アングランド脱出
「やあ……、ただいま……」
岩淵が黒服の男たちに両脇から腕を掴まれ、挟まれる格好で部屋に戻って来た。男たちが腕を離すと、岩淵はふらふらと自分の簡易ベッドに向かうと泥のなかに沈んでいくように横たわった。
「大丈夫? いわ……、おじいちゃん」
奏が岩淵の傍ににじり寄って顔を覗き込んだ。顔面は蒼白で喘ぐように大丈夫だと頼り無い声で応答する。しかし、監視が岩淵に背を向けた瞬間、奏にだけ見えるように向かっていたずらっぽくウィンクをする。
奏の岩淵に対する口調が変わっているのは岩淵の孫を演じるためで、演技に自信はなかったが口数を少なくすることでなんとか誤魔化している。岩淵の身体が歩けるまでに回復したのは、さらわれてから三日ほどしてからだった。兵器の研究開発にもある程度は加わるようになったものの数時間くらいしかもたず、体調不良を訴えて早々に部屋へと引き揚げる。
もっとも、先程のウィンクが示すように岩淵の体調不良は演技で、出来るだけ兵器開発の遅延をしようと企んでいた。
奏が想像しているより随分と怪我から回復していると確信しているが、それなのに部屋に戻ってからも傷病人を演じているのは、移った部屋に監視カメラが設置されているからである。しかし、岩淵は二台の監視カメラの死角をよく心得ていて、身体の強張りをほぐすためにラジオ体操まがいの運動までしている。
窓も設置されていないが、病室似た無機質な造りの小部屋には洗面台とプラスチック製のコップ二つ。シャワーとトイレが備えられているだけだが、最初に入れさせられた虫と岩だらけの牢屋に比べればはるかに快適だった。
男たちと入れ替わるように、岩淵用の薬やパンと牛乳を盆に載せて、のそりと室内に入って来た。
「今日の飯だ。終わったら、いつものように外の見張りに伝えろ」
「あ……、はい」
奏はちらとコワイネンを見上げただけで、その後は視線も合わせず小さな返事をした。奏はアングランドの連中を全員恐れていて、特にこの巨漢を恐れていたので演技をする必要もなかった。
奏が返事をしてもコワイネンの鋭い視線が突き刺さってくるのを感じたが、下手に反応するも恐ろしいので、息を潜めてじっとうつむいていた。やがて、盆を奏のベッドに置く音がして部屋を出て行く気配がした。
「……やっと出て行ったか」
「はい……。ずっと、睨みつけてくるから怖かったです……」
「あいつは意味も無く周囲を威圧して練り歩く男だ。昨日も部下が目の前を通り過ぎただけで殴りつけているのを見た。凶暴な男だよ」
「……」
「だけど、一方でこっちが大人しくしていればそれだけで満足しているようだ。睨みを利かせて私を監視している割に大した観察力も無い」
岩淵は監視カメラに映らないように奏を傍に寄らせると、カメラの死角を利用して手のひらに懐中時計を見せて、それを両手に挟んで隠すと次に現れた時には小型のデリンジャーへと変化していた。
もう一度両手で隠すと次には小型のスタンガンが現れる。それを隠したかと思うとどこからか発煙筒を出して瞬時に消してしまった。まるで手品を見ているようで呆気にとられて岩淵の早技に魅入っていた。
「四六時中、監視カメラで室内を見張っているんだ。あんな巨体がこの狭い部屋に居られると息が詰まるのだから、おしゃべりくらいは気楽にさせて欲しいものだね」
ふうと岩淵の口から吐息が漏れた。
岩淵は当初、監視カメラの他に集音マイクの存在を警戒していたが、ここ数日の調べで監視カメラにはマイクの機能がなく部屋には盗聴器もないと見当がついている。
一応の監視はするものの、音無奏という気弱で動きの鈍げな中学生が傍にいることで、岩淵が何を企んでいようと足を引っ張るだけの存在とタカをくくっているのだろうというアングランドの意図が奏にも伝わって来るようだった。
