テンカサンブ、光臨
二月初旬。
物々しい空気と緊張感に包まれた神林町も平穏な日々が続き、捜査が北海道に集中し始めると機動隊が街角に立ち装甲車が町を走る姿も次第に減ってゆき、一月の中旬ころには対策本部を警護する車両と芦ヶ原公園のレーダー基地を残すところとなっていた。
それも二月に入って最初の日曜日頃には完全に神林町から撤収し、合同対策本部は北海道へ移ることとなった。
「……もう少しで漫画が仕上がりそうだったのに」
奏が残念そうに呟いて、博物館の広場は以前のように芝生が広がる敷地に戻り、後片付けに励む隊員たちの作業風景をぼんやり眺めていた。
撤収の話は昨日の夕方のニュースで知り、日曜の朝早く、急いで合同対策本部に向かうと、既にほとんどの隊員たちは去り、岩淵の姿も既に無かった。
岩淵は政府と協力する代わりに責任を負い、自由を制限された人間である。
携帯やメールがあると笑っていたが、実際は奏を心配させないための方便で、岩淵の立場では相当制限されるのではないだろうかと奏は思っている。 あの時に交わした言葉が別れの挨拶だと思っていたからある程度の覚悟はしていたが、何も無くなった敷地を見ていると、本当の別れなんだという実感が込み上げて来て、目がしらが熱くなるのを覚えた。
目の端に僅かに浮かんだ涙を拭い、来た道を戻ってとぼとぼと重い足取りで歩いて行く。
このまま帰る気にもなれず、近くの図書館でも寄ってから帰ろうかとも思ったが開館までにはまだ少し時間がある。
仕方がないのでコンビニでワンコインのコーヒーを購入し、図書館前のベンチに座って時間を潰すことにした。清掃のおじさんが一人いて、黙々と出入り口や駐輪場に落ちたゴミや落ち葉を掃いている。
澄んだ青空に、冷気によって緩和された日差しが心地良い。
天気が良いから、由実ちゃんを誘ってどこか出掛けようかと空を見上げていた。
「……?」
大気が揺れ、どこからか爆発音が響いて聞こえてくる。方向は神林駅の方向だ。建物に阻まれているために音が拡散して聞こえるが距離はそれほど遠くないように思えた。
奏は図書館を後にして神林駅方向に向かった。町には不穏な空気が流れている。奏の足が次第に速さを増していつの間にか駆け出していた。視界が開ける駅のロータリーに近づくにつれ人の数が増え、皆、同じ様に空の一点を見上げている。
建物の間を抜け、奏はロータリーにたどり着くと周囲の人々に倣い、音のする方向へと空を見上げた。
宮古川に掛かる三鏡橋上から黒い煙が立ち上り、その遥か上空にも何かが爆発を起したらしく、黒煙が歪な塊のようになって宙に漂っている。その近くで、銀色に輝く人型をした機械が虹色の輪を背にして、空のなかで悠然と佇んでいた。
それが何なのか。何が目的なのか奏には一瞬で理解できた。
「……アングランド」
呟くやいなや、奏の足は三鏡橋へと駆け出していた。
あの橋に岩淵さんがいる。
奏の直感がそう告げていた。
※ ※ ※
その数十分前。奏が見上げていた同じ空を、岩淵も助手席側の後部席から見上げていた。
岩淵を乗せた高機動車は軽装甲機動車に先導され後ろには指揮通信車や装甲車、高射砲が蟻の行列のようにぞろぞろとついて来る。自衛隊車両の大移動に物珍しさから写真撮影するもののおり、渋滞をつくってしまって、岩淵を乗せた車両は市境の宮古川に掛かる三鏡橋の上で止まってしまった。
岩淵は溜息をついてキラキラと陽に反射する宮古川の川面に下げた。宮古川は幅が広く水量も豊富で夏には釣り客が数多く訪れる。今年こそ釣りに行きたがったがと寂しげにゆったりと流れる川を見つめていた。
本来ならもっと早く神林町を出る予定だったのだが、搭乗予定だったヘリに不具合が見つかってから二転三転し、最終的には車による移動となって予定が大幅に遅れて、出発したのは奏が合同対策本部にやってくる一〇分ほど前だった。
「東京まではどれくらいかかりそうかね?」
岩淵は隣に座る警護役の隊員に尋ねた。隊員は運転席まで身を乗り出し、運転手に幾つかのやりとりを交わすと、自身の腕時計を確認してそうですねと首を傾げる。
