冬のファンタジー(後編)
菅原由実は、場所にすれば神林町四丁目の通りで力尽きていた。
奏の家から数キロとさほど遠い場所ではないものの、寒さと猛烈な吹雪にたちまち体力が奪われて方向を見失っていた。
どこの家も灯りが消え死んだように静まり返っている。電柱を壁代わりにして風を何とか凌いでいるが、最早そこから一歩も動く力も出て来ず助けを求めに行く気力すら湧いて来なかった。
「おばあちゃん……」
軽率な自分の行為を悔いながらも、由実の意識は祖母に向けられていた。両親を失い、女手ひとつでここまで育ててくれた祖母。感謝するとともに祖母の顔を見られないままこのまま死んでしまうのだろうかと思うと、寂しさや悔しさが涙となって頬を濡らした。だが、その涙もすぐに凍りつき砕けて散ってしまう。
次第に意識が混濁し夢と現実の境界線が曖昧となって視界がぼやけていく。黒い影が闇から浮かびあがって由実に近づいてきても、いよいよ幻覚をみるようになったのかくらいにしか思えなかった。
それが現実だと認識できるようになったのは、小さな爆音が響き、急に風が止んでからだった。意識を取り戻すと、由実の周囲は厚い雪に囲まれてかまくらの中にいた。ぽっかりと空いた出入り口には巨大な像のような男が腕を組んで立っていた。炎のような紅い髪に袈裟のような衣服。
ニュースで流れた映像の男だと由実にはすぐにわかった。
『……怪我は無いか?』
野太く厳つい声だったが威圧感はなくいたわりさえ感じる。はいと自分でも驚くくらい静かに返事をすると、男は自らの頭髪を一本抜き、ふわりと由実に投げてよこした。
紅い髪に触れるとそれは熱をもっていて、濡れた髪や衣服もみるみるうちに乾いていくほどのな熱を発している。
『我の髪は内なる炎の力によって熱を持つ。しばらくの辛抱だ。そこで動かず待っていろ』
「あの……、あなたの名前は?」
『……わが名は、轟天丸』
轟天丸はぼそりと名を告げると身を翻し、あっという間に闇に紛れて姿を消した。どこに向かうのか言わなかったが、あのアングランドの連中の下へと向かうのだと由実は確信していた。頑張ってと念じるとともに轟天丸が残した髪を掴む指に自然と力が加わっていた。
〝テンコーン″のレーダーが猛スピードで接近してくる物体の熱を感知すると、ヨワルスキーは麓の様子を眺めているソレナリオに告げ、足早に〝テンコーン″の傍まで戻って来た。
ソレナリオたちがいる芦ヶ原公園にはぽっかりと穴が空いたように茶色に変色した芝生が広がっていた。〝テンコーン″周辺だけには雪が降らないようコントロールしてある。
気象変化の操作をしているのはコワイネンの役目で、慣れない操作のために悪戦苦闘し、作戦を開始してから黙ったままだ。
「アンタの見込み通りだね。こっちの掛けに引っ掛かった」
〝テンコーン″の現在の性能では、このまま続けてもせいぜい二、三〇分が限界である。もし、このまま轟天丸が出て来なければ、エネルギー切れを起こす前に撤収か〝テンコーン″の破壊も視野に入れていた。その場合、一から計画を見直さなければならない上に、アングランドが正面からテロ活動を行ったということで日本を始めとした各国から警戒されて今後の活動も制限される。
本部からも無用の行動を起したということで、ソレナリオは窮地に追い込まれたことだろう。
以前ヨワルスキーは否定したが、ソレナリオにしてみれば賭けの要素が強く、その賭けに勝ったことでソレナリオは安堵する思いがした。さて、ここからだとソレナリオは頬を叩いて自らの気を引き締めた。
「せっかくの気象変化なんて有難い性能をもっている機体だ。目一杯使わしてもらおう。ただ雪を降らすばかりが能じゃないからね」
フンと鼻を鳴らして麓を見下ろした。
視線の先には、轟天丸が仁王立ちしてソレナリオたちを見上げている。凄まじい緊張感がソレナリオたちのいる丘の上にまで伝わって来た。
『ソレナリオ!』
轟天丸の怒号で大気がビリビリと震えた。
『貴様ら、懲りもせずに悪事を為すか。恥を知れ!』
「あんたもそんな寒い格好で、わざわざ御苦労だね!」
負けじとソレナリオも怒鳴り返す。
「こっちにはこっちの事情があるんでね。世の中、あんたの思う通りにはいかないんだよ」
嘲笑するように大声で返すと、ソレナリオは近くのコワイネンに声を潜めて準備しなと告げる。
『……ならば、今度こそ貴様らを滅するまでだ!』
轟天丸は猛然と山の斜面を掛け上がろうとした時、何かが空に鋭く光った。見上げると無数の稲妻が刃のように轟天丸へと襲いかかる。だが、轟天丸はその巨体にも関わらず軽やかなステップで稲妻を次々とかわしていく。
「次!」
