42 人間の意識閾
「この町にはねずみがいるって。それも大きくて、ずる賢くて、暗いところが大好きなやつだって――」
ジェラルド王子のせりふを思いだしてつたえたところで、ルイは突発的な衝動からアルバートをこきおろすことにして、毎度そうしているように王子のふがいなさについて非難をはじめたが、ディレンツァは腕組みしたまま沈思しており、聞いている気配がなかった。
トレヴァはルイのおしゃべりに耳をかたむけていたが、むしろ知り合って間もない沙漠の国の王子が、いち旅のお供である女性に悪罵されているという事実をふしぎに思っている様子だった。
トレヴァがルイの酷評のあいだに、ちらちらとアルバートを垣間見たため、アルバートがその視線に気づき、ようやく白髪の老人との会話をひと段落することを思いついたらしく、老人にていねいにいとまを告げ、トレヴァたちのところにもどってきた。
「なに、呼んだ?」アルバートが陽気に訊ねた。
「あ、いや」トレヴァは言いよどむ。
ルイがあなたの悪口を言っていたから、と説明できるわけもない。
「べつに呼んじゃないわよ。話題にしてただけで」ルイがふふんと微笑する。
「え、話題? なんの話題?」アルバートが両目を見開く。
「なんでもいいじゃない、面倒くさいわね」ルイはそっぽを向く。
「え、なにさ? 気になるじゃない」アルバートが食いさがる。
トレヴァは二人のやりとりをみていて、内心ほくそ笑む。
この関係は最初からずっとこうで、こうだからこそ成立しているところがあるのではないだろうか。
これからもずっとこうなのではないかと思わされる趣きさえある。
すると、湾岸事務所のまえにたむろしていた人々が、ぽつぽつと帰りはじめた。
まじめそうな顔つきの商人の「どうせだめだろうけど、あきらめてもはじまらないから明日もきてみよう」とか、屈強な身体つきの漁師の「家にいるとかあちゃんに怒られるだけだからな、ははは」とか、旅人らしき風体の男の「このままじゃ宿泊費もままならない、どうしよう――」といったぼやきやら悲嘆やらがとびかっている。
「そろそろ解散なのかな?」アルバートがだれにというわけでもなく問いかける。
トレヴァがうなずく。
「湾岸事務所は日が暮れたら閉まるんですよ。あと一時間かそこらで今日の営業は終わりですね。夜間は当直の人が残っているだけで、乗船券の手配なんかも、緊急のもの以外はできなくなるんです」
ルイは西の空をみつめる。まだ太陽はそれほどかたむいてはいなかったが、いったん沈みだすと水平線に消えてしまうのは早いのだろう。「あと一時間で日没ってことね……」
アルバートが「どうしよう?」とつぶやいた。
どういう意味についていっているのかは解釈の選択が多すぎてわからなかったが、いずれにせよ、おなじことだった。
ルイにだって返答のしようがない。
トレヴァも黙りこんでいる。
しかし、ルイがつぎの行動にあぐねて、ディレンツァになにか提案をもとめようとすると、ディレンツァがふと、足早に湾岸事務所に向けて歩きだした。
ルイが一瞬、会話を避けられたのではないかと危惧してしまうぐらいのちからづよい動きだった。
「どうしたの?」
ルイが訊ねたが、ディレンツァは大股で進み、入口に向かうのかと思いきや、建物のわきにまわった。
ルイたちは顔を見合わせたが、だれもなにも口にせず、ついていく。
ディレンツァは迷うことなく、建物のわきのところでかたまって雑談している三人組の男たちをめざしているようだった。
三人組の男は一人が建物の外壁によりかかるようにして立ち、もう一人はおなじく外壁にもたれかかるようにして坐っており、最後の一人はその二人に面と向かうかたちで立っていた。
全員身なりはいたってふつうで、年齢は20歳そこそこ、湾岸事務所の職員か、あるいは町で雑貨屋でもいとなんでいそうな雰囲気だった。
他の二人を笑わせている(壁によりかかっている)男は、あごひげが印象的だった。
その男がまっさきにディレンツァの接近に気づいた。
