至高の生物 嫉妬の蛇
駄菓子屋不破内部。
昨日となんら変わらない、四畳半一間の部屋。
その中央にあるちゃぶ台の上には〝マコトクン〟と書かれた湯呑みと〝バカ〟と書かれた湯呑が置かれていた。
俺はとりあえず靴を脱ぐと、そのまま部屋の奥まで歩いていき、入り口のほうを睨みつけた。
「……さすがですね。バレてましたか」
そう言って戸口からぬっと現れたのは、ひどく胡散臭い印象の男だった。
黒シャツにグレーのスーツベスト、そして同色のスラックスという一見かっちりした格好だが、髪はボサボサで毛先がクルクルと丸まっており、丸ぶちのサングラスをかけていた。
男はフラフラとした足取りで部屋に入ってくると、ちゃぶ台を挟んで俺と向かい合うように胡坐をかいた。
「誰だおまえ」
敵意は感じないし害意も感じない。
ただ胡散臭いという言葉が服を着て歩いているような、そんな男に俺は尋ねる。
「自己紹介の前に……すみません」
「なんだ」
「まずはお茶を飲んでもいいですか?」
「茶?」
「昨日から何も飲んでいなくて、喉が渇いて仕方ないんですよね」
俺は特に何も答えなかったが、男はそれを許可ととったのか〝バカ〟と書かれた湯呑みを掴むと、ほぼ熱湯と呼べる温度のお茶をグイっと飲み干した。
「……うん、やはりお茶は良い文化だ。沁みますね」
「なるほど。バカはおまえだったか」
そりゃそうか。
いくら不破の性格に難があるとはいえ、ローゼスが文字を読めないことをいいことに、バカ呼ばわりするとは考えづらかった。
けど湯呑がふたつか……。
「はて」
「……いや、こっちの話だ。てか、ここにいるってことは、おまえも蠅村と同じ魔王軍の誰かってことで、あってるんだよな」
「おや、さすがの慧眼。魔力はうまく消したと思っていたのですが……」
男は中指と親指でサングラスをクイッと上げながら答える。
「その見た目で一般人は無理があるだろ」
「なるほど、この格好が……やはり裸が正解でしたか」
「待て待て脱ぐな、気色悪い。てか、そろそろ自己紹介しろよ」
「そうでした。……はい、さきほどマコトクンがおっしゃったとおり、僕は不破の部下です。名前はバカ……ではなく、蛇山海と申します。もちろん偽名ですが」
「へびやま……まぁ、心当たりはねえよな、偽名なんだから」
「いちおうこれでも、マコトクンとは面識があるんですよ」
「面識?」
「はい」
「……いやだから、さっさと正体言えよ。なに引っ張ってんだ。楽しんでんのか、この会話」
「レヴィアタンです」
「あ~……、あいつか」
思い出した。レヴィアタン。
あのバカデカいウミヘビ。
蠅村と同じく不破の部下で魔王軍幹部。
不破の根城に向かう時、船に乗って戦ったことがあったけど──
「俺、あの時きちんとトドメ刺したよな」
「ええ、それはもちろん。見事なまでに」
「……じゃあ、なんでまだ生きてんだ?」
「あのとき死んだのは僕ではなく、兄のほうですから」
「そ、そうか……」
当然といえば当然だがその場の空気が重くなる。
正直言えば気の毒に、とは思う。
しかし俺はレヴィアタンには謝らない。
ここで謝ってしまえばあのときの俺の行動を、カイゼルフィールを救ったという行為自体を否定する事になると思ったからだ。
とはいえ、やはり肉親を殺したというのはあまりにも――
「冗談です」
「あ?」
「じつは僕に兄なんていません」
「……あれか、おまえらは俺を揶揄わんと気が済まんのか」
「ちょっとした冗談です。人間社会だと、こういった場でいきなり本題に入るのは、失礼にあたる行為だと聞き及んでいますので」
「だとしても、せめて内容は吟味しろよ。おまえらのはタチが悪いから、いつ戦闘になってもおかしくないぞ」
「恐縮です」
「……てか話戻すけど、なんでまだ生きてんだ? トドメは刺してたんだよな」
「申し上げられません」
ただの、ちょっとした会話のつもりで尋ねてみたのだが、こうもきっぱりと断られると、なんとしてでも訊き出したくなってしまう。
「あれ、不破からは何も聞いてないのか?」
「ボスから、でしょうか」
「ああ。蠅村同様言われてるはずだぜ、俺には全面的に協力しろってな」
「ふむ」
「俺としても新しく味方になるやつの戦力は確認しておきたい。つまり、何が出来て何が出来ないか、だ。差し当たって今は、おまえのその不死身じみた能力について知りたい」
「なるほど。さようでございますか」
これはもちろん蛇山の能力を訊き出すための嘘。
不破はそんなことはひと言も言ってない。
「……であれば、ボスから聞き及んでいるかと存じますが」
「ん、そうだっけか」
「ええ、そのはずです」
徹底しているな。
おそらく部下からはこの手の情報を仕入れることは出来ないのだろう。
〝不破から聞いていないことは、その重要度の如何に関わらず話さないことになっている〟
とりあえず今のところは、その情報が手に入っただけよしとしておきたいところだが……現状、そうは言ってられそうにないな。
「……わるい、たぶん俺の勘違いだったわ」
「さようですか」
「なら、つぎの質問だ」
「なんでしょう」
「なんでちゃぶ台の上に、俺とおまえの湯呑しか置かれてないんだ?」
「それは――」
「おっと、これにはきちんと答えろよ」
俺がそう断ると蛇山は口を閉じた。
「いまローゼスはおまえんとこのボスと追いかけっこしてる」
「追いかけっこ……ですか」
