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*:.。.:*゜二人だけの約束*:.。.:*

*.○。・.: *


  episode05


       二人だけの約束


           * .。○・*.


 弛緩していた空気は一変し、張り詰めたような殺気と緊張感が、その空間を支配していた。

 声の主は、探す必要もないほど自然に。しかし圧倒的な存在感を放ちながら、その場所に立っていた。 

 容姿は、成人女性のそれと良く似ている。だが、肌の色は薄い紫色であり、頭部には二本の角が生えている。背中にあるのは、蝙蝠を連想させる暗褐色の翼だ。

 一目見ただけで、人ならざる者であると理解できる禍禍しい姿。手のひらは自然と汗ばみ、唇がわなわなと震えた。


 ──彼女は敵なのか? 味方なのか? ……そもそも、いつからそこに居た?


 ほんの僅か、気持ちが緩んでいたのは確かだ。それでも、最低限のアンテナは張っていた。周囲への警戒を怠っていないつもりだったのに。


「魔族だ──」と潜めた声でレオニスが言った。「抵抗する素振りは見せないように。残念だけど、僕たちの手に負えるような相手ではない」


 魔族というのは、魔界と呼ばれる場所に住んでいる者たちの総称だ。彼らは時々、人間たちが住んでいる物質界にも姿を現すが、その多くは人間たちに敵対的であり、畏怖すべき対象だった。

 その膂力(りょりょく)および魔力は、並みの人間ができるものでは到底なく、彼らとの遭遇は、即、死を意味する。


『この辺りに眠っている、「とある魔法装置」を探しているの。それは、自分が望む場所に、地震を発生させる力があると言われる代物。なにか心当たりとかないかしらね~』


 鈴を転がすような魔族の声は、澄んだ音色でありながら、同時に強い威圧感を放っていた。


「生憎と僕たちは、まだまだ駆け出しの冒険者だからね。この区画を見つけるのだけが目的なので、魔法装置なんてものには興味もないし、心当たりもないね」


 相手の神経を逆撫でしないよう、努めて冷静な声でレオニスが応じる。

 魔族は唇に手を当てて、『んー』と考え込んだ。


『……どうやら、その言葉に嘘はなさそうね。やっぱり、こんな辺鄙な神殿跡じゃ、あんな魔法装置が眠っている訳もないか』


 落胆した魔族の瞳と、私の瞳がかち合う。次の瞬間、魔族の目が、イタズラを思い付いた子どものように細められた。漆黒の闇のごとく瞳のその奥に、邪悪な光が宿ったように見えた。

 ――怖い。

 恐怖が足元から登ってきて、怯えたように顔を逸らした。

 この瞬間も、優先権はあちらにあるのだ。魔族が私たちの命を奪おうと願うならば、それこそ、両手の爪を二度振り下ろすだけで済む。あまりにも雑作なく、二人の命は奪われてしまうのだ。

 私の心中で、様々な感情が渦巻き始める。

 父親は死んだ。他に養ってくれる家族だっていない。天涯孤独の身となったあの日の喪失感や、私が死んでも誰も悲しんでなどくれないんだという虚無感。いっそこのまま死んでしまえたら、どんなに楽だろうか――という拗ねた感情、等々。ダメだ、とかぶりを振っても、ここぞとばかりに陰鬱な感情が、次々と浮かんでは消えていく。

 まるで石のように、動かなくなった私の『心』を見透かしたように魔族が言った。


『なあに? 私の姿を見て怯えちゃってるのかしら? か~わいい。……なんだかお姉さん、ちょっとだけ感じちゃうわ』


 太腿を軽くすり合わせ、舌なめずりをする魔族。私の体が、電気ショックでもあびたかのように飛び跳ねる。


『生きたいという気持ちと、死んでしまいたいという思い。相反する二つの感情が、あなたの中でせめぎ合ってるみたいね』


 コツ、と石畳を踏みしめる音が響き、魔族につま先が私の方に向いた。


「あ……私は……」


 否定の言葉を紡ぎたいのに、カラカラに乾いてしまった喉の奥からは、呻くような声しかでてこない。

 そんな私の様子を見て、魔族の女は『あははっ』と楽しそうに笑った。それはまるで、面白い玩具(おもちゃ)を見つけた子供のように、無邪気な笑い声だった。

 魔族の女が眼前に立った。


『あなたのこと、めちゃくちゃにしてみたい』


 私の首筋に指で触れ、胸元をたどった指先が、つつ――とお腹の下まで伸びてくる。


『……面白いわ。どっちの感情が勝つのか、試してみようかしら』


 ――やめろ! とそれまで押し黙っていたレオニスが叫んだ。


「彼女には手を出すな。何かしたいのなら、代わりに僕にしろ……!」


 強い決意のこもった彼の瞳と声に、魔族の顔が不満げに変わる。


『なにそれ……つまんない』


 頭の天辺からつま先まで、レオニスの体を値踏みするように魔族の視線が這いまわる。やがて、何か発見でもあったのか、魔族の口元が綻んだ。醜悪な笑みを、顔一杯に浮かべる。


