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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

そして終末のアリアドネ

作者: だいさんかくけい

 







 地球の温度が1度上昇し、地上の水の三分の一が失われた。人類はまだ脅威に気づかなかった。


 地球の温度が2度上昇し、北極圏に近い氷が溶け出しロンドンが地上から姿を消した。人類はまだ余裕を持っていた。


 地球の温度が3度上昇し、北極の氷の大半が消失しアメリカの国土の半分は海に飲み込まれメキシコも侵食された。人類は事態の深刻さに気づいた。


 地球の温度が4度上昇し、永久凍土が溶け出し地球は人類を拒絶した。人類はインフラを失い混乱した。


 地球の温度が5度上昇する頃には──人類は地球に見捨てられた








 *****






 遮るものがなく肌を焦がすほど情熱的な陽光が照り返す太平洋の上。白い泡を吐き出し、巨大な軍艦が航行していた。

 人類が持て余した人口と欲望を発散するために戦争していた時代の遺産、原子力空母を改造したその船は異様な姿をしていた。


 戦時中に我が物顔で並んでいた戦闘機の姿はなく、蒼黒のレンガで作られた小屋が整然と並んでいる。平らな屋根の上には土が敷き詰められ小さな菜園が作られていた。


 内部にある格納庫に並ぶ人の数倍もの背丈がある銃器ずらりと並んだ光景は壮観だった。ここは巨大な空母の中の、だだっ広い格納庫の中、三体の巨大な人型を模した兵器が行儀よく鎮座している。


 格納庫の中は機体の最終調整のために整備員が忙しなく駆け回り、野太い怒声が飛び交う。

 ブリッツ級航空母艦〈エウラーデ〉は作戦行動のため太平洋を航行していた。出航してから一週間以上海の上で生活しているが、駆け回る男たちは活力に溢れ、鬼気迫る表情で作業に従事する。


 ツナギを着た男たちが駆け回る中、軍服に身を包んだ青年が感情の読めない表情でファイルを見つめている。

 ざんばらの黒髪に、鋭利な黒い瞳。右頬の大半を覆う火傷の跡が目を惹くが、それを含めても整った顔立ちだった。


 射抜くような瞳で見据えるファイルには自身の機体に関する報告書がまとめられ、青年──雨宮 廉(あまみや れん)はじっくりと読み込んでいく。


「おお〜う! 廉くん〜! 元気してる〜?」


 間の抜けた声が廉を呼んだ。

 ファイルから顔を上げた先には、同じ小隊に配属されている酒々井 翼(しすい つばさ)少佐がスキップで駆け寄ってきた。


 日本人ではあるが黒髪より金髪が似合うと豪語する翼は、その通り金色の髪が似合う美形だった。20歳になったばかりの廉より13歳上の翼だが、容姿は廉と比べても同年代と紹介しても違和感が無いほど若々しい。

 愛嬌のある笑顔に、艶のある肌。150㎝しか無い小柄な体躯が幼さを助長している。


「相変わらず不景気な顔だねぇ。そんなんだとモテないよ?」


 会話の内容もお盛んな学生と変わらない。


「………」


「あはは、ツレないねぇ。もしかして緊張してる?」


「…………いや」


「そっか、そっか。さすが〈太平洋軍事同盟(PRMA)〉のエースだなぁ。お兄さん感心しちゃう」


「…………ああ」


 廉は淡々と答え、機体のデータに視線を落とす。


 廉たちは現在〈エウラーデ〉で作戦海域までの行軍中だ。気象変動によって姿を変えた地球は、それまでとは大きく異なる顔を見せた。飽和した海水は容赦なく大地を侵食し、人類の生活圏を

 蝕んだ。永久凍土から吹き出すガスが大気を濁し、剥き出しになった太陽光は人類を苦しめる。


 長い歴史の上で地球を苦しめ続けた人類は、ついに地球からの報復を受けたのだ。


 白亜紀の天変地異では地球は自らの自浄能力で乗り越えた。しかし2度目の天変地異に対して、過去とは違う対応を地球は行った。

 〈大地の使徒〉と呼ばれる異形の怪物を生み出したのだ。〈大地の使徒〉は人類が安全地帯を求めて彷徨う中に突如として現れ、無差別に人間を襲い出した。


 〈大地の使徒〉は決して人間以外を襲うことはなく、生きるために食事も必要としない。体内に葉緑体に似たを細胞を持つため、水と二酸化炭素、日光があれば生命維持ができるのだ。


