ある薔薇との邂逅。
空は快晴。
クラトスの家から東に向かって数十分、チャロは箒にまたがって空を飛んでいた。
杖に、横向きに腰掛けて空を飛ぶクラトスの隣りをキープしながら、現在、のんびりと飛行しつつ、依頼主のいる薔薇の谷へと向かっていた。
時折、すれ違う精霊や鳥たちに挨拶や世間話をしながら、順調な道中であった。
「師匠、薔薇の谷の依頼内容は、いったいどんなものでしょうか?」
「あれ? チャロ君に言ってなかったっけ? 今日はね、薔薇姫の診察と薬を渡しに行くのと、素材の採集だよ〜。」
クラトスがニコニコと微笑みながら、顔にかかった髪を耳にかけた。
「ば、薔薇姫って…もしかして、あの、亡き恋人に遺された約束の地に、世界中の薔薇を敷き詰めたという、健気なお姫様の事ですか?!
えっ!? あれって、お伽話ではないのですか!?」
びっくりして目を見張ると、クラトスがクスクスと笑う。
「チャロ君、あのお話しは実際に有ったお話しだよ~。
それに、 “この島に有るお伽話”って言うのはね、だいたいが真実でね。
事実に基づいて少し婉曲したり、大袈裟に書いてあるのさ~」
ふふふ、と笑うと「チャロ君、目が落っこっちゃいそうだよ」と、チャロの頭に手を伸ばしてサラサラの黒い髪を撫でた。
「診察、ですか? 薔薇姫は、具合が悪いのですね…」
しょんぼりとしたチャロに、クラトスは苦笑して答える。
「彼女は、滅多な事では死なないよ。 むしろ、愛情が深すぎて今では半精霊化が進んでいるんだ。非常に、厄介なんだよね~…。」
はぁ…と溜め息を付く。
最後の方は小さく呟いたが、しっかりとチャロの耳に届いた。
ぎょっとして、クラトスを仰ぎ見れば、前を見つめたクラトスガ、さらに長い溜息をついていた。
「師匠、ヒトって…精霊になれるのですか? 」
「うん、なれるよ~。色々と条件が揃わないといけないけど。
薔薇姫はね。生まれながらに引き寄せる力が強いから、ものの見事に条件が揃っちゃったんだよね~。」
「そう、なんですか…?
良く分かりませんが…、 あと、厄介ってどういう事でしょうか?」
「あの谷には…って! あぁっ! そうだった! チャロ君!」
「はい、なんですか?」
クラトスがパチンと指を鳴らすと同時に、空中にペンダントが現れて、クラトスの手の平の中にゆっくりと収まった。
「危なかった~! うっかり忘れる所だった~。 チャロ君に、御守りをあげるよ~! 必ず肌身離さず持ち歩いてね。」
ニコニコと笑いながら手を伸ばして、チャロの首にペンダントを下げた。
ペンダントは、とてもシンプルで、金の鎖にまるで血で出来た様な、黒ずんだ真っ赤な魔石が付いていた。
「これは、なんですか?」
「これはね、とても強力な護りのこもった魔石だよ〜。
チャロ君を傷付けようとする、または悪意のある者から護る、というプログラムが組み込まれてる石だよ。」
「…それって、これから行く所に危険が有るって事…ですよね?」
ひくっと、顔が引きつる。
クラトスが、ちょっと困ったように眉を下げた。
「えっとね、ヒトから半精霊化が羽化する時、少しの間、魔力の繭に包まれるんだけど、その瞬間って、ものすご~く濃度の高い、質の良い魔力が繭の中を満たしているんだ。 それを狙って食べに来る魔物が結構凶暴なんだよね~。」
「えっ…それ、で、なんで、僕、に…?」
ごくりと、チャロは生唾を飲んだ。
ドキドキと、心臓が嫌な音を立てる。
「その魔物、悪食でね〜。繭が熟されるまで辛抱強く待つんだけど、気が高ぶるせいか、暇つぶしなのか、繭の周りに有るものを何でも食べちゃうんだ。」
「…え…?」
「特に、僕やチャロ君のように、魔力量が豊富なヒトは、捕食対象だよね。 だからこその御守り。」
さぁぁぁっと、チャロの血の気が引く。
クラトスはチャロに激甘な所が多々あるが、基本的にスパルタチックな所が有った。
「ぼ、ぼく、師匠のアトリエに帰りますっ! 後生ですから、か、帰らせて下さいいいっ!」
「だめ~。 言ったよね?
