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episode06
一人ぼっちの卒業検定
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レオニスと二人で遺跡に赴いた日から瞬く間に三ヶ月が過ぎ、季節は冬になろうとしていた。
そこまで寒さが厳しくないこの地方においても、朝晩の外気はきりりと肌を刺すように張り詰めているものだ。
早朝。訓練所の中庭に出た私は、悴んだ手に息を吐きながら、黙々と素振りを繰り返していた。
普段は静けさに包まれているこの場所も、模擬戦を数日後に控えたこの時期は、思い思いの武器を手に稽古に熱を入れる人の姿が多く見られる。私も、そのうちの一人だった。
時折吹き付ける風は、凍えるほどに肌寒い。素振りをするたびに吐き出される息は真っ白で、相当気温が下がっているんだとわかる。
「頑張っているじゃないか」聞き慣れた声に振り返ると、そこにはレオニスが立っていた。「明日、卒業検定なんだってな。そりゃあ、熱も入るか」
努力の甲斐あって、一番上の階級まで上り詰めていた私は、明日の午後、傭兵訓練所を卒業する為の検定試合に挑む。ここで勝利することができれば、いずれかの傭兵部隊への斡旋が得られることだろう。
「そういうあなただって、明日でしょう?」といったん手を休めて言った。
偶然か、それともなにかの運命か。彼の卒業検定も、同じ日に予定されていたのだ。
周囲にキョロキョロと視線を巡らしたのち、小声で私は口添える。
「……同じ部隊に配属されたら、いいのにね」
「僕は、今回はダメかもな」
「え?」
その声に驚いた私に、レオニスは自身の右足首を見せた。幾重かに包帯が巻かれていて、痛めたのだとひと目でわかる。
「昨日、階段から足を踏み外してしまってね。その時に捻ってしまったんだ」
「大丈夫なの……? その状態で、明日、試合できるの?」
私が伺いを立てると、彼は笑いながら答えた。
「せっかくここまで頑張ってきたんだ、今さら棄権なんてしないよ。なあに、やれるだけやってみるさ」
「くれぐれも、無理はしないでね」
膝を折ってしゃがみ込むと、彼の足首の様子を見る。少し腫れがあるようだ。痛みの度合いは本人にしかわからないが、強く踏ん張ると、やはり痛みがでるだろう。
「こちらから積極的に手を出さず、相手の動きに合わせた方がいいと思う。痛みの無い左足を軸にして、円を描くように対処していけば勝機はあるよ」
そうアドバイスをして、私は立ち上がる。
しかし彼は無言のまま、私の目をじっと見据えた。間近で視線が交錯すると、緊張で背筋が伸びてしまう。どうにも気恥ずかしくなって、こちらから視線を外したそのとき――彼は、私の背中に手を回して抱き寄せると、素早く唇を重ねてきた。
それは、余りにも突然の出来事で、彼の瞳を凝視したまま固まってしまう。柔らかい唇の感触だけが、私の頭のなかを支配していく。
その行為の意味を理解したころには、彼の唇はもう離れていた。
「ごめん。その、出来心みたいなものなんだ。忘れて欲しい」
さっきあれほど見つめてきた瞳は、もうこちらに向かない。逸らされた横顔の、耳たぶがほんのり赤くなっている。
心臓が早鐘を打ち始める。顔が上気して熱くなる。
こんなときの、リアクションの仕方を私は知らない。何もかもが未体験の出来事で、たた俯くことしかできない。
「もう。いつも、いつも不躾なんだから」と私は不満を述べた。「でも……別に、嫌じゃないし──なんか、忘れちゃうのは……嫌だ」
ようやく口にしたその声は、自分でも驚くほどに小さい。レオニスの顔を見れないので表情まではわからないが、きっと私と同じように、バツの悪そうな顔をしているのだろう。
「雪……」
レオニスの声に顔を上げると、ゆっくりと白いものが舞い下りて来るのが見えた。
次第に降る数を増していく雪を、二人で眺めていた。外気は肌を突き刺すように凍えていたけれど、私の心はほんのりと熱を帯びていた。
そうか……卒業してしまえば、もう彼とは会えなくなるかもしれないんだ。ふと、その事実に思い至ると、彼の横顔を盗み見た。
でも、そんなに寂しくは感じなかった。たとえ今ここで離れ離れになってしまったとしても、必ずまた二人は逢えるから。再会の日は、必ずくるから。
……そう信じていたから。
* * *
しかし、そんな私の淡い期待や弛緩した心を打ち砕くかのように悲劇は起きる。
翌日の午前中に行われた検定試合の中で事故が発生し、レオニスは突然この世を去ったのだ。
彼の死因は、頭部への打撃による内出血。
相手の攻撃を受け流したとき足が滑り、バランスを大きく崩した。そのため受け身をいっさい取ることができず、相手の木剣が額の周辺にまともに強く当たったのだという。
それは、彼の実力を考えると、信じられないような事故だった。偶然にも相手の木剣が当たった箇所は、遺跡に赴いたあの日、魔族が指を触れたのと同じ場所だった。
あの日、魔族に受けた呪いのことを、鮮明に思い出していた。
きっと──無関係ではないんだ。
彼の頼み事を聞いて、遺跡なんかに行かなければ。
魔族なんかと出会っていなければ。
……いや、違う。それはただ、現実から目を背けているにすぎない。
魔族に付け入るスキを与えてしまった私の弱い心が、自分の身代わりとなった彼の命を奪ったんだ。全部、私の責任なんだ。強い自責の念が、胸中で渦巻いていた。
