アングランド襲来
岩淵に案内された工房〝かもめ″は住宅地の少し奥にあって、他よりは広めの敷地内にポツンと木造平屋のコテージが建てられている。綺麗に刈られた芝生の一画に数台分の駐車場があって、その一つに白いバンが止まっていた。おそらく老人の車だろうと奏は推測した。
新興住宅地ということで周りには真新しい住宅が建っているものの、あまりに静けさに本当に人が住んでいるかも疑いたくなった。だが、よく見るとひとつふたつ窓に灯りが点いている。コオロギの鳴き声が向かいの草むらからりんりんと響いてくる。
その向こう側には山の麓が見え、稲刈りの済んだ白い田園風景が広がっている。何となくこの光景に見覚えがあるのは、ここで引っ越した友人と写生しに来たことがあるからだと思いだした。
「どうしたんだい?」
「私、以前、この近くに住んでいた友達と絵を描いたことがあるんです。それがこの場所で……」
「君は絵を描くのが好きなのかい?」
「ええ、昔から絵を描く仕事に就きたくて……。今は漫画家になりたいんです」
笑われるかなとチラリと岩淵を見た。岩淵はきちんと目標があっていいことだと穏やかな笑みを浮かべて頷いている。
「僕もここからの眺めが気に入ってねえ。僕がここに店を構えたのもそれが理由なんだ。辛いことがあっても、この景色を眺めていると気持ちが落ち着く」
「何か思い出があるんですか?」
「残念ながら、人に聞かせるようなドラマティックな思い出は無いんだよ」
岩淵は苦笑いをして頬を掻いた。
「人から紹介されて、何箇所か巡った後に、ここに来たんだ」
さあ、どうぞと言って岩淵が戸を開いた。奏は紐をバルコニーの柱に結んでゴンを外に待たせると、いささか緊張しながら店内に入った。
お茶を入れるからと岩淵は、奏を来客用のソファーに座らせると自分は店の奥に入って行った。
古物商というだけあって、店内には古い家具にくすんだ柱時計や花瓶、年代物の美術工芸品などが所狭しと置かれている。天井から吊るされている電灯もおそらく売り物なのだろう。小さな値札が申し訳なさそうにつけられていてどの形もばらばらだった。静かな光に照らされる店内は薄暗く大人っぽい雰囲気で、人一人が通るのがやっとなスペースなのに狭苦しい感じがしないのは種類ごとに整然と区分けされているからだろうと奏は思った。今、奏が座っているソファーや傍のテーブルも上品な高級そうな代物のようだった。
ただひとつ。感嘆と見渡す店内で、奏の足元近くの棚の中に気になる物体が目に入った。
ギロリと目が見開いた上半身が筋骨隆々の像。数珠がタスキ掛けにかけられ、下は空手着のズボンだろうか。燃えるような紅い髪に赤銅色の肌をしていて、その姿は不動明王を連想させた。質感があって迫力もありよく出来た像だったが、このお洒落な店には不釣り合いで隠すように置いてあるのもそのためだろうかと奏は思った。
「どうだい?この店は?」
奥から岩淵の静かだが良く透る声が聞こえた。
「素敵なお店ですね」
漫画みたいと思わず奏が呟いた。
少女漫画に出てきそうな西洋アンティークに埋めつくされた骨董屋。こんなのリアルじゃないよともっとカビ臭くて惨めなイメージをしていたが、売り物ひとつひとつがきちんと手入れがしてあるのだろう。それぞれ行儀よく棚に収まっていた。
趣味が高じてねと銀色のお盆にカップを乗せて岩淵が戻って来た。
「工房をメインにするつもりで、色々と勉強するために物を集めていたんだが、いつの間にかこちらがメインになってしまった」
「どんなの作っているんですか?」
まるでお姫さまになったようで、弾んだ気持ちがそのまま態度や言葉に出て、身体を軽く揺らしながら奏が聞いた。
「主に彫刻と陶芸かな。週に一回ずつ教室を開いている」
「ああ、それでですか」
先ほど浮かんだ疑問が解消し、納得して出した声が思っているよりも大きかったせいか、岩淵はちょっと驚いた表情をしてのけぞった。これも岩淵さんが作ったんですかと、奏はさきほど見つけた不動明王似の像を手にとって岩淵に示した。
