軽いノリ
そこにいたのは『まおー』と平仮名で、脱力気味に書かれた白い半そでのTシャツ。
中途半端に色落ちしたデニム。
仮面バイカー(日曜日の朝八時にやっているヒーローもの)のおもちゃの仮面をかぶった女性だった。
「ふ、不審者!?」
「不審者じゃない。仮面バイカーだ」
「かめんばいかあ?」
当然、ローゼスは知らないため、訊き返す。
「ああ、ごめん、ちがうね。魔王だよ、魔王」
「てンめェ魔王……こんなところで何してンだ!」
背後にいたローゼスが大声で自称魔王を威嚇する。
ローゼスはローゼスで切り替えと順応が早いようだ。
「まぁまぁ盗賊クン、まずは臨戦態勢を解いてくれないか。私はね、君たちと殺し合いに来た訳じゃないんだ――よっと」
自称魔王が最小限の動きで飛んできた短刀を避けた。
振り返ると、案の定というか、ローゼスがなにかを投擲した構えをとっている。
「殺し合いじゃアねェだあ? 不意打ち上等かましといて何寝ぼけてンだ! コラ!」
聞く耳など持つつもりはないといった様子のローゼスが、自称魔王に敵意を飛ばす。
そういえば出会ったばかりのローゼスはこんな感じだった。
……なんて、懐かしく感じてしまうのは自称魔王から本当に敵意がなくなっているからだろう。
「私としてはただこの美味棒をキミたちに布教したいだけで――おっと」
今度は顔(仮面)の真正面に飛んできたナイフを、人差し指と中指で挟んで受け止めた。
「こらこら、アブナイじゃないか」
「うっせェ! 動くな! ぶっ殺してやる!」
「やれやれ、なるべく激しい運動はしたくなかったんだけどね……」
自称魔王の纏っている雰囲気がより一層黒く、暗くなる。
ローゼスも遊びは終わりだと言わんばかりに、姿勢を低くし、冷たい殺気を纏った。
まさに一触即発。
どちらかが動けば、どちらかが死傷するような状態。
ここでローゼスに加勢してこの自称魔王を倒してもいいが、俺としては見逃された借りもあるし、なによりなぜこいつがここにいるのかが気になってしまう。
だから、とりあえずここは──
「……ローゼス」
「あ?」
「キレるの禁止」
「今回は例外だろうが」
「……話を聞こう。ヤツに敵意はない」
「それは命令か?」
「お願いだ。武器を収めてくれ」
俺がそう言うと、ローゼスは(舌打ちをしつつだが)武器を仕舞ってくれた。
それを確認して、今度は自称魔王が臨戦態勢を解く。
「ったくよ、最初から敵意剥き出しだったろうが」
「それについてはゴメンよ。ちょっとキミたちを揶揄おうとしただけだったんだ。それに、なにせあまりにも呑気にしていたからさ」
「それは……」
「たとえばここに来たのが私ではなく他の、本当にキミたちを殺そうとしている者が同じような行動をとっていたら、それだけで勇者クンは命を落としていた」
たしかにこの自称魔王の言うとおりだ。
こちらの世界に来てからいささか気を抜きすぎてしまったようだ。
今一度、気を引き締め直す必要があるな。
「……とはいえ、さすがに反省してる。私もおふざけが過ぎたようだ」
「ならそのふざけた仮面を取れよ! 反省してるなら、せめて誠意を見せろ!」
「ごめんね、顔見られると爆発四散しちゃうから……」
「おいマコト、やっぱあいつ殺すわ」
「やめろっての。つか、魔王もあんまり刺激するような物言いするなって。……それによく考えてみろ、ローゼス。こいつの言うとおり、本当に害意があったなら、さっきので俺を攻撃したはずだろ」
ローゼスはひときわ大きなため息をつくと、頭をポリポリと大袈裟に掻いた。
とはいえ、ローゼスがこういう態度をとるのも仕方ないといえば仕方ない。
実際、魔族との戦いで自分の部下を何人か失っているわけだしな。
……まぁ、それは魔王軍も同じなわけで――
「それで? おまえはなんでこんな……ところ……に……」
このままではまたいつ殺し合いに発展するかわからないので、俺は無理やり話題を変えようとした。……が、そこで言い淀んでしまう。
「えーっと……」
「どうしたんだい勇者クン」
「いや、その……訊きたいことが多すぎて、何から訊けばいいか混乱してる」
「アッハッハッハ! なるほどなるほど。たしかにね。でも、勇者クンに訊きたいことがあるように、私たちにだって話したいことがある」
「……たち?」
「だから、どうだろうか。ここは私たちのアジトに案内されてみないかい?」
「あ、アジト……?」
こいつ、この世界に来てからもうそんなものまで作ってるのか?
