轟天丸、見参!
「……たく、全然見えないじゃないか」
山の強い日差しを嫌って部下に日傘を持ってこさせると、その傘の下で苛立たしそうにスコープで崖の下を覗いていた。
地の底で閃光が奔り、地響きとともにがけ崩れが起きたことまでは確認したのだが、立ちこめる煙のせいで視界が遮られていた。何かはわからないがあれが岩淵にとっての最後の抵抗、日本人ならではの「トッコー」というものなのだろうとソレナリオは考えていた。
口ではイラついた口調をしているものの、内心では不用意に近づかないで良かったと安堵している。
「マシン部隊はまだなのかい?さっさと掘らせないと日が暮れちまうよ」
ソレナリオの部隊には10機もの人型歩行兵器〝タイタン″が配備されている。崖で埋もれた谷底を掘らせるためにマシン部隊に出撃を命令したのだが、岩淵が仕掛けた罠のせいで半分が破壊され、残る機体も整備のために到着が遅れていた。
「あの騒ぎでしたから、まだ準備が整っていません。それにマシン部隊もA・Iも大規模戦闘を想定したもので、土掘りに使うつもりではないのですが……」
ソレナリオの隣では、ヨワルスキーが同じ様にスコープで崖の下を見ている。視力が5・0のコワイネンだけが裸眼のまま腕組みをしながら凝視している。
「生死の確認をするのは当然だろ?こんな時、マシン部隊が一番効率が良い。
間違っているかい?」
「そりゃあまあ……、そうですがね」
癇癪持ちのリーダーの機嫌を損ねるのも得策ではないため、不満を隠して強いて反論もせず、「何か見えますか」とヨワルスキーがコワイネンに声を掛けた。
スコープやレーダーよりも、コワイネンの原始人顔負けの視力の方が頼りになることが多々ある。
通常、人が足を踏み入れないような困難な山道も自分の足で駆け抜けても平気な顔をしているし、武器や兵器を搬入する際にコワイネンも作業に加わるのだが、その馬鹿力はやる気の無い警備兵の労働力よりもはるかに効率が良い。
アングランドには他にも力自慢の人間は多数いるし粗雑で乱暴な男だ。しかし、コワイネンのように極端に人間離れした人間はいないので、ヨワルスキーはコワイネンにどこか好感を持っていた。
「まだ、どちらも動きが無い。おそらく岩淵は死んでいるだろうが」
その時、瓦礫の山が揺れ動いた。コワイネンが手を上げて部下に射撃準備の指示を下すと周囲の警備兵が一斉に銃口を崖の下へと向ける。まだ黒い煙が晴れていない状況だったから、「良く見えるわね」と呆れたようにソレナリオが呟いたが、ヨワルスキーも同様の思いだった。
ソレナリオが見守る中、瓦礫が崩れる音がしてA・Iの赤い目が暗闇のなかに浮かんだ。 無事だったかとコワイネンが銃を下ろすよう指示しようとして手を挙げかけたが、コワイネンはその手を止めた。
A・Iの様子がおかしい。A・Iには危険な化学兵器や大量破壊兵器などの危険を察知し判断する機能も備え付けられている。感知した場合、その危険レベルに応じて唸り声も変化するのだが、そのレベルが最大値まで上がっている。ある一点を見据えて身構えている。あれは岩淵たちがいた方向だ。
コワイネンが怒鳴った。
「総員。再度、射撃準備だ!何かがいるぞ!」
「なんだい?何ごとだい?」
「……わかりません。しかし、A・Iが最大レベルの危険を知らせています」
緊張感で表情が強張っているコワイネンの横顔に促されるようにして、ヨワルスキーも遭え当てて崖の下を覗き込む。漸く煙が消えて視界も良好と成り始めていた。スコープから通常の双眼鏡に切り替えると、牙を剥き唸り声と上げるA・Iの姿が映っていた。
「……?」
ソレナリオは身体に僅かな揺れを感じた。
初めは気のせいだと思っていたが、次第にその揺れが大きくなっていく。 岩淵たちから放たれた青白い光によって起きた振動よりも大きい。危険を察知した森の鳥や獣たちが逃げ去って行く。
