黒翼の魔女 4
大切な人を守りたかった。大好きな人たちが笑顔でいられる場所を作りたかった。
そのために魔術を行使して凶暴な獣を倒し、魔物を倒し、敵対する人間を倒した。
最終的に、守りたいと願った街も同じ国の住人も、焼き払っていた。
クーユオの街の近くにある森で、七、八歳くらいの年頃の三人の少年少女が思い思いに過ごしていた。
薬屋の娘ミシェレは、エプロンをつけた姿で薬草や茸、木の実や野草の類を慣れた様子で採取している。彼女の頭に花冠が被せられた。ミシェレは青灰色の瞳を見開いてから、二つに結った栗色の髪を揺らして振り返った。
「もう、クスティ、なにするの」
「似合うよ、ミシェレ」
肩にかかる黒髪に青い瞳の少年クスティが、笑顔でそう口にする。
「そうやっていつもからかって……今日なにしにここに来たと思ってるのよ」
「ミシェレの薬草採取を手伝って、この森の魔術に有用な植物を観察して、魔術の訓練もして――」
指折り数えて素直に答えるクスティに、皮肉気に問いかけた。
「そのどれか一つでも終わったのかしら」
「採取はこんな感じで」
クスティが差し出したざるには沢山の植物が入っていた、が。
「半分はクスティが魔術の実験に使うものね。私の手伝いなんて二の次ってことね」
「さすがミシェレ。詳しいね」
「見ればわかるわよ。おだてている暇があったらもう半分、よろしくね」
「任せて」
自信満々の返事をした幼馴染の少年が遠ざかってから、ミシェレは花の冠を頭に載せたまま、森の奥のほうへと足を踏み入れた。
森の奥は、親にはまだ行くなと言われている。だけど一人で森の入り口近辺に生えている薬草を取りに行くことは大分慣れた。親が取って来た状態でしか見たことがない薬草を、自力で採取できるようになりたかった。
言われたことをこなすだけでは、成長は望めないのだから。
視界が草木や枝や葉で埋まる中を進んで行くと、唐突に足元が抜けた。茂みの先が、崖になっていた。
「え、嘘――誰かっ!」
崖から突き抜けて伸びている木の根をつかむが、身体を支えきれずにずり落ちていく。花冠と採取した植物を集めたざるが落ちて行った。崖の下の地面は、視線の遥か先だ。
じりじりと落ちていく勢いで、でこぼこした木の根が手のひらを引っかいた。そのせいでさらに力が弱まる。
――駄目、落ちる!
落下を覚悟した直後、横から掻っ攫うようにしてミシェレの身体が抱きかかえられた。瞳を開けた肩越しに、肩にかかる白金の髪と白い翼が見えた。
「リータ……」
もう一人の幼馴染。白い翼で空を翔ける魔術師の少女リータレーナが、空中でミシェレを受け止めていた。暗色のローブの幅広の袖と裾がはためく。
「よかった、間に合っ――」
かけられた言葉の途中で、がくんと落ちる感触に見舞われた。
「……ごめん」
そんな謝罪を耳元で聞きながら、二人の少女は翼により落下の勢いを緩めながらも、眼下へ落ちて行った。
やがて探しに来たクスティと合流したリータレーナは、気まずい顔を彼に向けた。
「落ちた音を聞いたときはびっくりしたけど、崖から落ちてこの程度の怪我で済んでよかったよ」
二人の様子を窺うクスティは安堵の息を吐き出した。彼の言葉通り、落ちた先で木の枝に突っ込んで擦り傷を作った他はぶつけただけで済んだ。大怪我はしていない。
だけど打ちつけた身体はじんじんと痛む。ミシェレにも痛い想いをさせてしまった。
「わたしの計画では、飛行の魔術で華麗に救出する予定だったの」
石に腰かけてミシェレに手当てをしてもらいながら、リータレーナは肩を落とした。まだ新しいローブもすっかり砂埃にまみれてしまっている。
クスティも同じローブを着ているが、そちらは葉っぱや細かい草がくっついている他は綺麗なのものだ。
「リータは素の力はからっきしだもんな」
事実をさらりと指摘された。
そうだ。飛行の魔術がうまくできなかったからではなく、自分と同じくらいの重さの子供を抱えきれずに落ちたのだった。
一歳上のクスティは、ミシェレや近所の子供を軽々と抱えられる。そのことを思い出して、眉をしかめた。
王都からやって来た魔術師に魔術の才能を見込まれて、魔術を学び出した。物心ついた頃は振り回されていた魔力を少しずつ扱えるようになってきても、まだ未熟な子供でしかない。できないことに思い至るたびに、歯がゆさを感じた。
特に同じ時期に魔術を学び始めた幼馴染が、のらりくらりとしながらも器用になんでもこなしているように見えるのが悔しくてならなかった。使える魔術の方向性がまったく違うのがせめてもの救いだろうか。
「ほっといてよ。力なんてなくても、魔術でなんでもできるようになるんだから」
ぷい、と顔を背ける。
「私からしたら二人とも羨ましいわ。魔術師として着々と成長していっているんだから」
