偽りの始まり
『やれやれ、こんなところへわざわざ戻ってきて何用だと言うのだ?』
「必要なものがある」
カイリス・レイバルトこと勇者カイが死に、俺が勇者になる決意をした奈落の底に再び戻ってきていた。
ここに戻ってきた理由は単純だ。
「…………」
血で汚れた鎧の前に立ち、一度息を吐いてからしゃがみ込むと鞄から布と水を取り出し、綺麗に血を拭っていく。
『その鎧が目的か?』
「ああ、勇者カイが死んだと知れて、俺が聖剣を使えると証明したとしても、恐らく俺自身が勇者として認められることはないからな……」
俺は勇者の従者として顔を知られている。
幾ら聖剣を振れたとしても、他に相応しい者がいると奪われてしまう可能性もあるだろう。
それどころか俺が勇者を殺したと疑われるかもしれない。
「それならいっそ……俺が勇者カイに成り代わる」
『正体を偽り、違う者になりすます、か』
「ああ、それが一番手っ取り早いし、人類の希望でもある勇者が死んだなんて事実はない方がいい。それだけでも人は絶望するかもしれないからな…………良し、こんなものか」
鎧の血を落とし終わった俺は全身甲冑を身に着けていく、何度か鎧を着るのを手伝ったことがあるので、問題なく着ることができ、最後に兜を被る。
腹の部分に刀で貫かれた穴もあるが戦闘中に出来た傷といえば問題ないだろう。
「……」
動作確認の為に少し動いて確認する。
加護はあるもののやはり多少の重さや着慣れていない金属鎧の為にどうしても動きにぎこちなさや制限、阻害感や違和感がある、視界もあまり良くはない。
「(そこは慣れていくしかないか……じゃあ、もう一つの確認をするか)」
兜に軽く触れ、息を吸う。
「あーあー、俺……いや、僕は勇者カイだ」
『ほぉ、何とも不思議な術式だな。声を変えるだけの機能など無駄もいいところだが』
「自分を偽るには役に立つさ」
『やれやれ人間とは面倒な生き物よな』
アムルガの呟きを無視し、俺は鎧甲冑を着たまま聖剣を抜き正眼に構え、カイリスの剣術を模倣した動きで素振りをする。
『児戯にも等しき動きだな』
「……」
何度か素振りをしているとアムルガの指摘が入る。
確かに俺の動きはカイリスの剣術には程遠い、せめてもう少し練習しなければすぐに正体などバレるし、魔王を倒すなんて夢のまた夢だ。
素振りが百を超えた辺りで、俺は一度手を止める。
『満足したか?』
「まだまだだ。……いや、満足なんてきっと一生できないが……さて、ここからが本番だ」
人の住むことの出来ない奈落の底、人が降りてくることはほぼなく人目はないといっても過言ではなく練習や訓練に丁度いい。
そして、もう一つの目的の気配を察知し、俺はその方向に剣を構える。
奈落に降りてきた生に敏感で匂いを嗅ぎつけ、現れるそれ、テリトリーに侵入してきた敵の排除と食欲、最も原始的な生物の本能を持つ奈落の魔物。
今度は蜥蜴ではなく、全長6メートルの真っ黒な体に真っ赤な瞳を持つ蛇だ。
『蛇、か』
「実戦だ。ここなら相手に困らないし、誰にも見られず済む」
俺は聖剣を構え、奈落の蛇と向き合う。
「シャアアァァーーッ!!」
地を素早く這い俺の目の前まで迫ると、鎌首をもたげ奈落の蛇が威嚇の声を上げる。
俺は地を蹴り距離を詰めて剣を振るが、奈落の蛇はぬるりと体をくねらせ刃を躱すと尾を振り叩き付けてくる。
「ぐっ!!」
まともに食らい壁まで飛ばされ激突し、呼吸が止まりそうになる。
だけど、邪神の力と鎧のお陰かダメージは抑えられ、俺はすぐに体勢を立て直すと駆け出し再び斬り掛かる。
しかし、一度二度三度と放つ斬撃は躱され空を切る。
「ギィシャアアァァーーッ!!!」
「ぐふっ!?」
奈落の蛇が頭を弓なりに力を溜めると、一気に突き出し頭突きをしてきて、あまりの速さに俺は避け切れずまともに鳩尾に食らい吹き飛ばされる。
「げほっごほっ…………遅いし、動きが固いな……俺が、だけど」
鎧甲冑の重さと慣れない両手剣のせいで動きが鈍く、今まで以上の動きができない。
でも、これからは鎧甲冑にも両手剣にも慣れ、カイリス並に動けるようにならなければ、代わりなど務まるはずもない。
「代わりをすると決めたなら、強くならなきゃいけない。それも短期間で……俺は奈落で強く!」
