プロローグ
その老人の姿を見かけるようになったのはいつ頃だったか、音無奏は思い出せないでいた。
神林中学校から自宅までの間に小さな公園があるのだが、下校途中に公園の前を通りがかると、いつも入り口近くのベンチにその老人は座っていた。
彼は柴犬を連れていた。
頭の良い芸達者な犬で、お手やお座りは当たり前として二足歩行や宙返りまで披露した光景を何度か目撃している。音無家もゴンという雑種の犬を一匹飼っているが単なる駄犬で、まだ年寄りでもないはずなのにいつも寝てばかりいる。ウチのゴンもあんな風に可愛げがあったらなと羨ましく思いながら公園を通り過ぎて行く。
そんな老人と犬の周りにはいつも子どもやその親が集まり、奏でも興味本位に一度だけ覗いたことがある。
老人といっても真っ白な髪に口髭だから老人と表現しているだけで、立ちあがると背はシャンと真っ直ぐに伸びていたし、着ている衣服も季節に応じてお洒落な格好をしていて何より清潔感があった。
その老人が突然、姿を見せなくなったのは今から二週間ほど前。
始めは風邪か何かだろうと思っていたが、しばらく経っても老人が姿を現すことはなく、何となく下校中の楽しみの一つになっていた奏にとっては、公園にぽっかりと穴が空いてしまったかのような感覚におそわれていた。一時は賑やかだった公園も、老人が姿を見せなくなってからというもの、どこにでもあるような町の公園の風景へと静かに戻っていった。