3. 勇者の吾妻形
タイトルの話
夜深く、月は高く登り風はない。
カーガスは眠ることできず自分の部屋のベッドに寝そべり虫の音を聞きながら昼間のことを思い出していた。
昼間の納屋でのこと。何がしなかったのか分からなかったけど、今更棺でそんなにはしゃいじゃってまあ、などと母親には生暖かい目で笑われ、カーガスも現にどう確かめても中身がない以上何も言えずにいた。
その上自分の白昼夢かもしれぬことを長々と説明する気になれず不可解な思いを残しつつもその場はうやむやのまま終わった。
己の幻覚か何かだったと考えるのは簡単だ。しかしあの景色は今も脳裏に焼きついており、どうにも納得がいかない。
何故再び開けた時の棺は空だったのか。もし初回に少女が中に見え、次開けた時に見えなかった理由があるとすれば。1度目と2度目の違いは何か。
仰向けになったまま棺を開けた時のことを思い出し、腕を挙げ蓋を開けた時の動きを模してみる。その時、右手の人差し指についた刺し傷が目についた。木材のささくれでついた傷、直ぐに止まりはしたものの指先の傷故か意外にも血が流れ出て……、そこまで考えが至った時ハッとした。蓋にかけた手。流れ出る血、右手と左手。それは明らかな差だった。納得しうるに足る可能性。
カーガスは夏用の薄いケットを跳ね除けるとがばりとベッドから起き上がり、居ても立ってもいられず独り部屋から出て行った。
外は月明かり明るく納屋までの道は易いが納屋の倉庫の中は闇である。はやる気持ちのままここまで来たカーガスもそれを前に足を止めた。カーガスは灯りも——寝巻き一枚に加え剣と鍵は持ってきていた——持ってくるべきだったかと考えるが、やはり人を起こす危険は犯すべきでは無いとかぶりを振る。
暗闇の中に足を踏み入れ、あえて後ろで戸を閉める。入り口からの光が消え目の前が黒に包まれるが、その黒を睨み続けるとやがて雑多な物の輪郭が浮かび上がって来た。闇に目が慣れると天井近くの小窓から射し込む月明かりも明るく見え、それにより中の様子も十分に見える。
闇にけぶった景色の中、より黒々とそびえる棺の前に立つ。自分は馬鹿らしいことをしているのではないかとカーガスの頭が冷えるが確信を孕んだ好奇心はもはや収まらなかった。
1回目の模倣を。まず右手指先のかさぶたに爪をかけ、一息に乱暴にはがし取った。自ら招いた痛みはより明確に感じられ顔が歪むが、目論見通り指先からは再び血が流れ出始める。そのまま蓋に手をかけようとしたところで手を止め、指先を口に含んだ。あくまで1回目の通りに。そして満を辞し棺の蓋に手を伸ばす。
あえて意識し蓋の縁を血と唾液で濡れた指先で撫で、棺の蓋に手をかける。手を引くとやはり蝶番の軋んだ音が響いた。心を決め勢いよく蓋を開くと、
果たして少女はそこにあった。
白い体と黒髪。月明かりを淡く反射するそれは、昼間見たときにも増して美しく見える。
思い通りとなった興奮に胸が高鳴る。これはただの棺などではない。なんらかの魔法具なのだ。さらにこの二つ目の中身が勇者がもっていた当時からのものであるのならば。想像は膨らんでいき、その興奮のままカーガスは少女に手をかけ、
そしてぞっとした。
それは人の肌の様に柔らかで、そしてなによりも恐ろしかったのは、それが確かに、弱くはあったが人肌の温もりをもっていたからだ。これまでカーガスはその生々しさに困惑しながらも、やはりこの目の前の姿は人形か何かだと、確かにモノだとどこかで思っていた。しかし今指先に感じた感覚。
カーガスは思わず一歩退き、未だ残る指先の感覚に恐怖して指先をシャツで拭った。
その時唐突に自分の荒い息と虫の音以外の音が耳に届く。