取り成すように言ったミシェレの言葉は、だんだんしんみりしたものになっていった。
「私ばっかりいつも仲間外れね」
彼女のほうを見ると、寂しそうな顔をした幼馴染が目に入った。
「ミシェレ……」
「私も魔力を持って生まれたかったわ。そうしたら一緒に魔術を習えたでしょ」
なんてね、と手当てを終えたミシェレは薬を仕舞う。
「俺はミシェレを仲間外れにしたつもりなんてないし、これからもしないよ」
「うん、わたしも」
「そう。ありがとう」
礼を言いつつもどこか気落ちした様子のミシェレの手を、リータレーナは取った。
「ミシェレに魔力がなくても、わたしがミシェレを守るから」
手を握ってそう宣言した。常日頃思っていたことを言葉にして伝えた。
「それ俺の台詞!」
クスティもそれに続いた。
ミシェレは目を丸くしていたが、やがて顔をほころばせた。
リータレーナ、ミシェレ、クスティの三人は、幼い頃からいつも一緒だった。成長して大人になっても、ずっと同じ街でともに過ごしていけると信じていた。
魔術師としての才能が伸びていく中、リータレーナとクスティは魔術の師匠から何度も言われたことがあった。
王都で学んだほうがいい。多くの魔術師から高度な教えが受けられる、同じ道を志す魔術師と知り合える、貴重な本を読んで知識を得られる、と。
魔術の勉強のために何度か王都へ連れて行ってもらったが、辺境の故郷とはまるで違う都会に移住することに実感が沸かず、リータレーナは誘いをかけられるたびに断っていた。
クスティも同様に、幼馴染と会えなくなるのは困るから王都には行かないと言っていた。
しかし子供の頃からたびたびふらっとどこかへ行き、大人たちが探し回った後に何事もなかったかのように帰って来ることを繰り返した少年だ。この街を出て遠くへ行ってしまってもおかしくない印象があった。
十代前半から半ばになる時期。大人の魔術師のものと大差ないローブをまとうようになり、魔力が宿るからと伸ばした髪は昔より大分長くなり、子供から大人への変化を否応なく実感していく頃のこと。
個人の意思や未来への展望は、国の情勢という大きな流れに飲み込まれつつあった。
リータレーナとクスティがミシェレの家の薬屋に寄ると、カウンターに座って店番をしているミシェレは幼馴染を前にして顔を曇らせた。
「クスティ、最近ハイメリン家の魔術師と親しくしているようね」
言葉が剣呑さを帯びていることに気づいているのかいないのか、クスティはあっさり頷いた。
「この街に住む数少ない魔術師だからな」
「相手は貴族でしょう」
「そう、それでいま、ハイメリン家の屋敷の地下に宝を守るための迷宮を作っているんだ。侵入者を阻むゴーレムの設計に協力しろともちかけられて……」
目を輝かせながらそこまで言って、クスティはミシェレの不満顔の理由に察しがついたようだ。
「ミシェレ、アンディスになにか言われたのか? じゃあどちらが正しいか、白黒つけないと」
「そこまでしろとは言ってないわ。クスティとアンディスがゴーレムを操って戦い出したら、周囲にどれだけの被害が出ると思っているのよ」
ハイメリン家の子息アンディスは、貴族の家に生まれ育ち平民を見下しているが、クスティの魔術の才能には一目置いているようだった。
しかし認めている存在が魔術師でもない平民の娘と親しくするのは気に食わないらしい。魔力がない者は人間として劣っているといったアンディスの主張を、リータレーナは耳にしたことがあった。ミシェレ本人が被害を被っていないとも思えなかった。
当のミシェレは、いいことを思いついたとばかりに提案を口にした。
「いい機会だわ、クスティ。あなたとリータと、ついでにアンディスも連れて、さっさと王都に行けばいいと思うの」
「ミシェレ……あいつにそんなに酷い嫌がらせをされたのか?」
「アンディスの件だけじゃなくて。二人とも、お師匠様にずっと誘われていたんでしょう? 才能があるのなら、それを生かせる相応しい地に行ったほうがいいわよ」
ミシェレの言葉に、クスティとリータレーナは顔を見合わせた。
「わたしたちが行くと決めなくても、そのうち招集がかかりそうなの」
「招集?」
「そう。国内の魔術師は全員王都へ集合せよ、その力を国のために捧げよ、ってな」
「それ、もしかして……戦争が始まるという噂は本当なの?」
ミシェレの問いに、二人は頷いた。
あちこちで流れる不穏な噂。隣国との関係が悪化しているらしいという話。王都近辺の街の若者は戦闘訓練を課され、いずれ兵士として招集されるのではないかと言われている。そして即席の歩兵以上の戦力となる可能性があるのは、魔術を使える魔術師だ。
「そんな……」
顔を曇らせるミシェレに、クスティは笑顔を見せた。
「大丈夫、こんな僻地の街にまで招集がかかるかわからないんだ。それに魔術師の戦法は基本的に遠距離からの攻撃なんだから、簡単には死なないよ」