「お茶くらい出すよ、安物だけどね。けどこれがまた駄菓子によく合うんだ」
うんうんとお茶の味を思い出すように頷いている自称魔王を尻目に、俺はローゼスに視線を送った。
さきほどまで敵を威嚇する肉食獣が如き表情を浮かべていたローゼスはどこへやら、呆れかえった表情で肩をすくめてみせている。
どうやら俺もローゼスもすっかり毒気を抜かれたようだ。
まぁ、その毒気もこの自称魔王由来のものだったわけだが――
俺は一度これ見よがしにため息をつくと、あらためて自称魔王に向き直った。
「ああ、是非もてなしてくれ、そのアジトってところで」
◇
魔王に案内されたのは、ネットで『駄菓子屋 昔』と検索すれば一番上に出てきそうな、古き良き木造建築一戸建ての一階を改築した風の駄菓子屋だった。
俺たちはその駄菓子屋の奥にある、これまた年代を感じさせるレジが置いてあるさらに奥の、四畳半一間の部屋にいた。
部屋の真ん中にはちゃぶ台がぽつんと置かれており、その周りに俺と、大きめのパーカーとホットパンツとに着替えたローゼスが座っていた。
ローゼスがなぜ着替えているのかというと、自称魔王がたまたまローゼスの体型に合った着替えを、たまたまあの場に持ち合わせていたからだ。
自称魔王の怪しさに関してはもはや言うまでもないが、その機転(?)のお陰でここまであまり(さすがに長身で褐色の外国人はいくらカムフラージュしようがそれなりに目立つ)目立つことなく、辿り着くことが出来たのだ。
それに、なんというかこう……。
「ん? なんだマコト?」
「い、いや、なんでもない……です」
「……なんで敬語?」
急に恥ずかしくなった俺はローゼスの視線から逃れるように、駄菓子屋の軒先に視線を向けた。
そこでは自称魔王が、群がる子どもたちの対応に追われていた。
「おーい、ガキンチョたちー! 今日はもうお店閉めるから、とっとと帰りなー!」
店先から自称魔王の声と、子どもたちのブーイングが聞こえてきた。
あいつはここで、この世界で、いったい何をしてるんだ。
「あの……ローゼス、さん。状況どう思いますか?」
「だからなんで敬語?」
敵のアジトまっただ中での作戦会議。
呑気だと思うかもしれないが、自称魔王に敵対してくる素振りがないのも事実。
たぶん俺たちの会話も聞かれているだろうが、あえてローゼスの意見を訊いてみた。
「……でも、そうだな、いけるよな」
「は? なにが?」
「この駄菓子ってやつ、なかなかいけるな!」
見ると、ローゼスは手当たり次第に店の陳列棚から取ってきた駄菓子を、バリバリと貪り食っていた。
こいつはこいつで一体何をしているのだろう。
毒とか入ってる可能性を微塵も考慮していない。
「んむ!? むぐぐぅ……っ!?」
「ど、どうした……!? やっぱり毒が……!?」
「み、みず……!」
急いで食べ過ぎたのか、ローゼスは自分の胸をドンドンと叩き始めた。
「いやいや、盗賊クンの場合、ドンドンではなくぽよんぽよんのほうが正確なんじゃないかい」
「たしかに。今まで軽鎧で封印されていたとはいえ、まさかローゼスがこれほどまでのポテンシャルを秘めていたとは思わなかった」
「ふふ~ん、やはり勇者クンも所詮は男の子といったところかな。……はい、お茶」
自称魔王がずいっとローゼスの前に湯呑を差し出す。
ローゼスはそれを受け取ると、一気にごくごくと飲み干した。
茶は適温だったのだろう。猫舌に熱がる様子はない。
「んぐ、んぐ、んぐ……ぷはぁーっ! うンまァーい!」
「死にかけて第一声がそれかよ」
ドン、とちゃぶ台の上に『MAOH』と書かれた湯呑が置かれる。
いろいろ言いたいことはあるけど、ここまで自己主張が激しいとなんだか笑えてくる。
「いつまでも〝自称魔王〟って呼ばれるのは傷ついちゃうからね。いい加減本物の魔王だって認定してほしいなぁ……」
「勝手に俺の心を読むな」
俺がそう言うと、魔王は仮面をカラカラと揺らしながら笑った。
「そうそう、それでいいのさ。ありがとね」
「だから勝手に――」
「駄菓子のしょっぱさや油っぽさを渋いお茶がいい感じに流してくれてさっぱりするぜ。駄菓子、駄菓子、駄菓子、お茶。駄菓子、駄菓子、駄菓子、お茶の3:1これが黄金比率だな」
「なんなんだ急に」
「はっはっは、気に入ってくれて嬉しいよ」
「おまえは気に入らねえが、駄菓子は気に入った」
「そうかい? でも今はそれでいいのかもね」
今さらだが、この終始適当なのは魔王ルシファー。
