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20 恋の仇敵

 ほかの幼なじみ以上にバドと会話をするようになったきっかけを、トレヴァはよく憶えていた。

 二人にとってにがい体験だったからだ。

 

 初恋の思い出である。二人はちょうど7歳だった。


「――なァなァ?」ある日の放課後、バドがトレヴァに椅子を近づけ、耳打ちするみたいに顔をよせてきた。「ちょっといいか?」


 そのとき、教室には二人しかいなかったので接近する必要などなかったのだが、内緒話をするという雰囲気に、トレヴァは緊張し、バドはなぜか得意げだった。


 トレヴァは自主的に自習しており、バドは居残りで補修をうけているところだった。

 本来なら、バドは古代語の物語の序文の暗記にいそしまねばならない状況だったが、教師が(用事かなにかで)教室をでていった直後に、それを放棄したのだ。

 バドは当時から、仮にそれがどんな言語で記されていようが、英雄たちの冒険譚でなければ関心を示さなかった。


「先生、もどってくるよ?」トレヴァは眉をひそめる。


「いいから、いいから」しかし、バドはにやにやする。「おまえ、好きな子いる?」


「え?」トレヴァはちがう意味でドキッとした。


 教師にみつかって叱られるかもしれない警戒心よりも、ずっと身体の中枢がひきしまる思いがした。

 熱が全身にいきわたるような心地がし、じっさいそのとおりになっていた。


 トレヴァには気になる女子がいた。

 いつも茶色の髪をふたつ結びにしてリボンをつけているのが印象的なおとなしい子だった。


 当時、初恋の魔法にかかり、昼間はついそれとなく目で追ってしまったり、夜は煩悶として日記のノートにその子の名まえを何度も書きつらねてしまうほど恋焦がれていたが、ふしぎなことにいまとなっては憶えているのはその髪型と名まえくらいだった。


 顔はうっすらとしか(笑顔の残滓のようなものしか)回想できないし、ともすればなぜそんなに衝動的だったのかも疑問に思うくらいだった。

 魔法というより呪いのようなものだったのかもしれない。


「な、なんでまた……? なにを急に――?」

 

 心を見透かしているぞといわんばかりのバドの表情に、トレヴァはとまどいと恥ずかしさといらだちのいりまじった混沌とした態度になった。


「まァ、うろたえるなって」バドはにんまりとする。「みんな知ってるぜ?」


「え――?」トレヴァは瞬間いろいろ考えたが、思考はまとまらなかった。「みんな?」


「おまえ、わかりやすいんだよ。いつも、みとれてるじゃないか」バドは筆記用具をぐるぐる回転させながら笑う。


「あ、いや――」トレヴァはうわくちびるをかむ。


 そして徐々にバドのせりふを噛みくだいて理解した。


 秘密を暴露されるかのような展開に慄然とし、へんな汗をかいていたが、冷静になればそれを厳秘だととらえていたのはトレヴァだけだったらしい。

 

 周囲の同級生たちはトレヴァの恋心を容易に察知しており、その事実に気づけないほどトレヴァはその女子に夢中になっていたのだ。

 情けないを通りこして、なんとなく愉快になってきた。


「そうか……みんな知ってたんだ」


「ああ、影でみんないってるぜ。ありゃ、そうとう入れこんでるって」


 バドが笑ったので、トレヴァもつられる。「いいさ、べつにかくしていたわけでもないし」


 トレヴァは開きなおることにした。

 そもそも、好きなものはしかたがなかったし、噂の種にもなってるならいまさらどうしようもない。


「ああ、もちろん、だれもわるいなんていってないよ。いいじゃないか、恋。すばらしいぜ! 胸がたかまる青春全開!!」


 バドが身をのりだす。


「なんだよ、ばかにしてんのか?」トレヴァは目前のお調子顔をにらむ。


「いや、ちがうって。そうしたいなら、こんなふうに話しかけないだろ」


「は?」


「おまえをばかにしたいなら影で笑ってりゃいいんだから。その他大勢とともに」


 バドをみつめながらトレヴァは得心する。「ごもっとも」


「つまりな」バドはしたり顔をし、引導をわたすかのようにトレヴァの鼻さきにひとさし指をつきたてる。「おれとおまえはライバルなんだよ」


「は?」


「恋の仇敵として、これからおれたちは決闘することになるんだよ」バドはウインクをしながら、口もとをゆがめる。


「ああ……」ちぐはぐだったピースがひとつになった。「そういうことか」


 ずいぶんとストレートな宣告だったが、もってまわった遠まわしな説きふせかたをされたので、トレヴァは思いのほか平然と受けとめた。

 トレヴァは黙ったまま、バドの言葉をひとつずつ噛み砕く。


 しかし、バドに対して嫌悪のようなものはいっさい沸いてこなかった。

 むしろ、黙っていればいいものをわざわざつたえてくるあたりに、バドの性格がよく表れているような気がしてほほえましくもあった。

 夏の陽気のような能天気さ。


「そんなわけでライバルよ、ここはひとつ、よろしく頼むぜ!」


 バドは呆然としているトレヴァに握手をもとめる。


 騎士道精神のようなものを意識しているつもりだろうか――バドの年齢のわりにはごつごつしたこぶしをみつめながら、トレヴァは考える。


 そういえばバドは先日めずらしく図書室におり、永遠のリベルタンのあざなをもつ麗人ジルジャンの恋物語を熱心に読みふけっていた。

 ジルジャンは多くの女性を魅了したが、そのぶん多くの恋敵に悩まされたのだ。

 要するに感化されたにちがいない。いずれにせよ、いさぎよいというか単純だ。


「あ……ああ――」トレヴァはしかたなく右手を差しだそうとする。


 しかし、そこでじっさいに握手が交わされることはなかった。


 ふとトレヴァが視線をあげると、にんまりと太陽のごとき笑みをうかべているバドの背後に、鬼の形相をし、さながら雷鳴のごとき怒りのオーラを身にまとった教師が立っていたからだ。


 西の空がにわかにかき曇り、雷雨がやってくるかのような気配が、じわじわとトレヴァの目に浸透し、やがてそれをみているバドにもつたわっていった。

 

 バドもまた正々堂々たる自分に陶酔しているようなところがあったので、教師の接近には気づけずにいた。


 それから、あわてたバドがふりむいて弁明するよりずっと早く、教師のふりおろしたぶ厚い辞典によって、バドは眼球がとびでるほどはたかれた。

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