表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

歴史とDNA

移動集団と定住集団

作者: とびうお君

 どうにも収まりがつかないのがC2B(旧C2C)とNだ。東北人の中心ハプロ。根本的な所でQ以外にもC2Aと過去に消えたC1Dなどのずれがあるのは、これが大きい。


 まずはC2とは何なのか?を考えてみる。その分布を見ると海岸沿いに偏っている。どういう経緯なのか?フィリピンにあるほどだ。偏って海岸沿いばかりに出る。もちろん後になってモンゴルトルコの広がりによって西方や中央アジアにもあるが、それらは内蒙古から広がったものだ。


 この内蒙古への移動が私を困惑させた。C2をまとめてアムール集団と単純に混ぜてしまったんだ。だが違う。C2Bはあくまで南の海岸沿いのグループで、そこから内陸に広がっていった事になる。それに対してC2Aは北方から西に向ってバイカル湖に進む途中で内蒙古にぶつかったことになる。


 彼らは同じ場所なんかに住んでなかったんだ。良く見ると分かる。この内蒙古とモンゴルの部分だけが重なっている。ここからブリヤートに移住したモンゴルの一部族の伝承が残っている。


 元々は海岸沿いに移動するグループだったが、東北アジアに来て淡水系の漁労民族に変化して内陸に進んでいく。そうじゃないグループはアメリカまで進んでいく。C2Aが高い奇妙な地域がアメリカにある。この移動経路に最古と言われていたクローヴィス文化を越える文化が見つかって、それは謎になっていた。


 年代測定の誤差か?と片付けられていたが、後の時代になって海岸ルートの別ルートが先行してあったと言う説が出てきた。ただこのグループ、Y染色体はC2Aが途中で止まってしまってるのだが、mtDNAはD1と言う系統だといわれていて、これは南米あたりまで繋がっている。不可解な部分はあるが、海洋型の漁労じゃないと彼らの食料の確保が難しいので元は海洋型だと思われる。


 C2の奇妙なボトルネックもこれで説明がつく。スンダランドの消滅か?何かしらの天変地異で津波でも巻き込まれて偏って海岸沿いに住んでいたため激減した可能性がある。


 後今はまだ証明されて無いが、C1かDの海岸移動の民族がおそらく先行してアメリカに向ったと思われる。D1は多分違う。ハプロの痕跡はおそらくすべて消えてしまっていると予想できる。ハプロ以外なら出てくる奇妙な古いタイプの遺伝子が存在する。それも多分最初の移住が海岸沿いだったため、C2の前のC1もおそらく海岸での生活者だったと思われる。


 C2はおそらくC1の生業をあまり大きくは変えてないと予想している。場所をピンポイントには的中できないが、アムール川あたりから下っていき南にいくとC2AからC2Bに海岸沿いに変化して言ったと思われる。それらが河を伝って内陸に移動していく形かと思われる。C2Bはおそらく大きくは移住地を変えてないと思う。ただ川沿いから平野に移ったぐらいで。


 問題はNだ。その前に犬の家畜化は東アジアと欧州と2つの起源地があると言う話がある。1つであると言う説もある。どちらにしろ、互いにかなり早い時期に犬を伴った集団だったようだ。Nはおそらく犬を家畜として北上したと見ている。この事が関係して、トナカイから豚に繋がったと見ている。


 その前にトナカイのDNAは家畜化して3000年程度しかたってないらしい。なんだとなるかもしれない。これで詰んだとなってしまう。私はそう見てない。トナカイはそもそも今でも遺伝的に変化した家畜と言えるのか?と言うと半家畜としてみてるようだ。その点家畜遺伝変化をしてないが労役に使っている象がいる。