「この先で事故が起きてちょっとトラブルになっているみたいです。更に埼玉東京間の高速道路でも多重事故による渋滞情報があるそうですから、高速ではなく下の道を進むそうです。そうなると、少なくとも四時間くらいは掛かり、到着は昼過ぎになるんじゃないかと」
「……なかなか良い時間だね」
こうも時間が掛かるなら慌ただしく出発せず、ヘリが直るのを待てばよかったと後悔しながらシートに身を沈め河川に目を向けた。せっかくだからひと眠りしようかとも考えたが、硬いシートのゴツゴツとした感触は岩淵の身体に合わなかったし、ソレナリオ達に攫われて最初に放りこまれた牢屋を思い出して良い夢が見られそうもない。
――あの子にメールくらい送っておけば良かったかな。
岩淵はそんなことを考えたが、単に礼儀の問題では無く、もっと若い頃、学生時代に岩淵が経験した淡い後悔にも似た感情があることに気がつくと、驚きとともに自嘲気味に首を振って打ち消した。
――もう、俺は枯れた老人だと思っていたが。
若さが残っているという奇妙な喜びも僅かにあるが、苦々しい気持ちの方が勝っている。老人が少女にべたついた感情を抱くというものほどみっともないものはあるまい。
「やっぱり、人間は暇になるとろくなことを考えないねえ」
「はあ……」
誰ともなしに岩淵が声に出して言うので、隣の隊員は戸惑いながら、はあと曖昧にうなずいてみせる。
岩淵も自分の独りごとに同意を求めているわけではなかったので、そのままむっつりと口をつぐんで川面を眺めていた。
視界の端に、何かがキラリと光った。
初めは河川から反射する光かと思っていたが、光は空から届いている。
「……?」
目線を上げ、空を見上げて岩淵は息を呑んだ。
澄みきった青空に何かが浮かんでいる。
それは人型の形をし、太陽の光を浴びて銀色に輝くロボットがそこにいた。
頭部も人に模して二つの目を持ち、頭上には虹色をした輪が浮かんでいる。
それが何トンをも超える機体を空に浮かせているのだろうと思われた。凝然としてとして見つめる岩淵に、銀色の機体がゆっくりと手を向ける。
岩淵の背中に悪寒が奔ると同時に直感で「アングランド……」と口にしていた。岩淵の声に車内の隊員たちも、弾かれたように窓の外を覗いた。空中に悠然と佇む銀色の機体が掲げる右腕からキラリと光が一閃したかと思うと、軽装甲機動車の先を進んでいた一般車両が火球となって宙に吹き飛んだ。
灼熱とともに衝撃波が周囲の車両に襲いかかり、対向車線を走っていた車両も凄まじい圧力になぎ倒されるようにして横転していく。
爆風が治まり、岩淵が恐る恐る窓の外を覗くと、ゆっくりと銀色の機体が自衛隊の車両に近づいて来る。助手席と警護役の隊員が気絶している中、意識が残っている運転席の隊員が無線で必死に敵の襲来と援軍を呼び掛けている。
車両の外では隊員たちが慌ただしい動きを見せ、対空誘導弾や追撃砲を持ち出し戦闘準備を始めていた。
〝こういう狭くて敵に襲われやすい場所を、孫子の言葉を借りれば囲地て言うんだっけ?〟
隊員たちを悠然と見降ろす銀色の機体から女の声が響いた。
〝アンタら無駄な抵抗は止しといた方がいいよ。その程度の火力じゃこの『テンカサンブ』には通用しないからね″
「この声……、ソレナリオか?」
〝今日は、アンタらが連れて来ている岩淵史郎に用事があるんだ。そこにいるんだろ?″
「駄目です。……頭を下げて!」
運転手が小さくも鋭い声で顔を上げようとする岩淵を制した。
〝私は待たされるのが嫌いなんでね。早く出て来ないと、人がたくさん死ぬよ″
感情のない口調で言うと同時に、テンカサンブの両手から閃光が奔った。
テンカサンブから放たれたエネルギー弾は自衛隊の周囲に止まる一般車両へと次々に被弾していく。中に乗る男も女も大人も子供も関係なく、無慈悲な業火が容赦なく襲いかかり人々を消滅させていく。車両の残骸だけが炎とともに取り残されていった。「やめろ!」誰かの泣き叫ぶような声が聞こえる。橋自体を破壊する力がありながらピンポイントで周囲の自衛隊以外の車両を狙うのは、車両のいずれかに自分がいるから手を出さないのと、自衛隊の動きを封じこませること。それとソレナリオ自身が破壊を楽しんでいるからだろうと岩淵は推測した。