「これはどう見ても事前に想定できることじゃない。……にも関わらず、見計らったようにこの場にはローゼスどころか不破の、おまえんとこのボスの湯呑さえ置かれていない。加えて、蠅村が突然姿を眩ませている……」
蛇山は何も言わず、ただじっとサングラス越しに俺を見ている。
「俺がなに考えてるかわかるか?」
「……いえ」
「宣戦布告かって訊いてんだよ」
ローゼスと不破の追いかけっこ。
これは事前に想定できないとは言ったものの、そうなるよう誘導するのは容易い。
ただローゼスを怒らせればいいだけだ。
もしこれを意図的に引き起こしたとするなら、その狙いとして考えられるのは分断からの各個撃破。
蠅村が直前に姿を眩ませていたのも、不破がその事について何も言わなかったのも、そう考えれば得心がいく。
そして極めつけは今俺の目の前にいる蛇山だ。
こいつの特性は不死身。
その特性で俺を足止めしている間にローゼスを倒し、最終的に全勢力を以て俺を倒す。
したがって、いまから戦う相手に対してわざわざ弱点を晒すわけがない。
以上が俺の脳裏に浮かんだシナリオだが、間違っている場合もある。
だから――
「もう一度だけ訊く。これはおまえらが俺たちを分断するために仕掛けた罠か?」
「……おや、さすがの慧眼ですね」
……いつかはやってくると思ったが、こんなにも早く仕掛けてくるとは思わなかった。
もしかすると本当にこいつらは俺と敵対するつもりはないんじゃないか、と考えていたが甘かった。
いや、反省するのはあとだ。
俺は素早く立ち上がると、レヴィアタンの首根っこを掴まえて、折──
「落ち着いてください、マコトクン」
首を折られる寸前だというのに、あくまで落ち着いた声色。
油断を誘っているのかそれとも──
「一秒だ。せめて俺が納得する言い訳を言え」
「僕は──」
「一秒」
〝ゴキ……ッ!〟
〝メキ……ッ!〟
無論、言い訳など聞く気はないため即座に首を折る。
「──チッ!」
慣れない。
不快な音とともに手に残る嫌な感触。
魔物相手もそうだが、人型ともなるとなおさらである。
今夜の夢にでも出てきそうだ。
いや、弱音なんて吐いている場合じゃない。
今すぐにでもローゼスを追いかけなくては。
「マコトクン、落ち着いてくださ──」
〝ブン……ッ!〟
背後からレヴィアタンの声が聞こえた瞬間、俺は振り向きざまに腕を振った。
ごろん。という音とともに今度はレヴィアタンの首が畳の上に転がる。
しかし切断面から血液が噴出する気配はない。
幻覚か、分身か。
ただ、依然俺の手の中で息絶えているレヴィアタンを見るに、これは――
「分身ですよ」
三体目のレヴィアタンが部屋の入り口から、両腕を挙げながら現れた。
「なんのつもりだ」
「降参です。投降の意志です。……なにか気に障ったのなら謝ります」
「そこをどけ」
「それらは僕の分身です。マコトクンがカイゼルフィールで僕を殺した時も、いま息の根を止めたその二体も、全ては僕の分身であり本体です」
「それがなんだってんだ」
「急を要するからです」
「あ?」
「僕がこうして自身の弱点を晒さないと、マコトクンが話を聞いてくれないと思ったから、こうして話をさせていただきました。事実、あなたはいまこうして話を聞いてくれている。違いますか」
「じゃあさっさと要件を……いや、ローゼスは無事なんだろうな」
「はい」
「証拠は」
「ありません」
「それじゃあ話にならねえって、さすがにわかるよな」
「はい。ですが決して、マコトクンが心配しているようなことは起こっていないと断言できます。あと十分経ってもローゼスさんが帰ってこなければ、僕を含め、ここに住んでいる者全員をその手にかけて頂いても構いません」
レヴィアタンがそう言うと、上階からガタゴトと大きな物音が聞こえてきた。
他にも魔物がいたということだろう。
その慌て具合から察するに命を懸けるつもりはないようだが――
「……少なくとも、僕は抵抗しません。それにいくらボスとはいえ、十分程度でローゼスさんをどうこうするのは至難の業な筈。違いますか」
「まぁ、たしかに……」
「今頃、ローゼスさんもボスのほうから説明を受けているでしょう」
「説明? 意味がわからん。わざわざこんなことをしてまで話すような内容か?」
このバカとの問答によって頭に上っていた血が、また下がっていく。
まずこいつの言っていることは(その能力に関して言えば)嘘ではない。
分身であり本体。
いま俺の足元に転がっているのは幻などではなく、その感触や存在感、残存する魔力量からして確実に本物だった。
おそらく俺の目の前にいるヤツも同じ。
一体倒せば一体消える。
まるでゲームでいうところの残機である。
だが、それがどうしたというのだろうか。
この問答自体が時間稼ぎという可能性もある。
そうだ、今こうしているだけでローゼスの身に危険が――
「……こうしている?」
「マコトクン?」
「そうか。こうせざるを得ないなにかが……」
改めて考えてみれば俺たちに仕掛けるタイミングは、もっと言えばこいつらがローゼスに危害を加えられるタイミングはいつでもあった。
しかしそうなってくると気になってくるのはこいつが〝罠〟だということを肯定したことだ。
「……わかった。とりあえず話は聞く」
「ありがとうございます」
「ただ、俺の疑問には全部答えてもらう。嘘だと感じたり、誤魔化そうとしたら、すぐにおまえらを殺してローゼスのところへ行く。それでいいな」
「勿論です」