そう考えるだけでも屈辱で奏の頭の中がカッと熱くなる。だが奏は内に溜めこむタイプだから余計な感情を表には出さない。
岩淵も奏の様子に気がつかず、怖い思いをするのもあと少しだと天井を見上げながら隣のベッドで話を続けている。
「外へのルートもだいたい目星がついたし、やるべきことも済んだ。明日辺りから忙しくなりそうだ」
決行の日も近いと岩淵は首にかけた数珠を握りしめながら決然とした口ぶりで言った。
その決行の日の朝、岩淵は奏に風邪と称して寝ているように伝えると、そのまま部屋を出て一晩中、岩淵は戻って来なかった。目星がついたと言ってからここ何日か、岩淵は兵器の開発に余念が無く、部屋に戻って来るのも深夜を過ぎてからで、時には帰ってくるなりベッドに潜り込み、そのままの格好で外に出て行く。
コワイネンがいつものように部屋に入って来ると、岩淵は試作品の実験に当たっていて今夜も遅くなるから早めに就寝するようにとの伝言を受けたと言った。
「博士が開発された新兵器は素晴らしい」
コワイネンは盆を台に置くなり、聞かれてもいないのに興奮した口調で言った。
「博士が俺達に掲げた〝絶対領域理論″は、アングランドを世界征服に向けて新たなるステップに進ませた。既に資料やサンプルを本部に送ったが、他の豚どもの対応に追われているソレナリオ様やヨワルスキーもこれで心が少しは休まるだろう」
「凄いですねえ」
奏は乾いた笑みを浮かべた。
「……でも、もし、世界征服をしたらコワイネンさんはどうするんですか?」
「聞きたいか?」
「あ……、そうですね」
奏にとっては心底どうでも良かったが、計画の一部としてコワイネンを引きとめておかねばならない。
〝豚におだてれば木に登る。コワイネンもおだてれば毒も飲む″
岩淵が昨晩言っていた言葉だ。
――出来るだけ自然に、自然に。
月に一度はコワイネンの日に定めてコワイネン賛歌を歌わせる。各都市に銅像設置を義務付けるだとかくだらない展望を語るコワイネンの話を聞くふりをして、自分を落ち着かせようと何度も言い聞かせていた。
「ん……?どうした」
奏の沈んだ表情に気がついて怪訝な表情をした。
「いえ、私なんかと違うなあと思って……」
「俺達は世界を圧する人間だからな。貴様ら凡人とはレベルが違う」
粗野なだけの愚鈍な男が自惚れているほど癪にさわり滑稽なものはないが、奏は感情を押し殺して頑張ってくださいねと奏は自分のコップに水を注ぎコワイネンに差し出した。
洗面台の水など飲めるかと言いつつも、少女におだてられて悪い気はしないらしく、奏から奪い取るようにコップを受け取るとガブリと一息に飲み干した。
コワイネンは拳を握り締めて力強く語っていたが、感服しているという岩淵の〝絶対領域理論″は岩淵のコワイネンを欺く出鱈目の理論だということを奏は知っている。
ここまでに二機の新兵器を完成させたが、これまでの兵器の焼き直しで岩淵曰くいずれも時限爆弾付きという代物だった。そんな事情を知っているから、奏には陶然として語るコワイネンは、ゴリラが餌を欲している顔にしか見えない。また、相手に軽侮する箇所を見つけて少しでも恐怖心を和らげようとしていた。
それに科学技術に無知なコワイネンを誤魔化しても、アングランド本部が〝時限爆弾″に気がつかないとは奏も岩淵も考えていない。向こうの技術者がたちまち看破してしまえばすぐに岩淵を拘束するよう命令が下されるだろう。
「さあて、もどるか……」
コワイネンが背を向けて扉に向かって歩き出した時、その足が急によろめいた。その揺れは次第に大きくなり、コワイネンは自分の巨体を床に叩きつけるかのようにドウッと大きな音を立てて倒れ込んだ。