 家畜遺伝変化が伴わないと意味が無いってわけじゃない。しかも、今でも半家畜状態の放牧が残っているため、象みたいな状態でずっと野生動物をコントロールしていた可能性がある。これがとても重要なのは、欧州の羊は系統が違う。古い野生羊のDNAがトルコに出て調べてると、欧州のDNAが出たそうだ。欧州の古代野生羊がキプロス島からDNAが出て調べてみるとトルコの消えたDNAと一致したそうだ。


 島に羊が勝手に移住するわけがない。人が移住させたという結論になった。そこで家畜の前段階に野生状態のまま遺伝的変化なしに近くに住まわせていた可能性が出てきた。でも全く違う場所じゃないか?この点は豚の家畜化は中国で独立してされたので、そういった技術は一致する可能性がある。


 あくまで可能性だが、家畜化の前段階になる技術を新石器時代前にすでにNは持っていたのじゃないか?と言う可能性。彼らと漁労文化のc2bが合体して新しいグループが出来たのじゃないか?


 その証拠として、おそらく漁労なんてしてなかっただろうアメリカ移住組のQと同一集団であるエニセイ川付近のエニセイ語族は牧畜とあわせて最近まで漁労をして居たらしい。


 これは全く違う文化だが繋がっている。エニセイ語族のケット族は北方では珍しいmtDNAのFが大量に出る。これを北方に運んだ集団は、O2かNになるわけだが、O2はほとんど出ない、だがNは多少出る。しかも過去フィンランドに向ったNの通り道になる。NとQはおそらく同一の狩猟集団だったと思われる。同じKと言うグループからNOとPが分かれてPからQが分岐する。


 元々は似た集団だった思われる。そのNが何故漁労をエニセイ語族に教えたのか?それはC2の影響じゃないのか?と私は見ている。牧畜と漁労というのはあまり無い。家畜と漁労ではない。牧畜と漁労はあまり無いんだ。エニセイ語族は最初にアンドロノヴォ文化を吸収した東のグループでそのまま遊牧民になったのがモンゴル高原のトルコ族だと思われる。


 トルコ=エニセイ語族じゃない。エニセイ語族もトルコの一要素だろうと。どっちが先だったのか?ならこれは難しい。アンドロノヴォ文化に吸収されたモンゴロイドがいるらしい。エニセイ語族は混じってるがベタなモンゴロイドと言うのは苦しい。おそらくアンドロノヴォ文化の方が先だと思われる。


 チュクチはトナカイの牧畜と海獣の狩猟に分かれている。ハプロは綺麗にNとQが出る。これは完全には生業が2つの集団ぞ祖としてるが、交じり合ってない常態かと見ている。Nは多分すべてじゃないが、漁労を吸収して溶け込んでしまった集団も多々あったと思われる。


 後ちと前置きになるけど、中国の豚は南部のものが大半らしい。あじゃ根底から覆るじゃないか?と見ていたら、民猪という満州地区の豚は野生化した地元の豚と南部の物や欧州の物を交配させたらしい。この野生化した豚こそが元中国東北人が家畜化した豚じゃないだろうか?この豚生まれつき寒さに強いらしい。南部の物が野生化したより、北方で家畜化された豚もいるが品種としては南部のものが主流になってしまっただけじゃないか?と見ている。


 これでN集団が漁労文化と一体化したが、豚の家畜化が得意だった流れが繋がったと思う。後はこれらの東北集団に東北奥地アムール川周辺あたりから寒冷適応に関係ある遺伝子が広まっていけば良い。最後にこの地域が寒くなる事で適応的に他の遺伝子はそれほど近い集団じゃない集団が似た形質を持った集団になったとなる。


 もう1つ重要なのは、何故ここに固まってしまったのか?で動けない理由を閉じ込められたとか書いたけど違うんじゃない課だろうか?漁労を軸とした定住型狩猟採集生活にC2B集団と結合してしまったために移動型狩猟集団であったNは動けなくなって寒冷適応せざるえなくなったのではないだろうか?


 何故この地域だけが寒冷適応したのか?それは寒い時期の定住こそがそのキーではないだろうか?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