第42話 激闘
普段なら陽の光が大地を照らし澄み切った空気が風を運び暖かな空気を運ぶ時刻。
けれど今は太陽が黒い雲に覆われて薄暗く、流れ来る空気は吐き気を誘う不気味さが漂っている。
そんな中で大地を侵略し大海の大きなうねりの様に寺院を飲み込もうと勢いを増していく。
魔物の大群がラフテルの寺院を標的にしている事は、ここにいる全ての者が理解していた。
漆黒のうねりは南から北へ向かい速度を上げていく、進路上に在るのは寺院ただ一つだった。
その圧力は進路を遮る木々を押し倒し、そままま踏みつけられて粉々に砕け散る。
三メートルを超える巨大な転石は、洪水時の川に落とされた小石の様に漆黒のうねりに飲み込まれ、右や左へと軽々と転がされていた。
そんなうねりに向けて、俺は全速力で近づいていく。
その速度は疾風の様に早く、両手を左右に広げ剣を持つ姿は、小鳥が超低空で飛んでいる感じに近いだろう。
俺と魔物の距離が次第に少なくなり、終には接触を果たす。
普通なら小さな人間は簡単に弾き飛ばされ、木々と同等の運命を辿る予定だった。
しかし結果は大きく違っていた。
「変身!」
俺は決意の込めた声でスキルを発動し、魔物の大群にヘイトの魔法を掛ける。
すると俺を中心に数十メートル範囲の魔物達が突如、標的を寺院から俺に変更し進路を変え突っ込んできた。
俺はすぐさま直角に急旋回すると、うねりの前を横断するように走り抜け、一定の距離を走った後、再びヘイトのスキルを唱えた。
その後、何度も何度も変身を上書きをした俺の後方には、数百の魔物が追いかけてくる、地獄の様な状況が出来上がる。
「そろそろいいか!」
走りながら後方を見ていた俺が突然立ち止まり、今度は追いかけてくる魔物に向かって飛び込んだ。
そして数秒間の内に先頭にいた狼に似た魔物を数匹倒す。
だがヘイトの効果が効いている魔物の数はまだまだ多い。
魔物達は我先とばかりに俺に向け鋭い牙で襲い掛かる。
それを上手く回避するとすれ違いざまに、狼の魔物の首筋に剣を叩き込んだ。
いくら俺が大軍と戦い慣れていると言っても、一度に倒せる魔物の数は限られている。
本来ならヘイトが掛かっていない魔物は、今頃寺院に殺到している筈だった。
だが俺の行動が戦況を大きく覆した。
俺が引き連れた数百を超える魔物達が、進行する魔物の前を横断し後方の魔物をせき止める形となっていたのだ。
それは大しけの荒波が岩場にせき止められる感じに似ている。
岩場に当たり、天高く波しぶきが飛び散る様と同様に、後方から迫る魔物の圧力に押され中間層の魔物が宙を舞っていた。
「よし!上手く行った。これで少しは寺院にたどり着く魔物の数が減る筈だ。ムサシ後は任せたぞ…… リディアを守れ!!」
俺はせき止めの魔物が減るとヘイト魔法の上書きを繰り返し、また新しい壁を作り直す。
まだ終わりが見えない魔物をたった一人で殲滅しながら、俺は戦場を縦横無尽に走り続ける。
★ ★ ★
ムサシがいるのは西門だった。
城壁に取りついた魔物は塀を上ってくる為、魔物を迎撃する為に塀の上にも多くの僧たちがいた。
クラウスの戦いを目にした者全員が驚きの表情を見せている。
最初、最悪の状況下に叩き落された絶望感で、気が狂った一人の老人がおかしな行動をしている。
クラウスを知らない多くの者はそう思っていた。
だが現状は多くの魔物を一人で引き連れ、それを利用し魔物の進行を止め、更には魔物の群れへと果敢に攻め入っている。
信じられない衝撃が見た者を貫く!
