王都の夢見人 3
かくしてローゼンブラド侯爵の屋敷に、アスタたちは一ヶ月滞在することになった。
夕食を振る舞われて一泊し、慣れない客室で目を覚まして、アスタは昨日決定されたことは夢ではなかったのだと改めて実感した。
「アスタ様、お目覚めですか?」
「はっ、はい!」
思わず返事をすると侍女が入って来て、慣れた様子でアスタの髪を梳き、着替えさせようとする。
「あの、わたしは貴族のお嬢様ではないのでお気遣いなく」
「そういうわけにも参りません。ディック様の大事なお客様ですから」
議論している暇もあらばこそ、ドレスを着せられていた。昨日着ていた二着のどちらでもなく、ディックが用意したものらしい。パーティー用のドレスより落ち着いたデザインではあるが、どうにも落ち着かない。
「おお、やはり俺の見立て通り、よく似合うな!」
侍女に案内されて朝食の席につくと、ディックが寝起きとは思えない快活な声をかけてきた。
「あ、ありがとうございます。でも、わたしは普段生活するのにドレスなんて」
「やはり濃い色の生地だと白い髪が映えるな!」
自画自賛するディックに、昨日アスタに白と水色のドレスを着せたカティヤがぴくりと眉を跳ね上げた。
アスタはというと、冬に着ていたコートのようなパステルカラーが好きだ。だがこの場で好みを口にすることは憚られた。
ヨルンはアスタを一瞥してから、黙々と朝食を食べている。昨日パーティー会場へ行く際に着ていた服から上着を脱いだ姿で、髪もいつものように適当に結っている。
ある意味自己流を貫いている様子を見て、この屋敷の流儀をすべて受け入れずともいいのではないか、と思えてきた。
そうだ、自分たちは強引に滞在するよう勧められた身だ。そして最終目的は、ディックから珍しいホムンクルスを諦めさせることだ。
だから大人しく言うことを聞いているよりも、好き勝手して幻滅させたほうがいいのではないか、と考えたところで。
「ときにアスタ。なにか欲しいものや行きたいところはあるか?」
なんでも叶えてやるからここにいろ、と言わんばかりの問いかけをされてしまった。
「街に帰りたいです」
「王城へは行ったか? 王族の知り合いに取り次いでやってもいい。そうだ、確か近いうちに城で舞踏会があったはずだ」
「結構です……」
人の話を聞かないタイプの権力ある若者に対し、どう自分が有利になるように会話を進めたらいいのか、話せば話すほどわからなくなっていく。困惑しているアスタを余所に、ヨルンが口を挟んできた。
「アスタのことは他言無用で願いたいんだが。勝手に他の貴族に紹介するようなら連れて帰らせてもらう」
「なんと。ホムンクルスだと言わなくともか?」
「貴方がホムンクルスだとわかったなら、他の貴族も見抜けるだろう。変わったホムンクルスがいると知られたくない」
敬語を使ったところで無駄だと知ったからか、ヨルンはすっかりいつもの調子でディックにそう言った。
「ふむ、そうか。いいだろう」
意外にもディックはあっさりと要求を呑んだ。
「いまはまだ、ホムンクルスの所有者の意見を聞いてやろう」
その言い方は、じきに自分のものになると確信しているかのようだった。
「じゃあ、アスタ。僕が戻って来るまでは、くれぐれも単独行動しないように。カティヤや彼女の従者と必ず一緒にいてくれ」
「はい」
「なにかあったら実力行使もやむを得ないだろう。ホムンクルスはたまに暴走することもある。特に君はなにをするかわからないんだから」
「え、ええ……?」
「そうだな。いっそ痛い目を見れば、彼も諦めるかもしれない……」
「待ってください、そんな物騒な方向に作戦を練らなくても」
「王都の貴族の屋敷だぞ。これまでの常識は通じない」
「それはそうかもしれませんが……だ、大丈夫ですよ。一日くらい」
「一日目を離した際に、なにがあるかわからないから怖いんだ」
一度クーユオの街の館に戻るために荷物をまとめたヨルンは、割り当てられた客室でアスタを前にしてくどくどと注意事項を列挙していた。
ディックを大魔王かなにかだと思っていそうな物言いに聞こえるのは、果たしてアスタの気のせいだろうか。
本当に大魔王だったら、倒せば世界に平和が訪れる。しかし傲岸不遜の貴族相手に手を出したところで、こちらが不利になる結果しか見えなかった。
「一ヶ月後に答えを出すまでは、強硬手段を取って来ることはないですよ。契約書も交わしてたじゃないですか」
「ああ。だが……」
「ほら、カティヤさんのところの馬車を待たせているんですから。話し込んでいたら、今日中に帰って来られませんよ」
「そうか……そうだな」
