レイラのアルバイト
二巻発売記念SSです。
時系列的には、アカデミー二年目の終わりごろ。
アカデミー入学直前、レイラがやって来たのは町はずれにある一軒の喫茶店。
レイアが扉を開けば、カランと店内にいい音が響き、奥からいらっしゃいと渋い声が聞こえてきた。
「あの、ここでアルバイトを募集していると聞いたのですが」
「お、希望者かい?」
「はい、今年からアカデミーに入るレイラです。寮長にここなら時間的にもちょうどいいと聞きまして」
入寮と同時に、レイラはバイトの相談を寮長へとしていた。学費などは師匠が払ってくれたが、日々の生活費は自分で稼ぐのが師匠との約束である。食事は寮と学食があれば十分なのだが、私生活の中で服や消耗品の購入は必ず必要になってくる。寮の部屋もベッドと机以外は何もないため、飾り気が欲しかった。それらを集めるためにも、早急にアルバイトをする必要があった。
「アカデミーの生徒か。確かにうちは夕方からの仕事に募集を出してたからな。十八時から二十一時までの仕事になるけど、大丈夫かい?」
「問題ありません」
「じゃあよろしく頼む。明日のうちに準備を済ませるから、明後日の十七時に来てくれ」
「はい、よろしくお願いします」
話はとんとん拍子に進み、レイラはこの喫茶店でアルバイトすることが決まった。
約束の日、レイラが喫茶店へとやってくると、待っていたと言わんばかりに店長が笑顔で出迎える。心なしか、一昨日よりも肌の艶がいい気がした。
「今日からよろしくお願いします」
「ああ、よろしく。とりあえず奥に着替えを用意したから、そっちに着替えて。給仕用の汚れても大丈夫なやつだから」
「分かりました」
言われるままに、更衣室用に用意された部屋へと入り、そこに置いてあった給仕服を見に纏う。
「これは……」
着替えを終え、鏡の前に立ってレイラはその姿に驚く。
着替えている時はただのワンピースのような気がしていたのに、実際に着てみればそれはロングスカートのメイド服だ。あらかじめエプロンが服に縫い付けられているタイプのようで、エプロンとしての役割は果たしていないが、見かけだけは完璧なメイド服である。ご丁寧に、着替えの下にはヘッドドレスまで用意してあった。
「着替え、終わったかな?」
「あ、はい。けどこれは……」
部屋を出たレイラは、店主の前に立ちながらもやや恥ずかしそうに頬を染める。
「良く似合ってるじゃないか。夜なべして作った甲斐があったってもんだ」
「夜なべ!?」
若干警戒していたが、店主の視線にいやらしさはなく、不快感はない。その上、少し歩いてみて気が付いたが、非常に動きやすいのだ。
「ってことは、これ自作なんですか?」
「一着だけだとオーダーメイドじゃ高くつくし、細かいところに拘れないからな。さ、じゃあ基本的なことを教えていくから」
「あ、はい」
一見紳士の店長が、夜なべしてメイド服を作っている姿を想像し、表情が引き攣る。しかし、店長がすぐに仕事の話を始めてしまい、制服のことはうやむやとなってしまった。
店主はカウンターへと入り、色々な道具を調理台の上へと並べていく。それを隣から見ながら、店主の説明を聞き、時にメモを取って覚える。
そんなことをしている間に、開店の十八時が来た。
「さっき教えた給仕のマニュアル通りにやれば問題ないよ」
「分かりました」
「じゃあ頑張ろう」
入り口の掛札をクローズからオープンに変え、喫茶店が開店するとすぐに客が来店してくる。誰もがここの常連らしく、新しい給仕のレイラに興味津々だ。しかし、酒を扱っていないこともあってか、たちの悪い客はおらず誰もが手慣れない様子のレイラを見て、ほほ笑んでいる。
「お待たせしました。ハンバーグプレートになります」
「ありがとう。新人さんだよね? 今日から?」
「はい、よろしくお願いします」