聖剣を構え直し、奈落を住処にする蛇と向き合う。
「うおおおぉぉぉーーッ!!!」
気合いと共に自分を鼓舞するように雄叫びを上げると一気に駆け出す。
迎え討つ奈落の蛇は大口を開き一気に噛み付いてくる、俺は寸前までその動きを見極め、牙が届く直前に身を低くし、思い切り剣を振る。
まだまだ見様見真似だが、カイリスの動きをなぞるように──蛇の口の裂け目に剣を当て一気に力を込め、蛇の体を横に裂きながら走り抜け……勢い余って躓き転げ回る。
『やれやれ……先が思いやられる程、不格好なものよな』
「……わかってる」
カイリスの剣術の足元にも及ばない、スタート地点に立ったばかりだ、いや、それよりも悪いかもしれない。
俺は地面に手を付き立ち上がると、再び剣を構える。
「だから、練習あるのみだ」
『ほぉ、これはまたぞろ集まって来たものだ』
俺と奈落の蛇の戦いの音と血の匂いを嗅ぎつけて来たのか、ぞろぞろと色んな魔物達が集まってきていた。
「最低限でもカイリスの足元くらいには上達する」
『……それはまた高い志だ』
「良いんだ……都合よく一気に強くなんてなれるはずがない。少しづつ彼女に近付いて、魔王を殺す」
『……くくっ、はははっ! 良いぞ、汝はなかなかどうして面白い拾い物だったというわけだ! ならば、その言の葉通り、今ここで証明してみせよ!』
「…………」
それには答えず駆け出す、口で幾ら言っても無意味、行動で示す。
俺は強くなる……奈落の魔物よりも、十魔将よりも、勇者カイよりも、そして、魔王よりも。
契約と、約束と、俺自身のために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
──俺が奈落に降り、奈落の底を移動しながら修行を始め、二週間が経った。
俺は起こした火で倒した奈落の魔物の肉を焼き、口に放り込む。
『しかし、よくもそんな物を食べ続けられるものだな。美味いのか?』
「いや、不味い……だけど、一々街に戻るのも時間の無駄だ」
『くっくっ……だからと言って、まさかただの人間が14の日夜を奈落の底で迎えるとは思わなんだぞ?』
「ただ慣れてるだけだ」
『何?』
「……何でもない」
食事を中断し、俺は立ち上がると剣に手を掛け何もない空に向かって剣を振ると確かな手応えと共に血飛沫があがる。
「ギシャアアアーーッ!!!」
悲鳴と共にそれは姿を現す、周りの景色に擬態するカメレオンの魔物、奈落のカメレオン。
この魔物にも何度か襲われたので気配の感じ方、倒し方にも慣れたものだ、そもそも姿が見えにくく気配の消し方も上手いがそれだけで他の魔物に比べればあまり強くはない。
姿を現したカメレオンが舌を伸ばし捕獲しようとするが、俺はそれを悠々と躱して斬り付ける。
「全く……一匹見たら、次々と現れるな」
恐らくカメレオンの断末魔と血の匂いに引き寄せられ、魔物が集まってくる。
俺はここ二週間で持ち慣れた剣を構えて駆け出し、次々と斬り伏せていく。
最初の頃に比べれば、無駄な動きは大分減ったと思う。
『しかし、呆れたものよな……』
「? 何がだ?」
『汝の精神力のことよ。丸14の日夜の間、一睡もせず戦い続け、素人のそれだった剣術を少なからず形にした……』
「…………簡単な答えさ。俺にはそれが出来るしそれしか出来なくて、その道しか知らないからだ」
『くっくっ……(これは本当に、面白い拾い物だったか?)』
「ああああーーッ!!!」
カメレオン、蜥蜴、蛇、蠍、蜘蛛、いずれも数メートルを超える大きさの奈落の魔物達が俺に襲い掛かるが、俺は適切に魔物達を処理していく。
相変わらず互いに足を引っ張り合ってくれるので、戦い方の癖にも慣れた俺の敵ではなく、俺の後ろに奈落の魔物の死体を作っていく。
「彼女の足元くらいには辿り着けたか……いや、着けてなくても、時間切れか」
『時間切れ?』
「勇者不在が長く続けば、皆の不安にも繋がる。死んだって噂が流れるかもしれない。どのみち一度は街に戻らなきゃならないんだ……」
『ほぉ、汝も一応考えていないようで考えてはいたのだな』
「どういう意味だよ……ん?」