 食事を必要としない〈大地の使徒〉は他の生物は襲わない──だが、例外として人類だけは〈大地の使徒〉の脅威にさらされた。


 住む場所を失い気候難民となった人々に、〈大地の使徒〉は容赦無く牙を剥いた。抗う術もない人々は次第に数を減らし、総人口70億を誇った人類はその数を30億まで減らし紀元前から誇ったその栄華は終わりを迎えたのだ。


「ふむふむ。面倒見のいいお兄さんにはわかるよ! 廉くんはお腹が減っているんだね!」


「…………」


「ほら遠慮しないで受け取って! 甘くて美味しいよ〜」


 今では気軽に食べれなくなったチョコレートを廉に押し付ける翼。なんの反応も示さない廉に、ニヤリと子供がいたずらを思いついたように笑う。


「ほれほれ〜♪」


 グリグリと頑なに口を閉ざす廉の口に無理やりチョコレートを押し込み、顎を両手で動かし無理やり咀嚼させた。

 口元をベタベタにされた廉は恨めしそうに翼を睨め付ける。視線で人が殺せるほど鋭い瞳を飄々と躱し、行儀よく鎮座する鋼鉄の巨人を見つめる。


「……廉くん。〈騎獣兵〉(エクエス)に何年乗ってる?」


「……2年だ」


「そうか……。俺は5年くらいかな」


 言い淀む翼だが、廉には考えるまでも無くその真意が伝わる。

 〈騎獣兵〉とは眼前に鎮座する対〈大地の使徒〉最終決戦兵器、人類最後の希望のことだ。通常兵器では歯が立たない〈大地の使徒〉に対し、唯一対抗できる人型兵器。


 気象変動後に発見された特殊鉱石と、〈大地の使徒〉の体の一部を使用することで生まれた人知を超える力。複雑な動作を可能にするため操縦者にも〈大地の使徒〉の細胞を埋め込み、〈騎獣兵〉と同調させることで、生身の人間にも劣らない反応速度を実現した狂気の兵器だ。


 操縦者は過酷な戦闘に耐えるだけでは無く、操縦する時間に比例して精神が汚染される。最終的には理性を失い、人を無差別に襲う〈大地の使徒〉に精神を乗っ取られてしまう。


「知ってる?〈騎獣兵〉の操縦者の平均寿命って、10年なんだって〜」


 軽い口調で告げるが、翼も、廉も理解していた。


 ──自分たちに限界が訪れていると。


「……後悔しているのか」


 感情の灯らない瞳で、じっと翼を見つめる。廉の瞳がわずかに揺れているのに気づき、翼は穏やかにほ微笑む。


「いいや、覚悟はしていたからね。後悔だけは、絶対に、しないよ」


「………そうか」


「そそそ。廉くんは後悔してるの?」


「………ありえない。これは、俺が選んだ道だ」


「それでこそ廉くんだ! ほんと、ブレないよね〜」


 うんうん。満足げに頷き、くるくるとその場で回る翼。整備班から奇異な目で見られても気にせず廉のそばではしゃぎ回る。

 ひとしきり動き回って満足したのだろう。額に浮かんだ汗を拭い、熱のこもったため息をこぼす。

 けたたましい音が鳴り響くドックの中で、2人の間だけ静寂が満ちる。

 気を取り直した翼が、再びちょっかいをかけるために近寄るが、


「──っ。ああ、やっぱり廉くんはそういう子だよねぇ。お兄さんは嬉しいよ」


 身長差から精一杯背伸びしてファイルを覗き込んだ翼が、 わずかに表情を硬ばらせる。廉の手元に握られていた資料には、戦死して同胞の機体の情報が記載されていた。

 翼のまん丸に開かれた瞳をじっと見据え、廉が厳かに口を開く。


「…………俺は、忘れない。それは少佐も変わらないはずだ」


「──っ! うん。そうだね、その通りだ! 今回は特別な作戦だし、みんな連れて行ってやるとしますか〜!」


 廉の機体の横に鎮座する自分の機体を見上げ、翼は納得したように頷く。そしてふんわりと整えられた金髪を踊らせ、整備兵の元へと駆け出す。おそらく機体のチューニングについて整備班と相談するのだろう。