手にとって初めてわかったのだが、見掛けよりも随分と軽くて柔らかい。
「でも、これは木彫りじゃないんですね? ゴムか何かですか?」
「うん……。それは3Dプリンタで作ったものだ。この像は完成品のイメージをしたものでね」
へえとしげしげと像を見つめた。その時の奏は、彫刻をつくるための参考なんだろうと解釈し、技術は進んでいるんだなあと勝手に感心していた。
「漫画に出てきそうなキャラですね。主人公のライバルキャラがいいかな?」
岩淵の沈んだ声に気がつかず、奏はしきりに感心した様子で像を眺めている。
奏は新しく〝学園アンリちゃん″を下地にした魔法少女ものに、今度はバトルの要素を色濃く加味した漫画を描いている。敵役にこれといったキャラが思い浮かばず悩んでいたところだったので、これをライバルキャラに出したらどうだろうかという考えが過った。
身体が岩のようにごつくて強そうだし、猛獣のような外見は見た目からしてキャラが立っている。性格もきっと破天荒だろう。
ああ、でも、おっさんキャラというのはあまり受けが良くないとかネットに書いてあった気がする。でも、このキャラを使ってみたいなあ。
「このキャラ、名前はあるんですか?」
「いや……、特に決めてない。まだ試作段階だから」
「じゃあ、私、名前つけていいですか? 漫画のキャラに使ってみたいんです」
「……」
「岩淵さん……?」
奏は考えんでいる岩淵の顔を覗き込んだ。表情は曇りがちで、暗い瞳はカップを満たした紅茶にじっと注がれている。それが癖なのか真っ白な髭をしきりに撫でていた。
「あの……、岩淵さん」
奏がもう一度声を掛けるとそこで漸く我に返り、ぼんやりして悪かったねと笑った。先ほど見せた暗い表情はもうどこかに消えている。
「どうでしょうか?」
「うん。良いと思うよ。君の役に立つなら、こいつもよろこぶだろう」
「ありがとうございます! ……じゃあ、さっそく」
奏はじっと像を眺め始めた。すぐに幾つか名前が思い浮かんだが、そういったものは既に他で使われている名前で、オリジナルにしようとするとなかなかこれはといったものが出てこない。
何度も何度も口の中で呪文のように名前が浮かんでは却下を繰り返し時が経つのも忘れていた。ただ、ゴウという言葉に拘っていた。豪快だとか金剛だとか強さと勢いを感じさせる名前が欲しい。
「ゴウ……。ゴウキ……、ゴウテン……。ゴウテンマル……」
――轟天丸。
パズルのピースがはまるような感覚があった。
ちょっと馬鹿っぽい名前だけど、厳つい顔出し古めかしくて武骨なキャラだから、この馬鹿っぽさが親近感を持ててちょうど良いかもしれない。喋りも武士のような口調にすれば似合いそうだ。
奏はそれまで煮詰まり気味だった漫画のアイデアが浮かんできて、完成もしていないのにすでに受賞した気分になっていた。妄想が先走って声優は誰がいいだろう。主題歌はあのアニソン歌手がいいかなあなどと愚にもつかない思案に明け暮れている。
「……登場シーンはブラック・サバスの〝アイアンマン″の前奏みたいに、ちょっと不気味な雰囲気を漂わせるような曲が良いと思うんですよね」
映画の「アイアンマン」で知った曲。
轟天丸という名前を岩淵に発表した時、強そうな名前だねと微笑んでいた岩淵だったが、その後の奏が語る受賞後のアニメ化にまで話が及ぶと、いささか閉口気味に奏の妄想に付き合い、奏は気がつかないまま、とりつかれたように喋り続けていた。
「ブラック・サバスて、懐かしいね。僕が随分と若い頃に流行った昔の曲なんだが、君の年齢で良く知っているね。……ロード・ウォリアーズというプロレスラーの入場曲に使われたことがあるが」
「今はネットの時代ですよ?ネタを仕入れてそれ作品を活かすために、色んな情報を集めていますから」
