息をのむ。
直後、頬や頚がひんやりとし、反射として右手で顔をかくしたルイの、肌が露出した部分が唐突に雪原に放りだされたかのように冷えてきた。
(氷!?)
そのうち、それすら考えられなくなるぐらいの猛吹雪がルイたちを襲った。
バドやアルバートたちもなにか声をあげたようだったが、聞きとれず、やがて全員が沈黙した。
息をすれば、肺のなかまで凍りついてしまいそうな気がした。
耳のうしろにキーンと疼痛が走り、露出部の感覚がなくなるぐらい凍えたあと、ようやく吹雪がやんだ。
ルイはおそるおそる手をのける。
まつげに雪が積もっているような感覚があったが、気のせいだった。
目前に消耗した様子のディレンツァが立っている。
「派手にやったわね――」ルイは微笑しながら右手でみずからの頬をなでる。
血の気がなくなって蒼白になっているのが想像できた。
かえりみると、アルバートたちもおなじようにみずからの無事を確かめている。
バドの向かいの巨大まむしがうずくまるようにして石床にころがっている。
吹雪をまぬがれたうすあかりのなかで、異質な影として浮かびあがっていた。
ディレンツァがだしぬけに氷の魔法をとなえたのだ。
それもきわめて強力なものだった。
いつだったか雪の国ではダイヤモンドダストが吹くと聞いたことがあったが、まさにそれではないかと思われるような代物だった。
もっと長時間浴びていたとしたら、意識を喪失したり、低体温症を起こすことはまちがいない。
「毎回、あなたの魔法には驚かされっぱなし」
「ああ……」ディレンツァはひたいの汗をぬぐいながら応える。「率爾におこなわなければならない理由がいくつかあった。すまない」
「いいのよ。あなたが無思慮なことをするわけないんだからね」ルイはほほえむ。それでもまだ口の周辺がこわばっていた。「それになんとかしないと、あのばかがヘビに噛み殺されるところだったわ」
「ああ、それもあるが――」ディレンツァは眉をしかめる。「ヘビは変温性をもっているから、吹雪を当てればまず動きをとめられるだろう。あれを殺傷するのは骨が折れる。時間稼ぎをして、逃走をはかるのがベストではないかと思ったんだ」
「そうね――」ルイはうなずく。「私もヘビ柄のお財布がほしいとは思ってないわ」
ディレンツァはまばたきを二回くりかえしたのち、そのままつづける。
「まむしは熱感知器官をもって敵を把握する。だから、さきほどの魔法がまむしに通用しなかった場合でも、全員の表皮の温度をさげることは効果的ではないかとも考えた。目くらまし程度の意味だがね」
「なるほど」ルイは口をぼんやりあける。「毎度ながらよく考えてるのね」
「とりあえず、魔法自体は効果があがっているようにみえる」ディレンツァが巨大まむしをにらむ。
まむしはぴくりともせず床に横たわっている。
凍死したのではないかとルイは一瞬思ったが、ディレンツァの表情をみるかぎり、それもないのだろう。
「とにかく、脱出ね!?」
ルイが声をあげると、ディレンツァはルイに目線をもどし、うなずいた。