俺たちにとって、最強にして最大の敵。
カイゼルフィールでこいつの名を出そうものなら、誰もが恐れ慄く、いわば恐怖の象徴。……だったのだが、ふたを開けてみれば、この通りただの変態だった。
変態の野望はただひとつ。
魔族の社会が安寧で安全で皆が安心して暮らせる世界をつくること。
「ちょっとちょっと、変なルビ振らないでくれない? 誤解されちゃうからさ」
そして、そんな世界を実現するべく、変態が行おうとしたことは力や恐怖で人族を支配すること。……ではなく、人族との対話による共存だった。
「おーい、勇者クン? もう魔王と読むことすらないよね、それだと」
しかし、結果として勇者がカイゼルフィールに、ブレンダに呼ばれ、人族と魔族とで戦争が起きてしまった。
どうしてこうなったのか。
答えは簡単である。
人族と魔族との和平を望まなかった第三勢力の見えざる手が介入したからである。
噂というやつは必ずどこかで尾ひれがつくもの。
尾ひれのついた噂はいつしか偏見に変わり、偏見は悪評へ、悪評は実体のない恨みへと変わっていった。
それらが積もり積もって、人族と魔族の間にドデカイ壁を作ってしまい、やがて人族が魔族を、魔族が人族を憎み、互いに攻撃しあうようになった。
人族との共存の道を模索していた変態はこれを危惧し、早々に全面降伏を認めようとしたが、ここで魔族側の幹部でもっとも力を持っていた者がクーデターを起こした。
「それ、なんかもうただの悪口になってない?」
「……さっきからちょいちょいうるさいな」
「というか、いいの? 長々と世界観説明しちゃってさ。引かれない? 読者に」
「なんだよ読者って」
「まぁ、そもそもこういうメタ発言もウケよくないからこれ以上は言わないけど……」
「めた……? おまえはさっきからなにを――」
「まぁ、私が軽く要約するとだね、その幹部が諸々の元凶で、私と勇者クンたちに追われた彼はこちらの世界に逃げ込んでしまった。で、勇者クンはそれ追って戻ってきたってことだよね?」
「まぁ、そうだけどさ……って、ちょっと待った。つまり、魔王がここにいるのってもしかして……」
「そういうこと。察しが早くて助かるよ」
「なあマコト、あたしは何がなんだかわかんねえぞ?」
「ああ、だよな、わるい。えーっと……」
「有体に言えば部下の尻ぬぐいだよ。上司としてね」
「〝サターン〟のことだな」
「そ。正しくは、彼の一味だね」
「ああ、あいつのことか……」
ローゼスも思い出したかのように言う。……が、大丈夫かこいつ。
今回の目的はそいつをこの世界から排除することだって……わかってるよな。
まさか本当に観光目的でこの世界に来たわけじゃない……よな。
「そ、そんな顔で見んなってマコト。冗談だからよ」
「……じゃあ、そのサターンの目的は?」
「え? えーっと、魔族の世界を創る……?」
「手段は?」
「人族を滅ぼす……だったよな」
「そうだ。変態はあくまでも共存の道を模索しようとしていたが、サターンは人族を滅ぼすことに重きを置いた。ここが大きな違いだよな」
「おーい、勇者クーン? せめて何か振らない?」
「でもよ、結局は変態が言ってるだけなんだろ?」
「キミもか」
「それってなんの確証もねえじゃねえか。単に人族を滅ぼせなくなったから、全ての責任をてめえの部下におっかぶせて、それこそリザードマンの尻尾切りみたいにしただけかもしれねえぜ?」
「たしかに。盗賊クンにしてはなかなか鋭い推理だと思うし、私もその件に関しては完全な無罪を証明することは難しい。けど――」
「それならもっと人族は被害を被っていたはず」
「おや、まさか勇者クンが私をかばってくれるとはね」
「俺は無駄な争いをしたくないだけだ。たとえ状況証拠しかなくても、俺はおまえらの言う〝共存の道〟ってやつを信じてみたい」
「感無量だね。そこまで言ってもらえるなんて」
感無量。というわりにあまり響いているような感じに見えないが、ここで茶々を入れるのは止めておこう。
「まぁ、ぶっちゃけ私としてもね……」
「え?」
「これまで人族と分かり合うために頑張ってきたんだ。それをいきなりね、こんな感じで台無しにされてね……いい気分なわけないよね」
途端にぞくりと、ここへ来た時に感じた魔の気配以上の悪寒が俺の背筋を伝う。
とりあえず、真偽はどうであれ、こいつもあの仮面の下で怒っているのはわかった。