再び地面に亀裂が入りがけ崩れを起こし始め、コワイネンは警備兵に後退するよう命じると、ソレナリオやヨワルスキーにも下がるように促したが、ヨワルスキーもソレナリオも言葉を無視し崖の下を凝視している。
「ここは危険です。早く退避を……!」
「A・Iがまだ残っているじゃないか。それにA・Iが告げている危険の正体を私も知りたいしねえ」
コワイネンは傍らに佇むヨワルスキーの顔を見た。堂々と構えるソレナリオと違って、青白く表情を強張らせながら苦笑いして弱弱しく頭を振る。
こうと決まればソレナリオはテコでも動かない。
大将が戦場に残るのであれば、部下が呑気に後ろで見物しているわけにはいかなかった。恐れもせずいつものように傲然としているソレナリオに頼もしさも感じる一方で、これまでの自分の失態を思い出し大将としての器は自分には無く武辺の人間だと痛感せざるを得なかった。
「アンタまで残る必要ないじゃないか」
「いえ、万が一のことがあれば二人を力づくでも戻すのが、今の私の役目ですから」
「そりゃ、頼もしいね」
「二人とも、来ますよ!」
ヨワルスキーの緊張の奔った声がソレナリオとコワイネンを沈黙させた。
三人が固唾を呑んで見守る中、瓦礫が盛り上がり、その隙間から激しい稲光が漏れて強大なエネルギーが辺りに放出されて、周囲の森林や岸壁など無差別にエネルギー波が襲いかかる。 爆風が岩を砕き、森を薙ぎ払う。瓦礫に埋もれた大地が盛り上がり太い腕が地面から現れたかと思うと、瓦礫を粉砕して現れたのは一体の巨人だった。
「何だい、あれは……」
ソレナリオは息を呑んだ。
薄汚れた黒い袈裟に蓬髪。燃えるような紅い髪。体格はA・Iを凌駕している。何よりも印象的だったのは、赤銅色の筋骨隆々した肉体に太い首に掛けられている黒い石を紡いだネックレス。そしてこの国では伝説の生き物とされている〝鬼″と酷似した風貌だった。
A・Iは唸り声を上げて巨人を睨みつけている。だが、その声に違和感があるのをヨワルスキーは聞き逃さなかった。
A・Iが怯えている。
高性能の人工知能が自分より巨大な相手を感知し、畏怖さえ感じている。だが、所詮は機械でしかないために、服従も逃走もできず主人が命令を実行できないというエラーの状況に陥っている。そのA・Iを前にして巨人が立ち止まった。
巨人は一息大きく吸い、天空に向かい『聞けい!』と発した怒号が嵐のような風をまいて、ソレナリオのいる崖の上まで響いた。
『耳ある者は聞けい! 目がある者は刮目して見よ! 我が名は轟天丸! 四魔を為す悪党どもよ。我が鉄拳の下にひれ伏せい!』
「ゴウテンマル……? 何を言ってるんだい、あいつは?」
日本での活動期間は長いし、轟天丸と名乗る巨漢が言っている意味も理解していたのだが、時代がかった台詞にソレナリオは面食らって、コワイネンとヨワルスキーの顔を見るが二人も同様の思いで、肩をすくめて頭を振るしかなかった。
「ええい!A・I、やっておしまい!」
主人の命令を感知したA・Iが照準を目の前の轟天丸に合わせる。だが、最高レベルの危険値を感知しているA・Iは容易に攻撃を仕掛けられないでいる。
『〝アイ″よ。主人の命に従うだけの哀れなロボット。だが、我に立ちふさがる真似をするならば容赦はせんぞ』
轟天丸の威圧感に圧されて、A・Iは次第に後づさりをし始めた。
「ヨワルスキー!さっさとあいつを闘わせないか!」
「は、はい!」
ヨワルスキーは手のひらサイズの電卓にも似た遠隔操作機を取り出し、ボタンを急いで押した。一度機能をリセットして再起動させ、ついでにA・Iを制御するリミッターを解除させる。一瞬、身体に伝流が奔って痺れたように身体が震えたが、急に唸り声は消え頭を垂れて静かになったかと思うと再びその真紅の瞳が爛々と輝き始め、轟天丸に負けじと耳をろうすような咆哮を上げると、A・Iが口を開くと真っ赤な口の奥から紅蓮の炎が轟天丸に襲いかかった。
