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鏡写しの絶望 2

 仮面舞踏会当日は午後になっても日が出ず、空は厚い雲に覆われていた。


 数日前にファニーに言われたことに怒りを覚え、当日になるまで沈み込みもしたが、結局ラミは変装して、先に会場に向かったファニーを別の馬車で追いかけた。


 動物の顔を模した仮面をつけ、普段着ないような赤いドレスを着て栗色のかつらをかぶると、男の格好しか知らない社交の場で会った貴族からはラミとは思われないだろう。

 本来男の格好で行くはずだった場所に女装して行くのは、奇妙な感覚だった。


 ラミが到着したときには既に場は盛り上がっていて、相手がいる者は手を取り合って音楽に合わせて踊り、それ以外の者は会話に花を咲かせていた。


 集まった者たちは、各自趣向を凝らした目元を隠す仮面をつけている。動物を模したもの、鳥を模したもの、花や葉を象った飾りをつけたもの、宝石を散りばめたもの。


 多種多様な仮面を見て、ラミは嘆息した。貴族はみな、本心を押し隠したまま笑顔で他人と対面するものだろうに、これ以上顔を隠してどうするというのだろう。


 流れる音楽と漂う香水や酒の香り、それから人々のざわめきの中、ファニーを探した。しかしなかなか見つからないまま時間だけが経過していった。


 あまり気にしても仕方がないのだろうか。ファニーならうまくやっているだろう。案外婚約者や友人と行き会って、楽しく過ごしているのかもしれない。

 そう思いかけたところで、噂話が聞こえてきた。


「ハイメリン家の若者が子爵家の者たちに連れて行かれたらしいな」

「またか。しかし、呪われた子供なんて弱味があれば、目をつけられても仕方あるまい」


 ――ハイメリン家の若者。ファニーなら、令嬢と言うはず。


 嫌な予感がした。仮面舞踏会。目元を隠す仮面。


 ラミは祖父が亡くなってからこの春までにファニーより背が伸びたが、まだ並んで比べないとわからない程度の差だ。


 ファニーがラミのふりをして、この舞踏会に来ているのだとしたら。そして先日の貴族の少年たち相手に決着をつけようとしたのだとしたら。


「あの子爵家の後継ぎは、ハイメリン家の令嬢に懸想していたようだからな。その片割れが現れたら、よくも悪くも気にせずにはいられんのだろう」


 話を最後まで聞かず、ファニーを探しにその場を立ち去っていた。

 先日のラミのように、会場に近いがひと気のない部屋に連れ込まれているのかもしれない。以前聞いた下世話な話が頭を過ぎる。


 貴族の若者は優雅で紳士的などと誰が言ったのだろう。誰も彼も祖父と同じだ。自分と違う性別の者を弱く愚かな存在だと蔑視し、虐げるのが当たり前だと思っている。


 その思考と暴力性が合わさって、ファニーに向かったら。

 廊下から人々の悲鳴が聞こえてきて、ラミは肩を跳ねさせた。


「階段から人が……」

「ハイメリン家の子息か? いや、この子は――」


 人が集まり始めた階段の下にラミが駆け付けると、ファニーが階段の下で倒れていた。

 仮面が外れ、近くに転がっていた。落ちた勢いで銀髪のかつらがずれて、下から金茶の髪が覗いている。


 ファニーはラミが社交の場に着て来るような服で男装していた。青いリボンタイが口元から滴る血で赤く染まっている。投げ出された手足。足首は不自然な方向に曲がっていた。頭から血が伝っていて、顔にあざができている。


 周囲の者に呼びかけられても、ファニーは目を開かない。

 頭から血の気が引き、心が冷えていく。間に合わなかったことを、悟った。




 ファニーはラミのふりをして、先日ラミと一悶着あった貴族の子息たちと話をつけようとしたらしい。だが、彼らに話が通じるとは思えない。


 ラミではなくファニーだと知られて、自分たちの所業が広まることを恐れ、口を塞ごうとしたのかもしれない。彼らからしたら、階段から落ちて頭を打って死んでくれたほうが助かったのかもしれない。


 ――そんなことのために。


 ファニーは命は助かった。だが、足は完治するかわからないという。


 貴族社会は普通と違う者を排除しようとする。パーティー会場で欠損がある者など滅多に見かけなかった。既に地位と権力を得た者が名誉の負傷をしたのではない限り、欠落を持つ者など受け入れられないのだから。


 意識が戻って状態が落ち着いたファニーに会いに行くまでの屋敷の廊下が、処刑場への道かのように思えた。


 しかしこうも思う。糾弾され罵られ、片割れにすべてを否定されたら、この世に留まっている意味もなくなる。子供の頃から何度も思い描いていたことを実行に移す時が来たのだろうか。


 意を決して扉を開くと、自室のベッドに横たわったファニーは、物音に目を開けた。


「あら。遅かったですわね、ラミ」


 そして青紫の瞳を細めて微笑んだ。


「……遅いってなにが」

「お見舞いに決まっています。双子の片割れが怪我をして、顔を見せに来るのが家族の中で一番遅いとは何事ですか」


 ファニーのベッドに近づき、顔を覗き込む。彼女の笑顔が仮面のように見えた。仮面だとしても強がりだとしても――ファニーはラミを責めないことを選んだ。


 ラミのふりをして仮面舞踏会に行ったときのことも、今回の彼女の態度も、なぜラミにそこまでしてくれるのか、わからなかった。


 これまでラミは散々双子の片割れに皮肉げな言葉を浴びせていた。言い返して来ないのをいいことに、辛辣な言動を続けてきた。


 ファニーは生まれたときから恵まれていたから。同じ日に生まれた双子のはずなのに、彼女は貴族の令嬢としてうまくやっていけて、家族にも受け入れられていたから。幽閉されることなく、呪いを押しつけられることもなく、外へ出て行けて、なんでもできたのだから。