しかし、その瞬間にあごひげの男が目にうかべた光は、どことなく平穏無事に日常を謳歌することに徹している民間人のものではないとルイは感じた。
そして、つぎのディレンツァの問いかけについてとった三人の男の態度で、ルイはその予感が正しかったと確信する。
「閑談しているところすまないが、君たちは〈鹿の角団〉を知っているか?」
ディレンツァがそう訊ねたとたん、三人の男は強いちからにはじかれるように迅速に一人は壁から離れ、一人はたちあがり、最後の一人もディレンツァを警戒した。
目つきはやはり、尋常ではなかった。
「知ってるかって訊かれればそりゃ知ってるが、だからなんだ?」
あごひげの男が腰に手をすえて、ディレンツァを、そして少し視線をずらし、ルイ、アルバート、トレヴァの順でみつめる。
アルバートが小声で「なんだか不穏だね……他の人たちはみんな帰っちゃったし」とルイの耳もとにつぶやく。
トレヴァののどがごくりと鳴る音が聞こえた。
「悪いがにいちゃん、〈鹿の角団〉なんて名まえは、きょうび知らない人はいないだろう?」さきほど壁にもたれかかっていた男の目が笑う。
あごひげの男と、もう一人の男がそれにともなって、にやにやとうすら笑いをうかべた。
「なら質問を変えようか――」しかし、ディレンツァはその挑発にはのらず、口調を少し低くしてつづけた。「君たちはバドを知っているな?」
「……」すると、男たちは若干の沈黙をはさみ、あごひげの男が「さぁ、知らないな」と答えた。
さきほどより真顔になっている。
問題の核心に近づいていることはルイにもわかったが、それが良い兆候ではないこともわかった。
「ついでにトミーという少年も知っているな」ディレンツァはそれでも顔色ひとつ変えない。
「知らねえよ!」一人の男がかんしゃくを起こした。「なに決めつけてんだ!?」
「だれだか知らないが、あまりオレたちを怒らせないほうがいいな――」
もう一人の男もけわしい表情をする。態度からして、自分たちが盗賊であることを表明しているようなものだった。
「知らないってことはないだろう? 宝石のかけらをもって、君たちのボスに接触をこころみた少年の名まえなんだから――」ディレンツァが斜にかまえる。
「ちっ――!!」
その瞬間、三人の男たちは、ディレンツァから間合いをとるようにさっと跳びのく。
しかも、三人が三人とも(いままでどこにかくしていたのか知らないが)ダガーナイフをとりだしている。
思わず見入ってしまうような、迅速な反応だった。
ナイフのきっさきが陽射しを反射し、ルイはわれにかえる。
「ひっ」とアルバートが小声で悲鳴をあげる。
おそらく、トレヴァも似たような状態だろう。
「余計なことを知ってるようだから、始末の対象ってわけだ――!!」
あごひげの男が舌なめずりをした。
「気をつけて!!」
男たちが全員、殺気のかたまりになったので、ルイは背後のアルバートとトレヴァに注意をうながす。
アルバートたちはあたふたとする。
どう気をつければいいのかわからないのだろう。
しかし、ルイが老婆心で留意する必要はなかった。
つぎの瞬間には、ディレンツァの指さきから放たれた魔法が、三人の男たちをつつみこんでいたのである。
ルイの目には、紫色をした雲のようなふわふわしたものが、男たちの頭部を覆っているようにみえた。
よくみると、ディレンツァは右手にちいさい手帳をもっていた。
それはディレンツァが魔法をとなえるさいに、想像力を養い、精神を集中し、魔力を放出するために用いる道具だった。
ディレンツァは三人が好戦的であることを想定して、さきに魔法を完成させていたのだ。
三人の男たちはあたまを紫色の雲につつまれた状態で、じたばたと手脚を動かしている。
その奇妙な雲から逃れたいのだろう。
アルバートはその光景に、泳ぎを教わるときの、水中から闇雲に息継ぎをめざしてもがいていた少年時代を思いだした。
「かれらの脳はいま、あの雲によって幻惑させられている」
ディレンツァが、呆然と三人をみつめているルイたちをちらりとふりかえり、説明した。
