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白銀の魔法使いの愛弟子  作者: 緑青海雫
第1章 ある少年と薔薇の話し
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ある薔薇の話し。

 


 初夏、薔薇の咲き誇るこの谷で、わたくしは彼と出会いました。




 優しい面差しの彼は、私を見つめると更に相好を崩して、笑うのです。


 わたくしも嬉しくなって、微笑みを更に深めました。


 それから、いつもの様に薔薇の木の間の草の上に座って、暖かい陽の光を受けながら、沢山の事を話し合うのです。

 話題は尽きる事なく、その内容に時に笑い、時に憤り、時に泣いてそしてはしゃぎながら討論し、また声を立てて笑い合う事がお互い楽しくて……。



 わたくし達は、お互いにとって、かけがえの無い理解者でした。



 わたくし達は、いつもこの薔薇の咲き誇る谷で会い、時間を気にすることなく見つめ合い、微笑み合い、絆を深め愛し合い、陽が黄昏れば名残り惜しく別れるということを繰り返しました。





 しかし、出会ってから2年目の、薔薇の盛りも過ぎた晩秋のある日。




 その日は一等寒くて…、吐く息も白く、空はどんよりと暗く曇っておりました。今にも雪が降りそうな黒い雲は、なんとなく胸騒ぎを覚えさせるようなのです。


 なんとなく湧き上がる不安を拭い去りたいのと彼の方に会いたくてはやる気持ちをないまぜに、いつもの約束の場所へと早足で向かいました。


 今日は、彼が驚いて嬉し泣きする様な、素敵な報告があるのです。

 わたくしは、不安と期待とをごちゃ混ぜになった気持ちで、わくわくしながら彼の微笑みを想像し、湧き上がる喜びを噛み締めながら歩きました。


 すると、遠目から約束の場所に、彼が居るのを見つけました。どうやら彼は、草の上で眠っているようでした。


 彼は忙しいひとで、いつも疲れてクマだらけの顔に優しい微笑みを浮かべ、ぐしゃぐしゃのワイシャツとぐしゃぐしゃの寝癖だらけの柔らかい茶色の髪をしていました。

 初夏の森の様な明るい緑の瞳は、いつも暖かく、そして熱を帯びてわたくしを見つめるのでした。

 そんなところも、わたくしとしては、彼が可愛くて、愛おしくて……。


 彼が居ると分かると嬉しくなって、わたくしは走り出しました。


 側まで寄ると、彼を起こさ無いよう、そっと近づきました。


 側に座り愛しい彼の顔を覗き込むと、途端、胸騒ぎが大きくなりました。


 安らかに、微笑みを讃えて眠っている姿に、刹那、嫌な予感がしたのです。


 透き通るような、冴え冴えとした青白い肌は血の気が無く…。


 整えられた皺のないワイシャツ。


 櫛を通した髪。


 彼だけが、まるで静寂の中に堕ちてしまったようでした。


 いえ……実際に、呼吸をする音も身じろぎ一つも無かったのです。


 薔薇の花束を胸に抱え、顔の側に小さな箱と手紙が添えて置いてありました。


 わたくしは震える指を叱咤して、そっと彼の首に触れました。




 彼は、亡くなっていました。




 わたくしは、絶望に打ちのめされて呆然として彼を見つめました。


 現実を受け入れる事が出来ず、ただ勝手に溢れる涙が煩わしく感じるだけで……何も考える事が出来ませんでした。


 どのくらいそうしていたのか……。

 わたくしの頬に、冷たい雪が一つ当たって我に帰りました。


 蒸せ返るほどの薔薇の香りの中、彼の顔の横に置いてあった小さな箱と手紙を手に取りました。


 箱の中には、金色の細身の指輪が入っておりました。


 シンプルなデザインの表面に、よく見ると薔薇の模様が細かく描かれておりました。


 ハッとして、彼の左手を見ると、同じ物が薬指の付け根に収まっておりました。


 一般的なデザインのこの指輪は、結婚の誓いの証として、夫婦で持つ物でした。


 箱から取り出した指輪をそっと、わたくしの左の薬指に嵌めると、寸分の狂いもなく、ピッタリと当てはまりました。


 わたくしは、嗚咽を堪えながら手紙の封を切りました。


 震える手で手紙を読むのは、とても大変で字がぶれて、中々、読み進められませんでした。


 手紙の冒頭は、まず愛の言葉と謝罪でした。

 彼は、不治の病にかかっていた事と本当は、もっと早くに結婚の誓いを立てたかった事。

 読み進めるうちに、彼の研究が完成し莫大な財産が得られたので、全てわたくしに残したこと。


 そして、その財産の一部として、この薔薇の谷を買えたこと。


 最後は謝罪と、わたくしと共に生きられ無い悲しみと愛の言葉が、何度も繰り返し書き連ねてありました。


 わたくしは、とうとう大きな声で泣きじゃくりました。


 冷たい彼の胸の上に縋り、冷えて固くなった唇に、…大好きだった緑の瞳を隠した瞼に、何度も口付けを落としました。


 わたくしの熱を分ければ、彼が生き返るのでは無いかと本気で考え、雪が降りしきる中、両親が迎えに来るまで、何度も何度も繰り返しました。




 わたくしは、そうして約束の場所に彼のお墓を建て埋葬し、薔薇の谷に屋敷を建て、生涯を彼の側で過ごしました。


 譲り受けた遺産は生涯使い切る事は無いでしょうから、薔薇の谷の整備に力を入れました。


 そうしてまた、今年も初夏がやってくるのです。


 今も、彼は約束の場所で静かに眠っております。


 世界中の全ての薔薇を掻き集め植えたこの谷は、あの頃より美しく賑やかで、更に鮮やかな薔薇たちが咲き誇るのでしょう。


 今年もまた、香り高い薔薇たちはわたくしの甘い思い出を呼び醒まし、その棘で、わたくしの思い出を鋭く刺し貫くのでしょう。


 彼が、黄泉に旅立ってから30年…。


 30年間、欠かす事無く今日もまた薔薇の花束を摘んで、彼の墓碑の前に愛の言葉と共に手向けるのでした。








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