チャロ君にしか出来ない事が有るから、手伝って欲しいって。
僕だって、万能じゃないならさ~。 これも修行の内だよ~。」
「さっき、今日のお仕事は、診察と素材採集だって言ってたじゃないですか!
こ、これって、討伐と護衛って、いっ、言うんじゃないですか!?」
「うん? まぁ、ついでに、かな? 素材の採集は、ヴォラックスから取るんだよ~。
肝臓が質のいい精力剤になるし、眼も心臓も魔石になる。 羽も貴重な素材だね~。」
「ヴォラックスと言うのが、その魔物の名前ですか?」
「そうだよ。 “食いしん坊”っていう意味の古い言葉さ~。
土も木も草も、動物も妖精も人間も、魔力が少しでも有るモノであれば、なんでも口に入れて噛み砕いて喰ってしまう。 悪食とはまさに奴らのことさ!」
ぞくぞくと背筋が冷えて、ぶるるっとチャロは体を振るわせた。
「師匠…、ぼ、ぼく…こわいです…っ。」
じんわりと眼に涙が溜まる。恐怖に体が震えて、歯の根が合わず、カチカチと音をたてる。
ハッとして、クラトスが慌てて振り返り、チャロを見た。
「だ、だいじょうぶ! チャロ君は僕が絶対守るから!
ななな、泣かないでっ!?」
ぐすんと、鼻を鳴らして、恨みがましそうに上目づかいでクラトスを見る。
「し、師匠のいっ、いじわる…! そうやって脅かして…ひどいです…」
ぷるぷると震えながら、じとっと睨むと、とたん苦しそうにクラトスが胸を押さえて、ポカンと口を開けてチャロを凝視する。
「なにそれ、かわいい、かわいいっ…!
チャロ君が可愛すぎて破壊力やばい…。
チャロ君、萌えで僕を殺そうとしてるの、そうなの?」
「…?? いまので、どうしてそうなるんですか?」
よく分かりません、と呟いてムッとしながら、こてりと頭をかしげると、クラトスが眉間にしわを寄せて表情を険しくした。
胸に置いてあった手で、口元を隠す。
「あぁ…血が…、血が、出そう…。」
「…血…!? えっ、えぇっ!? ど、どうしたんですか? だぃ、大丈夫ですか?」
潤んだ眼でおろおろとするチャロを、クラトスは恍惚とした眼で見た。
「で、弟子、万歳…! おっと、チャロ君、そろそろ降りるよ~。薔薇の谷だ。」
そう言われ下に目を向けると、数キロ先に色鮮やかな花々の絨毯が見えた。
かすかに風の中に、甘くて気高い薔薇の香りが混じっている。
「わぁ…! すごく、綺麗…!」
思わず言葉に出してしまうほど、見事なまでに艶やかな薔薇たちが咲き誇っていた。
薔薇は谷を埋め尽くすほどで、実際、この谷は薔薇で森が出来ていた。
少しずつ高度を下げながら薔薇の森の上を飛び、しばらくすると大きな館が見えてきた。
館の前には、上品な雰囲気を纏った白髪の女性が立っていた。
妙齢の女性の前で、クラトスとチャロがそっと地面に降り立つ。
空気は、むせ返る程の薔薇の香気で溢れていた。
「ごきげんよう、白銀の君。 お待ちしておりました。」
白髪をきっちりと結い上げた、凛とした佇まいの美しい女性は、キラキラと輝く瞳を細めてニッコリと微笑んだ。
その微笑はとても美しく、老いても尚、まさにこの薔薇の咲き誇る谷を統べるに相応しい、艶やかな容姿の持ち主であった。
「ご機嫌麗しゅう、薔薇の姫。 また貴女にお会いできて嬉しいです。」
薔薇姫の赤に近い桃色の瞳には、優しさと慈愛があふれていた。
ニッコリと笑みを交わし合うと、クラトスがそっとチャロの背中に手を当てた。
「薔薇の姫、こちらは僕の愛弟子のチャロです。 今日は、僕の助手として連れてきました。」
「は、はじめまして、薔薇の姫様。 弟子のチャロです。 どうぞ宜しくお願いいたします。」
「はじめまして、チャロ様。 わたくしはシャルロット・ランダンです。 どうぞお見知りおきを。
ふふふ…まぁまぁ! それにしてもクラトス様。こんなに可愛らしいお弟子様をお持ちなんて、本当に羨ましいですわね。」
ふふふ…と、口元に手を当てながら品良く微笑むシャルロットの眼差しは、暖かくチャロを見つめた。
それを聞いて、かぁぁっとチャロが恥ずかしさに顔を赤くした。
それを見て、シャルロットがさらに「まぁまぁ! 本当に可愛らしいこと!」と、にこにこと微笑を深める。
「そうなんですっ! チャロ君は本当に、ほんっとうに可愛くって!
