岩淵との再会
一月二日、午後二時頃。
音無奏は合同対策本部に向かって歩いていた。脇にはゴンが奏の歩調に合わせてついてくる。
中学生一人がフラフラと歩いているのは不審に思えるので、カモフラージュと目印のためにゴンをつれてきたのだった。
前の誘拐事件以降、ゴンは駄犬で無くなっていた。
以前のようにメス犬を追いかけたり道端で寝そべって手間を焼かせることもなくなり、奏の隣を歩調に合わせてついてくるようになった。
どうしてかはわからないが、ゴンはゴンなりに心境の変化があったらしい。奏の身を守るように従うゴンを頼もしく思うも、あの手間のかかるゴンが変に懐かしく思えるのだった。
そうこうするうちに博物館の正門付近に近づくと、博物館の敷地内から自衛隊や機動隊の車両が忙しく出入りしている。そんな光景を目の端に捉えながら、岩淵はどこだろうかと周囲や敷地内を眺めていた。
おいと背後で声がした。振り返ると戦闘服姿の自衛隊員が立っていたので、いつもの照れ屋癖が出てすぐに顔を伏せてしまった。
「君、見学したいならこっちから廻りなさい」
「いえ、あの、私……」
合同対策本部では市民に不安を与えないよう一部を一般公開し、免許等身分証の提示や簡単な手続きを済ませれば夜間帯と緊急事態による出動を覗き、いつでも見学が可能となっていた。ぼんやり待っている間にも一人二人、見学者が訪れている光景を見ている。こっちだよと案内をする隊員の親切な声と通りがかりの通行人の視線に抗しきれず、お願いしますと言ってそのまま隊員のあとについていった。
轟天丸という力を得、菅原由実という友人も出来て、自己主張もできるようになったのかと思いきや本質はさほど変わりが無いらしい。
――馬鹿だなあ、私。
自己嫌悪に苛まれつつも、重い足取りで隊員のあとについて行った。
装甲車、自走砲、ジープなどの車両が整然と並べられ、さきほど入場した一組の若い男の見学者が隊員から説明を受けて、熱心に耳を傾けている。その横を通り過ぎて兵舎が並んでいる敷地に入った。何となく方向が違うのではないかと思い始めた時、キャタピラが外され、修理中らしき戦車の前に来たところで「君はもうちょっと、自分の意思をはっきりした方がいいね」と隊員が言って立ち止まった。
「あ、すみません」
「謝らなくていいのに」
隊員はそこでヘルメットを脱いだ。
その下から現れた顔を見て奏は唖然として声もでなかった。目の前に立っているのは岩淵史郎だった。
だが、以前のような髭はすっかり剃られており、髪も黒々としている。もともと歳の割に若く見える岩淵だったが、今の岩淵なら四〇代でも通用するかもしれない。
「どうしたんですか? その格好?」
「似合うかな、この格好」
ふふんと得意気に岩淵は鼻を鳴らした。
「今日は君に会うために髪も染めてちょっと変装させてもらったんだよ。……やあ、ゴン君。久しぶりだねえ」
岩淵はしゃがみこんでゴンの頭を撫でた。
嫌がる様子も見せないどころか喜々としてしっぽを振っている。ゴンが全く警戒を示さなかったのも岩淵だとわかっていたからだろう。
「これまで、一人で良く頑張ったね。〝スレッド〟の影響は何もないのかい?」
「ええ……、計算だと後遺症は問題無いということなんですけど」
「そうか。君が無事なら良いけれど」
「ごめんなさい。岩淵さんがあれだけ注意していたのに。私が勝手なことしてしまったから、こんなことになって」
「いや、君は間違っていない。君には偉そうに色々と言ってしまったが、僕だって轟天丸の力があったら同じことをしていたよ」
「でも……」
「誇れとは言わない。でも、自分を責めるのはよしなさい」
はいと奏は俯いた。涙が出そうなほど嬉しく心が羽根のように軽くなった気がした。
「……そういえば、岩淵さんはどうしてここにいるんですか?」
「クリスマスのテロ事件があってから、僕は政府の要人と自衛隊の幹部にそれぞれ連絡をとった。ウーレセン社時代に個人的な付き合いのあった人間が何人かいるんでね。大まかな事情を説明して政府に協力することになった。外部からの相談役という形で今はこの本部にいる。といっても昨日、ここに着いたばかりだけどね」
