心を染める青 2
身近にいた人間が苦手だった。人間関係を煩わしいものだと思っていた。だから目を背けて館に閉じこもっていた。
師匠も同じような考えの人だった。彼のやり方を引き継いで、ホムンクルスに雑用を任せて錬金術の研究や依頼をこなして、独りでも生きていけた。
それなのに作ったホムンクルスに意思が宿って、日々が変わっていった。興味深い観察対象だったはずの人工生命体が、特別な存在になっていった。
人間が苦手だから、人ではないものに惹かれたのだろうか。一種の逃避なのだろうか。
そうだとしてもこの日常が永遠に続くわけではないと知っているから、いまの時間が少しでも長続きすることを、望んでいた。
変化なんて望んでいない。手に入れたいなんて思っていない。それは相手の自由意思を奪うことだから。
やりたいことをやれと言った。抑圧したくない。束縛したくない。縛りつけてしまったら、アスタはアスタでなくなってしまう。
子供の頃の両親の様子を思い返す。婚姻も家族という制度も種の存続も、誰かが犠牲になるようではなんの意味があるのだろう。
――なぜホムンクルスにアスタの意思が宿ったんだろう。
活動年数は、あと八年ほど。ずっと一緒にいたいと、願ってしまっていた。
「よう、ヨルン。一人か? 珍しいな」
素材を買って帰る際、店が集まる通りでヨルンはヒスキに声をかけられた。
「そんなに珍しいことか?」
「いや、お前を街で見かけるときって大体アスタと一緒だから意外だな、と」
「そうか……」
溜息混じりの声が出た。そして知り合いのそうした状態を見逃すようなヒスキではなかった。
「もしかして喧嘩でもしたのか? さらに珍しいこともあったもんだ」
「喧嘩になった覚えはないんだが。……知らず、怒らせるようなことでもしたのかもしれない」
「まさかあいつ、家出でもしてんのか」
「そうじゃない。館にいるが……どうも避けられている気がする」
「あのアスタが? お前、なにしたんだ? あ、無理やり押し倒したとか」
「そういう軽口につき合う気力はない。またな」
手を振って帰路につこうとしたが、後ろから肩をつかまれた。
「まあまあ、そう言わずに。知り合いが困ってんだ。詳しい話を聞かせろよ。第三者から見たら、問題が解決するかもしれんぞ」
一見親切心あふれる言葉だが、完全に面白がっているように思えるのは気のせいか。
「いや、もうじき陽も沈むし」
「冬より日も長くなってきたし、ちっとくらい大丈夫だって。ほら、アスタに関する悩みをアスタ本人に話すわけにはいかんだろ? ラミもこの前街で会ったとき、これから社交で忙しくなるからこれまでのようにヨルンの館にたびたび行けなくなるって嘆いてたしな」
「それもそうか……」
「あ、例のお貴族様に知らせたら、知り合いの錬金術師がいつになく沈んでいるとは、と王都から飛んでくるかもな」
「やめてくれ」
ヒスキに押し切られて屋台近くのベンチに移動し、串焼きを一本差し出されたヨルンは、空がオレンジ色に染まっていく中、ここ数日のことをぽつぽつと打ち明け出した。
「腕をつかもうとしたら振り払われた? ……というかお前ら、そんな普通に手とかつないでんの?」
「……そういうわけでは」
普通にかどうかは知らないが、手をつないだことならある。だがそれを正直に言ったところで囃し立てられるだけになる予感がして、言葉を濁した。
「んで、怒らせた心当たりとかはまったくないんだな?」
「年に一度の作成した日くらい、もっと盛大に祝うべきだったか」
「いや、それで怒るようなやつじゃねえだろ、アスタは」
「食事くらい普段食べないものをと買い出しに行って、こんなに買っても食べきれないからと止められて」
「十分盛大に祝ってんじゃん」
「去年と同じでは駄目だったか。カティヤやディックのように、ドレスの一着や二着、さらりと贈ったほうがよかったのか」
「ヨルンが服とか贈っても、悲惨なことになる未来しか見えねえな……。ああでも、アスタの服の趣味も珍妙だし、案外ありだったのか?」
「身に着けるものといえば年下の先祖らしき少年に先を越され、その贈り物をアスタは毎日のように着けていて」
「待て待て、年下の先祖らしき少年ってなんだよ。お前大丈夫か?」
「詳しい話はアスタにでも聞いてくれ」
話し出したらすっかり冷めてしまった串焼きを、ヨルンは頬張った。