「誰か……! 誰か、来て下さい!」
奏は悲鳴を上げると、発狂したかのように喚き散らした。監視カメラにもよく映るように。
「誰か来て! 誰か、誰か、誰かぁ!」
奏の悲鳴を聞きつけた表の警備兵が慌てて中に駆けこんでくる。どいていろと警備兵が奏の身体を押しのけコワイネンに声を掛けると同時に、無線で報告をして応援を要請する内容が聞こえた。
岩淵はコワイネンが持ってきた薬に強い睡眠作用が含まれていることに気がつくと、それを服用せずに幾つかは隠し持って溜めこんでいた。
身体や部屋の検査も夜に行われているし、どうやって隠し続けたのかは奏には想像もつかなかったが、どこにでもある時計を瞬時にデリンジャーやスタンガンへと変えるような技術を持った男だ。それほど困難な作業でもないのだろう。岩淵が出掛けの際に奏のコップに薬をひっそりと入れ、それを奏が水を入れて飲ませる。実際に飲むかどうかは賭けに等しかったが、そこからは奏の演技力に賭かっていた。
騒ぎを起こし混乱を誘う。監視カメラや無線を通じて基地内は騒然としているはずで、それが岩淵への合図となる。計画通りにバタバタと騒々しい足音が奏の部屋に近づいて来たかと思うを取り囲んだ。狭い小部屋は男たちで溢れ、留守を預かる大将が倒れたということで兵の数はますます増えそうな勢いだった。
――――次だ!
男たちはコワイネンばかり気にして、自分の存在などすっかり忘れている。奏は扉側の壁まで移動すると岩淵から渡された発煙筒を背中から出し、発煙させるとコワイネンを取り囲む男たちの間に放り込んだ。岩淵から渡された発煙筒はただの発煙筒では無いらしく、たちまち白い煙が室内に充満して一寸先が見えなくなり怒号や何か物同士のぶつかる音が室内に響き渡った。
そこまでは良かったのだが、予想外だったのは発煙筒には何か特殊な薬剤が混ざっているらしい。目や鼻の奥にツンと強い刺激臭がしてまともに息が出来ない。
奏は自分の顔を涙と鼻汁でべとべとにさせながらも、自分が立っていた位置を思い出しながら部屋の壁に沿って何とか廊下に出る事が出来た。強力な濃い煙は廊下にまで流れ出ており、人影がぼんやりと浮かび上がるだけで、そこかしこで警備兵の悲鳴に近い怒号が聞こえてくる。
奏は前もって岩淵と打ち合わせた通り、部屋を右に出て廊下をまっすぐ歩いた。呼吸をするのも辛く、いっそ走ってここから少しでも離れたい衝動にかられたが、この充満する煙の中では慎重に歩かないとたちまち方向を見失ってしまいそうだった。
「突きあたりまで行けば……」
岩淵はそこで待つと言っていた。もしかしたら私を利用して自分だけ逃げるのではと疑念も生じたがすぐに打ち消した。そんな手段をとるような男であれば、岩淵もアングランドとももっと上手くつきあって、拉致されたり暴行を受けるような目には遭っていない。奏は岩淵の言葉を信じて進むしかなかった。
やがて、視界の先にうっすらと壁が切れて突きあたりに差し掛かろうとしていた。奥は広い間となっていて僅かな光が灯っているのが見えた。2だの3だのと数字が動いているところからエレベーターホールだろうと推測した。
「あそこだ。あそこまで行けば」
足の運びが自然と早くなる。どこにいるのかわからないが、早く岩淵に会いたくてたまらなかった。
「待て」
くぐもった声とぶ厚いグローブが奏の身体を捕まえる。恐る恐る振り返るとガスマスクを被った警備兵が奏を見下ろしている。奏の身体は一瞬で固まり、身動きが出来なかった。
終わった。もう駄目だ。
恐怖と絶望に襲われガタガタと震える奏に、警備兵のガスマスクがゆっくりと奏の顔に近づいた。
「……ここまで、よく頑張ったね」
奏の目にマスクの奥で岩淵の瞳が優しく微笑むのが映った。