 翼は態度が軽いことからもチャランポランに生きているように思われがちである。だが付き合いの長い廉からすれば、その評価は正確ではないと感じる。


 コミュニケーション能力が壊滅的な廉に気を使い、整備班との間に入り意思疎通の手伝いをしてくれる。死と隣り合わせの戦場にいる──つまりは強烈なストレスに晒されている状況下で、他のクルーに気を配りムードメーカーとして率先して場を盛り上げているのだ。


 それに翼の本性は──



「小僧! ここに居たのか!! 」


 廉の思考を吹き飛ばす豪快な声が背後から響く。

 藍色の軍服をきっちり着込んだ白髪の男が、軍靴を鳴らし廉に近づいてくる。


 180㎝を超える巨躯は限界まで鍛え上げられ、軍服の上からでもわかるほどに筋肉が隆起している。海上の厳しい日差しで焼かれた肌は浅黒く、わずかに覗く肌に刻まれた傷の数々は男の歩んできた道の険しさを物語っていた。


「…………大佐」


「まったく。休息は必ず取れと言っただろう! 大人しく寝ておれ!!」


 間近で聞けば耳鳴りがする大音声で話す男は、廉が所属する小隊の隊長で我當 門司(がとう もんじ)。還暦を迎えてもなお現役を貫く軍の英雄。

 世界初の〈騎獣兵〉の操縦者であり、世界最強の男だ。


「機体の整備を怠らない事は評価する。だが! 体調管理ができない兵士など三流以下だ! 今すぐ仮眠を取ってこい!」


「………」


「返事は!!」


「………イエス・サー」


「よろしい! 2時間後にまた会おう!!」


 しぶしぶ自室に引き上げていく廉を見送り、門司は深々とため息をつく。

 あの言葉足らずな部下は、自分が注意しなければ休息すら必要としない。ただひたすらに戦うことしか考えられないのだ。


(狂った世界だ。年老いた小生ならまだしも、自分の孫と変わらぬ年齢の若者に死ねと言わねばならん)


 現在地球で人類が生存できる大地は北半球にしか存在しない。それ以外の地域は海に沈んだか、忌まわしき〈大地の使徒〉に占領下されたかだ。

 生存権を大きく奪われたからといっても、人類はそこまで愚かではない。即座に軍事同盟を結成し、領地奪還へと乗り出したが、敗戦を重ねるだけだった。


 ──その全ての原因は〈大地の化身〉だ。


 〈大地の使徒〉の上位種である〈大地の化身〉はそれぞれ領土を定め、我が物顔で大地を占領している。

 その中でも門司・翼・廉と因縁深いのが〈アリアドネ〉だ。〈アリアドネ〉は門司たちの故郷である日本を占領し、幾度となく門司たちを襲撃した仇敵。門司は息子一家を皆殺しにされ、翼は嫁と娘を殺されている。廉も年の離れた弟は生き残ったが、目の前で両親を殺された。


 門司たちが拠点とするハワイ島周辺は、気象変動後に新たな諸島が形成され貴重な人類の生存圏である。〈アリアドネ〉は5年周期で日本周辺の人類圏を襲撃し、多くの命を奪ってきた。


 門司たちも5年前に〈アリアドネ〉の襲撃を受け、人口の3割を失う甚大な被害を受けた。門司たちが家族を失ったのもこの時である。


(今度こそ奪わせぬ。妻も、同胞も、全てを! 無力感に苛まれたこの10年。全てを清算するためにも必ず奴を殺しきる。完膚なきまでに!!)