あんまり可愛いので、外に出すのが心配で、いつもお留守番ばかりしてもらってるんですよ~。」
「し、師匠っ…! 言い過ぎですよっ! やめてくださいぃぃ…」
キラキラとした表情で薔薇姫の言葉を肯定しながら、弟子自慢を語るクラトスを仰ぎ見て、さらにチャロは顔を赤くした。
薔薇姫は、二人の様子に眼を丸くしてから「あらあら、まぁまぁ…仲良しさんなのね、ふふふ…」と、また微笑む。
「クラトス様、チャロ様。
さぁさぁ、此処ではなんですから、中で温かいお茶でもいただきながらお話をいたしませんか?」
「ふふ…、では、お言葉に甘えて、お邪魔させてください。」
促されて館に足を向ける。
『 ――、――っ… 』
ふと、チャロは何かに呼ばれたような気がして、辺りを見回す。
「………? 」
「…チャロ君、誰かに呼ばれたの? 」
ハッとして振り返ると、少し首をかしげるクラトスと不思議そうな表情をしたシャルロットが、チャロを見ていた。
「は、い…。たぶん…。」
こくりと小さくうなずくと、チャロは困ったように師匠を見上げる。
「…ぼくの同伴の理由は、“これ”ですか? 」
「うん、そうだよ。 僕には“見つけられない”からね。
今はまだ、危険はないから、彼を見つけて欲しいんだ。」
「…話を、聞いてくればいいのでしょうか?」
「そうだね。 彼の望みを可能なだけ叶えてあげてほしいのと、出来れば連れてきてくれないかな。」
「わかりました、…がんばります。」
チャロは、気合を入れるようにぐっと顎を引いて唇を引き結んだ。
よしよしと、チャロの頭をなでると、シャルロットの方へ視線を向ける。
「薔薇の姫、お茶の前にチャロ君を探索に出したいのですが。
彼に、薔薇の谷を自由に探索する許可を下さいませんか?」
「えぇ、かまいませんわよ?
どうぞ、自慢の谷ですから、見て回ってくださいな。」
「ありがとうございます。 では、チャロ君、よろしくね。
僕は館で、薔薇姫の診察と治療をしているからね。」
「はい、お師匠さま。 では、後ほど。」
クラトスとシャルロットと別れると、歩きながらチャロは耳を澄ました。
『 ――、――…ぉ! ――ぁ…!』
やはり何か聞こえる。
チャロは、声のする方へと足を進めた。
大輪の、白い薔薇が咲き誇る低い垣根の先。
少しだけ丘になっているその先に、誰かが手をぶんぶんと振り回している。
『 お~いぃ、そこの美少女ぉ~! 聞こえるかぁ~!? 』
丘の頂上に着くと、墓石の上に腰を掛けている男がいた。
自分の方へチャロが真っ直ぐ向かっているのを確認すると、ぱぁぁぁっと嬉しそうに笑った。
『 うわぁ! やっぱり、私の事が見えるのか! 声も聞こえるなんて、すごいね、きみ!』
チャロは、むぅぅぅっと頬を膨らませた。
「ぼくは、おとこだっ!」
満面笑みの男に、チャロは叩きつけるように言い放ったのだった。