無い胸を張って得意気に語る奏だったが、実際は良く見るテレビのトーク番組で初めて知ったに過ぎない。
テレビの影響で他の洋楽CDを五、六枚借りたのだが、気に入った曲は番組内で紹介された曲くらいで、他は洋楽の世界にいまひとつ共感できずにアニソンの方がいいやと何枚かは聴かないまま返却してしまっている。
奏の話がブルーレイディスクの特典映像に何をつけるかまで至った時、店の柱時計達がもういい加減にしろと言わんばかりに六時を知らせる時報を一斉に鳴らし始めた。
音に促されて窓の外が視界に入ると、既に陽は沈んで真っ暗となっている。携帯は家においたままだし、母が般若のような顔をして待っているだろうと思うと、夢から醒めたような気分を通り越して血の気が引く様な思いがした。
「……ごめんなさい。もう帰りますね」
奏は慌てて立ち上がったせいで重いテーブルの角に脛をぶつけ、脛を抱えたまま悶絶してソファーに座り込んだ。もう暗いから家まで送るよと岩淵が苦笑いして立ち上がった。
「漫画が完成したら、一度、見せて欲しいな。轟天丸がどう描かれているのかとても楽しみだ」
「……あ、はい。必ず」
奏は痛めた脛をさすり、涙目のまま、弱弱しい笑みを浮かべた。
普段の奏なら他人に自分の作品を見せようなどと思わない。弦太以外の家族にも見せたことが無いし、クラスメイトに漫画家志望などと夢を語ったこともない。プロレスラーになりたいと夢を真面目に語って馬鹿にされているクラスメイトを見たことがあるし、人を選ばないと弟の弦太のように悪しざまに評価するだけだろう。夢を語る方が馬鹿にされるくらいなら、何も言わない方がマシだと思っていた。
だが、岩淵は奏の夢を笑わず、らちもない妄想話にも付き合ってくれた。この人なら、自分の作品を公平に評価してくれるのだろうと確信めいたものがあった。
二人が店の出入り口に向かうと、窓の外に光が浮かび、扉の向こう側にキッという鋭く短い音が聞こえた。音の様子から察するに車のブレーキ音だろうと思って窓を覗くと、黒塗りのジープが駐車場に止まったのに続き、金色に彩られた派手なデザインの外国車が一台店の駐車場に止まった。
闇夜でも目立つ派手なデザインで、持ち主の趣味を疑いたくなるような代物だった。窓の向こうでは寝そべっていたゴンが立ち上がり唸り声を上げている姿が見えた。岩淵も顔が青ざめ、息を呑むようにして窓の外を見つめている。
「……あの黒いジープのデザイン、ウーレセン社ですよね?」
「音無さんは連中を知っているのか?」
「漫画の参考資料探していて、兵器の本で少しだけ……」
奏の記憶に残っていたのは資料集めで本を漁っていた時、昔のヒーローものに出てきそうな強化スーツやアンドロイド兵器だとか漫画みたいなトンデモ兵器の開発や研究ばかりしているのが目を引いたからだった。
優秀な兵士が優秀な兵器を身にまとって任務を遂行する。多数の死傷者も出さずに平和的に武力紛争を解決することができると社長か誰かがコメントしていたのも奏は何となく覚えている。
強い信念を感じるがちょっとずれている。そんな印象。
「音無さん。今日は君を送って行けそうもない。奥のつきあたりに裏口があるから連中に見つからないようにゴンと一緒に帰りなさい」
岩淵は一旦テーブルに戻り、轟天丸に掛けられている数珠を手にするとそれを自分の首にかけて言った。
「でも……」
「心配してくれてありがとう。だが、連中の目的は僕だ。僕なら大丈夫だから」
優しい手つきで奏の頭を撫でると、岩淵は表情を引き締め直して外に出た。そして柱に繋いでいた紐を素早く外し、店の中にゴンを入れると外から店内が見えないように電灯を消し、岩淵の身体が奏を隠すようにして扉を閉めた。
何のようだと扉の向こうから岩淵の声が聞こえた。
「モノならアイツが最後だ。もう研究も実験もしとらん。静かに暮らさせてくれ」
「そうもいかないのですよ。岩淵博士」
――ハカセ?