「ならいいんだけど……」
ミシェレを安心させるように、リータレーナは話題を変えた。
「それにしても、クスティも落ち着いてきてよかったよね。何年か前、数日帰って来なかったときに、遠い未来を見てきた――なんて言ったときはどうしようかと思ったけど」
あちこち探し回った幼馴染二人の心配などどこ吹く風でそんな発言をされたら、なにがあったのか余計訝しんでしまう。世迷い事を口にしたことと軽い怪我の他は、特に問題はない様子だったのが幸いだが。
そのときのことを思い出したのか、ミシェレはくすりと微笑んだ。
「未来ではこの国から魔術がなくなっていて、魔術を使う者は魔物と同義とされていた、なんて言ってたわね」
「そうだな。そんな未来、信じたくないよな」
そう言うクスティの顔は、どこか翳って見えた。
やがてクーユオの街の数少ない魔術師も王都に召集され、戦闘訓練を積み、魔術兵器の研究開発をすることになった。
それぞれ能力や得意分野が異なる魔術師は、歩兵のためにかき集めた若者たちよりも好待遇だった。熟練の魔術師のみならず、強い魔力を有していたり珍しい能力を持つ者は将来性を買われて重宝された。個々の力を伸ばすために、様々な措置が図られた。
これまで蓄積された大量の書物を閲覧でき、魔術の知識に触れられた。研究開発のための整った設備、珍しい素材や道具は、辺境の街で一人の師匠についているだけでは到底使えなかったものだ。
リータレーナは空を駆け巡って炎を操る実戦経験を積み、クスティは戦闘訓練の傍ら研究にのめり込んだ。王都周辺にいる凶暴な獣や魔物は、集められた魔術師たちの訓練によって大分数を減らした。
魔術師としての才能を伸ばすには最適な環境。だが他の遠方の街に比べたら王都に近い街出身とはいえ、クーユオの街に帰れるのは最初の一年は季節ごと、戦場に赴くようになってからは半年に一度程度になってしまった。
王都に集った魔術師を率いる上官は、招集した者たちに向けて何度も繰り返した。
「敵は我が国を脅かす化け物だ。魔物と同じだ。化け物を大量に倒せば英雄になれる」
国同士の争いを早く終結させるために、リータレーナは戦場の空を翔けた。王都で知り合った仲間、故郷の家族、街の住人、それから大切な幼馴染を守るため。そのために、多くの敵を倒した。
あれは人間ではない。知性なんてない、恐ろしい化け物だ。そう自分に言い聞かせて。
一部の戦果を挙げている魔術師が、味方からも畏怖され異端視されていることは知っていた。特に箔をつけるために戦場に出て後方で指揮を執っている貴族たちから、自分たちの活躍の場を取られたと思ったのか、遠回しに口さがないことを言われているらしい。
アンディスがローゼンブラド家の子息と言い合いになって揉めたことがきっかけで、さらに貴族から反感を買うことになってしまった。その後、魔術師たちは一般の兵士とは違う場所を拠点とすることになった。
王都からしばらく馬車で進んだ先にある森の奥に、研究に必要な設備と物資、人員は移されることとなった。
ある日、戦場から帰還したリータレーナは、魔術師たちが隠れ家としている洞窟の奥へ向かった。しばらく進むと整備された道になり、結界の先の奥は魔術師の住処兼、極秘の研究開発が行われる施設となっていた。
割り当てられた自室へ向かい、ローブを脱いだ。子供の頃着ていたものよりもずっと立派な、戦闘に適したローブ。防護魔術がかけられているから、痛んだり劣化したりするとすぐに換えが支給される。
腰に届く長い髪は、魔術が組み込まれた髪紐で結っている。いざというときに、即座に敵を攻撃できる――あるいは囚われた際に自死できる術がかけられたものを身に着けている。
そんな状態に慣れてしまっていた。最初は化け物を一体倒すたびに悪夢にうなされて沈み込んでいたのに、いまでは戦場を焼き払っている。
今日は多くの味方が倒れた。いや、違う。国のために尽くして英雄となった。敵の化け物は順調に減ってきている。このままいけば勝てるらしい。
「――だから、大丈夫」
机に置かれた鏡に向かってつぶやく。
ミシェレに会いたかった。子供の頃のように、幼馴染三人で森で過ごしたかった。いまでは子供の頃よりも体力も力もついたから、クスティにからかわれることもないだろう。
あの頃は、純粋に魔術を学ぶのが楽しかった。大人になっても辺境のクーユオの街で、家族や幼馴染に囲まれて過ごしていくのだと信じていた。その頃に戻りたかった。
そんなささやかで簡単には叶わない夢を抱きながら、リータレーナは眠りについた。
それから一年経っても国同士の争いは終わらなかった。戦場を翔ける白い翼の魔術師は、敵兵からは白翼の魔女、死を運ぶ天使などと呼ばれるようになっていた。




