小部先生
中学生だった頃の私へ。
「おーべが来たー!」
美術教師兼、生徒指導兼、学年主任。
小部先生。
その肩書きと強面から、通称「おーべ」と呼ばれて、生徒から恐れられていた。
痩身短躯。色白に骨張った顔つきは、さながら宇宙人を思わせる。
そんな奇妙な風体に加えて、白眼がちの眼光は鋭く、彼にじっと見詰められると、札付きの悪で通っている生徒でも、その胸の内を明かさずにはいられなかった。
「キャー!進堂、笑かす!」
その日の掃除時間。
今日も、三年五組のムードメーカー、進堂は、箒にまたがり、「暴れ馬」の寸劇よろしく大暴れ。
美術室の掃除当番にあたった生徒数名は、大爆笑の渦。
「あー、進堂、腹痛ぇ…。」
「やめてぇ。進堂!もう無理!」
口々に嬌声を上げる生徒達の真ん中で、進堂は更におどけたポーズを決め、生徒達の歓声はいや増した。
ガラッ。
いきなり美術準備室の扉が開き、小部先生が例の白い能面のような顔でぬっと立っている。
「げっ。おーべ。」
「居たんだ。」
その瞬間、掃除時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
さっきまで大笑いしていた生徒達は、掃除道具をロッカーに押し込むとさっさと居なくなった。
逃げ遅れた進堂は、おーべの顔を見て、わざとおどけた表情で
「すみませんでした。」
とペコリと頭を下げて、美術室を出て行こうとした。
と、その時、
「進堂、ちょっと。」
小部先生がゆっくりと手招きして呼び止めた。
びくりとした進堂は
「何ですか?」
と、それでも挑むような目でおーべを睨む。
「まぁ、そんな恐い顔せんと。ちょっと話そうや。」
と口元に薄い笑みをたたえて、小部先生は美術準備室へと進堂を招き入れた。
狭い美術準備室には赤々と石油ストーブが燃え、やかんが湯気を立ててしゅんしゅんと沸いていた。
棒のように立ち尽くしている進堂に椅子を勧め、自分も椅子に腰かけた小部先生は、じっと進堂を見詰めた。
「あの…もう五時間目始まりますけど。」
「かまへんよ」
ぴくりと口角を上げて笑んだ小部先生は、ぼそりと言った。
「進堂、無理に笑わんでいいんやで。」
小部先生が放ったその一言に、進堂のおどけた笑顔が、まるで仮面のように剥がれ落ちた。
「なんで…」
能面のように表情を失った進堂の口から、か細い声が洩れる。
「なんで、て。あんた、無理してるがな。」
そう言って、おもむろに立ち上がると小部先生は、石油ストーブの上からやかんを取り上げ、インスタントコーヒーを淹れた。
対面する小机の上にゴトンとコーヒーを置いた小部先生は、
「あんた、がんばりすぎや。」
と言って、また、口角を上げて笑んだ。
ー小部先生は知っていた。
私の悲しい家庭の事情を。
それを知られまいと、道化師を演じてきた私を。ー
気がつけば、進堂は言葉もなく、むせび泣いていた。
冬が過ぎ、卒業式を迎えたその日。
進堂は黙って小部先生に卒業アルバムを差し出した。
「進堂サイコー」「進堂と出会えてよかった!」「また、『暴れ馬』やって(笑)」
様々な寄せ書きがあふれる中、隅っこの余白に、小部先生から一筆。
「適当にがんばりや」
中学時代を思い起こして、書き上げました。
皆様に心に残る先生を思い出していただければ幸いです。
読んでいただきありがとうございました。
作者 石田 幸