アングランド脱出その2
混乱の最中、マスク姿の警備兵に変装した岩淵を見咎める者も少なく、時折奏の姿を見て声を掛ける者がいても「避難させろと命令が出た」と言えば、それ以上は強いて尋ねる者もおらず、二人は脱出ルートとして計画していた格納庫に到着した。
格納庫は始めに投獄された牢屋に似ていて、岩肌ばかり目立つ洞穴だったが牢屋よりも何百倍もの広さをしている。二体の巨大ロボが置物のように並んでいて、イカとカエルを連想させた。特徴のあるデザインから岩淵が携わった兵器なのだろうが、それがどのような機能を備えた兵器なのか奏には想像できなかった。
「岩淵さん。あれを使って逃げないんですか?」
岩淵がロボットの前を通り過ぎて行くのを見て慌てて声を掛けた。あんな巨大兵器なら逃げる事も容易いのではないだろうか。
「〝時限爆弾付き″と言っただろ? 奴らの目くらましに作ったもので逃走に使えるものじゃない。第一、あれでは目立ちすぎる」
岩淵はカエル型ロボットの影から、ぶ厚いリュックと警備兵のヘルメットを手に三輪駆動のバイクを引っ張り出してきた。タイヤだけがやけのぶ厚くのに対し、フレームやハンドルは自転車のように細く頼りない。
時間が無くてこんなデザインになってしまったと言い訳がましく岩淵は苦笑いしたが奏は驚嘆していた。
拳銃やスタンガンに変形する懐中時計から始まり、これだけ短期間でどれだけの物を作り出してきたのか。まるで手品師のような人だと感心するしかなかった。
水と食料に医薬品などが入っているというリュックを奏に背負わせヘルメットを被せると、岩淵はバイクにまたがってアクセルペダルを踏み込み、エンジンが重量感のある唸り声を上げて車体が小刻みに振動した。
トンボのように細く思えた車体も、力強いエンジン音を聞いているだけで不思議と頼りがいがありそうな気持ちに変わっていく。
「うん。これなら大丈夫そうだ」
「……やっと、外に出られるんですね」
「ああ。早くほかほかの白いご飯とみそ汁が欲しいな。ぼそぼそのコッペパンはもう飽きた」
私もですよと奏はにっこりほほ笑んだ。
「岩淵さん、私の家に寄って下さいよ。ウチのお母さんは調理師免許を持っているくらい料理が上手いんですよ?」
「それは素敵だね。だけど……」
岩淵の言葉がそこで途切れた。
格納庫が荒々しい震動と騒音で揺れた。ライフルを手にした警備兵たちが扉の奥から現れて「いたぞ!」と奥にお声を掛けると、その数は次々と増え何十人もの警備兵が格納庫内に殺到してきた。逃走方向となるはずの格納庫の扉にも十数名の警備兵が先回りし銃口を向けている。
「……思ったよりも行動が早いな」
舌打ちして岩淵は唸った。
「岩淵……。よくも俺らを騙したな」
警備兵の後方からコワイネンが現れた。まだ回復しきっていないのか、巨体は風に吹かれた柳の枝のようによろめき、傍らの警備兵の肩を借りて歩いている。
「随分と早いお目覚めだな、コワイネン。これはちょっと予想外だぞ」
奏が驚いたことに、これまでにない危機的状況にも関わらず岩淵は快活に笑ってみせていた。
「先ほど、ソレナリオ様から連絡が入った。この二体はガラクタ同然らしいな。この俺を馬鹿にしやがって……。ただでは済まさんぞ!」
憎悪に満ちたコワイネンの顔は鬼の形相を見せ、奏の身体は金縛りにあったかのように身体が強張った。恐怖で足がすくみ、力が抜けてへたり込みそうになったところを岩淵の腕が奏の腕をとって助け起こした。
「音無君、大丈夫だから。後ろの座席に乗ってしっかり僕の身体を掴んでいなさい。ただし、どんなことがあっても離しちゃ駄目だよ?」
「……はい」
奏はゆっくりとバイクの後部座席に腰掛けた。岩淵に言われた通り、離さないよう腰に手を回し、顔を身体に埋めるようにしがみついた。岩淵の熱い体温が警備兵の制服から伝わってくることに、唯一、心強さと安らぎを感じていた。
「岩淵、ここから逃げられると思うのか? 抵抗しないなら手を上げてバイクを降りろ。少しでもハンドルを動かせば貴様とそのガキをハチの巣にするぞ」
「ああ、できるね。僕らなら」
そろそろ時間だと言って、ふっと岩淵は静かに片手を上げて何かを示した。一瞬、銃か何かと兵が銃口を向けたが手の内には金色に輝く物体が収まっている。奏が手品まがいに見せたあの懐中時計である。
「……?」
