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30 一七と二三の区別

「聞いたわよ、ふふ」

 

 その嫣然とした顔つきと声に、ふりむいたバドはどきっとする。


 埠頭に腰かけて釣り糸をたれていたバドの背後から、メオラが急に語りかけてきたのだ。


 バドとトレヴァがメオラたちの仲間になってまだ日が浅い頃だった。

 

 思春期以降、バドはわりと奥手な性格だったうえ、17歳にいたるまで女性とつきあったことはなかったし、メオラが歳上でしかもパートナーつきだったこともあり、まだメオラと単独で会話をしたことがなかった。


 そこにいきなり「聞いたわよ」という意味深な言葉を意味深な笑みとともにかけられたので、バドははげしく動揺したのだ。


 バドは目玉をぎょろつかせる。

 しかし当然、一人で釣りにきたのだから、周辺には(助けをもとめられる)トレヴァもトミーもいない。


「あ、え、デュアンは?」バドはとっぴなことを問いかけてしまった。

 内心メオラはデュアンの恋人なのだから、二人だけでいっしょにいるのはまずいと考えていたということもある。


「デュアンは郵便局よ……」メオラは目を細める。

 

 生活に関する金策関係だろうとバドは推測した。

 ふところ事情は厳しいのだ。

 メオラがその話題を避けたそうなので、つづけて問いかけるのはやめることにした。


 メオラは黙ったまま、バドのとなりまできて坐りこんだ。

 スリットの入ったスカートから伸びた脚が白くきれいで、バドののどが思わずごくりと鳴った。


 海面が反射する強い陽光が、メオラの肌をもきらめかせている。

 潮風にのって、メオラの体臭がバドの鼻腔にとどいた。

 バドの悶々とした胸のうちを知ってか知らずか、メオラは長い髪を手で梳いている。


 胸にたかまってくるへんな気持ちをかくすために、バドは会話をすることにした。

 なんとか言葉をしぼりだす。「あ、あの、聞いたってなにを――?」


「――ん?」メオラは少しだけ片目を大きくして、バドのほうをみた。

 枝毛が切れて手にからまったらしく、それをもてあそびながら。

 さっきのどこか蠱惑的とさえいえるほどの笑みのことをまるで忘却したかのような顔だった。


「なんか、聞いたわよ、とか言ったじゃないか」しかし、バドはそれでだんだん鼓動が平静化してくるのを感じた。


 そもそも同僚なのだし、デュアンにやましいことをしているわけでもないのだから堂々としていればいいのだ。

 バドはそう思い、口をゆがめる。


「ああ、それね、ふふ」メオラがさきほどとはちがう、どこか幼さを残した笑みをこぼしたので、バドは思わず視線をそらす。

 