「にしても、なにが原因かよくわからんな。そうなるとアスタになにが悪かったのか聞いて、怒らせたようなら謝るしかないんじゃねえの」
「そうだな……」
「アスタのこと、好きなんだろ?」
しばしの沈黙の後、ヨルンは夕焼けを視界に映したまま、答えた。
「ああ」
「あれ、認めんのか。てっきりはぐらかすのかと」
去年やって来たディックに対し、本心を正直に語らなかったことを思い出した。その後、大分あれこれと痛いところを突かれたことも。
しかしいまはすんなりと肯定の返事をしていた。話している相手が違うからか、それとも年月の経過による変化なのだろうか。
「で、告白は? お前らの様子だとしてねえだろ」
「してどうする」
「アスタがホムンクルスだからとか余命何年もないから、とか面倒くさいこと言う気か?」
「それもあるが」
何度も繰り返し考えていたことを、ヨルンははじめて口にした。
「アスタには街に親しい人間が沢山いるだろう。僕にはアスタしかいないが、彼女の周囲には多くの人間がいる。大切な人がいるなら選べばいい。館を出て行きたいなら、好きなところへ行けばいいんだ」
隣に座るヒスキから、呆れたような溜息が聞こえてきた。
「お前、アスタのこと見てるようで全然わかってねえな」
「どういう意味だ」
「あの娘にとって誰が一番かなんて、聞くまでもなく、第三者からしてみりゃ明白だっての」
食べ終わった串が、ヨルンの手から地面に落ちた。
「誰だ?」
「本気で言ってるのか……」
「彼女の自由意思に任せるとは言ったが、あまりにも問題がある人間は反対するぞ」
ヨルンがそう言う視線の先で、ヒスキは頭痛を堪えるように額に手をやった。
カティヤに呼び出されたヒスキは、アスタが目覚めて二年目のお祝いを七日後にするからパーティーの準備を手伝うようにとお達しを受けた。
先日アスタが家にやって来た際、ネアの様子を窺いながらそわそわしていたのを思い出す。体調がいいなら誘ってくれようとしていたのだろう。アスタはそういう娘だ。
「最初は広間でする予定だったけれど、庭園の花を見ながら屋外で食事をするのもいいと思うの」
「雨や強風がなけりゃ、いいんじゃねえか」
「そういえばそうね。その日の朝にどちらにも対応できるようにしておくべきかしら」
といった打ち合わせをしつつ、ヒスキはカティヤの指示で使用人たちとともに別室にあった長テーブルを広間に運んで来た。午後は庭園の雑草むしりや掃除を仰せつかった。
昼を過ぎた頃、一食分でヒスキの普段の稼ぎが吹き飛ぶような昼食を出してもらい、令嬢とともに食事の席についた。
令嬢と平民が同じテーブルについて食事をするなんて、本来ならあり得ないことらしい。だが劇の練習をしていた頃に四人で一緒に食事をとった名残か、たまにカティヤに誘われる。去年辺りから、屋敷の仕事を回してもらった際にカティヤと二人で食事をとることも増えた。
「そうだわ。言い忘れていたけど、当日はヒスキも私が選んだ服を着てもらうわよ」
「ああ、なんつーかそんな予感はしてた……」
領主の屋敷で令嬢が開催するパーティーだ。平民の普段着というわけにもいかないだろう。
「ヒスキに似合いそうなのを見立てるわね」
「いつぞやの劇のような?」
「あれは竜を模した衣装でしょう。もっとパーティーに集まる来客のような服よ」
きっとカティヤの脳内には、貴族の子息がきらびやかな格好をしている様が思い浮かんでいるのだろう。それこそディックのように。
なんとなく、嫌な感じを覚えた。
「にしても、アスタがヨルンに作られてから二年、か。いつもは人間と大差ないと思ってるけど、そういう話を聞くとやっぱホムンクルスなんだって実感するよな」
会った当初は服装や髪型での印象を除くとアスタはカティヤと同じくらいの年に見えたが、いまではカティヤのほうが年長に見える。その辺りも、ホムンクルスと人間の違いを物語っているように見えた。
「そうね。ところでアスタとヨルンのこと、どう思う?」
「アスタってなに考えるんのかわかりやすいじゃん。進展があったら即座にわかると思わねえ?」
「そうよね。なんというか、じれったいわ」
「つっても周囲が焚きつけたところで、肝心の二人があの様子じゃなー。いまはヨルン曰く、なんか微妙な感じっぽいし」
そこまで言って、カティヤがにこにこしながら優雅にナイフとフォークを操っているのが見えた。なにか企んでいる顔だ。