「ということは、そのうち、私も政府の偉い人たちの前に呼ばれるんですね……」
岩淵は政府へ庇護を求める代償に協力をするために様々な情報を政府に提供しただろう。その中に轟天丸と自分のことも含まれているはずだ。自分を余所に話が既に進んでいるのが悲しかったが、覚悟はしてきたはずだと奏は自分に言い聞かせた。
「そのことなんだけどね」
岩淵はしゃがみ込んで修理中の戦車を見るでも無しに見つめていた。傍から見ると自衛隊員が少女に戦車の説明をしているように映る。
「そのお偉いさん達には君と轟天丸の関係を話していないんだ」
「え……?」
「うん。轟天丸の正体が君だと話していない」
「どうしてですか?そのために私をここに呼んだんじゃないんですか?」
最初は君にも協力してもらうつもりだったと岩淵が言った。
「僕たち大人がアングランドの連中を倒せば良い話だからね。君を闘わせる理由なんてどこにもない。僕がこそこそ隠れていないで表に出て闘えば、クリスマスでのテロ事件は起こらなかったはずなんだ」
「……」
「政府には轟天丸は自律型アンドロイドと説明してある。普段は身を潜めているが戦闘時や犯罪発生時に急上昇するアドレナリンを感知して稼働する。自分で判断するから僕でもコントロールが利かないという内容だ。他の人間が言ったら嘘としか思えないだろうけど、僕ならそこそこ説得力あるだろ?」
そうですねと奏はつい噴き出してしまった。
カエル型ロボットだとか人工知能を搭載した犬、轟天丸にしてもあんな時代がかった口調になる兵器など思いつくようなズレた感覚の持ち主は岩淵くらいだろう。
「しばらく周りはうるさいだろうが、君はこれまで通り友達や家族と過ごせばいい。ソレナリオたちも北海道に潜伏しているという情報を掴んで捜査員が向かっているんだが、もう少し情報が確定すればここを引き揚げて北海道に向かうし、僕の方はテロ対策チームの顧問として東京に行くように言われている。だから、今のうちに君に会って伝えておきたいという気持ちもあってね」
「……さびしくなりますね」
「東京はそれほど遠くも無いし、今はメールや携帯もあるから片がつけばいつでも話せる。そう思えば寂しくないさ。ただ、ひとつ残念なことがある」
「なんですか?」
「君が描いた漫画の最初の読者になれなかったことだな。漫画、描いてるかい?」
「ちょっと、煮詰まっちゃって……」
奏は照れ臭そうに笑いながら、轟天丸の名前が使いづらくなったこと。かといって他に良い名前が気に入らず、そこに引っ掛かってモチベーションが下がっていることなどを伝えた。
「漫画のことはよくわからないけれど、もう世間には知れ渡っている名前だし、僕は〝轟天丸″のままで良いと思うけどなあ」
「……」
「せっかく考えたものなんだから、最後まで描いてみたらどうかね?」
岩淵にしてみれば何気ない一言のつもりだったのだが、奏にとっては蒙を啓くに等しい一言だった。せっかく自分が考えたものなのだ。まだ応募する段階にもきていない。とにかく最後までやってみないと。
「……そうですね。うん、そうですね。最後までやってみます」
目を輝かせて意気込む奏の顔を岩淵は目を細めて見つめていた。岩淵は奏に同い年くらいの少女の姿を重ね合わせている。
不慮の事故で死んでから数十年近くになるが、娘の笑顔は今でもありありと思い浮かんでくる。奏と重ねてしまうのもその笑顔がどこか似ているからかもしれない。だが、一方で、そう思ってしまうとこれまで奏を助けようと奏に接してきた自分の想いが、何か邪で押しつけがましいもののようで、このことを奏には言えないと思っていた。
岩淵はさてと言って立ち上がると右手を静かに差し出した。
「そろそろ戻るよ。……今までありがとう」
「こちらこそ……。頑張ってください」
奏は岩淵の手を強く握った。六〇過ぎた男とは思えない力強さがその手から伝わってきた。




