40 牛のゲップ
未練を断ち切ったつもりでいても、トレヴァが自分のあてのない旅につきあってくれていたのはなぜか思いめぐらせることで、バドはトレヴァとの惜別と格闘していた。
デュアンの家のまえでトレヴァに別れを告げ、大通りで船大工見習いと問答したのち、港に向けて駆けながらも、バドは安全のベールで覆われていた場所からすべりだしてしまったかのような印象をぬぐえないでいた。
トレヴァといっしょにいることで、どれだけ自分が安心していたかを思い知る。
だが、それは甘えなのではないかとも思う。
一方的な親族の庇護のようなもので、いつかはそこからでていかなくてはならない安全地帯だ。
それに、今後もトレヴァに迷惑をかけつづけないですむ方法がこれしかないなら、幼なじみとしてそうするべきなのだ。
死線をくぐりぬけるような危険なまねは、いくら友情があいだにあったとしても、少なくとも強要させられるようなものではない。
バドたちが〈鹿の角団〉に採用されたとしても、高所で綱渡りをするような過酷な任務やノルマが待っているにちがいない。
デュアンの死に顔があたまに浮かぶ。
せっかくたどりついた場所で、おたがいがおたがいの死体をかたづけるような結末はごめんだった。
だから、この選択はまちがってはいないだろう。
そう、まちがっては……いないはず――。
しかし、そうやって何度もみずからの不義理な行動を正当化しようとしても、バドの心のよどみは晴れないままだった。
別れぎわのトレヴァの目が、バドの脳裏から離れない。
突きはなすような、追いすがるような、その両方の感情をないまぜにしたようなトレヴァの瞳――。
バドは幼少の頃から生活をともにすることで、何度もそういったトレヴァの目をみていた。
トレヴァはばか話で陽気に笑うことのできる仲間だったが、根っこがまじめなせいで明朗快活な性質とはいいがたかったから、たとえ遊びにさそうようなときでも、顔を合わせた瞬間は、そんな不安定な感情がいりみだれた目つきをしていたものだった。
明るい顔をするのに時間がかかるタイプなのだ。
それでも幼い頃、バドがいっしょに笑いころげた友だちはトレヴァだけだった。
そして、バドが(英雄を夢見て)放浪の旅にでる決意をかためたとき、そばにいたのもトレヴァだけだった。
粗野でぶっきらぼうでかんしゃくもちのバドにはそもそも、いつもそばにいてくれる人がほとんどいなかった。
バドが身内と呼べるような相手は、トレヴァと父親だけだった。
父親は(もちろん幼少期から)男手ひとつでバドを育ててくれたこともあり、(いまとなっては特に)感謝しなくてはならないと身にしみて感じていたが、バドの夢や野望に父親はふくまれていない。
バドが家で熱意を吹きこんで夢の風船をふくらませていたときも、父親はその想いを共有することはなかった。
父親はバドの希望に無言をつらぬくことで、反意をうったえたのだ。
そのせいもあってか、旅にでてから窮状にあったとしても、父親にすがりたいという気持ちになったことはなかった。トレヴァがそばにいたからという理由もあるだろうけど。
ふと、家からでていくときの、父親の横顔が脳裏をよぎった。
分別や諦観といったものがその顔ににじんでいたせいで、ふてくされたバドは目をそらすことしかできなかった。
そして、なにもいわずに家をとびだしたのだった。
くわえて、まだ旅さきから手紙一通すら送れてはいない。
父親とおなじ屋根の下で過ごしていた少年時代はそれでも楽しい人生だった。
癲癇もちの母親を抱え、質素倹約をつらぬき、清貧の典型のような家だったが、誕生日は祝ってもらえたし、まわりの子たちと区別されることもなかった。もうなにもかもが遠くなってしまった気がするけれど――。
バドはみずからすすんで、愛すべき人たちから離れていこうとしていることに気づいた。