人は余りにも信じられない事に遭遇すると思考がとまる。
正に彼等は口をポカーンと開き、クラウスの激闘をただ見つめていた。
「魔物だ魔物が塀に取り付いているぞ!」
だが人々を正気に戻す魔法の言葉が辺りに響きわたる。
クラウスが作った防壁を突破した魔物の一部が、石壁に体当たりし弾かれると、次はしがみつきよじ登ろうとする。
その数は数十匹と前線に比べると少ないが、少ないながらも継続的に魔物は寺院へと詰め寄って来ていた。
「早く矢を放て!」
「こっちは登ってきたぞ!」
「誰か応援呼んでくれ!」
各地で始まった小競り合いは、次第に寺院全体へと広がって行く。
その中でムサシは塀の上に登り来る魔物を一刀両断しながらもクラウスの戦闘を見続けていた。
「クラウス様は本当に我々と同じ人種なのだろうか? まさか彼は神々が遣わせた現人ノ神……?」
その時ムサシは自分の無力を痛感させられていた。
若い頃から武神と呼ばれ、戦いで負けた事は一度たりとも無く、得たスキルは神に愛されし技。
だがムサシは慢心すること無く、日々鍛錬に励んでいた。
だから自分は強いと言う自信もあった。
世界を救う為、救世主と共に歩く為に鍛え続けた。
その自負が一人の老人に粉々に粉砕される。
最初、手を抜いたのは事実だが決して油断した訳では無い。
けれど結果は、完敗としか言いようがないものであった。
ムサシはそれを経験の差だと考えた。
相手は年老いるまで鍛錬に励んだ武人で洗礼された技にやられたと……
だから敬い。指導を受けたいと考える。
しかし目の前で繰り広げられる状況はそれだけで説明出来るものでは無い。
止まる事無く動き続ける運動量。
風の中を舞う種子の様に風に乗り、流れる様な動きで敵をかわし続ける空間認識力と実行する判断力。
魔物の急所を的確に狙い実行する正確さ。
一体どんな修羅場を潜ればこんな力が手に入るのだろう。
その時ムサシはハッと思い返す。
それ程の達人と交わした大切な約束を。
リディアを守ってくれと言われた事を……
「駄目だ! 抑えきれない!!」
その時、遠く離れた一角が魔物に突破されそうになっていた。
普通に走っていては間に合わない。
そう判断したムサシは手を合わせ呪文を唱えた。
「風の神アトラスよ我にその神力を与え給え!」
するとムサシのブーツに小さな羽根が生える。
そのままムサシは塀の上を疾風の如く駆け抜けた。
「ここは通さん!!」
襲われている僧を助ける為に魔物の背後から剣を斬りつける。魔物は倒され地に落ちた。
「大丈夫か?」
「武神様、有難うございます」
「何としても寺院を守るぞ!」
ムサシは寺院内を絶え間なく駆け巡り、兵士たちを助け鼓舞してまわる。
どんなに疲れてもムサシは走り続ける!
あの方に近づく為に、あの人との約束を守る為に!!
★ ★ ★
一番戦闘が激しいのは南側にある正門であった。
その場所はクラウスが逃がした魔物が最初に到達する場所。
既に外壁は魔物の爪あとでボロボロになっており、いつ崩壊が始まっても不思議ではない。
そこで指揮を取るのは神官であるドロアだ。
彼は今、武具に身を包み、己も武器を手に取り戦っていた。
「此処を通させたら寺院は終わりだ。何としても死守するのだ!」
魔物を串刺しにしたままそう叫ぶ。
その声は、魔物との戦闘で喧騒となっている戦場の最中でも、不思議と体に染みこむ。
更にその声の範囲は寺院全体にまで達していた。
それがドロアのスキルである。
彼の声は遠くまで届き、またどんなに騒がしくても伝える事が出来る力。
だがそれはマインドコントロールの類の物では無い。
ただ届けるだけのシンプルな物だが、彼はその力でこの地位にまで上り詰めた。
ドロアが守る正面側からはクラウスの戦いが一番良く見える。
その光景を目の当たりにし、自分が恐れ多い頼み事をしていた事にドロアは気づいた。
「きっとクラウス殿は神がこの逆境を跳ね除ける為に使わされたのだろう」
何としても寺院を守りぬく。
決意を新たにし、ドロアは傷つきながら戦う者達に更なる鼓舞を与える。