敵の敵は味方とか、共通の敵だから一時休戦然る後共同戦線とか、そういうことを言うつもりはないが、サターンをどうにかしたいというこの一点においては、魔王とは利用し合えそうではある。
「まま、とにもかくにも私たち魔族は今回の件で人族からの信頼を失ったってわけ。もう底の底、地の底だ」
「んなモン、元々なかった気ィするけどな」
ローゼスは構わず本音を魔王にぶつけるが、魔王もこれまた構わず続ける。
「そんなわけで、もうカイゼルフィールには魔族の居場所がないんだよね」
「居場所がねぇつっても、全員こっちに来てるわけじゃねンだろ」
「まあね。いまもあっちに残ってる同胞たちは極力人族と遭うのを避け、世界の隅っこのその吹き溜まりに身を寄せ合ってなんとかしのいでくれている」
「てことは、だ。つまりてめえはここへは部下の尻拭い兼、新天地を探しに来たってわけになるのか?」
「ううん、そうじゃない。私たちだってそんなに厚かましくないさ。他所の世界にとつぜん大勢でなだれ込み、権利を主張しようと思わない。それに愛着だってあるしね」
「魔族が愛着ねぇ……そんじゃあ、本当にただてめぇの部下の落とし前を付けに来ただけってか?」
「ちょっと物騒だけど、そんなとこかな。とにかく彼には彼の起こした行動の責任を負わせる。それを以て、また改めて人族に挨拶に行くつもりさ。お詫びも兼ねてね」
ちらりと横目でローゼスを見るが、彼女は軽く首を横に振ってみせた。
『嘘をついてはいない』そう彼女は言いたげだった。
ローゼスが言うなら間違いないだろうとは思うが、如何せん相手は魔王だ。
警戒するに越したことはないだろう。
しかし、これであらかた訊きたいことは聞いてしまったな。
「他に質問はないのかい?」
「……なんで駄菓子屋?」
「子どもが好きだからね」
「嘘だろ」
ローゼスがそう切り捨てる。
まぁ、これに関しては俺もなんとなく嘘だというのはわかる。
「本心は?」
俺がそう尋ねると魔王は肩をすくめて「子どもが好きなのは本当なんだけど……」と前置きをして続けた。
「人間の信頼を勝ち取るにはまず純真無垢な子どもから。大人ってのは基本的に警戒心が強い。それまで生きてきた知識や経験があるからね。それらから逸脱する得体の知れないモノを見れば、第一に警戒、第二に通報されてしまう」
「通報されたのか……」
「ああ、ビックリしたよ。ケーサツと言うんだってね。なかなか優秀じゃないか」
「どうやって釈放されたかは訊かないでおく」
「助かるよ。……とはいってもべつに変なことをしたわけでもないんだけどね」
「どうだか」
「話を戻すけど、大人は警戒心が強い。だからこその駄菓子屋さ」
「いまいち話が見えないんだけど……」
「子どもたちは三度の飯より駄菓子が好き。それに駄菓子屋といえば、子どもたちのたまり場なんだよね?」
「いや、間違ってはいないんだろうけど……その情報古くないか?」
「いーや、古くないね。現に見ただろう? 軒先で戯れていた子どもたちの姿を」
「まぁ、盛況そうではあったな……」
「ふふふ、品揃えに関しては自信があるからね。私だって彼らの嗜好は勉強しているのさ」
だいぶ染まってんなこいつ。
「そして、たまり場はやがて居場所となる。そうすれば、いずれ大人たちとの会話の中にも出てくるだろう。そこから自然と大人たちも警戒を解いてくれるって寸法さ」
「なるほど。つまり頑なに外そうとしないお面も、子どもの心を掴むための戦略ってわけか」
「まあね、それもあるね」
「それも? 他にもお面をつける理由はあるのか?」
「うーん、なんて言えばいいのかな……。まぁ、キミたちも知ってのとおり私は美しい」
「なんだおまえは」
「過ぎた美しさは争いを生む、そして争いはまた混乱を引き起こす。引き起こされた混乱は混沌といううねりとなり、やがて破滅へと至る……」
「何が言いたいんだおまえは」
「要するに、美しすぎる女店主と、一風変わった仮面店主を天秤にかけたうえで、後者のほうがよりこの世界で活動するのに都合がいいと思ったから、この風体でいるわけさ」
「なんとなくわかったけどさ。……自分で言うか、それ」
ローゼスがきちんとツッコんでくれた。
「さて、そちらの質問ももう終わりかな?」
「いや、まだ終わってな――」
「では、こちらのターンといこう」
「聞けよ」
「そうだなぁ。私のは質問というよりも、先ずは──」
魔王はそう言うと、人差し指でローゼスを指した。
「君たちは……いや、そこの君はいったい何者だい?」