「もしかしてパーティーでなんか……」
「そういえば、近隣の街で家宝の宝石を盗まれるという話が何件かあったそうよ」
唐突に変わった話題に、ヒスキは飲んでいたスープを噴き出しそうになった。危ないところだった。
「なんでこっち見ながら言うのかね」
「目撃証言によると、茶髪の男だとか」
「この国では茶色の髪が一番多いんだけどな」
「ヒスキとも長い付き合いになってきたことだし。一緒に演劇を成功させた仲間が悪事を再び働いているというのなら、刺し違えてでも止めないと」
「待て待て。なんでそう、どっかの物語の盛り上がり部分みてえな例を出すんだ」
確かに前歴はあるけれど。最終的に盗みはしなかったのだから、いい加減忘れて欲しいものがあった。
「つーか、本気で疑ってんの?」
「まさか。ヒスキって昼間はネアの薬代や生活費を稼ぐために忙しそうにしてるじゃない。別の街まで行って盗みを働く余裕があるようには見えないわ」
「そりゃどうも。信じてくれて涙が出てくるぜ」
だったらなぜそんな話題を出したのやら。知り合ってそろそろ二年経つ令嬢のことが、たまにわからなくなる。
「それにしても――私もここ二年ほどで、物語で書かれるような出来事をいくつか体験してしまったわね。屋敷に怪盗から予告状は来るし、雪が降り続いたときはお父様が対応に追われていたし、遺跡であんな事態になるとは思ってなかったし、地下迷宮に足を踏み入れたりしたし」
それから、とカティヤは続ける。
「――知り合いが武器を構えた騎士に追われている場面に出くわしてしまったし。あまりにも大変な事態はもうごめんだわ」
その時のことがヒスキの頭を過ぎる。切羽詰まって逃げていたときのことなんてよく覚えていないが、意識を失う前に朧気な視界に映ったカティヤの泣きそうな顔のことは、しっかり見たわけではないのに思い出せた。
「はいはい、お嬢様が好きなのは物語に出てくるような心躍る出来事だもんな」
「凄惨な出来事は舞台で見るだけで十分よ。それに多少事件が起きたり人が死んだりしても、幸せな結末になるほうがいいわ」
「幸せな結末、ねえ。そういやお嬢様って好きなやつとかいねえの?」
「婚約者ならいるわよ」
「は?」
むせそうになり、口の中のものをなんとか飲み込んで、思ったことを口にした。
「……初耳だな」
「そうだったかしら。まあ、そういうことよ」
滅多に食べられない高級な食事が、一気に苦くなった気がした。だがそれよりも、動揺していることに驚いた。
わかっていたはずだ。カティヤは領主の家に生まれた令嬢だ。自分のような平民の中でも貧乏暮らししているような住人とは、住む世界が違うのだと。
これまでカティヤはホムンクルスや錬金術師や平民と親しくし、演劇やハイメリン家の問題に首を突っ込むことなど、多少無茶なこともやってきた。
だがそれは、婚約者と結婚するまでの限られた時間の中だからこそ、許されていたことなのだろう。
この時間は、ずっとは続かない。そう思うと、かえって諦めもついた。
もしかしたら釘を刺されたのだろうか、とも思う。だってそうだろう。カティヤはある意味、ヒスキの命の恩人だ。
窮地に陥った者が手を差し伸べられ、その相手が美しい令嬢なら、住む世界が違う者だと理解しつつも好きになるだろう。花に誘われた昆虫のように、引き寄せられずにはいられない。
「大丈夫か? 嫁ぎ先で無茶しちゃ駄目だぞ」
「わかってるわよ」
「で、相手は演劇活動とか許してくれんの?」
「無理でしょうね。貴族の妻は社交と後継ぎを作ることが仕事だから」
ふうん、とヒスキは応じる。大丈夫、笑えている。食事の味がよくわからないことくらい、なんてことない。
「俺さ、お嬢様がいかにもな貴族の令嬢的な、自分の意思もなく家に従ってるような娘さんでなくて、すげえって思ってたんだけど」
「幻滅した? でも本人がどう思っていようと、貴族の家に生まれた以上、やるべき義務があるのよ。家同士のつながりのための結婚は最たるものね」
「そっか」
そういえば、カティヤは物語で語られるような胸躍る事件や怪盗や英雄といったものが好きだが、年頃の少女が夢見る筆頭、王子や貴族の子息に憧れるような言動は、ヒスキの前でしたことはなかった。
憧れたところでどうなるものでもないから、割り切っていたのだろうか。