「撃て……、撃てえ!」
指揮官の男の怒声が響いた。
惨劇を目の当たりにし、憎しみと怒りと憤りに満ちた者だけが発することができる声だと思えた。砲撃が鳴り響いて橋を揺らし、無数のミサイルがテンカサンブに襲いかかるも、銀色の機体はだらりと両手を下げて待ち構えている。
〝テンカサンブ。コイツがどれだけ動けるか、試させてもらうよ″
ダンスの時間だとソレナリオの言葉に反応するかのように、テンカサンブの二つの目が金色の光を帯びた。最初に届いたミサイルをスウェーして避けると、飛来するミサイルなど意にも介さない様子で身体を転身させる。
誘導弾の追撃もまるで鬼ごっこでもするかのように複雑な螺旋を描きながら飛び続けている。A・Iに搭載されていた人工知能を通じ、コワイネンの人間離れした身体能力がマシンに反映されている。滑らかな動きはロボットのそれとは思えず、まるで一個の人間が空中でダンスを楽しみながら踊っているかのような錯覚を覚えた。
「撃て!撃たんか!」
指揮官の男が叫ぶが虚しく爆音のなかに掻き消されるだけだった。
不意にそれまで逃げ回っていたテンカサンブが急旋回し、ミサイル群に向かって猛スピード突進していく。
正面からぶつかるつもりかと岩淵が見上げていると、着弾する寸前に更にスピードが増してミサイル群をすり抜けていった。突如、目標を見失ったミサイルは互いに衝突するしか無く空中で大爆発を起こし、もうもうと噴き上がる黒煙は空に不気味な花を咲かせているように見えた。
三つにわかれたテンカサンブのコックピット内では、ソレナリオだけが意識を持ち、ヨワルスキーとコワイネンの二人はゴーグルとヘッドセットをつけて無言のままシートに座っている。操縦桿といったものはなく、パネルの上に手を置いたまま動かない。
視覚であるレーダー等情報解析はヨワルスキーが担当し、テンカサンブの機動力についてはコワイネンが受け持っている。A・Iに搭載されていた人工知能が処理を行い、ソレナリオの意思の下、催眠状態となったそれぞれの肉体や頭脳の能力を機体へダイレクトに反映させるのがテンカサンブのシステムだった。
「……」
まったくの無傷なテンカサンブに、どの隊員たちも愕然として動けないでいる。
〝鬼ごっこはもう終わりかい?″
テンカサンブの金色の目に再び光が宿る。
〝なら、今度はそこに並んでいる兵隊さんたちにお返ししないとねえ″
これから起きるであろう虐殺劇に興奮を抑えきれないのか、ソレナリオの息は荒く舌舐めずりする音が耳元に聞こえてきそうなくらいだった。
「くそ……!」
車外に出ようとする岩淵の腕を、運転手の腕が抑えつけた。
「奴らの狙いはあなたです。身を潜めていてください。応援が来ますから!」
悪いがと言って岩淵は運転手の腕を力任せに振りほどいた。
「これ以上は、余計な人死にが増えるばかりだ。こっちの気持ちが持たない」
「岩淵さん!」
運転手の制止にも構わず岩淵は外へ飛び出して行った。
「ソレナリオ、僕はここにいるぞ!」
〝やっとおでましかい、岩淵史郎博士。アンタがグズグズしているせいで、罪もない人間が巻き込まれちまったんだよ?″
「……僕一人を始末して気が済むなら、さっさと殺せ」
〝ちょっと前までは、アンタと轟天丸の首級を手土産にするつもりだったけどね。アンタを本部に連れて来いと言うのがボスの命令だ。一緒に来てもらうよ″
「僕を連れて行ったところでどうにもならんぞ」
〝そこから先はボスが考えることさね。慰みにあの音無というガキもさらって行くかね。この近くに住んでいるんだろ?″
「あの子は何も関係ない。何も知らない。あの子をこれ以上、巻き込むな」
ふんとソレナリオが鼻で笑った。
〝アンタの精勤次第だねえ。今度は油断も手加減もしないよ″
『……それは、こちらの台詞だ、ソレナリオ!』
勝ち誇り、岩淵を見下ろすソレナリオの耳元に重々しい声が突如響いた。




