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形見は勇者の吾妻形  作者: ウ
9/10

了. 自惚れる決意

騒動の熱は穏やかに引いていった。

しばらくは新たな襲来がないかと警戒が続けられていたがそれもなく、やがて領主から狩り手が、魔獣討伐を生業とする非凡の傭兵達が派遣されたとの知らせが届く。

カーガスはその姿をちらりとしか見ることはなかったが、なるほど人に対するものとしては仰々しい無骨な金属や魔獣の躰を加工したようにも見える異形の武装で身を包んだ彼らが森へ入っていく姿は印象に残るものだった。

その後は新たな被害がなかったこともあって魔獣騒動は収まっていった。

しかしカーガスの中で熱が冷めることはなかった。鱗狼の頭蓋を叩き割った時。全身の熱とは異なる脈打つ心が送り出すふつふつと湯立った血潮の熱、それを必死に吐き出そうとしたあの時からずっと。


カーガスは未だ魔獣を討ったあの時のことがまざまざと思い出せる。驚愕する周囲の呟き、視線。そして思い出すたびに身の内を満たす充足感と体の浮き上がるような喜び。カーガス自身その感覚の危なっかしさには気づいてはいたがそれを治め、意識から捨てるにはカーガスは若すぎた。


そうしてカーガスは今倉庫の中、旅の準備を進めている。

この場に至る旅立ちの決意はゆっくりと固まっていった。魔獣を討ったことはカーガスにとってそこで終わる満足ではなく、その先を欲する契機であった。漠然と存在した強さへの憧れ。父が語る武勇への強い興味。平常な日々の中で漫然とくすぶっていたそれらは魔獣との一戦、そしてなにより“特別な誘い”をもって燃え上がり始めた。


カーガスは荷を検める手を止めその元凶を見る。

今は棺からその身を出し、足なき小さなその身で床に立っているとも座っているとも言える黒髪の少女。

ミラバーンはその体を今服で覆っていた。ただしカーガスのものであったが。

身の丈は人の女とかわらぬミラバーンに対し、男としても体格の良いカーガスの服は肌着といえど大きすぎた。しかし大きさゆえの深い襟ぐりから覗く胸元と、それでいて緩やかな布によって身体の線が隠されている様は裸体を覆うために着せられたにもかかわらず妙に扇情的ですらあった。

体を捻ってみせ、ひらひらと揺れる丈の布を愉快げに見下ろしながらミラバーンは言う。


「懐かしいな。トルエバも時にはこうして彼奴の服を私に着せたものだよ。」


「そうか、本当にトルエバもな。」


トルエバというカーガスから見れば伝説とも言える人物を語るその言葉。しかしその言葉には実感がこもっている。時折のそうした伝説の一端に触れるかのような感覚はカーガスを高揚させるとともに、ミラバーンの誘いに乗ってみようと思わされる要因でもあった。

魅力的な提案、そしてその内に潜む多くの落とし穴。しかし魔剣や勇者という伝説の痕跡は、忌々しいあの柔肌の感覚と房中術とやらによる力は、そしてなによりそれらに至る特別な機会を掴むことはカーガスにとっておいそれと諦めれるものではなかった。何か一つだけを取ることは出来ず、得るならば飲まねばならない。自分でも馬鹿馬鹿しいと、愚かだと思いつつも心の内は決まっていった。


検め終わった旅の荷の一部を棺に入れ残りは小さな背嚢へ。一度棺の蓋を締め、今度は小瓶に入れた液体——いちいち体を傷つけていられぬと用意しておいたカーガスの血だ——と唾液をわずかに垂らし蓋を開けると今度は荷物のない、四肢ない身体に合わせた内張の張られた空間が現れた。


「そろそろ行く。」


そう言ってカーガスがミラバーンを抱えると、彼女が口を開いた。


「遠いのだろう?」


「ああそうだな……いやお前、ここがどこだかわかるのか?」


「詳しくは分からんが、今が八ノ月始めと言っていたな?となると出会った時、七ノ月始めの時点でアゼム虫の鳴き声が煩かったということはそれなりに南の地であろう?」


まさにそうであった。カーガスの住むここマレタ領は北の地に広がる魔領と人領とを分かつ大山脈からもはるか南、いわば人領奥深くであり魔領への道のりは遠かった。


「嫌になるほど物知った魔族だな。」


「お褒めに預かり光栄だよ。しかしまぁ近かったならば我が身で這っていくことも考えたかもしれぬ。お互いにとって良い出会いになったことに感謝しようではないか。」


(これからもその良さが続けば良いがな)


心の内では不安を感じつつカーガスはミラバーンを棺に寝かせ、その蓋を閉めようとする。

蓋が閉まる直前ミラバーンが笑い、芝居がかったように言った。


「行こうではないか魔領へ、かつて勇者が辿った道程を目指して。」


「そうだな、ミラ。」


カーガスの最後の言葉を聞きミラの目と口がぽかんと開かれる。毒を感じぬ素直な驚きの表情、その顔はすぐに棺の裏へ消えた。


蓋のしまった棺を帆布で包み、特製の綱製背負子に掛ける。剣を腰に掃き、背嚢を体の前に身につけ棺を背負った。背にかかる大きさと重さ。この棺は四肢ある体が収まるにせよそこまでは遊びのない大きさで、さらにカーガスよりは小柄な者が収まることを考えられていたらい。何度か試した通りカーガスであればなんとか背負えない大きさではなかったが、それでもやはり体の違和感を感じる。そして何よりもその重さは無視できなかった。重さについてはカーガスも特に問題に思っており背負子を作ってみたりと工夫は凝らし、魔法に頼ることも考えたがそちらがこの短期間で形となることはなかったため現状は気合いと肉体で乗り切るしかない。棺背負いのカーガス、そんな名が頭に浮かぶ。くだらなさにカーガス自身呆れるが、その妄想を弄ぶのは愉快だった。


己の肉体を信じて倉庫から外に出る。初めてミラと出会ったのは満月の夜。そして今ミラバーンと棺を背にカーガスが見上げる月もまた丸い。

先ほどのミラの言葉がカーガスの脳裏に浮かんだ。


(行こうではないか魔領へ、かつて勇者が辿った道程を目指して)


そう、勇者もまた行ったのだ。ならばこの挑戦に潜む数多の穴はその多くが一重に俺自身の弱さに寄る。ならば強くなるのみ。結局そうでなくてはことを成すことなどできない。

それで良い。魔領までは長くまだ時間はある。強さを手に入れるための時間が。

そして栄光を、一体の魔獣を打ち取ったそれとは比べ物にならぬ栄光と誉れを。

それこそが俺の望みなのだから。

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