ソレナリオの指示にコワイネンがキーボードを押して次の操作を開始する。雷が止むと再び冷気が立ち込めたのだが、先ほどよりも急激に温度が低下し、落雷によって蒸発した水が轟天丸の身体を氷で覆い始めた。常人なら一瞬で凍死するだろうが、轟天丸をこれで仕留められるとはソレナリオも思ってもいない。
『ぬ……!』
意表を突かれて僅かに轟天丸は戸惑いを見せたが、十字を切って気合を入れると身体を覆っていた氷が砕け散る。その時、轟天丸の動きが一瞬、止まった。
「今だよ!」
ソレナリオが叫ぶと同時にコワイネンがボタンを押した。轟天丸の頭上に膨大なエネルギーによって隕石のように巨大な氷の塊が形成されていった。
刃のように鋭い先端を持った氷の塊は轟天丸に向けて落下していく。轟天丸は先端を両腕で掴んで抵抗を試みたが、尋常でない圧力に抗しきれず大地が波打つほどの衝撃を立てながら、轟天丸を地中へと圧し潰していった。土煙がしばらく漂っていたが、それも晴れると轟天丸の姿は無く、巨大な氷の塊が傲然とした姿で視界に映っているだけだった。
「やったのか……?」
「レーダーからも反応が消えています!やった……。倒した。やった!」
これまでの緊張感から解放と予想外の成功から興奮が抑えきれず、歓喜に震えて小躍りするコワイネンとヨワルスキーだったが、ソレナリオだけは表情を変えず、平静なまま氷の塊を凝視していた。氷は次第に溶け始め夜目にも蒸気が良く見えた。
あれほどの質量を持つ氷塊なら、どんな相手でもひとたまりも無い筈だった。
だが、とソレナリオは胸から噴き上がる不安が拭いきれないでいた。
「あれだけの氷の塊と人間の体温。お互い近くならどっちに反応するんだい?」
「近接しているだけなら、どちらにも反応しますよ」
「反対に、反応しない場合はどんな時があるんだい?」
「まあ、対象が厚い遮蔽物に囲まれている場合だと反応しないこともありますが……?」
「……だったら、今はその場合かもね」
思わずソレナリオの口の端から笑みがこぼれた。
どういう笑みなのかソレナリオ自身にもわからない。
ヨワルスキーとコワイネンは顔を青ざめ慌ててソレナリオの近くに駆け寄り、氷の塊へじっと目を凝らした。蒸気の噴出はいよいよ勢いを増し、氷は急速に溶け始めている。
あまりにも異常な溶解の仕方にコワイネンは息を呑み、ヨワルスキーは〝テンコーン″に戻ってレーダーを確認した。氷の塊が落ちた場所にさっきは消えていた赤い丸の反応がある。
膨大な熱量を感知し、今もその数値がどんどんと上がってコンピューターから発せられる警告音もパニックを起こしたように慌ただしく鳴り響いている。
「化物め……」
ソレナリオは大きく笑った。
不敵の笑みか虚勢なのか、隣のコワイネンには判別がつかなかったがソレナリオは頬を歪めて蒸気を凝視している。
氷が溶けて中から轟天丸の姿が見え始めると、ソレナリオはヨワルスキーの方へと振り向き、どうやらここまでだねと言って駆けた。
「この戦闘のデータ、ちゃんと取ったろうね」
「はい、ここにあります!」
ヨワルスキーはUSBメモリをソレナリオに示した。
「だったら、これで作戦終了だ。……早く逃げるよ!」
ソレナリオは〝テンコーン″のコックピットに乗り込み、操作パネルをいそいで叩いた。攻撃モードをオートに変更した後、モニターに〝EJECT″の文字が現れると実行キーを押した。〝テンコーン″に設定された脱出装置が稼働し始める。
その頃、氷の束縛から解き放たれた轟天丸は〝テンコーン″に向かって疾駆していた。あの氷の塊による攻撃を最後に急に温度が上昇している。肌寒さはあっても本来の気温に戻っている。おそらく最後の攻撃でエネルギーを使い果たしたのだろうと轟天丸は直感していた。
頂上に迫ろうとした時、轟天丸の眼前に鈍い光が奔った。暗闇を縫うようにして触手の様な物体が轟天丸に目がけて襲いかかって来る。
元々は〝テンコーン″の気象変化のために凝結核などの散布や高音波による振動を発生させる装置として使用されているのだが、ソレナリオがデータを書き換えて轟天丸への直接攻撃するための武器と変化させていた。三角形状の頭部にチタンで覆われたチューブがうねる姿は生き物のようで、灰色のミミズや蛇を連想させた。
轟天丸は触手に対してひるむ様子も見せずに手刀を構えると次々と触手の頭部を打ち砕いてゆく。触手が巻きついても振り払い、複数同時に襲い掛かっても吹き飛ばし、轟天丸の勢いは止まらず特攻を仕掛けて来た最後の触手の頭部を難なく砕き、頂上へと駆け上がっていく。
「来ました!早く逃げましょうよ!」