 メオラは典型的な美人だったから、結局のところ不器用なバドには手にあまるのだった。


「あなた、伝記に残るような英雄になりたいっていって、伯爵都をとびだしてきたんだってね」


 しかも思いがけないせりふだったので、バドは一気に赤面した。

 そして、その場を逃げ去りたい衝動にかられる。

「え、あ、なんだよ、だれから聞いたんだ、トレヴァか? トミーのやつか?」


 釣竿をもつ手がふるえた。

 波の多い日だったので、うきがいくらゆれても気づかれなかったけれど。


「ふふ、だれからだっていいじゃない」


「くそ、なんだよ、おしゃべりなやつらだな、ぶんなぐってやる――」


 バドはたちあがろうとしたが、すっとメオラの手がのびてバドの手をつかみ、ふたたびバドを坐らせた。


「ちょっと、落ち着きなさいよ。なんであなたの目標を私に漏らしただけで、なぐられなきゃならないのよ」


「いや……その――」バドは全身から汗がふきだすのを感じる。


 故郷をとびだした無鉄砲で世間知らずで傲慢な自分をメオラに知られたことがとても恥ずかしかった。

 くわえて、ふがいない現状がむなしく、みずからの不恰好さに身の置きどころがない気分だった。

 メオラがふれてなかったら、身投げして海のもくずになってもいい。


「ね、かんちがいしないでよ」メオラはバドのふとももをさすった。バドの全身の神経がそこに集中する。「あなたを笑おうと思ってきたんじゃないのよ、私は」


「――ん、え?」バドはようやく、メオラに目線をもどす。


 今度はバドにまっすぐみつめられたメオラのほうが目をそらした。


「なんだか似てるなって思ったのよ……」メオラのあごの輪郭がとてもきれいで、バドは思わず魅とれる。「私がまだあなたぐらいの頃に、私もおなじような動機で家をとびだしたからね」


「え……メオラも英雄になりたいの?」


「ちがうわよ」メオラは楽しそうに笑う。


 そして、ひとしきり笑ったあと、唖然としているバドをみて「私はね。舞台女優になりたかったの」と涼しい顔で説明する。


「――女優?」


「そう。王都の劇場で活躍するような花形のね。知ってる?」


 メオラはそういって、舞台女優を模すように右手を胸にあて、左手をかかげるようにして古い詩の一節を口ずさんだ。

 呼応するように港のほうでカモメが鳴いた。


「詳しくはわからないけど、あれだろ。きれいな衣装をきて、派手なメイクとかして、音楽に合わせて踊ったり歌ったり芝居したりするってことだろ?」


「そう、だいたいそんなところよ。私があこがれたのはね――」メオラはそのあと有名な女優の名まえをいくつか列挙して語ったが、バドは興味がなかったこともありすぐに忘れてしまった。


「そうなんだ、でも向いてるんじゃないの、メオラってさ、ほら……美人だから」バドは後半照れて尻つぼみになりながらつぶやく。


 メオラはそんなバドをみてほほえむ。「ありがとう。お世辞でもうれしいわ」

 少し老成したような笑みだった。


「から世辞ってわけでもないぜ。それにそんなに好きなら、向いてるんじゃないの?」


「ふふ、私もそう思ってたわよ」メオラは伸びをするように両手を組み合わせて空にかかげる。「あの頃の、16歳の私はね。私は自分が魅力的だと知ってたし、才能もあるって信じて疑わなかったわ」


「……そこまでいうと、なんだか誉めづらいな」


「ふふ、でも本当だもの」伸びを終えたメオラは肩の骨を鳴らしてから脱力する。

 

 バドはその浮きあがった鎖骨に目をうばわれる。


「最終的には自分のちからだけでどうにかなると思ってたし、どこかにいる神さまは私のことを見捨てたりはしないって――でも、ほんとうに必要なものがなにかって、夢中になってると目のまえにあっても、みえなかったりするのよね」メオラはほほえむ。


「ほんとうに必要なもの?」


「――あなたもうすうすわかってきてるんじゃないの?」メオラの瞳に映る自分の挙動不審な顔をみながらバドは黙りこむ。


 メオラは神妙に沈黙するバドをみながら、うっすらと半笑いをうかべる。「でもね、似ているっていうのはあくまで、おなじではないのよ。私はあなたがまだ、その夢をあきらめていないなら背中を押してあげたいと思うの」


「……ん」バドは言葉につまる。「でも、メオラだってまだ、女優のことを忘れたわけじゃないんでしょ?」


「うーん、どうかな」メオラは波止から投げだしていた脚を組む。「もう、あなたみたいに若くないからな」


「なんだよそれ、それこそおれと似たようなもんじゃないか」


「ちがうちがう」メオラは目を細める。


 バドには17歳と23歳の区別はつかなかったし、今後もつきそうもなかった。

 くわえて女性の心理など永遠にわからないだろう。


「――むぅ、でも、若くなきゃ夢がみられないってわけじゃないだろ」


「ん? もちろん。でも私が言ってるのはそういうことじゃないからね」


「む?」


「まぁ、私がしようとしてるのはあなたとの見解の相違をすりあわせることじゃないの。きっと、私もあなたも芯にあるものはおなじだからね」


「おれはまだあきらめちゃいないぜ!」バドは憤慨する。


「わかってるわよ。大声だしなさんな。それにもちろん、私だって目標をきれいすっぱり忘れちゃったわけじゃないわ。ただ、あなたのみてる灯台をもっと遠くからみているってだけでね」