しかし、轟天丸は動揺も見せずゆっくりと片手を上げると空間が僅かに歪みを見せ、炎は見えない壁によって四方へ分散されていく。
「なんだと……!」
思わずソレナリオが呻き声をあげた。周囲の兵士たちからもどよめきが起きている。
A・Iは意地を張るように炎を放出し続けていたが、エネルギー切れを起したのか次第に火力が弱まり、マッチの火の様な灯がぽかりと浮かんだあとを最後に炎は消えてしまった。
『お前に勝ち目はない。ここから去れ』
しかし、主の命令がそうさせるのか、A・Iが唸りをあげると嵐のような勢いで疾駆し轟天丸へ向かって行った。
哀れなと呟いた轟天丸は腕を引き、僅かに腰を沈めて力を溜めこむと一気に放った拳は、轟と唸りを上げてA・Iの顎を貫き、そのまま崖の上まで吹き飛ばした。
悲鳴が起きるとともに土煙が高く舞い上がるのを、轟天丸は腕を組んでじっと見上げていた。
「音無君、大丈夫か?」
足を引きずりながら、やっと地中から這い出ることができた岩淵が喘ぎながら言った。
『無論。今、貴様のアイだった兵器を仕留めたところだ』
「そうか……」
兵器としてではなく慰めとして、愛情を注いで作り上げたロボットである。兵器に変えられ失った悲しみに肩を落とす岩淵に前を向けいと轟天丸が叱りつけた。
『悲しむ暇があるなら、ここから生き延びることを考えろ。闘いは始まったばかりだ』
「そうだな。音無君」
『今の我は音無奏ではない。轟天丸と呼べ。岩淵よ』
「……」
見よ岩淵、と轟天丸は自身の袈裟を脱いだ。
細く華奢な音無奏の身体も岩肌のようにごつごつとした肉体に変異し、隆起する自らの身体を岩淵に誇示してみせた。赤銅色の厚い胸板を細かく動かし、大木のような腕を曲げて力瘤をつくってみせる。
にやりと轟天丸が不敵な笑みを浮かべてみせる。
『素晴らしいぞ。燃えるような力がどんどんと漲ってくるようだ。それでいて精神は清流のように静かで一点の迷いも曇りもない』
〝スレッド〟から送られたデータが小脳を刺激し、分泌された膨大な量のアドレナリンが影響しているのか、奏の性格が想定以上に変化している。
「……それは良かったな。で、ここから逃げられそうか?」
『ここから逃げるのは、奴らを蹴散らした後だな』
轟天丸が見上げる空に五つの影が浮かんだ。白い雲を背中から吐きながら上空を旋回すると陽の光を背にして人型の機体が崖の上に降り立つ。外見は細身だが、背丈は轟天丸に迫る高さをしていた。ソレナリオが要請していたマシン部隊で、漸く態勢を整えて到着した。
『あれも貴様が作ったものか?』
「そう。僕がウーレセン社時代に開発した通称〝タイタン″と呼ばれる機体だ。名前は公募で決まった。五歳の男の子のアイデアでね。……あれは、見たところ初期型だな。アングランドの連中が安く買い叩いたんだろう」
最近、老眼のせいで目がかすみはっきりと確認できないが、見たところライフルもバズーカーなどの武器を装備していない。おそらく自分たちの生死を確認するための穴掘り要員で呼んだからだろうと推測した。
『貴様はそこで伏せて見ていろ。すぐに片をつける』
「音な……、いや轟天丸。タイタンの手には何も所持していないが、設計では小型マシンガンとミサイルを内部に搭載している。気を付けろよ」
『ふん。愚問だな。我が心気、万里片雲無し』
轟天丸は一笑に伏して頷くと、大地を踏みしめ空に向かって高々と跳躍した。天に昇る勢いで、既に轟天丸の姿は澄み切った空の中でゴマ粒程度の大きさになってしまっている。
「頑張れよ、音無君……」
岩淵は這って身体を近くの岩に寄せてもたれかかると、祈るような気持ちで既に陽の光で見えなくなった轟天丸の背中を見送っていた。