隣でヨワルスキーが悲鳴のような怒鳴り声を上げたが、ソレナリオは「最後にやることあんだよ!」と怒鳴り返した。轟天丸がたどり着いたのは〝テンコーン″の後部で、コックピットにソレナリオ達の姿が見えた。後ろを振り向いたコワイネンと目が合いソレナリオに何か叫んでいる。
『逃さんぞ!』
「イタチの最後っ屁を喰らいな!」
ソレナリオはアクセルを踏みコントロールパネル脇の赤いボタンを押した。〝テンコーン″の脱出装置が稼働し、〝テンコーン″の機体の隙間から闇よりも濃い白い煙が流れ出る。轟天丸に装着された〝スレッド″が吐き出された煙から危険な成分を感知すると轟天丸の脳へと瞬時に伝わり、危険信号を受け取った肉体は〝テンコーン″から一気に飛び下がって間合いをはかる。
〝残念。またねえ、轟天丸さん″
煙の向こう側からスピーカーごしにソレナリオの声が聞こえ、僅かに開けた視界からはもうもうと立ち昇る煙とともに〝テンコーン″のコックピットらしい機体が見えた。
残された機体は煙によって腐食され、氷が溶けていくかのようにグズグズと形が崩れてゆき、やがて液体となって消滅していった。
『逃がしたか……』
さすがの轟天丸でも追い掛けるには距離が離れすぎている。
悔しげに呟くと、逃がす原因となった煙の正体を探り始めた。その思念が〝スレッド″に伝わって分析を開始していく。
〝スレッド″の分析によると重度の濃硫酸が含まれていたらしい。もし煙をまともに浴びていれば轟天丸でも大ダメージを負うほどのものだった。轟天丸の脳波が対処法を考えると、その思念を察知し〝スレッド″内のコンピューターが検索を始める。そして現在の硫酸のデータを元にして轟天丸のシステムと肉体を細胞レベルから再構築し、轟天丸の脳に『心炎真護』という回答を伝えてきた。これで轟天丸に新たなシステムが加わることとなり、今後、同様の攻撃があったとしても新技で防御することが可能となる。
肉体を強化させるだけでなく、状況を分析判断することによって使用者に進化をもたらす思念強化装置。それが〝スレッド″の正体ではあったが、開発者の岩淵でさえここまでの効果を想定していないし、当の音無奏こと轟天丸は自分の意思によるものなのか〝スレッド″の力によるものか判別出来ず、コンピューターによる解答を得たというよりも天啓が示されたような不思議な昂揚感に包まれていた。
しかし、それも束の間で轟天丸の居場所が限定されてしまったことと、ソレナリオを逃がしてしまったことは痛手となった。今後、アングランドはますます攻勢を強めてくることだろう。もしかしたら轟天丸の正体も遅かれ早かれ知られるかもしれない。
「岩淵と対策を練らねばなるまい」
軍や政府の協力が必要となる時がくる。
いつか岩淵が言っていたことで避けたかった事態ではあるが、奏自身がその事態を招いてしまった以上、止むをえない。
しばらくの間、轟天丸は輝く月と満天の星が煌めく空を見上げていたが、神林町の家々に灯りが付き始めるのに気がつくと、「降り積もる深雪に堪えて色変えぬ、松ぞ雄々しき人もかくあれ」と念仏のようなものに唱えつつ、静かに丘を下っていった。
「風が止んだ……」
風が治まり雪も止んだことに気がつくと、由実は辺りを確認しながら鎌倉の外に出た。
周囲の民家から灯りが点きはじめる。気温も肌寒いとはいえ、さきほどまでに比べれば雲泥の差で、むしろ今の厚着が邪魔くさいほどだった。空を覆っていた黒い雲は消え去り、月夜に照らされて雪化粧が施された町は明るく輝いている。
――あの人は……、きっと勝ったんだな。
どこか確信めいたものが由実にはあった。
轟天丸。
とても寒そうな格好をした人。
筋骨隆々で厳つげで、でもきっと優しい人。
空が晴れ始めた時には、轟天丸からもらった髪は灰となって風とともに散ってしまった。
おおいと闇夜の中から澄んだ声が響いた。
声がする方を見ると、奏が白い息を吐きながらこちらに向かって駆けてくる。由実も思わず駆け寄ると、思わず奏の身体を抱擁していた。
「どうしたの?由実ちゃん」
「とっても辛かったけれど、とっても嬉しいことがあったんだ」
「……そうなんだ」
「あのね……。ええと、ええとお……」
由実は言い掛けてそれから言葉が続かなかった。今になって、とてつもない体験した気持ちがふつふつと沸き上がってきたために興奮して考えがまとまらず、何から言ったら良いかわからないでいた。
「とりあえず落ち着いてさ、早く家に帰ってクリスマス会の続きやろうよ。お母さんたちも心配しているよ」
「……うん!」
由実は苦笑いする奏の身体にぎゅっと力を込めた。
あったかい。
奏の温かさは、轟天丸からもらった髪の温かさとどこか似ているような気がした。
テンコーンに向かう轟天丸。
カズンの「冬のファンタジー」を思い出しながら、読んでいただけたら幸いです。