声の主は女性のものだったが、それよりも女性が岩淵を博士と呼んだのが気になって耳を傾けていた。
「恥ずかしながら、我々の開発機関の研究員全てを投入しても、あなた一人の頭脳には敵わない。博士の研究結果をフルに活かすには博士のお力が必要なのです。あの犬も少しは大人しくなりましたが、一旦、解き放つと制御できないので兵器としては失敗作なのです。このままでは、会社で私の立場も危うくなります。博士に来ていただいてあの犬を制御する……」
「……断る」
女性が言い終える前に、岩淵が静かに、だが固い意志を感じさせる強い口調で遮った。
「人殺しに関わるのはこりごりだ。代償として家族も友人も失い、最後の家族も貴様らに渡したというのに、これ以上何をしろと言うんだ。それにお前の立場なんて知らん。自業自得だろう」
「こうして丁重にお願いしていると言うのに?」
「どうだろうと僕の意思は変わらんぞ。ソレナリオ」
瞬間、空気が変わった。
鈍い音とともに岩淵の呻き声が同時に起きた。
「こんな痛い目にもっと遭いたいのかい?」
「誰が貴様らに……!」
ドスッと再び鈍い音が響いた。扉の前でうずくまっている奏からでは二人の姿がわからないが、岩淵の苦悶の声や異常な緊張感が向こう側から伝わって来て、握りしめた手のひらがじっとりと汗で濡れている。
博士とはどういうことなのか。軍用兵器会社とどのような関係があるのか。
よくわからないことだらけだが、ここにいるのは危険だと奏の中の警報装置が鳴り響いている。警察に電話をしようと探したが暗くてよくわからない。それに物が多すぎるので余計な動きをして物音を立てるわけにもいかなかった。早く逃げなきゃと立ち上がり、ゴンとともに店の奥に向かった。段ボール箱が積み重なった細く薄暗い廊下を抜けて裏口に着くと、深呼吸ひとつしてから扉をそっと開けた。
空には既に星が瞬き、星々から送られてくる光のおかげで店内よりも明るく感じた。少し離れた場所に灯りのついた家が見える。あそこに掛け込んで警察を呼んでもらおうと考えた時だった。
頭上にぬっと影が差し、見上げると岩のような大男が立っている。どろぼう髭で顎が角張り、全身が紫のタイツにゴム長靴みたいな安っぽいブーツを履いていた。
ウウと獣のような唸り声をあげると、片手で奏の襟首を掴み軽々と持ち上げた。
「……!」
奏は喉が締められていることと恐怖で全身が硬直し、声を上げることすら出来なかった。ゴリラのような大男はイタゾ、イタゾと闇に向かって太い声を掛けている。おそらくそちらに仲間がいるのだろう。その大男が横を向いた隙にゴンが飛び掛かっていった。だが、大男は蚊でも払うかのようにゴンを弾き飛ばす。何度も地面に叩きつけられ身体がぼろ雑巾のようになりながらもゴンは立ち上がり、何度も大男に立ち向かっていった。
「……うるさいなあ」
いっそ、殺しちまうかと大男が独り言を呟いた。
「やめて……」
叫びたくても雑巾を搾ったような声しか出ない。
もう、いいから。
ゴンも、もう立ち上がらないで。
しかし、ゴンはよろめきながら立ち上がり、唸り声をあげ走った。
大男は拳を握り悠然と佇んでいる。おそらく本気で殺すつもりなのだろう。残忍な光が大男の瞳に宿っていた。ゴンが飛び上ろうとした瞬間だった。パシュッと乾いた音とともにゴンの身体は糸が切れたように崩れ落ちた。
「ゴン!」
「安心してください。麻酔銃ですよ」
「……お前か。ヨワルスキー」
大男が闇に目を向けると、建物の影からヨワルスキーと呼ばれた細みの男が背広姿の男を二人連れて現れた。ヨワルスキーの格好は大男と同じで、手に小型の銃を所持している。
「余計なことをするな」
「私は無用な殺生が嫌いなんですよ。コワイネン」
「……」
ヨワルスキーがコワイネンに近づくと奏を一瞥した。
「ところで、この子をどうします?」
「ソレナリオ様のところへ連れていこう。岩淵の人質にちょうど良い」
あの頑固爺とヨワルスキーが嘲笑うように声を立てると、コワイネンもふっふと低いトーンで笑った。奏も奏なりに怒り、抵抗してコワイネンの腕から逃れようとしていたが、万力のような力を持つコワイネンは意にも介さず、戻る道すがらヨワルスキーと雑談を交わしている。
こんな無力な自分が悔しくて情けなくて、いつの間にか涙があふれていたが、自分が書いた漫画のようにどこからも不思議な力など溢れてこず、「こんな都合のいい話なんてあるわけねえじゃん」という弦太の言葉がどこからか聞こえてくるようだった。
「ソレナリオ様。この子を人質に使いましょう」
コワイネンが奏を掲げて示すと、ソレナリオと呼ばれた女性が肩で息をしながら振り向いた。ヨワルスキーがもっと運動した方が良いですよとからかうと、うるさいねと語気鋭く怒鳴った。
「……何だい? その子は」
ソレナリオが奏をじろじろと観察するように近づいて来る。美人だと思ったが険の鋭い目つきと油断なく動く瞳が下品に思えた。
「岩淵の家に隠れていて裏口から出て来たんです。関係はわかりませんが孫じゃないですかね?この子を使って脅せば岩淵も大人しくなるんじゃないですか」
「……そうだね。こいつも少しは言うこと聞くだろうね」
フンと鼻を鳴らし、ソレナリオは後ろを振り向いた。その視線の先には、顔を腫らした岩淵が芝生の上でのようになってぐったりと横たわっていた。