「下を向くな! 前を見ろ! たった一人で戦う彼の姿を。我々は数年後には魔物との長き戦いを終わらせる為に立ち上がる事を忘れるな。こんな戦いも乗り越えれなくて何が世界の開放だ。神に見せてやろう我々の強き意志を!」
「ウォォォーー」
鼓舞に応えるように地響きのような雄叫びが寺院中に鳴り響き渡り、僧達に活力が戻る。
★ ★ ★
俺は宙に飛ばされた魔物に目掛けて飛び上がると、足を掛けて更に高く舞い上がった。
スパイダーのスキルはこんな事も出来るのかと、ぶっつけ本番で試してみた俺自身も感心する。
数匹の魔物を足場に空中を飛び回り、上空から狙いの場所を探す。
そして魔物が最も密集している場所を見つけると、両手に持つ剣を回転させプロペラの様に回転しながら、魔物の群れへと飛び込んだ。
その結果、魔物が侵略し黒く染まっていた大地に本来の色が現れる。
それは正に台風の目の様な感じだ。
だが代償はそれなりにある。
無理をして魔物を倒していると剣の損傷が激しくなってしまう。
切れ味の鈍った二本の剣を正面の魔物に投げ飛ばし、瞬時に数匹を串刺しにする。
一瞬にして数匹の魔物を倒した俺が次へ移動しようとした時、頭の中でファンファーレが鳴り響いた。
「またレベルが上がった! これでまだ戦える。だけどこれ程の魔物が現れるって事はもう野良ダンジョンから湧いているとしか考えられない。三つのダンジョンの魔物…… 何匹産まれる気なんだよ!!」
バックの中から二種類のポーションと取り出した俺は、それを一気に飲み干し、先程よりも速い速度で動き出す。
この戦法を見つけてからの俺の状況は確実に楽になっていた。
空を飛ぶ魔物がいない今回、空中は唯一無二の安全地帯だ。
周囲を見渡し把握する時間と考える時間が、俺の動きに益々磨きをかけていく。
そんな戦いを続ける中で動きよりも思考が加速し、鋭くなる感覚を俺は実感していた。
加速する思考の中で俺は思い返す。
何故こんなに必死に戦っているのか?
最初は、勇者マリアに復讐する為だった。
旅に出て最初に出会ったのがリディアで無ければ、俺はどんな冒険者生活を送っていたのだろう。
きっと平々凡々と魔物を狩り続ける、そんな退屈な日々なのだろうか?
「だけど今は違う!」
誰かを守ると言う使命感。
命を掛けて戦うと言う緊張感が俺の中で全ての感覚を鋭くさせていた。
そんな状況で戦い続けていると再びファンファーレが頭に響く、先程からレベルと職業のレベルが何度も交互に上がっている。
覚えているだけでも四回は聞いている。
戦い続ける事に軽くなる体と溢れだす力が、俺に戦う活力を与え続けていた。
★ ★ ★
それから数時間後、六本持ってきた剣も残りは二本となっていた。
焦る気持ちを押し殺し、大きく空中にジャンプした俺が戦場を見下ろし呟いた。
「魔物の数が見た目で解る位に減っているぞ。最初は千匹を超えていたが、もう三百程度しか居ない。これなら最後まで行る!」
ゴールが見えた事によって俺のピッチも上がる。
今迄で最も速く、最も力強く戦場を駆けまわった。
「ガァァァァァァァー!」
突然、俺の背後から地響きの様な雄叫びが聞こえる。
それに気づき声がする方へ視線をむけると、目の前には灼熱の炎が襲いかかって来ていた。
必死に体を捻り炎を回避するが、片足が炎に包まれる。
「ぐぅぅぅぅっ!」
転げ回りながら近くの魔物にぶつかり、勢いが殺された。
魔物は棚から牡丹餅を頂く様に鋭い牙を俺の首元に食らいつこうと開いた。
「ギィィィーギャッアァぁー」
何とか剣を振り抜いた俺は魔物の首を切断し難をのがれる。
そしてポーションを足に掛け必死に立ち上がった。
「まだだ。まだ俺は戦える。だが今の攻撃は誰が? えっあの巨体は…… ちくしょ~ 何と言う事だよ…… まさかダンジョンマスターがダンジョンから出てきたのか!?」
目の前には周囲の魔物を喰らいながら進んで来る。
大型のトカゲの魔物が暴れていた。
更にその両サイドには同型の蛇と狼の魔物も暴れまわっている。
「ダンジョンマスターが三匹同時に…… しかも彼奴等、狂ってやがる」
絶望的な状況に俺は体が震え出すのを必死に抑えていた。