ディレンツァは多少息がみだれているようだ。
魔力の解放により疲弊したのだろう。
「こいつら、溺れてるみたいにみえるけど、だいじょうぶなの?」
ルイが代表して訊ねる。
暴れている三人の男は、呼吸困難のようにもみえなくはない。
「命に別状はない」ディレンツァはうなずく。「しばらくのあいだ、混乱して右も左も区別がつかない状態になるだけだ」
「へぇ……」アルバートが感嘆する。
「すごいな――」トレヴァが素直に感心した。
魔法使いが、こういった攻撃的な魔法を使用しているところを生まれてはじめてみたのだ。
子どもの頃、伯爵都建国記念祭で、かんしゃく玉を破裂させるような、装飾的に用いられる魔法はみたことがあったが、こういう実践的なものは初見だった。
しばらくすると、男たちは抵抗するのをやめた。
同時に、三人のうちの一人が急にその場に坐りこんだ。
どっかりとあぐらをかいて、右手でなにかをもちあげ、口にもっていくそぶりをする。
口から手を離すと、へらへら笑う。
「なに? なにやってんの!?」ルイが驚く。「なんか気持ち悪い」
「なんだか――お酒を飲んでるみたいな動作だね」アルバートがつぶやく。「どことなく、楽しそうだし」
ただのパントマイムを通りこして異常だった。
ルイが無意識に口もとに手をあててみていると、となりに立っていたもう一人の男がつかつかと湾岸事務所の白壁に歩みより、おでこをくりかえし打ちつけはじめた。
「くそっ!! くそっ!!」と業を煮やしたような声をあげている。
ひたいが壁にゴスゴスぶつかる音が響く。
キツツキにでもなったかのような暴挙だ。
「なによ、今度はなに!?」ルイが及び腰になる。
男たちの行動が突飛すぎる。
「なんか、やりきれない失敗でも思いだしたのかな……」トレヴァが同情をふくんだ目を向ける。「挫折でもしたみたいな……」
すると、いままで黙ってたちつくしていたあごひげの男が、おでこで壁にいどんでいる男に歩みよる。
一瞬ルイには、あごひげの男だけなんとか魔法から逃れることができ、仲間を気遣っているような動きにみえたが、あごひげの男は壁の男の背後に立つと、まるで地面にころがったボールを蹴るかのように脚をふりかぶって、壁の男の股間を思いきり蹴りあげた。
蹴られた壁の男は不自然な動きでもんどりうって、地面に横ざまにたおれる。
それと同時に、坐りこんで酒を飲んでいる(そぶりをしていた)男がげらげら笑った。
「前言撤回しなくてはならないか」ディレンツァがルイをみる。「かれらが混乱しているあいだの身の安全は保障できない」
ルイはあいまいにほほえむ。
アルバートが「えっと……このあと、どうするのかな?」と訊ねる。
「私たちはさきに向かう」ディレンツァが答える。
うっすら笑みをうかべたような気もするが、おそらくアルバートの気のせいだろう。
ディレンツァは、仲間を蹴りあげたあと、吊られたあやつり人形のようにぼんやりと立ちすくんでいるあごひげの男に近寄る。
そして、のら猫にそうするように首根っこをつかみながら「頼みがあるんだが、よいか?」と訊ねた。
「ふぇい」と男が答える。
右目と左目がべつの方向をみている感じだ。
「私たちは、おまえたちのボスに用事がある。だから、アジトまで案内してほしいんだ」
ディレンツァの口調はやわらかい。
「ぴゃい!」と男が返事をする。おそらく「はい」なのだろう。
それにともなって、坐りこんで(飲んで)いる男がぎゃはははと腹をよじりながら笑い、(蹴られた拍子に)転倒していた男が寝ころがったまま身体を波打たせはじめた。
港にうちあげられた魚がビチビチあばれているみたいだった。
あごひげの男が緩慢な足どりで歩きだしたので、ディレンツァを筆頭に全員それに追従する。
坐っている男は目のきわに涙をためて笑っており、横転している男ももがきつづけている。
しかし苦しそうな顔はしておらず、むしろ恍惚としているようにもみえる。
「なんだか、混乱してるってだけで、ここまでぶざまになるのね」ルイがかれらを横目につぶやく。「支離滅裂にもほどがあるわ」