* * *
「大丈夫か? 顔色が悪いようだが、やれるか?」
教官の声で我に返った。どうやら私は、相当青褪めた顔をしているらしい。
「大丈夫です。棄権はしません、やれます」
首を振って状況を頭に叩き込む。
突然の彼の死を受け入れられないままに、私は卒業検定の舞台に上がっていた。
あまりのショックの大きさに、棄権してしまおうかと最初は考えた。けど、甘えた考えは即座に捨て去った。私は戦う必要がある。志し半ばで命を散らした、彼のぶんまで。
私の対戦相手は、十八歳と同い年の少年アルルード。かつて私がその実力を認め、あっさりと勝ちを譲った相手だ。
両手持ちの木剣を武器として選んでおり、鋭い打ち込みとコンビネーションが持ち味の難敵だ。
身長は百七十と少しくらいか。別段恵まれた体格ではないが、技量の高さも経験においても、間違いなく訓練所内でも一~二を争う強さだろう。
一方で私の体躯は、精々百五十あるかないかという小柄なもの。大方は、彼が勝つものと予想していることだろう。それはいい。厳しい戦いになることは最初から覚悟している。実際のところ、スピードを上手く生かして立ち回らないと、私に勝機はないだろう。
「始め!」
教官の声と共に、卒業検定が始まる。
槍の穂先を相手に向けたまま、慎重に間合いを詰めて行く。リーチではこちらが勝るものの、懐に入り込まれると厄介だ。足場が砂地であることと、相手との距離に充分気を配る必要があった。
私が強く地面を蹴ったのを合図に、応酬が始まる。
初手はこちらから仕掛けた。相手の脇腹付近を狙った鋭い突きを、二度~三度と立て続けに繰り出していく。しかしその攻撃は、剣の腹で弾くように方向を逸らされた。間隙を縫うように相手が踏み込んで来たが、穂先を素早く引き再度突く事で接近を許さない。
しばらくは、この攻防が続いた。
痺れを切らしたように彼は、回り込もうと横に移動する。そうはさせじと円を描くようにステップを刻み、相手の姿を常時正面にとらえ続けた。
彼はいったんバックステップすると、強い踏み込みと共に横薙ぎに剣を振るった。力で圧倒しようという考えか。
右に体を捻りつつ、槍の穂先で受け流す。間髪入れずに、直線と斜線を織り交ぜた攻撃で応戦する。
突きを弾き続けたことで、握りが緩くなったのだろうか。相手が両手剣を握り直すのが見えた。
──行ける!!
そう感じてしまったことで、私の攻撃に隙が生じた。強く踏み込んで放った私の渾身の突きを、相手は受け流す事なく大きなステップでかわした。
しまった誘いだった、と気付いたが時既に遅し。そこから回転を加えて繰り出された横薙ぎの斬撃が、私の右腕を激しくとらえる。強い痛みが右腕を襲い、思わず顔をしかめる。
一度下がって距離を取ると、右腕の状態を確認した。二の腕が大きく腫れている。たぶん、酷い内出血があるに違いない。
今までの私だったら、これで戦意を失っていたな。ふと、そんなことを考える。
『目の前の困難に全力で立ち向かう事、そして絶対に諦めないこと』
レオニスの言葉が、私の脳裏に浮かんだ。
私は彼との誓いを胸に、この場所に立っている。だから絶対に、勝負を捨てるわけにはいかないんだ!
「分かってるよ、レオニス。私のこと、ちゃんと見ててよね……!」
もう一度槍を構え直すと、なるべく小さい攻撃の軌道になるよう修正を試みる。続けて有効打を奪えないことで、次第に相手にも焦りが見えてきた。
何度目かの突きを弾いた直後、相手がバランスを崩すのが見えた。私は畳みかけるように、強く踏み込んで突いた。
だがこれも、相手の誘いだったらしい。即座に踏ん張ると彼は、今度は先程と逆方向に大きくステップを踏んで、攻撃をかわそうと試みる。
でも、その動きは予測の範疇。一度見せた攻撃のパターンであれば、対処するのも比較的容易い。
そして私は、ここまでの攻防で気付いていた。スピードにおいては、自分の方に一日の長があるという事実に。
「――舐めないでよね。おんなじ手は食わないよ!」
突き出していた槍の穂先を途中で止めると、横方向に薙ぎ払う斬撃へと切り替える。
咄嗟に彼は刀身を立てて受け止めようとするが、体重の乗った攻撃を防ぐのは難しい。私は相手の長剣を弾き飛ばすと、槍の穂先を彼の首筋に当てた。
次の瞬間、私の勝利を示す旗が三本上がる。
「はあ……はあ……」
疲れがどっと押し寄せる。槍にもたれながら立っているのがやっとで、いつの間にか、息も上がってしまっていた。
予想を覆す結果に、大きな歓声があがる。しかしそれは……次第にどよめきへと変わっていった。
周りの反応の変化に、私は自分が泣いている事に気が付く。拭っても拭っても大粒の涙が零れてきて止められない。自分が嬉しくて泣いているのか、悲しくて泣いているのか、全く理解できないまま泣き続けた。
こんなに本気で泣いた事があっただろうか? それほどまでに、私の視界が強く滲んだ。
──笑ったほうが可愛いよ。
レオニスの言葉が思い出される。
ごめん無理だよ、笑えない。
本気で笑いあったあの日も。
悲しくて涙がとまらなくなった今も。
全ては彼が居たからなんだということに、気がついた。
いつの間にか──私の中で彼の存在は、大きくて特別なものとなっていたのだ。
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