 門司たちが出撃した理由。それは──〈アリアドネ〉が再び日本から進行してきたからである。

 〈アリアドネ〉襲撃の報せを受けた旧ハワイ自治区は混乱の坩堝となった。一度刻まれた絶望は簡単には晴れず、未だに住民たちの心を蝕んでいる。


 総力戦で挑んでも勝算がない〈アリアドネ〉に対し、今回出撃するのは門司たちの部隊だけだ。上官に呼び出された時には全てを察している。


 ──死んでこい。


 遠回しにそう言われただけだ。


(後悔などない。それに、死ぬつもりなど毛頭ないわ!)


 最終調整を行う自機を見上げ、ふつふつと闘志を滾らせる。決戦は今は亡き東京湾近郊。かつて日本の首都があった場所だ。


 はやる心を研ぎ澄ませ、ドックを後にする。焦る事はない。最期の時は近づいているのだから──。






 *****






 〈エウラーデ〉 第一状況説明室にて、廉はパイプ椅子にお手本のように綺麗な姿勢で座っていた。パイプ椅子と簡素なプロジェクターが置かれただけの寂しい部屋の中には廉しかいない。

 ブリーフィングのため招集を受けたのだが、状況説明室に一番乗りをしたのは廉だった。藍色の戦闘服をぴっちり整え、門司たちの到着を静かに待ち続ける。


 十分ほど後だろうか。リズミカルなノックとともに翼が姿をあらわす。


「廉くんだ〜! 相変わらず早いねぇ!」


「…………隊長?」


「ん? 門司のおやっさんならすぐ来るよ。なんか、艦長に呼ばれてたみたい」


 納得し、廉は再び沈黙する。

 無愛想な廉の態度にも御構い無しに、翼が廉の隣に腰掛ける。


「いやね、おにいさんもおやっさんの付き添いでブリッジに行ったんだけどさ、門司の旦那が大人気なんよ! こう、オペレーターの女の子が、門司さま〜って黄色い歓声あげちゃってね〜」


「…………当然だろう。大佐は英雄だ」


 人類の英雄にして、世界最強の男。女性に好かれる要素は十分すぎるほどにあるのだ。廉は当然のことのように聞き流す。

 しかしその反応が気に入らないようで、翼は少年のようにほおを膨らませる。


「いや、でもさ。おやっさんは60近いんだよ! 普通は若くて、明るくて、イケメンなおにいさんがモテるはずでしょ!!」


「………合法ショタと呼ばれていたぞ」


「なんでさ──っ! こんなナイスミドルに向かってショタはないでしょう!」


「…………」


「え? なんで黙るの? それ結構ガチの沈黙だよね? まさかさぁ? 廉くんも同じこと思ってたの???」


「………少佐の能力は一流だ」


「誤魔化せてないからねぇっ!! 廉くん以外に嘘が下手でしょ! 誤魔化す時いつも同じこと言うよねぇ!!」


 むっつりと口を一文字に閉じたまま、さりげなく視線をそらす廉。他人の容姿に関心を持たない廉でも、翼の特徴を想像して最初に頭に浮かぶのは若作りな顔だ。否定する部分が見つからなかった。


 不自然すぎるほどの沈黙を受け、翼はオーバーリアクションでいじけて見せる。こう言う仕草も子供っぽさを助長しているのだが、本人に自覚がないため当分は扱いが変わらないだろう。


「はぁぁぁ。廉くんにイジメられたぁ〜」


 いじけた口調とは裏腹に、翼の口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 不器用ながらもまっすぐな廉と会話すると、釣られてその表情で話してしまうのだ。誰もが死の恐怖で自分をごまかしながら生きているこの時代で、廉ほど信念を貫き通す人間はいないだろう。


 自分を偽らず、ひたすら己を研鑽する廉と話すと、不思議と感情が引っ張られる。廉は翼が自分を気にかけるのは義務感からだと思っているが、翼からしてみればそれは勘違いだ。むしろ翼が廉に助けられているのだから──。