「そっか。その服よく似合ってるじゃないか」
「あ、ありがとうございます」
レイラも操縦士を目指しているが女の子なのだ。来ている服を似合っていると言われて、悪い気はしない。ただ、褒められていないレイラは、なんだか恥ずかしくない、持っていたお盆で口元を隠す。その下には、若干赤くなった頬と笑顔が隠れていた。
こんなに女の子らしく振る舞ったことはいつ以来だろうかとふと考え、そして町を襲われてからは一度もないことにレイラは気付いた。日頃から師匠との訓練に明け暮れ、聞かざることはおろか、散髪すら自分で適当に済ませていたのだ。そんな生活を続けていた自分が、今のレイラを見れば、きっと目を丸くして驚くだろう。
「そんなに忙しい店じゃないし、あんまり気張らずのんびりやりなよ」
「おいおい、失礼な客だな」
カウンターから、呆れたような店主の声が響く。客は常連なのか、笑いながら店主に答えた。
「だったら酒の一つでも置くんだな。それだけでだいぶ儲けも違うぞ?」
「俺は酒が嫌いなんだ。それに、酒を置くと、昼でも学生が来なくなるからな」
「出たよ。店長の若い子好き。君も気を付けなよ」
「あはは」
そんな軽い応援の言葉をかけられつつ、仕事をこなしていくとあっという間に二十一時を過ぎ、店仕舞いとなる。
レイラは、テーブルを拭きながらホウッと大きく息を吐いた。
「お疲れ様。そこ終わったら上がっていいよ」
「はーい」
手早くテーブルを拭き終え、メイド服から私服へと着替える。
私服に着替えるとやっと仕事が終わったという気になり、気持ちがスッと楽になった。
更衣室を出て、帰る前に店主に挨拶しようとカウンターに顔を出せば、店主がスッとはこのような物を差し出してきた。
「これは?」
「賄いだ。店の味を覚えるのも大切だからな」
そんな理由を付けつつも、レイラの為に作ってくれたものだと言うことはすぐに分かる。
「ありがとうございます。明日もよろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
「では、お疲れ様でした」
喫茶店を後にし、暗くなった町を歩きながら思う。
今日見た限り、変なお客さんは少なそうだし、店主も若干怪しい点はあるが、いやらしさは感じなかった。
あの店ならば、上手くやっていける気がする。レイラはそれを今日の仕事から確かに感じることが出来た。
「ふぅ、明日も頑張りましょう」
受け取った、まだ温もりの残る賄いを抱きしめ、レイラは寮へと戻るのだった。
あれから二年。レイラは喫茶店内の一つのテーブルを見ながら、どうしてこんなことになってしまったんだろうと頭を抱える。
そこにテーブルに座っている四人は、アカデミーの学生。エルド、バティス、レオン、そしてアンジュだ。
エルドとアンジュは、白色新年祭の際にすでに一度来ているが、まさかバティスとレオンまでもがこの店に来るとは思っていなかった。エルドへの釘差しが甘かったのかと思いつつ、肩を小さくしているエルドを睨むが、その視線に気づいたエルドは必死に首を横に振っていた。
つまり、エルドが教えた訳ではないということだ。しかし、アンジュが言いふらすとも思えない。
ハァと小さくため息を吐きつつ、レイラは覚悟を決めそのテーブルへと向かった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「おう、俺はこのビーフシチューセットな!」
「ではポトフをいただこう」
「私は日替わりかな? シーフードミックスフライ」
「じゃあ、自分もそれでお願いします」
一人、妙にびくびくとしながらの注文を受け、それを店主へと伝える。
「それで、なんであんたたちがここにいるの?」
セットの付け合わせであるサラダを出しつつ、四人に尋ねる。
「そりゃ、レイラがメイド服着てるなんて聞いたら、来ない訳にはいかないっしょ」