ヨルンは名残惜しそうな顔で客室から屋敷の外に移動し、昨日買い込んだ素材を詰めた鞄を手に、馬車に乗り込んだ。
アスタは小さくなっていく馬車を、途中で行き会ったカティヤとともに見送った。
「今生の別れのような顔をしてたわね、ヨルン」
「いやまさかそんな……」
否定しきれないのが怖いところだった。
「私がいるんだから、そこまで心配しなくてもいいでしょうに」
「カティヤさんはカティヤさんで自信満々ですね」
ひとまず客室に帰ろうと屋敷に入って行くと、侯爵家の従者らしき若者から声をかけられた。
「アスタ様。昨日落とされたという帽子を拾っておきました」
昨日バルコニーから落とした帽子を差し出され、結局あの後取りに行っていなかったことを思い出した。
「あ、ありがとうございます。えっと……」
「私はディック様の護衛のロジャー・カヤスと申します。お見知りおきを」
栗色の癖毛の青年は大柄でがっしりした体つきで、鍛えていそうな風格があった。背丈だけならディックと同じくらいだろうが、筋肉の厚みが違う。
礼儀正しそうな青年に丁寧に挨拶され、アスタも名乗り返した。
「これから一ヶ月、お世話になります」
「はい。それにしても、ディック様に目をかけられるなんて幸運ですね。ディック様のものになれば、その後の幸せを約束されたも同義ですから。なぜ即ディック様のものになると承諾なさらなかったのか、不思議でなりません」
「えっ、それは……」
「ディック様はローゼンブラド侯爵家の次期当主であり、ご兄弟や同年代の貴族の方々と比較しても素晴らしい方ですよ」
「そ、そうですか」
「私は家が傾いて路頭に迷いそうになっていたところをディック様に拾われて、騎士として鍛錬を積ませてもらう機会を得て、身辺の警護をさせていただいております。子供の頃に差し伸べらた手がなければどうなっていたことやら」
「はあ……」
どうやらロジャーは随分ディックに心酔しているようだ。
聞いてもいないのに語られたエピソードから、ディックは困窮している人を救う行動ができる者だというのはわかった。
だがだからといって自分が売買の対象になっている状態では、いい人のようだから買われてもいい、なんて結論にはなれない。
というか、他人の都合を考えずに強引に自分の目的を達成しようとする人を、素晴らしい人の一言で片づけたくなかった。
「ですから、是非ともディック様の願いを叶えて差し上げてください」
丁寧なのに圧がある。最初はディックと違って礼節を重んじる従者だと思ったが、主に似て強引だ。主と同じく、悪気などなさそうなのがかえってたちが悪い。
「そのくらいでいいかしら? 私たち、客室に戻ろうとしていたのだけど。その後、滞在するのに入用のものを買ってくるわ」
助け船を出すようにカティヤが会話に入ってきた。
「必要なものがあるのなら、なんなりとおっしゃってください。最高級のものを用意させていただきます」
「ありがとう。でも、滅多に来られない王都で直接見て買い物をしたいの」
「そうですか。では、ディック様にお伝えしますね。馬車も出しましょう」
「いえ、お気遣いなく。アスタと私の従者の三人で行って来るわ。次期当主なら、色々とやるべきことがあるのではなくて?」
カティヤとロジャーの視線が交わる空中に、火花が飛び散っているのが見えた気がした。一見和やかな会話のようで、互いに一歩も引かない様子なのが怖い。
そういえばパーティーでは別行動を取っていたから、カティヤが貴族の令嬢として振る舞っているのを見るのは新鮮だった。
そのカティヤでさえ、格上のディックに対しては強く出られないあたり、階級社会というのは恐ろしいとアスタは思った。
「こんなところでなにを話し込んでいる? 戻って来たら屋敷の案内をしてやろうと思っていたのに、なかなか来ないから探しに来てやったぞ」
「ディック様!」
噂をすればなんとやら、ディックがやって来た。
「……案内は結構よ。客室と食堂の場所は覚えたわ」
「ならばアスタに案内してやろう」
「わたしはこれからカティヤさんと買い物に行こうと」
「店が開くのにまだ時間はあるが」
そういえば朝食を食べてから一時間ほどしか経っていない。
「さあ、行こうではないか。有意義な時間を約束しよう」
アスタの肩を抱くように連れ出そうとするディック。その後ろでカティヤが声を上げた。
「アスタだけ連れて行かないで! 私も行くわ」
侯爵家の屋敷は広大だった。パーティーを開いていたホールや客室がある辺りなどはほんの一角に過ぎず、様々な用途のための部屋がいくつもあり、敷地内には本邸のほかに離れや別棟も建っているという。