「ん?」バドは思わず突堤のさきにある灯台をみる。

 そういう意味じゃないことに、すぐに気づけなかった。


「ただね、私は私でそのときにできることをしていたわけだし、いろんな人を知ることができたし、日々充実していたとは思うのよ。まわりからみれば堕落していったようにみえたかもしれないけど――」メオラは細めていた目をまるくして、ふっと笑う。「つまり家をとびだしてからの人生だって、きらいじゃないの。やりきれない想いで不安な夜を何度も過ごしたけれど、そのつど楽しいことだってあったし」


 メオラは思いだしたようにバドをみる。


「もちろん、いまだってね。こんな生活、もちろん手放しですてきとは思わないけど、格段悪いとも思ってないのよ」


 バドは返事に窮した。


「楽しいって思えることがあるなら、それでいいかなとも思うのよね」

 メオラは風を吸いこむ。


 バドはしばらく考えたのち、つぶやく。「でも、おれはいまのままでいいとは思えないな。底抜けに楽しいとも感じられないし」


「ふふ」メオラは笑う。「そりゃ、あなたが若いからよ」


 むっとしているバドをよそに、メオラはたちあがる。

 長い髪がふわっとゆれて、バドの目の高さにメオラのふとももがきた。

 白い肌に青い血管がうすくみえる。

 バドはほんのり赤くなって、海のほうに目をそらす。

 釣竿をいじくって、気にしているそぶりをした。


「まぁ、とにかくね、私が言いたいのは私とあなたは似ているけど、まだおなじじゃないってこと。自分ができなくて勝手なことをいうようだけど、私はあなたを応援するから。それだけ――」メオラは片目をつぶる。「ね?」


「あ、え……」バドはそれがウインクだと気づき、さらに赤面する。


「ふふ、それじゃ、私はもういくわ。夕飯には、あなたが釣ったおいしい魚があるとありがたいけど」


 メオラは現れたときとおなじように、潮風のように自然にバドに背を向けて歩きだす。


「あ、え――」バドはとりみだす。「なに!?」


「ふふ、冗談冗談」ふりかえらないメオラの声が微笑する。「――でも半分は本気」


「なんだよ、ハードルあげるなよ! おれはただの趣味で釣りにきたんだからな!!」

 

 バドが叫んだが、ちいさくなりつつあるメオラはちらりともふりかえることもなく、ひらひらと手をふった。


 そのあと、バドは結局、夜中になるまで釣りをつづけた――。


 バドは駆けながら脳裏につぎつぎと沸いてくるメオラとの思い出(瑣末な会話やふとしたしぐさなど)を反芻していた。

 そして同時に疑問に思った。

 なぜそんなにメオラのことばかり回想するのだろう。


 確かにデュアンとメオラの住居に向かっている。そして、デュアンは死んでいた。メオラのことが心配になる要素はいくつもある。しかし、バドに去来している感情はただの気配りや憂慮といった温情ではなかった。


 バドは胸の奥でざわつく気持ちにふりまわされるようにしながら、デュアンたちの住まいまで走った。

 そして、はずむ鼓動にぶれる視界に家が映り、入口ドアがみえたところで、バドはその胸の複雑な心境についてなんとなく理解した。


 予感――それも、よくない予感だった。

 バドはドアのまえの二段の段差をかけあがり、ドアに手をかける。

 いったん動きをとめようと思っても、まるで川の流れのように、いままでの一連の行動の勢いがバドの身体を支配していた。


 そうしてドアを開けたとき、バドは悪い予感が的中したことを知った。

 悪い予感だけはいつでも、まるで木陰から悪魔がせせら笑っているかのように、はずれることがないのだった。

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