「おや?随分と久しいように思えるが……。」
落ち着いた、それでいて少女の声を思わせる耳触りの良い声。しかしそれが今聞こえてくることはカーガスにとって恐怖以外のなにものでもなかった。音の出所はすぐに見つかった。薄紅色の少女の唇。それは今や確かに開かれつつある。
「さしずめ他の女では満足できず戻ってきた、そんなところかね?」
婀娜っぽいささやきとともに、眠りから覚めたばかりの様に未だまどろんだ様子の少女の目が開かれる。青みががった灰色の瞳、それが闇の中輝く様は今もまさに天で輝く月のそれのよう。
それらを驚愕のまま唖然と見つめているカーガスを少女の目が捉え、言葉が続く。
「ん?お主、トルエバでは無いな。お主何者だ?」
投げかけられた少女の問いにカーガスはびくりと身を震わせるが、その問いによってカーガスの意識が動き出した。
「何者かってそれは……いや待てトルエバ。勇者トルエバのことか?なぜその名が。」
問いに答えぬカーガスに気を悪くした様子もなく、むしろその困惑に気を良くしたかの様に少女の唇が浅い弧を描く。そのまま少女は言葉を続けた。
「ふむもしや。なぁお主、名をいうのが嫌ならせめて……、そうだな、今が何年で何の月かなどでいい。教えてくれんか?」
突然の平凡な問いに思わずカーガスは答える。
「今か?それは、暁歴552年、七ノ月……。」
「おや本当に随分と。成る程ね、状況が見えてきたよ。この分ではトルエバのやつはもう生きておらんのだろうね。」
驚愕や興奮あるいは恐怖や好奇心のないまぜとなったカーガスに対し、少女の方はなにか腑に落ちるものがあったらしく、その笑みを深くするとともに未だ混乱の中にあるカーガスを観察するかの様にまじまじと見つめている。
さっき確かにトルエバ言ったが、何なんだ。なぜ棺の中から出てきたんだ。いやむしろ棺の中から出てきたからこそと言えるのか?
カーガスの頭で様々な憶測が渦巻くが、カーガスはここでふと自分がこの少女について自然に尋常の存在とは思っていなかったことに気づく。ただの人と思えば普通ならまず心配になってもおかしく無い。しかし心配よりも警戒が先んじていた。
「何者なんだ。」
そんな単純な問いだけが口に出る。
その問いを受けた少女はしばらく思案する様子を見せたが、やがて口を開いた。
「まずお主から語って欲しいとこだがまぁ良かろう。お主が何者なのかはその顔の面影と今コレを開けれた時点で想像がついた。」
そこで少女は一息を入れ、力強く続ける。
「我が名は霜月のカルメイアが娘、ミラバーン!」
歌う様に名乗りをあげる少女。
しかしそれに続く内容は聞き捨てならないものであった。
「貴様ら只人ならぬ、夜に生きる不死の一族よ。」
「何?不死……、魔族なのか!なぜ魔族がっ。」
不死。それは時に姿形こそ人に似るとて確然と尋常の人ならざる者であり、すなわち人と綿々と争い続け敵対する存在、魔族でもある。
「かつては、と言った方が良いかもしれんね。」
ふと、それまで常に人を食ったような笑みを浮かべていた瞳に影が差しその表情は隠さぬ自嘲を孕んだものとなる。
「栄えある戦すらもなく、人知れず勇者に敗れ今やこの不具の体。そして勝者は略奪の権利を奮う。」
ミラバーンの短い四肢が彼女の目線の先でもぞりと動く。
「今の私は逆らう腕もなく、逃げる脚もなく、ならばとただ劣情の慰みとされた物。」
ミラバーンが再び顔を上げカーガスを見据える。
「今の私は貴様らの言葉で例えれば……吾妻形と、そういったところか。ただし——」
ふいに言葉を切ったミラバーンがくつくつと笑った。
「”勇者の”それだが。」