先祖から引き継いでいるという、逸話があったり美術的価値があったりする武器や鎧が保管されている部屋には、様々な剣や盾が並んでいた。
「どうだ、素晴らしかろう。この剣は二百年前の戦で数々の武勲を上げた英雄が敵を討ち取ったとされるものだ」
手を広げて賞賛するディックに、ロジャーが拍手を送る。
「さすがディック様のご先祖ですね。よくぞここまでのものを集めたものです」
「その英雄はローゼンブラド卿のご先祖だったりするのかしら?」
「いや、違うが?」
周囲を見渡すカティヤは、いまいち手持無沙汰にしているようだった。
「カティヤさん、英雄譚が好きだったんじゃないんですか?」
「英雄譚の演劇や物語は好きだけど、武器や鎧だけ見せられても楽しいわけじゃないと気づいたわ。アスタは?」
「装飾が凝っているものはきらきらしていて綺麗ですが、戦で使われたものと言われると少し怖いです」
来客たちの反応が予想と違ったのか、ディックは驚愕を見せた。
「なんと。先祖代々の収集品が不評とは」
「不評というわけじゃ……ええと、ローゼンブラド卿は」
「ディックでよい。様づけも不要だ。ヨルンのことを様づけなどしていなかっただろう」
「ディックさんは、こうした希少価値のあるものが好きなんですか?」
「うむ。しかしただ珍しいものであればよいわけではない。心躍るような逸話がついてなければな!」
自信満々にそう宣言し、期待できらきらと輝く瞳を向けられてしまった。
「……わたしには逸話なんてないですよ」
「意思を持つホムンクルスというだけで唯一無二のようなものではないか。アスタのような特殊な存在が傍にいたら、事件が起こり変わった者が引き寄せられて来そうだ。俺はそれを望んでいる」
「じ、事件なんて起きませんよ」
去年の秋に来た厄介な依頼人と、暦上では春になってもやまなかった雪や、精霊と分離した存在のことを思い出しつつ、アスタは反論した。そうだ、あれらは別にアスタに引き寄せられたわけではないのだから。
「実際、ヨルンは変わり者ではないか」
「そ、それは否定しませんが」
「二人であちこち冒険したりしなかったのか?」
「冒険、ですか?」
それこそ氷の城を探索したときくらいしか、それらしいことはしていない気がする。それにしたって、凶暴な魔物や凶悪な悪者を倒すようなものではなかった。
ディックが想像しているのは、この部屋に飾られているような武器を活用する大冒険の気がしてならなかった。
「ほら見たことか! 覚えがあるという顔だ」
「いえ、まだなにも言ってないんですが」
「アスタが体験した冒険なんて、近所の森にいる小動物と大差ない魔物を倒したくらいでしょう」
「魔物を倒しただと? さすがホムンクルスだな!」
「いや、だから鳥や兎に似た魔物です! ディックさんが想像しているような強敵じゃないですから!」
「なんだ、狩猟なら俺もよくやる」
「そ、そうでしょう。それにロジャーさんのような鍛えている方のほうが、わたしより確実に強いですよ。冒険をしたいのなら、そうした方と行ってください」
「冒険、か。最近では魔物が街道に出ることもなく、物語で語られるような事件が身近な場所で起きることもない。つまらぬ世の中になったものよ」
憂い顔でディックはそう言った。
「ロジャーさんと一緒に鍛錬に励めばよろしいのでは? 王都なら騎士団とかあるんじゃ……」
「父上は次期当主が必要以上に剣技を磨く必要などない、前線に出るなどもってのほか、という考えだ。勝手に諸国をまわる世直しの旅になど出たら、連れ戻されるのが落ちだ」
なるほど、禁止されているからこそ余計やりたくなる状況下にいるらしい。
前世でプレイしたRPGでは、王族や貴族が世界中を旅する話がいくつもあったように思えたが、それらは旅をするための目的や理由があったのだろう。
魔物や精霊が存在する世界でも、実際はしがらみや他者の干渉があって、なかなか物語のようにはいかないようだ。
行きたい場所に行けない、やりたいことができない。その気持ちはアスタにも覚えがあった。侯爵家次期当主でも、抱えている悩みは普遍的なものなのかもしれない。
「あの、ディックさん……」
「そうだ、我が侯爵家に伝わる逸話といえばあれがあったな!」
話しかけようとしたら、ディックが声を上げた。
「そうですね、ディック様。あれなら女性が見ても楽しいでしょう」
「ではいざ行かん、八百年前の伝説を受け継ぐ家宝の展示場所へ!」
憂い顔など一瞬のことで、高揚した口調でそう言うディックに、客人たちはついて行くしかなかった。