「待たせたな。ブリーフィングを始める」


 ドアを破壊しかねない勢いでノックした門司が、ファイル片手に入室する。

 廉と翼が立ち上がり敬礼したのを確認し、門司がプロジェクターを起動させた。


「今回の上からの任務は〈アリアドネ〉の撃退だ。だが、小生らの目的は違う」


 深くシワの刻まれた瞼をじっと閉じ、堪えるように口を結ぶ。

 そして憤怒が燃え上がる瞳を開き、


「──小生らのなすべき事は一つ! 憎き〈アリアドネ〉を鏖殺し、遠き我らが故郷を奪還するのだ!!!」


 スクリーンに藍色の怪獣を映し出す。

 高層ビル10階くらいの背丈に、硬質な鱗に覆われた強靭な肉体。背中から生える一対の翼は、幾何学的な模様が刻まれ異様な圧力を纏う。


 プテラノドンのような鋭い頭は槍を彷彿とさせ、漆黒の瞳が四つ煌めく。人間の体に翼と羽を生やしたような姿だが、明らかに人間の構造とは違う。棘のように尖った胸部には紅の巨大な水晶が埋め込まれ、怪獣の禍々しさを強調している。



 ──〈アリアドネ〉


 人類の敵であり、日本を占領している廉たちの仇敵。核ミサイルの直撃ですら無傷で耐え抜く異形の化け物だ。


「わかっているだろうが〈アリアドネ〉に通常兵器は通用しない。人間とリンクした〈騎獣兵〉が生み出すEDSを纏った攻撃しか通用しない。そのため他の部隊からの支援はないと思え」


 EDSとは〈大地の使徒〉の心臓を移植された〈騎獣兵〉と、細胞を移植された強化人間を特殊なケーブルで神経を直接つなぎ、人間の精神力によって作り出す電磁波である。


「以上のことから、プランは次の通りだ」


 スクリーンには〈アリアドネ〉の身体データ、接敵海域、隊列が表示された。


「まずは小生の狙撃で〈アリアドネ〉の目を潰す。先方は少佐だ。ありったけのミサイルをぶち込み奴を足止めしろ」


「イエッサー!」


「次に小生が右舷から回り込み撹乱する。ミサイルポッドを破棄した少佐が左舷から攻撃し、奴の注意が逸れたら──大尉。貴様のパイルバンカーで〈アリアドネ〉の心臓を破壊しろ」


「………イエス・サー」


「作戦は非常にシンプルだ。〈アリアドネ〉の前で小細工など意味がない。出撃は十分後、各自操縦席にて待機しろ。以上だ!」


 門司は廉たちを睥睨し、質問がないことを確認すると退出する。翼たちもそれに続き、格納庫へと向かった。






 *****






 所狭しと電子機器が並んだコックピットの中で、廉は静かに出撃の時を待つ。

 タイツのように全身を覆うぴったりと張り付く操縦服に身を包み、硬い背もたれに体重を預ける。脊髄に直接差し込まれたプラグのせいでまっすぐ寄りかかることができず、楽な姿勢を探して何度か身じろぎをする。


(もうすぐか)


 今回の戦闘のために拡張された火器管制システムの微調整を進め、装着された銃器の最終確認を行う。

 廉が好んで使うのは〈騎獣兵〉専用のタクティカルナイフだ。銃や刀身の長い刃物は扱い難く、取り回しのいいナイフを愛用していた。


 しかし〈アリアドネ〉を相手ではそうも言っていられない。廉達の機体と〈アリアドネ〉は3倍以上大きさが違う。体格の差とは近接戦では致命的な差となり、廉達の勝算は低い。


『──時間だ。各機所定の位置へ移動しろ』


 門司からの通信が入り、門司・翼・廉の順番で隊列を組む。

 鈍い音を立てエレベーターが起動し、三体の鉄の巨人が飛行甲板へと姿を現わす。


『第01小隊へ。発艦予定時刻まで30秒です』


『了解だ。各機──聞こえたな。遅れるなよ』


『りょーかい! 10秒後に続くよ!』


『………了解した』


 廉の返事と同時に甲板要員から合図が送られ、我當の機体のスラスターが点火する。


『我當門司。〈叢雨(叢雨)〉──出るぞ』


 青白い爆煙を吐き出し、門司の〈叢雨〉が大空へと舞い上がる。


『酒々井翼! 〈白雨(白雨)〉──行ってきます〜!』


 凄まじい爆音を響かせ、大気を切り裂き、翼の〈サミダレ〉が宙を滑るように滑空する。


『……雨宮廉。〈時雨(時雨)〉──出る』


 爆発するように激しくスラスターが炎を吐き出し、機体が瞬間的に加速する。荒れ狂う大気の奔流を掻き分け、廉の〈時雨〉が蒼黒の太平洋へと飛び出した。


 接敵までは5分。かつての日本領海に突入し、東京湾に向かい進軍する。〈アリアドネ〉もこちらの動きを察知し迎撃行動に移ったため、予想よりも陸地から離れた場所での戦闘となる。


