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形見は勇者の吾妻形  作者: ウ
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1. うだつが上がらない男

主人公説明回

夏、中天の日差しは全てを色づいた白に染め上げる。


よく踏み固められた黄土色の地面に立つ数本の案山子。丸太に藁をまとわせ紐でくくることでかろうじて人型を模したそれは作物を虫鳥から守るためのものではない。

それと向かい合う男が一人。

生まれながらのものに加え鍛錬が重ねられたのだろう。男の体格は良く、広い肩とその背丈も共に並の男以上のものであったが、この上ない真上から降り注ぐ日光により作られる影はあくまで小さい。

半端な長さの黒味の強い赤髪に面長の顔。どこか大陸西方の血を感じるその顔の作りは決して悪いものでは無かったが、上がり気味の目尻と角ばった顎に残る無精髭によりその風貌は粗野な印象を感じさせた。


男は鈍い鉄色の模造剣を正面中段に構え、案山子を睨み殺さんとばかりにねめつける。


男の体が不意に動き出す。

シッ、噛み締めた歯の間から息の音が漏れた。大きくともブレのない踏み込みに乗せて繰り出される袈裟斬り。振り切りに間を空けず剣へと乗せた体重を踏み込んだ足でいなし後方へ飛び下がる。

男の意識は既に次の者へ。想像の中で相手からの攻撃を見る。

左半身になり間を取ると同時に案山子には触れぬ牽制の一撃、その振りから流れるように切り返す。一撃目とは異なり最低限の踏み込みで繰り出された切り上げは刀身の前半分半ばで正確に敵の脇下を、案山子の横腹を捉え、金属が丸太に食い込む鈍い音を残して振りきられた。

即座に身を引き正面中段に構え直す。男の見つめる先、案山子の纏う藁の裂けた間からは丸太に残る深い切り跡がのぞいていた。


短くとも息する間も無く行われる圧縮された動き。これを炎天下の中幾度も繰り返してきたのだろう。男の顔は汗にまみれ、額からは新たな汗が玉のように吹き出ている。荒い息を無理やり治め、次なる動きへ移ろうとしたその時。


「カーガス!カァアアアガス!朝食にも顔を出さんでどこにいる!?今すぐ母屋に来い。必ずだっ。」


決して近くはない距離から放たれているであろうに確かな音量を持った声。脱力したカーガスからため息が漏れる。


「親父め……。」


小さく呟かれた声はその容姿の割に未だ抜けぬ若さを感じさせる声だった。

広場に隣接する納屋の軒先、その狭い日陰の内に備え付けられたベンチの上に置いていた手ぬぐいと上着を手に取ると、汗を拭いながらカーガスは父親の呼ぶ母屋へと向かった。



母屋の食堂に踏み込んだカーガスは不機嫌な仏頂面でテーブルに座る面々を見渡す。


カーガスが父親によばれた用、それは端的にいえば昼食の知らせだった。

己の修練を中断させられ嫌々ながらも母屋の玄関を潜ろうとしたカーガスであったが、そこでまたしてもカーガスの歩みは止められた。立ちふさがるメイドのクレアと執事兼父親の秘書のジュール。恰幅のいいクレアが中年女性特有の柔和だが有無を言わさぬ笑顔——カーガスにとってはいつものクレアの笑顔だが——でガーガスに手渡したのは桶とタオル、そして着替え。それはその汗臭い体でお館に入らないでくださいね、そしてさっさとお身体を流してくださいませという明確なメッセージだった。

状況は完全に周囲が正しいが、人にこっちに来いあっちへ行けと引きずられたカーガスはこうして不機嫌さ極まった状態で食堂へ至ることとなる。


高級材の一枚板を使用した非常に上質だが華美ではない、良くいえば質実剛健な6人がけのダイニングテーブル。その上にはいつも通りのクロスとパン籠。上座とその左手側にはこれまたいつも通りカーガスの父親と母親。

カーガスに輪をかけて逞しい体格に赤銅色のうねる赤髪と髭を備える父。それに対し少々細さが目立つ面立ちに黒茶の髪の母。骨格といい顔立ちといいなるほどこの両者を足して2で割ればカーガスになろうという2人である。そうした何もかもいつも通りかと思える景色に異なる点が。父親の右手側に座る若い男。栗色の短髪に眼鏡——それもつるは細くレンズの薄い上質なものだ——をかけ、その眼鏡の奥から髪と同じ栗色の瞳の丸い目でカーガスを見ている。