その時、地面が揺れる、最初は小さく徐々に大きくなって、岩壁に手を付き何とか耐える。
「地震……厄災、か」
『厄災?』
「ああ、魔王が起こした厄災だよ……この魔王の爪痕っていう奈落を作ったものも厄災が原因だって話だ」
『……ほぉ』
「と、収まったか……」
大きな揺れも数分で収まり、俺は地面を確かめるように踏み。
「奈落の底が更に割れるようなことがなくて良かったよ。でも……」
数歩進んだところで足を止める。
「余計なモノも呼んだみたいだな」
奈落の底、俺の進む方向から現れたのは真っ黒な人影、人よりも若干背が低めで猫背で二足歩行をし、手には真っ黒な片手剣を持っている。
「あれは……ゴブリンなのか?」
『そのようだ。奈落のゴブリンと言ったところ、か』
「グルルル……グギャ!!」
奈落のゴブリンが一瞬体を沈めたかと思うと、一気に跳躍しこちらに飛び掛かる。
それは普通のゴブリンとは明らかに違う筋力と敏捷性を持って、剣を振り下ろす。
「ッ!!?」
剣を受けるとずしりと重みを感じる、普通のゴブリンは何度か倒したことはあるが、攻撃の重さが明らかに違う、その一撃を剣で受けることで少し後退りさせられる。
オーガ並の力にシルバーウルフ並の速さや俊敏さの一撃、今まで戦ってきた奈落の魔物の中でもかなりの強さをほこる。
『人に近い姿の魔物は総じて厄介なものだ。奈落のモノであれば尚更だ。気を付けて相手をすることだな』
「ああ、今ので十分に理解したさ」
聖剣を振り、ゴブリンの剣と打ち合う。
何で出来ているのか、黒い剣は聖剣と打ち合っても問題なく機能し、そのまま何合か打ち合い続ける。
『汝の仕上げに相応しい相手であるかもしれぬな? あの程度に手こずるようならどのみち魔王に勝つなど夢のまた夢……勝てぬならここで果てるが良い』
「ちっ、奈落の魔物とはいえゴブリンに負けるつもりはない!」
奈落の魔物は地上の魔物に比べたら、全体的に強さの桁が違う、だからと言ってゴブリンに後れを取るようなら、魔王どころか十魔将にすら勝てる見込みはない。
奈落のゴブリンと数号打ち合い、俺は距離を詰めるように踏み込む、普通なら相手の攻撃を食らう危険のある行為、でも、だからこそ踏み込む──相手を殺すために。
「あアッーー!!!」
迎え打つようにゴブリンが剣を振るが紙一重でそれを躱し、いや、少し掠って傷を作ってしまうが、構わず突き進むとゴブリンの首を刎ねる。
『見事……まぁ、それで終わりではないようだがな』
「なっ……群れか?!」
それがゴブリンの習性なのか、奈落の魔物の特徴なのかわからないが、奈落のゴブリン達が進行方向からぞろぞろと現れる、数にして10──。
「くっ!」
地を蹴ると奈落のゴブリン達に向かって走り出し剣を振る。
先制──身構える前に一体を両断し、そのままの勢いで更に一体を切り裂き、岩壁を蹴り飛び上がると呆気に取られたゴブリンを更に一体上から両断。
しかし、快進撃はそこまででゴブリンも既に戦闘態勢に入り、易々と倒せそうもない。
「(それでも……邪神の力のお陰で動けるし、聖剣の扱いにも慣れた。倒せない相手じゃない!)」
数の多さは厄介だったが奈落のとはいえゴブリン、多少の苦戦はしつつ俺は全てのゴブリンを倒し切ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はぁはぁ……久々に戻ってきたか……」
鎧の重さのせいで多少の苦労はしつつも奈落の底から再び這い出し俺は大地に立ち、その世界を見渡す。
魔王の爪痕でところどころ裂け目の入った荒廃した大地、そこに緑は殆どなく茶や黒系の色が占め、空は黒雲で覆われている。
こんな世界のせいで作物の育ちも悪く、家畜も長生き出来るものが少なく、魔王を倒さなければ終わりに向かっていくだけの世界。
「……」
『自身の力で魔王討伐を成せるのか、とでも怖気付いたか?』
その光景を黙って眺めているとアムルガがそう聞いてくる。
「出来る出来ないじゃない……ただやるだけだ」
『既に覚悟はあるか』
「ああ、覚悟はとっくに出来てるさ」
勇者カイの戦いの続きをしよう、例え中身が偽物だったしても……
「(俺が魔王を倒す)」
もう一度、心の中で反芻し荒廃した大地を俺は歩き出した。