それでも、それに気づくことによって思い悩んであゆみをとめるよりもさきに、バドの脚は湾岸事務所までたどりついた。
湾岸事務所の周辺はあいかわらずごったがえしていた。
しかし、当初、事務所の入口付近で抗議していた人々は少数のグループになってちりぢりになり、いまはどちらかといえば会話することに集中しているといった様子だった。
しかも不平や不満のなかに、ただの世間話さえまざっているように聞こえる。
状況が改善されない以上、家に帰ってもしかたがないのだろう。
(バドに注目する人などいなかったけれど)見知った顔にみつかったりしないように、そそくさと足音をしのばせるように移動し、人々のあいだをかいくぐって、そのまま建物の裏手にまわった。
海に面していない建物の影に入ると、太陽がさえぎられたせいで、気温さえ変わったような気がした。訪問者がわざわざ裏口にまわったりしないこともあり、ペンキの刷毛がのせられたドラム缶やひもがとかれていない物資の山、大量の薪やらひび割れたバケツ、先端がぐしゃぐしゃの箒をはじめとする掃除用具や、漁師やら大工やらが利用しそうな工具などが無計画に置かれている。
地震かなにかがあって現在の均衡がくずれれば、さらにとりかえしのつかないことになるだろう。
しかし、それらと巧妙に植えられた植物が〈鹿の角団〉のかくれがへの入口をかくしていることは、現在の湾岸事務所の所長さえも知らないのだと、バドは案内係の団員から最初に潜入したときに聞いた。湾岸事務所の裏がわは、この港町の裡面でもあるのだった。
アジトへの侵入口がかくれている箇所のそばに三人の男がいた。
いずれも町にとけこんでしまえば、めだたなくなってしまうぐらい自然なかっこうで民間人をよそおっているが、バドはその男たちが〈鹿の角団〉の団員だということを知っている。
三人のうち一人は、バドが最初にザウター(とティファナ)に接触したときに案内してくれたあごひげの男だった。
バドがまわってくると同時に、三人の男の視線は刹那、獣のようにけわしくなったが、あごひげの男がすぐに表情をくずした。
「ああ、なんだ、おまえか――」
バドは唐突に(しかも三人の男に)にらまれたせいもあり、ぎょっとしたが、なるべく態度にださないよう努めながら笑みをうかべる。
「あの……」
しかし、バドは言いよどんだ。
なんとつたえればいいのかわからなかった。
トミーが宝石のかけらをもってさきにきてるはずなんだけど――とそのまま説明すればいいのだろうか。
仲間であるトミーにだしぬかれたという事実を、そのまま口にするのはなんとなく気が引けた。
「頭目たちに呼ばれてるんだろ、さっさといきな」
しかし、案内係の男はにやりとする。
すると、もう二人の男も破顔しながら、散らかった物資の合間に生えている匍匐性植物をひっぺがえして、アジトへの侵入口のふたを開けた。
どうやら、話が通じているらしい。
バドは安堵する。
どうつたわっているのかはわからないが、悪意は感じられない。
バドは汗っかきの商人のようにうしろ髪をいじりながら、開けられた入口にあゆみ寄る。
地下へと向かう穴に脚をつっこんだところで、バドはふと訊ねる。
「おれ一人でいくの?」
「――ああ、そうだな、オレたちはここを見張らなきゃならないからな」男があごひげをさわりながら答える。「なんだ、不満か? ……まさか不安なのか?」
男がにやにやする。
「あ、いや――」バドは頚をふる。
真っ暗闇の地下空間に抵抗があることはいなめないけれど。
「なんていうか、地下の通路が入り組んでて、迷っちまいそうだからさ」
すると、三人の男が少しの間をおいたのち、哄笑した。
バドは呆然としたが、愉悦にひたっている男たちの雰囲気にのまれて、半笑いになる。
バドには三人を笑わせたのか、笑われたのかがよくわからなかった。