『各機スラスターを切り離せ。水上移動に切り替えるぞ』


 燃料のつきかけていたスラスターを切り離し、海面に着水する。機体の両足に取り付けられたスノーボードを彷彿とさせる水上用スラスターが点火し、波をかき分け太平洋を進軍する。


『うひゃー! 空飛ぶより波の乗る方が楽しいー!!』


『愚か者! 無駄に燃料を使うな!』


『すんませ〜ん! でも楽しい〜!!』


 波と戯れるように縦横無尽に機体を操り、『いやっほ〜うっ!!』と連続して宙返りしている。

 何を言っても無駄だと悟ったのか、門司はため息をついて沈黙する。しばらく翼のはしゃぐ声だけがスピーカー越しに流れていたが、


『祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理をあらはす』



『……なんで平家物語。おやっさん、緊張で気が触れたんすか?』


『戯け! 風情がない小僧は息をせず操縦に専念せい!』


『辛辣だなぁ。てっきり昔を懐かしんでるもんだと。だって、おやっさんは生き証人でしょ?』


『小生を物の怪の類と勘違いしているのか? まだ一世紀も生きておらん』


 茶化しているつもりだった翼も、門司の言葉が冗談では無いと感じ取り頰がひきつる。


『え……。まだって事は生きてることが前提なんすね……昔の人はパワフルだねぇ』


『貴様らが軟弱過ぎるのだ。覇気の無い間抜けヅラを晒しおって……嘆かわしい』


『いやいや。おやっさんが異常なんですって。現代人はもっと無気力に生きなきゃ。パリピさいこー』


 水上を進みながら器用にも右手を上げて戯ける翼。言葉の内容と声音が噛み合わず全く心がこもって居ない。

 〈騎獣兵〉の操縦の中でも最上級の技術を要求される水上移動。それと並行してフィギアスケートのようにトリプルスピンを始める技量だけは本物だ。


『貴様にはもう何も言わん。好きにせい』


 今度こそ心底呆れたとばかりに、門司が速度を上げ先行する。ふざけるのをやめた翼が追随し、廉は一言も発することなく最後尾にいる。

 波を切る音だけが場を支配した後、ポツリと翼が言葉を零した。


『ねぇ。おやっさんは本当に後悔してない?』


 先ほどまでのおちゃらけた雰囲気は存在せず、真摯な口調で問いかける。『ふむ』とわずかに逡巡した門司だったが、


『後悔などない。憎き〈大地の使徒〉の細胞を体内に取り込んだ時に覚悟は決まっていた』


 まっすぐ、ブレることのない言葉だった。


『だよね。おやっさんなら、そう言うと思ったよ』


『貴様も同じだろう。レッドリストに名が乗ってもなお戦場にい赴いたのだ。お前は──酒々井翼はひとかどの戦士である』


 レッドリスト。〈大地の使徒〉の細胞による精神汚染が限界値を超え、〈騎獣兵〉に乗ることを禁止された兵士のことだ。基準値を超えなお精神汚染が進行した場合、よくて発狂。大抵は体の内側から爆散して死亡する。


 レッドリストに名前が載っている門司・翼・廉は、たとえ生還できたとしてもいつ死ぬかわからない状況だ。すなわち今回の作戦に参加した時点で、成功の可否に関わらず3人の死は確定したようなものだった。