「ネンケル、お前が来るとは聞いてなかったが。」


「そうかい?僕としては昼食へのご招待があったのは先週のことだったのだけどね。君はいつも通りといった様子で何よりだよ。」


「ああ、ありがとう。ようこそ我が家へ。」


カーガスの気の無い返事にネンケルは小さく笑いを溢す。

ネンケルはここらでは一番手の商家の息子である。学校など無いこの田舎にて同じ家庭教師から学ぶことになったのをきっかけに出会った2人は、家と家の繋がりも深く同い年であったのもあって生活や様々な話題を共有する仲となった。それ以来続くカーガスにとって小さな頃からの友人である。


普段であればネンケルの座っている場所がカーガスの座る位置であるが、食器の用意のあった母親の左隣の席へと着く。ネンケルを見据えつつ道理で身を整えさせられたわけだとカーガスが独りごちていると、いつの間にやら現れたジュールが「お揃いになったようですのでご食事の用意を」と言い残して再び出て行った。

その後運ばれてきた食事を前にして父親の音頭の元行われた人神への祈りがあり、昼食は始まる。

しばらくは昼食に舌鼓をうち、やがて父親がネンケルに家の商売の様子を訪ねたりネンケルが父親に収穫の見込みを訪ねるなどたわいのない会話がしばらく続いたが、不意にネンケルがカーガスへ話題を振った。


「カーガスももう今年の秋には17になるんだろうけど、アルフレアさんの、お父様のお仕事について手伝いはどんな調子だい?」


普段からよく話すネンケルとカーガスの中であればこれがカーガスの触れられたくはない話題だということをネンケルは分かっているはずだ。カーガスに向けられた、若干気まずい色を浮かべるネンケルの目にカーガスは事情を察し平静のまま答える。


「特にこれといったことは無いな。まだ親父も元気なことだ、ゆっくりと進めているさ。」


「そうなのだよネンケル君、困ったものでね。カーガスももう良い歳で、土地の切り盛りについてもカーガスの手を借りて儂も楽をしたいところなのだがこいつときたら昔も今も剣を振ってばかりでしてな。」


ここぞとばかりに調子良く話し始めた父親を横目にカーガスは顔まで出かかった苛立ちを喉元で飲み込む。


「時に振ってないと思えばどこぞへ遊びに回るだけでまともに仕事するのはほんの時たま。既にお父上と共にご商売を実地で学んでいるネンケル君とは大違いというものだ。本当にお恥ずかしい。」


「仕事ならしているが。一昨日も水路の底さらいと補強があっただろう。」


「そういうことを言っているんじゃない。お前は人夫では無くいずれ土地を継ぐ立場の人間なんだぞ。したいことではなく必要な仕事をしろと言っているんだ。お前がこれ以上身体を鍛えて、剣を振って何になる?」


無自覚を装って当然のごとく答えるカーガスへの苛立ちがわずかに父親の眉間へ現れつつある。父親から明らかに話の継ぎを求めたものであろう目配せがネンケルへと向かい、ネンケルが慌てて話だす。


「そ、そうですねぇ剣はまぁ、今やアルフレアさんのように戦場で、という時代でもありませんし……。」


「うむうむ。魔王討伐からはや三十余年、魔領への北進政策もほぼ限界だろうて。儂等のような勇者の血筋がありがたがられる頃合いはとうに終わった。そのあたりはネンケル君が詳しかろう?」


「ありがとうございます、受け売りではありますが——」


そう前置いてネンケルが話し始める。


「幾度と繰り返されてきたこととして、多くの場合人領の前線を進めることに成功しても障害となる有力な魔族というのは討ち取られることなく深部へと撤退するだけです。つまりは魔領の侵攻が進むにつれ残った魔領の魔族の密度は高まることとなり戦力的に侵攻が難しくなる時点がくるわけで……、そこまできてしまっては押し込まれた魔族を犠牲を払って打ち取るよりも防備を固め人間領境界を確固たるものとし次代の魔王出現に備えた方が遥かに有益といえますからね。」


己の知見を語る段になってネンケルも饒舌になっていく。


「それは当然軍部も分かっていることでして現に最近になって打ち出されている連合軍プロパガンダの方向性も——」


「ああもういいもういい、その辺りは俺だって分かっているさ。」


話を遮るカーガスの言葉にネンケルは少し残念そうに、繰り返し相槌を打っていた父親は明らかに不満そうにカーガスを見る。


「なら、どういうつもりなんだお前は。お前はいつもそうだ。なあなあで動こうとしないくせに何か考えを言うでもなし。この前だってだな——」


カーガスの態度にしびれを切らした父親が堰を切って不満を語り始める。カーガスの意識の低さ。将来への考えの至らなさ。問題を先送りにする態度。その他などなど。いくつか同じ内容を繰り返しつつ次々と語られる不満にもカーガスはどこ吹く風といった様子で気の抜けた相槌をうつのみ。やがて打てど響かぬカーガスの態度に嫌気がさしたのか、父親がネンケルに話をふる。


