雪の中の幻影 5
城で三日以上経過したと思ったが、ヒスキによるとまだ一日も経っていないらしい。
そのことには安堵したが、暖炉の暖かさや飲み食いしたこと、休憩したことすら幻なら、これ以上ここにいるのは危険だ。
ホムンクルスなら多少極寒の中で放置されても、活動停止まではいかないだろう。だが人間はそうはいかないのだから。
城を探索しながら進んでいる中、ヒスキがぽつりと言った。
「夢にネアが出てきたんだ」
夢の内容を、ヒスキはかいつまんで説明した。
ヒスキを見送った後の部屋で、ネアが一人ベッドに横たわっている。兄に見せる気丈な顔と違って、泣きそうな顔に見えた。
――いい子でいないといけない。弱音なんて吐いちゃいけない。
――死んだら楽になれるかななんて、言ったらいけない。
――お兄ちゃんはわたしのために頑張ってくれているんだから。だから、笑顔でいないと。
――でも、時々それがとても辛くて、息苦しい。
ネアが思っていることが聞こえてきたんだ、とヒスキは溜息と共に述べた。
「ネアも冷眠病にかかってたりしてな」
「そんな……」
「近くでしっかり見ていてやればよかった。でも――俺が傍にいることがあいつにとっての負担だったら、どうすりゃいいんだろうな」
アスタは思考に沈む。怪我をしたときのことと、前世で感じていたこと。
「ネアさんの気持ち、わかります。心配してくれるのは嬉しい反面、うざいこともあるんですよ」
「うわ、ばっさり言うなー」
ヒスキが引きつった笑みを浮かべた。
「特に心配だからって、あれをするなこれをするなと行動を制限されると」
「うっ……」
入院していた頃のことを思い出す。親がかけた、身体が弱い子供を案じる言葉。最近はヨルンにも似たようなことを言われた。
身体は昔よりずっと丈夫になったはずなのに、なぜ似たようなことを繰り返しているのだろう。身近にいる人を、心配させているのだろう。
ネアも同じように、無力感を覚えているのかもしれない。
「でも大丈夫ですよ。ネアさんはヒスキさんに感謝しています」
「だったらあんな夢は――」
「頭の中ではなんでも考えます。後ろ向きなことも、身近な人への文句も、色々と」
ヒスキのほうを見て、アスタは微笑んだ。
「でも、口には出していないでしょう?」
「……ああ」
「ヒスキさんが大事だから、お世話になっているってわかっているから、表には出さないんです」
「……ならいいけどな」
それからしばらく城内を探したが、ヨルンは見つからなかった。
改めて城の中を調べたが、暖炉に火は灯っておらず、食料庫に生鮮食品なんて存在しなかった。やはりあれは幻だったのだろうか。人をここに留めるため、幸福な夢を見せるための。
「白いコートの少年がこの事態にかかわってるって言ったよな。そいつ、何者なんだ?」
神出鬼没で、館の中どころか夢の中にまで干渉してくる。あれがこの世界の一般的な人間にたやすくできることとも思えなかった。
「人間じゃなさそうな雰囲気でした」
「そっか。こんな氷の城を作り出せて人に夢を見せられるなら、そうなのかもな」
本に出てきた魔物や精霊といった存在をアスタは思い出した。彼は魔物が人の姿を取った存在だろうか。
この世界には魔物と称される、魔の力を持つ存在がいる。竜や不死鳥などの人智を超えた力を有する強大な存在から、人に狩られて毛皮や羽根を採取されている存在まで、様々だ。
以前ヒスキから説明され、そうしたことが書かれた本を読んで、アスタは不思議に思ったことがあった。
ヨルンが錬金術師として作成したホムンクルスや劇の仕掛けは、この世界の文明よりも高度に思えた。魔法で作り出した、と言われたらアスタなら信じる。そしてこの世界に魔物は存在する。
だが、この街に魔法使いや魔術師がいるという話は聞いたことがなかった。ここが僻地の街だから、そうした存在はいないのだろうか。
それとも錬金術師が作り出すものも十分魔法染みているので、この世界では魔法使いと錬金術師は同等の存在なのだろうか、と。
「でも、人間に害をなすような魔物は危険区域にいるって話じゃ……」
「国を越えるのには手続きが必要だけど、密入国する者は後を絶たねえ。人間でさえそうなんだから、魔物にもなんか抜け道があるんじゃねえか」
人と魔物の住む場所が区切られていても、完全なものではないということか。そもそも弱い魔物は近くの森にも生息しているのだから。
「魔物かどうかは置いておくとして。もしかしたら雪を降らせているのも、冷眠病を流行らせたのも、その少年なんでしょうか」
「じゃあそいつを見つけてどうにかすれば、季節外れの雪と冷眠病は解決するかもしれんってことか」
ヒスキが光明を見つけたようにそうまとめ、アスタは頷いた。
「さて問題は、どこにいるのかってことだが」
「はっ、ヨルンさんよりもあの少年のほうが居場所の見当がつきそうな……こういう城でラスボスがいるところといえば、玉座だと思います」
「らすぼす……? そいつはそんな名前なのか?」