そういえば幼いときから、自分にはそういうことが多かったと思いだす。
しかしそういうときはたいてい後者で、そして今回の例にもれず、後者だった。
ひとしきり笑ったあと、あごひげの男が腰に手をすえる。
「貴様はもう少し、冷静になってまわりをみるような努力をすべきだ。態度がでかくて、調子にのってばっかりいるんだから、余計にな」
「え? なんでよ」バドは眉間にしわをよせて気色ばむ。
(相手によっては特に)そういう高圧的な対応がよくないことがわかってはいても、バドは小ばかにされると反射的にそうなってしまい、いきどおりがかくせないのだ。
すると、今度は入口のふたを支えている男が皮肉めいた顔でいう。
「通路はおてんとさまの下とは言いがたいから認識できなかったのかもしれないがね、地下の施設はそれほど厄介な構造はしてないさね」
「え?」バドはその男のほうをみる。
すると、逆サイドにいるもう一人の男がつづける。
「このアジトに迷子になれるような複雑さは少しもないな。蟻の巣なんかよりよほどわかりやすいぜ。奥までの距離はけっこうあるけど、たとえるなら、せいぜい牛の胃腸ぐらいなもんじゃないか?」
「うそ……?」バドの頚が三人の盗賊の顔をみて、ふくろうのようにくるくるまわる。「まさか、そんなことが――」
あるわけないような気もしたが、よく思いだせない。
ザウターたちについてまわっていたときは、暗いところをみちびかれるがままに歩いていただけだから迷路のように錯覚しただけなのか。
下水道や排水溝に併設されていると聞いたから、勝手に偏見として無数の枝分かれが存在すると思いこんでいただけなのか――。
あごひげの男が半分地中に入ったバドを睥睨する。
「そういえば、貴様はさっき跳びだしていくとき、大声でオレに出口はどこですか? とか聞いてきたな。あれは頭目に認められて舞いあがっていただけじゃなくて、本気でいってたってことなのか!?」
そして、三人でふたたび甲高い声で笑った。
バドは無意識に赤くなる。
なにかあるごとに、あなたがちょっとだけ脚をとめて、冷静になって考えるようなら、だれも反対意見ばっかり言わないんじゃないかしらね――あのちびの女がバドにえらそうに忠告してきたせりふがよみがえった。
悔しかったが、怒りのやり場がない。
「……うるせぇよ!!」バドは両手で、はしごの手すりをたたく。
回想のなかの女に毒づいたつもりだったが、三人の男が一瞬、黙る。
「あ、いや……」おまえらに言ったわけじゃないんだよ、といいわけしようとしたが、あごひげの団員が「ふぅ」とため息をついた。
「まったくもってかんしゃくもちだな、おまえは」
「いや、その……」バドは両手をふらふら動かす。
「まァ、気にするなよ。オレたちも笑いすぎたかもしれないしな」
入口のふたに手をかけた男が鼻をこする。
「とにかく、通路はそんなに迷うようなところはないから、牛のゲップじゃあるまいし、無駄に駆けずりまわって往来しないように気をつけるんだな」
あごひげの男がつづけた。
「あ、ああ……」
バドは釈明する機会を失ったが、三人がさほど語気を荒げたり憤慨していないことに胸をなでおろした。
こんなところで三人の盗賊を相手にけんかして勝てるわけがない。
バドは 地下施設に向かうべく、いそいそとはしごを降りる。
あたまがすっぽり入ると、そとの明るさをたっぷりと吸収していた瞳は、一瞬なんにもみえなくなってしまった。
暗さに慣れるため何度かまばたきをくりかえしているバドに、入口のふたを閉じながら盗賊の一人が声をかけた。
「せいぜい気をつけなよ、牛のゲップ野郎――」
それにともない、三人の男の笑い声がこだました。
今度はばかにされたのだが、三人の盗賊たちの楽しそうな様子に、ふしぎと悪い気はしなかった。