『ふうん。それも案外、悪くないかもね』


 そう囁くと、レオニスの額に人差し指を突きつける。彼は恐怖に耐えるように、両目を固く閉じた。


『──ワタシの願いを聞き届けたまえ。この者に戦う勇気を、そして、安らかなる死を──』


 魔族の口から歌のような旋律が紡がれると、彼女の指先が発光した。その輝きはレオニスの額に移り、やがて吸い込まれるようにして──消えた。


『即効性の呪いではないから、ただちに何かが起こることはないわ。それに、彼の抗う力と意思が強ければ、打ち破れる可能性もあるし。その日まで――お嬢ちゃんが支えてあげてね。彼の心が、折れてしまわないように』


 不適な笑みと、意味深な言葉だけを残し、魔族の姿は雲散霧消した。

「レオニス!!」呪縛から解き放たれたように、彼の元へと駆け寄った。

 レオニスは全身から力が抜けてしまったようで、そのまま私にもたれ掛かってくる。酷い掠れ声で、「大丈夫」とだけ呟いた。

 何もできなかった自分の弱さを、呪うほかなかった。これでもし本当に彼が死んだなら、私のせいだ。今日ほど、自分に力がないという事実を苦々しく感じたことはない。強い自責と後悔の念に、体の震えが止まらない。涙は自然と、頬を伝い落ちていった。


「そんな顔しないで。痛みはまったく感じないし、気分だって悪くない。僕が、呪いに抗うという強い意思を崩さなければ、きっとこのまま打ち勝てるよ」


 悲観するにはまだ早い、と気遣うようにレオニスが言った。


「でも……」

「ユーリ。僕と約束をして」


 一転して、彼が真剣な顔になったことに、背筋が伸びて聞く体勢になる。


「この先の人生で、たとえどんな困難があったとしても、全力で立ち向かっていくこと」

「……うん」

「立ちはだかった壁がどんなに高くても、決して諦めないこと」

「うん」

「それから、幸せになること」

「……そんなの、約束できないよ」

「大丈夫。努力を続けてさえいれば、君は絶対に幸せになれるから」

「まるで今にも死んじゃうみたいな台詞、言わないでよ!」


 無理やり笑みを作って胸元を小突くと、彼も私に釣られて笑った。彼の顔は笑っていたけれど、反面、瞳には寂しげな色が灯っていた。

 それを感じ取ると、私の胸の痛みはまた少しだけ強くなった。

 

 * * *


 それから、急いで荷物をまとめた私たちは、早々に帰途につく。帰りの道中では、殆ど会話がなかった。たとえしたとしても、話は長く続かなかった。

 彼に対して、私は負い目を感じていたし、彼も私を気遣っていたのだろう。どこか余所行きの空気が、二人の間に横たわっていた。

 ドレイザの街に到着すると、遺跡で体験してきたことの全てを、包み隠さず神殿に報告した。

 新しい区画を発見したこともだが、何より邪神の神殿跡を見つけたことが、歴史を紐解くさいに有効であると高く評価された。ささやかとはいえ報酬も出たし、レオニスが当初掲げていた目標は、一応達成されたかたちだ。

 神殿に向かい、レオニスがかけられた呪いについて診てもらった。これは難しい、と司祭様が首を捻る。この街の神殿では、解呪できる司祭はいないだろう、というのが彼の見解だった。

 それほどまでに、魔族の行使した呪いは強いのか、と暫し茫然自失となる。

 そこで、呪いの定義や対処法について、独力で調査することに。

 弱い呪いであるならば、駆け出しの神官レベルでも解呪できることがわかった。だが、呪いを行使した者の魔力が強くなればなる程、解呪の難易度は比例して上がり、より高位の司祭を頼る必要がある、とのことだった。

 とはいえ、一般人が高位の司祭様に会うのは容易ではない。面会するため、そして解呪をお願いするために必要となるのが……金銭でありコネクション。

 結局――世の中すべて金なのだ。その事実に思い至ると、いつもと同じ暗い感情が、私の心中に顔を覗かせた。

 金も、権力も持ち合わせていない私が、どんなに悩んだところで解決策など見つからない。不安も焦りも拭えないまま、月日は流れていった。

 しかし、私の思いを知ってか知らずか、レオニスの周辺には、これといって何の変化も起こらなかった。


 だからきっと、次第に忘れてしまったんだ。

 遺跡に赴いた日のことも。呪いのことも。繰り返される、平穏な日々のなかで。


 夏季休暇が終った直後から、私は熱心に修練を重ねた。

 定期の模擬戦においても、決して手を抜かず、真剣に取り組むようになっていた。

 格下の相手に対しては、怪我をさせないよう最短で決着をつけ、同格、もしくは格上の相手に対しても、決して諦めることなく全力で戦った。

 結果として、私の勝ち星は負け数を大きく上回り、階級はどんどん上がっていった。

 それまで興味を持っていなかったレオニスの試合も、積極的に観戦し、声を出して応援した。

 冒険者を目指しているんだ。そう自称していた彼の剣技は、確かに鋭いものだった。振りぬいた後の剣の止め方、構えの隙の小ささからも、かなりの実力者なのだとわかる。

 応援しているときに目が合うと、彼は小さく手を振った。羞恥の感情を胸のうちに隠し、私はそれに応える。そういった、一連のやり取りを目ざとく見つけた女たちに、たびたび陰口を叩かれたが、気にすることはなかった。

 穏やかな日常のなかに、ちょっとずつ幸せをみつけていた。父と二人で暮らしていたあの頃のように、誰かを純粋に思う気持ちが、私のなかに再び芽吹き始めていた。


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