どんな意図があるのか掴めず、コワイネンを始めとしたアングランドの警備兵は一斉に岩淵の時計を注視している。時計の針が十二時に差し掛かろうとしていた。岩淵が口の中でカウントしている声が背中越しに聞こえてきた。
「5……4……3……2……1……」
カチリと針の音が小さく響くとともに、格納庫にはどこからか奇妙な音が鳴り渡った。
金属同士が擦れ合いきしむような不快で不気味な音。
警備兵は互いに顔を見合わせ、ざわつきながら周囲を窺っている。不意に「あっ!」と誰かの叫ぶ声がした。奏が横目で見ると、ギシギシと二体のロボットが動き始めている。
自分達を拘束しているコードやキャノピーから逃れるように身をよじり、ひとつひとつ破壊していくその動作は次第に大きくなり、やがて完全に解き放たれると、金属の腕を振り回しながら周囲の兵器や車両を次々と破壊し始めていく。
イカ型のロボがコワイネン、もう一体のカエル型が格納庫の出入り口に向かってノシノシと暴れまわる。岩淵を捕まえて止めさせろと声を荒げる者も中にはいたが、指揮者であるコワイネンが回復しきっていないために、自身を守ることが精一杯で指揮が統一されず、さらに腰が抜けて立てずに失禁する者、影に潜めて神に祈る者、仲間を突き飛ばして逃げる者など、所詮は愚連隊であることを露呈させて大混乱を極めていた。
岩淵がブオンとエンジンを鳴らす。
「音無君、しっかり掴まっていろよ!」
「はい!」
奏は大声で返すと、岩淵の身体を掴んでいた手に力を込めた。岩淵はカエルのロボが格納庫の出入り口に向かっているのを追いかける形で岩淵のバイクが猛スピードで駆け抜けていく。
落ちてくる岩や飛んでくる車両などの残骸を巧みに避け、カエルの後方まで一気に近づく。
だがそれ以上はなかなかタイミングがつかめず、追い越すことができない。
カエルは出入り口を塞ぐために格納庫の出入り口の高さよりも頭一つ分高めに設計し、そこで自爆するように出来ていた。股をくぐり抜けるタイミングや速度も計算していたのだが、その速度が設定より二〇キロも速い。くそっと岩淵の焦る気持ちが舌打ちとなって出ていた。じりじりとひりつくような緊張感が岩淵の身体から伝わって来るようだった。
奏は閉じていた瞼に陽の光を感じた。出入り口が近くなっているのだ。
「……行くぞ!」
岩淵が叫ぶとともにバイクの速度がさらに増した。尋常でない圧迫感が岩淵と奏の身体に襲いかかった。
目を開けていなくても、一歩間違えば即死に繋がる状況にあることは奏にだってわかっている。だが、岩淵さんなら出来ると不思議な気持ちがどこかにあって恐怖も絶望も無かった。
ただ身を岩淵に委ねていれば大丈夫だと信じ、ぎゅっと腕に力を込めた。二人を圧してくる猛風を掻き分けるようにして限界まで上げた岩淵たちのバイクがじりじりと追い越して行く。カエルの巨大な足が二人の頭上に圧し掛かるのをかわして追い越したのと、カエルの頭部が出入り口に衝突したのが同時だった。
後方で爆発音が響き、すさまじい熱量を感じたがそれも一瞬のことで、バイクはゴツゴツとした灰色の岩肌ばかりが目立つ山の斜面を滑るように走りぬけていく。
あっという間にアングランドの基地から遠ざかり、奏が振り返った時には小さな穴から黒煙がもうもうと立ち昇っている光景が見えるばかりだった。
追手の姿は見えない。
しばらく斜面を下り木々が増え始め鬱蒼とした森に入ると岩淵はスピードを緩めた。岩場と違って視界や道幅が狭く、草木に隠れた岩や倒木があって、気をつけていないと転倒してしまいそうになる。
「音無君、ちゃんと掴まっているかい?」
岩淵が漸く口を開いた。
「はい……。生きているのが信じられないくらいです……」
「もう少しで、自分の作ったロボットに踏みつぶされるところだったな」
岩淵が軽く笑い声を上げた。奏も釣られて噛み殺すような笑い声を口の端から漏らした。次第に二人の声が大きくなり、やがて腹の底から大声で笑った。抑圧された日々の解放感から快活な声が静寂な森にこだまし、まるで遠足にでも来ているような気分になっていた。
もうすぐお父さんに会える。お母さん、怒らないかな?弦太の生意気な声も聞きたい。
心が弾むあまり、笑い声がしばらく止みそうもなかった。岩淵も同じで楽しそうに笑っている。
そんな二人の笑いが急に止んでしまっていた。
次の瞬間、岩淵と奏は吹き荒れる黒煙とともに強烈な爆風に吹き飛ばされていたからだ。