『そんな大層なもんじゃないよ。ただ、どうせ短い命ならさ──家族の仇を取りたかったんだよ』


『小生も同じ気持ちだ。どうせ尽きる命なら、今はなき家族のため、これからを生きる若者のために使うのが先人の務めだ』


 それに──と門司は続けて、


『貴様らは見たこともないだろうが、小生はもう一度この目に遠き故郷を刻み込みたいのだ。懐かしき、日本を──』



 翼と廉は第2世代と呼ばれる日本人が故郷を失ってから生まれた世代だ。同じ故郷を思う気持ちも、門司とは異なるのかもしれない。

 2人の間に僅かな沈黙が降りたとき、今まで口を噤んでいた廉が、


『…………俺は、日本が見たい。先祖が、両親が、友が、同胞が求めてやまない俺たちの故郷が、見たい』


『『…………』』


『……だから、〈アリアドネ〉を殺す。そして、3人で日本に帰る。死ぬつもりなどない』


 機体の背に装着された特製のパイルバンカーに手を伸ばし黙祷を捧げる。〈アリアドネ〉に対抗するために作られた特製のパイルバンカーには、戦死した同胞の機体のコアが使用されている。激戦をくぐり抜け洗練されたコアはEDSの伝導率が飛躍的に向上し、兵器に転用することで大きな戦力となるのだ。


『………俺は忘れない。全てを背負い、〈アリアドネ〉を討つ』


『ふん。小僧が言うようになったものだ』


『うんうん。おにいさんは嬉しいよ〜!』


 殺伐とした雰囲気は薄れ、代わりに弛緩した空気が流れる。調子を取り戻した翼が巫山戯始めるが、突如としたアラームが鳴り響く。


『……──来た』


 素早くレーダを確認し、廉が淡々と告げる。

 瞬時に戦士の顔へと切り替わった翼の視界には、一つの機影が映った。


『おいでなすったぞ。どうやら彼方さん、我慢しきれずこっちん向かって来てるみたいだねぇ』


 当初の予定では接敵まではまでかなりの猶予があったはずだ。どうやってもこちらの予想を裏切りたいのか、〈アリアドネ〉が一直線に廉たちへと進路を変更した。

 冷静に接敵までの時間を割り出しプランを構築する。


『予定が早まったが作戦に変更は無い。先鋒は翼、貴様だ』


『アイサー! 見事役割を果たせて見せましょー!』


『ふん! 貴様の人格は度し難いほど醜悪だが技術だけは本物だ。期待しているぞ。そして──廉』


『…………』


『貴様は貴様の成すべきことを成せ』


『…………了解』


 激しくアラームが鳴り響き、〈アリアドネ〉の存在をけたたましく告げる。がちん。安全装置を外し、それぞれが銃を構え、水平線の彼方に移る巨大な影を睨め付ける。


『目視で確認。──来るぞ!』


 会場を滑るように姿を現した〈アリアドネ〉は──圧倒的だった。

 まるで小さな山が移動しているかのような巨体に、禍々しく羽ばたく漆黒の翼。巨木を彷彿とさせる太く長い尾は、狙った獲物を逃さないためか返しのような棘が無数に生えている。


 ──ギュオオオオオオオオオオ


 地獄の底から響く咆哮が場を支配する。質量を伴った音の波は太平洋を揺らし、廉達の元へ押し寄せる。

 ギチギチと機体が軋み、戦意を示すようにスラスターを吹かせた。


『──命の火を灯せ! 小生らの持てる全てを費やし、焼べて、小生らの矜持を見せつけるのだ!!』


 雄叫びと同時に発砲。大型ライフルから吐き出された砲弾が弧を描き、殺意を持って〈アリアドネ〉を強襲する。


 ──着弾。


 空になった薬莢を吐き出し、息つく間もなく砲弾の雨を降らせる。


『──少佐! 足を止めろ!!』


 〈アリアドネ〉の注意を引き付けた門司が、臨戦態勢を整えた翼に合図を出す。待ってましたとばかりに翼の〈白雨〉が飛び出し、体勢を低くして〈アリアドネ〉に肉薄する。


『……ああ、ああ。この時を待ってたぞクソ野郎!!娘の ──澪の仇! 今こそ取らせてもらうぞ!!!』


 両手に構えた筒状のミサイルポッドが花開き、爆煙を撒き散らして空中に躍り出る。白煙の尾を引き花火のように海上を舞う24発のミサイル。寸分違わず無防備な〈アリアドネ〉の顔面に直撃する。