そんな風に、陽気に答えるのはバティスだ。
「そう言うことだ。良く似合っているぞ」
家のメイドにも負けないと、なぜか頷いているレオン。
「へぇ、誰から聞いたのかしら?」
「俺の情報網を甘く見てもらっちゃ困るなぁ。こんないい店、他の学生だって来るんだ。レイラっぽい子が給仕してるって聞きゃぁ、来ない訳にはいかねぇだろ」
つまり、遊び相手の誰かから聞いたのだろう。
「お、俺は止めとけってちゃんと言ったぞ? 俺のせいじゃねぇからな!」
「分かったから、エルドはそのおどおどした様子を止めなさい。気持ち悪いわよ」
「酷い言い様だな、おい!」
そんな風に談笑していると、店主がレイラを呼ぶ。
「出来たぞ、持って行ってくれ」
「はーい」
カウンターに並べられたそれらの料理を、手早く両手に乗せて運ぶ。最初は二つ同時に運ぶのも恐々だったが、今では片腕三皿も余裕だ。これも意外とバランス感覚を鍛える良い特訓に立っていたりもする。
「お待たせしました。日替わりセットと、ポトフです。ビーフシチューに生クリームはお掛けしますか?」
その言葉を聞いた瞬間、エルドがハッとなりバティスを止めようとする。しかし、レイラのメイド服を見てノリノリのバティスは、エルドが止めるまでもなくイエスを選択した。
「おう、ハート形に垂らしてくれよ?」
「かしこまりました」
笑顔で答え、カップからクリームをたっぷりと垂らしていく。
片手の指で円を作れば、その中に入ってしまいそうなほど小さなハート形を茶色く残し、他の部分を真っ白に染め上げたのである。この技術も、地味に進歩していた。
「バティス、あまり調子に乗らないことね。次の訓練、草原の真ん中で下半身ひん剥いてあげるから」
そこでようやくバティスはレイラの怒りに気づく。しかし、時すでに遅し。
バティスは仲間たちに助けを求めるも、彼らは自身の前に置かれた料理に舌鼓を打っていた。
「ふむ、なかなか美味いな」
「そうだよね、ここのお店の料理凄く美味しいんだよ」
「前来たときは味なんて分からないくらい恐怖を味わったが、この味はレイラ抜きにしてもまた来たいな」
「私としては来てほしくないんだけど」
レイラが嫌な顔をすると、カウンターから出てきた店主が、苦笑する。
「おいおい、大切なお客さんを逃がさないでくれよ」
「ほら、店主さんもこう言ってんだ。レイラもそうカリカリすんなよ。お、ビーフシチューも美味ぇな」
「ありがとう。今度は全部その味で食べてくれると嬉しいよ」
クリームに侵食されていない部分から、器用にソースを味わうバティスに、店主は嬉しそうに答えた。
「そうだな、今度は彼女連れて来ようっと。たばこの匂いもしないのがポイント高い」
「これでも料理の味と匂いには拘っているもんでね。さて、レイラもそろそろ仕事に戻ってくれ」
「はい」
納得いかないが、店主に言われれば戻るしかない。レイラは後ろ髪を引かれつつも、給仕の仕事へと戻る。すると、その場に残った店主がエルドたちに小声で話しかけてきた。
「これに懲りずまた来てくれると嬉しい。彼女もあれで、衣装を褒められるのは好きなようだからね」
店主の言葉に、彼らはカウンター近くに立つレイラを覗き見る。レイラは、カウンター近くにある鏡で、前髪を弄っていた。そして、その視線に気づき振り返る。
そこには、レイラへと向けられた五人分の視線と、サムズアップした友人たち四人の姿。
レイラは一瞬で顔を茹蛸のように赤く染め、その場から逃げる方法を必死に探す。
そして――
「て、店長。びびび備品が無くなり始めていたので、取ってきます!」
そう言ってトレードマークのポニーテールをなびかせ、店の裏へと逃げ込むのだった。
ちなみに、書籍から読めるこぼれ話には、文中で出てきたエルドとアンジュが最初に訪れるシーンもあります。