「まァ……」ディレンツァがふりかえらずに応える。「案外、人間の意識閾をのぞけば、こんなふうなものなのかもしれない」
「え?」アルバートが話に割りこんでくる。「そうなの?」
「存外、自分のことであればあるほど、よくわからなかったりするものだしな」
ディレンツァがうなずく。
トレヴァはなんとなく、自分とバドについて指摘されたような気もして鼻をかいた。
あごひげの男はそのまま事務所の裏手にまわった。
事務所の裏口周辺は、整理整頓とは無縁の物置といった様相を呈しており、ルイは思わず顔をしかめた。
ルイはそれほど几帳面ではないが、掃除用具やら船の修理道具やらといった細かいものが散乱した状態は、目にあまるものがある。
アルバートがねじだかボルトだかといったものをひろいあげ、手のなかでもてあそんだあげく、ピンと捨てた。
男はいきなり地面に這いつくばるようにしてかがみこむと、バケツやらペンキの刷毛やらをわきにのけ、そこにうねうねと生い茂っている植物の茎の群れをべりべりとはがす。
すると、そこに金属製のふたが現れた。
「どうやら、かくれがは地下に設けられているようだな」ディレンツァが感心したように感想をもらす。
「地下って……」トレヴァが驚く。「まさかそんなことが――」
「でも、わかるはずないわよね」ルイが口をへの字にする。「まさか自分たちが暮らしている足もとに、盗賊たちが秘密基地をつくってるなんて思わないもの」
「毎夜毎夜、どんちゃん騒ぎでもしてれば、べつだろうけどね」アルバートが冗談めかして笑う。
「どっかの平和ボケした王子さまの考えそうなことだわ」ルイがいやみをいうと、アルバートが「なんだよ、せっかく話にのってあげたのに」とむくれる。
「少なくとも、ここは港付近の地下だから、そうそう気づかれないだろう」ディレンツァが話をまとめる。「アジトの規模が大きく、住宅地のほうまでひろがっているかは確認してみなければわからないが、それほど広大にする必要もないのではないか。維持も大変だし、発見されるリスクも高まる」
男が金属製のふたをもちあげ、片手でささえながら、もう一方の手で穴のなかを指し示した。「ふぇい」
ディレンツァが男に顔をよせる。「ここまで案内してもらえれば充分だ。もどっていい」
すると、男は「ぴゃい」と返事をして、ディレンツァに入口のふたを預けると、ふらふらよろよろした足どりで、仲間たちのもとにもどっていった。
まるで酔いどれの千鳥足のようだった。
「――なんであいつらがあやしいと思ったの?」
ルイが訊ねると、「年齢層もそうだが、三人とも不自然すぎるぐらいふつうだったからだ」とディレンツァがうなずく。
「でも、どうせなら、かれらのボスのところまで案内してもらったらよかったんじゃない?」ルイが男を見送ってから訊ねる。「なんなら、私たちも〈鹿の角団〉の一員になったふりとかしてさ」
「あのゆるゆるした速度では、なかなか先に進めずに歯がゆいだけだろう」ディレンツァはルイをみる。
「確かに、あれだとバドくんをみつけるまえに日が暮れちゃいそうだよ」アルバートが同意する。
「それに、先頭の男があの状態ではすぐに勘づかれてしまうし、どっちみち地下でだれかに遭遇したら即、戦闘態勢に入らないとならない」ディレンツァはトレヴァをみながらつづける。「地下がどうなっているかは想像もつかないからな」
トレヴァはうなずく。「はい、覚悟はしてますよ――」
アルバートはトレヴァの(やや沈んだ)横顔をみながら思いだした。
難題だらけな状況は少しも改善されてはいない。
バドのあとを追いかけて、たとえば無難に追いつくことができたところで、バドにその気がなければつれもどすことはできないのだ。
バドがトレヴァの制止をふりきっていった以上、そうやすやすとこちらの説得に応じるとは思えない。
アルバートの脳裏に、顔を赤らめてルイとけんかしていたバドがよみがえる。
いったいどんな言葉なら、バドの心にとどくのだろう――?