『おおぉぉぉぉぉ────っ!!!!』


 空になったミサイルポッドを破棄し、腰からアサルトライフルを抜き放つ。瞬間──フルバーストで発砲する。

 的を絞られないよう海上をジグザグに走行し、射撃を絶やさず接近する。


 山の如き巨体が近づくにつれ圧倒的な戦力差を思い知らされる。絶やすことなく行われる門司の砲弾も、マガジン二つ叩き込んだ翼の射撃も、〈アリアドネ〉に目に見えるダメージを与えられていない。


『ナメるなよっ!!』


 空になったアサルトライフルを投げ捨て、身軽になった機体で大きく跳躍する。緩慢な動作で翼に向き直った〈アリアドネ〉と翼の視線が交差する。


 世界が硬直したかのように翼の動きが止まり、誰も反応できないまま──〈アリアドネ〉の左腕が翼の〈白雨〉を殴り飛ばした。


『──少佐ぁぁぁぁぁ!!』


 鋼鉄の巨人はハエでも追い払うかのような〈アリアドネ〉の一撃で鉄くずとなった。


『うおおおおおおお!!』


 翼とは反対の右舷から大型ライフルを投げ捨てた門司が接近する。気炎を吐き、門司を睥睨する〈アリアドネ〉の横っ面にグレネードを投擲し、無防備な視界を奪う。


 ギュオオオオオオオオオオ!!


 方向の衝撃によって軋む機体を駆り、右手首に仕込んだワイヤーを射出し〈アリアドネ〉の頭部にくくりつける。ホバーを外し〈アリアドネ〉の体を駆け上がり、もがき苦しむ〈アリアドネ〉の口内へグレネードを放り込んだ。


 ──静かな音だった。


 〈アリアドネ〉の喉奥で炸裂したグレネードは口から僅かな煙が上がるだけで、外からではダメージがないように見えた。だが、続いて大量に吐き出され血が、門司達の攻撃が通用することを証明した。


『廉────っ!!』


『…………任せろ』


 迫り来る〈アリアドネ〉の腕も気にせず、門司は全力で咆哮する。無駄な言葉は必要ない。全ては伝わった。


 ──グシャ。


 高速で海上をかける廉の〈時雨〉の横を、鉄の塊が通過する。それは〈叢雨〉のコックピットの残骸だった。


『…………死ね──〈アリアドネ〉……っ!』


 後のことなど考えず加速した勢いそのままで跳躍し、さらにスラスターで加速する。視界を失い、攻撃した後の無防備な体勢。狙うはただ一つ。紅玉の水晶──〈アリアドネ〉の心臓のみ。


『…………あああっ!!』


 背中から射出されたパイルバンカー空中で掴み、全ての勢いを乗せて紅玉の心臓に突き立てる。


 バキィィィィィィィン。


 硬質のものが割れるような甲高い音とともに、パイルバンカーの衝撃の反動で廉の〈時雨〉が弾け飛ぶ。壊れかけの緊急脱出装置が作動し、操縦席から廉が放り出された。

 感覚を失い浮遊感に包まれる廉の視界には、痛いくらいに眩しい太陽が映った。


 廉とともに舞う〈時雨〉のカケラ達。やがて蒼黒の海に吸い込まれる。薄れゆく意識の中で最後に廉の瞳に映ったのはヒビの入った水晶と雄叫びをあげる〈アリアドネ〉だった。






 9月13日 太平洋にて〈太平洋軍事同盟 第七艦隊 01小隊〉が〈アリアドネ〉と交戦。




 我當 門司大佐……戦死

 酒々井 翼少佐……戦死

 雨宮 廉大尉……戦死




 撃退に成功するものの〈アリアドネ〉はいまだ健在。




 遠い故郷には、未だ届かない────。














最後まで読んでいただきありがとうございます!

今回は地球温暖化による環境問題の可能性の一つを参考にした作品を書いてみました。ふと思いついたままに勢いで書いたので設定がガバガバですが、突っ込まないでいただけると嬉しいです(о´∀`о)

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