「儂が言ってもカーガスはこの調子でな。ネンケル君からも何か助言を頂けないかね。」


「はっ、はい。」


突然の求めに思わずといった様子で背筋を伸ばすネンケル。


「まあカーガス。君もいつかはこの土地を継がなきゃいけないわけで、それがただ権利書だけの問題とかじゃないってのは分かってるだろう?だからさ……」


「家は兄貴に継がせるはずだっただろうが。」


自然な調子で言い放たれたカーガスの言葉。その一言で場の空気が変わった。


「カーガス、やめなさい。」


それまでネンケルとの雑談に少々加わっただけで静かに話を聞いていた母親が鋭く言い放ったが既に意味はない。父親の顔はみるみる怒りに染まっていく。


「それを今さら言う意味が……どこにあるっ!」


カーガスと兄エニアはもう長らく会っていない。


カーガスにとって兄エニアは常に見上げる存在であり、エニアの才覚は幼い頃から溢れ出ていた。それまさに文武両道。武術魔術に関してはその道で身を立てた父、ブレオ=アルフレアをして唸らせるような才能を発揮し、こと勉学に関してはトンビが鷹を産んだが如し兄の才能には父も大変気を良くしたものだった。


しかしエニアは高く飛翔しすぎた。軍学校では華々しい成績を残し、中央の軍部で大成するエニア。疎遠となる家とエニアの仲。父としては軍人はキャリアのひとつでありおいおいの帰りを待っていたのだろうが、ついにエニアが一方的にアルフレアの名を捨てるに至り疎遠はもはや断絶となった。父にとって初めての子供にしてこの上なく自慢だったカーガスの兄。それ故にもはや家族ですら無くなったエニアに対する父の思いは今も只ならぬものがある。


赤ら顔の父親に向かってカーガスは続ける。


「親父、説得を手伝って欲しくてネンケルを呼んだんだろうが……、客の目の前で口論するつもりか?」


カーガスの言葉に口を開いた父親がそのまま止まる。怒声を上げようとして喉元で押しとどめたかのように。一拍の沈黙の後で父親は、


「甘えるのはいい加減にしろ。お前が、お前が自分の立場について自覚すればいいだけの話だ。」


ゆっくりと低く、唸るように言葉を絞り出した。

父もかつては戦を生業とし身を立てた人間。人前故に抑えられ、ネンケルに向けられているわけでもないとはいえその身から発せられる威圧的な空気に思わずネンケルが身を硬くしたのが見て取れる。


睨み合うカーガスと父親。両者の緊張に空気も張り詰めたその時


「ブレオ、そろそろお時間ではなくて?」


落ち着いた声。母親に皆が注目し両者の視線が解ける。


「あ、ああそうだな。昼食ももうお済みになったことだ。約束は昼食だけだったか。忙しいネンケル君をあまり引き止めるのも悪い。」


何のお時間なのかは関係ない。父親は決まり悪そうな顔を一瞬見せたが、すぐさま平常な様子で立ち上がるとネンケルに握手を求めた。


「今日はありがとう。碌なもてなしもできずすまないね、お父様にもよろしくお伝え頼む。」


「いえ、アルフレアさんも今日は素晴らしい昼食をありがとうございました。また父とも共にご挨拶させていただきます。」


ぎこちなく挨拶を交わす二人。


「ミリアンヌ、ジュール。ネンケル君のお見送りを。」


父親はそう言いネンケルを送り出そうとするが、


「ああ俺も見送るよ。」


父親と二人残るのは避けたいカーガスがそれに続く。

カーガスとしては父親に呼び止められるかとも思ったが父親はそうか、と言ったきり何も言わなかった。


その後ネンケルとミリアンヌが玄関で別れの挨拶を交わし、ジュールから預かってもらっていた馬をネンケルが受け取った。

敷地の門まではカーガスとネンケルだけが連れ立って歩く。お互い黙り込んでいたが門についたところでカーガスが先に口を開いた。


「今日はすまなかったな、本当。面倒なことに巻き込んで……。」


馬の鐙に足をかけ、歯切れ悪いカーガスの言葉に苦笑いでもって答えるネンケル。そのまま馬にまたがると、


「カーガス。これはまぁ、君が悪いよ。」


去り際に言い残す。


親友からの一言はカーガスにも耳に痛かった。

タイトル回収までは本日中に投稿します

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