「ああ、いえ。そういうわけでは」
そういえば白いコートの少年の名前を知らなかった。
それはともあれ、アスタとヒスキは階段を上がり、上階にあるであろう玉座を目指した。階段の先にある重厚な扉を開け放つ。
視線の先には毛足の長い青い絨毯が敷かれた広い部屋があり、立派な玉座がしつらえられていた。が。
「……いませんね」
謁見の間には誰もいない。がらんとした無人の部屋が、目の前に広がっていた。
「そもそもそいつはこの城の王様かなんかなのか?」
王様と聞いて、アスタは王冠を被って豪華なマントを羽織った、髭を生やしたおじさんを思い浮かべた。白い髭のおじいさんでもありだ。
それがこの世界の王様像かはともかく、あの少年の服装はそこまで豪華絢爛といった生地やデザインではなかった。
浮世離れした真っ白なコートは貧乏暮らしをしている平民からしたら高級に見えるかもしれないが、王侯貴族が着るような服かと言われると疑問が残る。カティヤのドレスや領主が着ていた服は、もっと装飾性が高かった。
「格好からは、王様には見えませんでした」
「なら、いなくてもしょうがねえな」
「城といえば玉座だと思ったんですが……」
「そう思うやつがいるから裏をかいたんだろ」
しかしこれで心当たりはなくなってしまった。心当たりといってもRPGのお約束にならっただけだが。
「他になんかねえのか? 下の階も大分探したけど、そんなやつ見かけなかったぞ」
「そうですね……白い髪とコートに黒いボタン、黒い目で、雪だるまみたいだと思ったことくらいしか」
「雪だるま? なら、図書室にもあったな」
「え」
「それにはボタンも目もついてなかった気がしたけど」
アスタは図書室に行ったときのことを思い出す。本に目を落として動かないヨルンに苦笑いしながら窓のほうに目をやると、室内であるにもかかわらず、窓辺の棚に小さな雪玉二つを組み合わせた雪だるまがあった。
外は大雪なのに、雪が少ない場所で無理やり作ったかのような、泥水でまだらになった小さな雪だるまが。
あのとき過ごした時間は幻だったはず――でも、ヒスキも目にしたという。それにヨルンはこの城の中では図書室さえあれば気が済むような研究の徒だ。ならば。
「図書室に行ってみましょう」
アスタの提案に、ヒスキも頷いた。
図書室はアスタの記憶通りの場所にあり、安堵した。
「こういうところって場違いな気ぃするわ」
そういうヒスキは図書室まで行ってもぎっしり本が詰め込まれた本棚から目を逸らした結果、窓辺の雪だるまが目に入ったらしい。
果たして件の雪だるまは、窓辺にそのまま置いてあった。よく見ると、茶まだらなだけでなく、薄い朱色になっているところもある。
ボタンも目もついていない、雪玉が二つ組み合わされただけの小さな雪だるまは、寒々しく静謐な図書室の一角に、置物かのように佇んでいた。
「……あなたがこの城の主なんですか?」
アスタが問いかけると、雪だるまに被さるように白いシルエットが生じ、少年の姿になった。彼は棚の手前にふわりと降り立つ。
アスタとヒスキは、探し求めていた白いコートの少年と対峙した。
少年は城の来訪者である街の住人二人を睥睨し、冷めた口調で問いかけた。
「どうして邪魔するんだ?」
その表情には、アスタが館の自室で会ったときに見た、人に寄り添う穏やかさは感じられなかった。
「ぼくはヨルンやこの街の人間の願いを、叶えてあげようとしているだけなのに」
「……館で会ったときも、そう言っていましたね」
「この街の住人は、きみたちのように前向きに日々を生きられる人ばかりじゃないんだよ。冬が長く、閉塞された僻地に生まれたことを厭う人だって沢山いる。ままならない人生を嘆く人もね。そうした人は、後腐れも痛みもない、静かな終わりを望むんだ」
少年の黒い瞳が、細められた。
「眠りについた住人の意思が、夢を通して氷の城に引き寄せられて来ている。終わりを求めて」
「ヨルンさんは終わりなんて望んでいません!」
「本当に?」
見透かすように、白いコートの少年は問いかける。
白い髪のホムンクルスが作られる前は、ろくに館から出て行くこともなかった錬金術師の少年。厭世的で他人に対して壁があり、人付き合いを煩わしいものと断じていた。
――そんなことが自由にできるなら、とっくにやっている!
死者の意思を持つホムンクルスを作れと命じられて、ヨルンが叫んだこと。
家族を亡くし、唯一の味方だった錬金術の師匠を亡くした少年は――寿命が尽きるまで日々を堅実に生きていくことを、望んでいただろうか。
「他人の願いを否定するなんて傲慢だ。彼はそうした言動をもっとも嫌う」
アスタの罪を、少年は暴き出す。思わず黙り込んでしまうと、ヒスキが声を上げた。
「それでお前の目的はなんだ? 街を雪で閉ざして、人の願いを勝手に叶えて、対価に魂でも要求するのか」
少年は首を振った。
「対価はいらない。雪を降らせることと、人の願いを叶えることが、ぼくの存在意義だから」