 羨ましかった。妬ましかった。ともすれば逆の立場になっていたかもしれないのにと、何度思ったかわからない。


 ――だから双子の片割れが酷い扱いをするくらい、いいじゃないか。


 そうやって、ファニーへの当たりのきつさを正当な権利かのように振りかざしていた。


 貴族の社交の場とは、家柄と教養と資質で武装した、家と家、個人と個人の戦場。実際に体験して、そう感じた。


 幼い頃から社交界に出ることを義務付けられたファニーが、辛い想いをまったくしなかったわけがない。


 そんな状態で、本来なら安らげるはずの家では、双子の片割れからは捻くれて鬱屈した言動を向けられてきた。


 ラミはファニーに好かれたいなんて思ってなかったし、好かれているとも思っていなかった。皮肉げな言葉を吐かれるのが嫌なら、かかわらなければいいのに。そうも思っていた。


 だがファニーは何度ラミに邪険にされても、離れの書庫に顔を出すことをやめなかった。趣味も話も合わないのに、他愛ない会話をすることを続けた。


 去年の祖父の死にファニーもかかわっていたこと。そして、今回の件。ファニーがここまでしてくれる理由が、わからなかった。


 血のつながりがある者に対する無償の愛。去年地下迷宮で、ラミはアスタにそんなものは存在しないと語ったのではなかったか。でも、これではまるで――。


 不意に押し込めようとしていた感情が決壊し、雫がファニーの枕の横に落ちた。


「ラミ……」


 ファニーの手が伸びてきて、その手を握る。つかんだ手にも、涙がこぼれ落ちる。寝間着の袖から白い包帯が覗いていた。


「大丈夫です。泣くようなことではありませんから」


 怪我の大元の原因となった者を前にしてそう言える強さは、ラミにはないものだと感じた。


 目元を拭ったラミは、ファニーに向き直った。髪の色の違う、あまり似ていない双子。けれど同じ色の青紫の瞳が、ラミを見つめていた。


「今回のことはわたくしが下手を打っただけですわ。ラミが気にすることではありません」

「ファニー……すまない。ぼくのせいで」

「謝罪も不要です」


「謝罪――そうだ、あの貴族の少年たちは」

「彼らを罪に問おうとしたら、ラミがやったことも追及されます。それに彼らの家は、ハイメリン家よりも爵位が上ですから」


 元から愚かなものだと思っていた階級などというものに、憎しみを覚えた。


「ラミがおじい様に幽閉されてきたことのように、受け入れないといけないこともあるのですよ」


 被害者は加害者を罰することはなく、泣き寝入りするしかない。

 そんな選択が貴族らしい優れたやり方だというのなら、いますぐこんな家は出て行きたかった。


 でもファニーがここにいるから、それは選べなかった。




 それからラミはファニーの世話をし、面倒事を率先して引き受けた。祖父が亡くなって以降も屋敷にいるときは離れの書庫に入り浸っていたラミだが、ここ最近はファニーの部屋にいる時間が大半を占めるようになった。


 社交の場には、あれ以来行っていなかった。両親もあんなことがあった後なのだからと、屋敷でファニーの傍にいることを許容してくれたようだった。


 これまで読んだ本の内容をファニーに話して聞かせ、部屋を花や絵画で飾った。ファニーは笑顔を見せてくれたが、まだ足りないと感じた。この程度ではファニーへの償いにはならないと。


 怪我の直後は憔悴しているように見えたファニーは、だんだん血色がよくなり、回復していっているように見えた。


 半月ほどした頃、ファニーがぽつりと言った。


「ハイメリン家の直系の血を残すのはラミの役目になりそうですわね」

「婚約者になにか言われたのか?」

「まさか。わたくしに問題ができただけです」


 目の前が暗くなった。怪我人を支える程度のことで、既に起こってしまったことが帳消しになるはずがなかった。


 あの一件はそれほどまでに致命的な事態を引き起こしていたのだと、いまになって実感してしまった。


 眠りについたファニーを、ラミはベッド脇の椅子に座って見つめていた。


 誰か、ファニーを助けて欲しかった。彼女を傷つけた貴族を消して欲しかった。そのためなら、命も未来も惜しくはなかった。


 打ちひしがれた状態でそう願うと、しばらくして薄いカーテンをかけた窓の外が陰った。鳥が羽ばたくような音がして、ラミは窓の外に目をやった。

 ファニーの部屋のバルコニーに、黒い翼を持つ影が降り立った。


「……きみは」


 腰を浮かせて目を見開くラミに、黒衣の人影が言葉を紡ぐ。


「彼女を助けてあげる。人の技術では治らない怪我も、元通りにしてあげましょう」


 澄んだ高い声で、静かにそう言われた。ラミの心中を当てるように、望みを口にした。

 直感的に理解した。人に甘い誘いをかけてくるものが、正しいもののはずがない。


「……見返りになにを望む?」

「一緒に世界を壊してくれるのなら」


 呪われた子供だと言われ続けてきた。魔女の姿を模してきた。いまならあんなものは、子供のごっこ遊びだったと言える。


 これが本物だ。なら、答えは一つだった。


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