ドイツロマン派への批判と言えば?極右愛国主義とアナクロニズムと決まっている。
昔から相場は決まっていて、、
1、反動的だ。
2、国粋的だ。
3、退嬰的だ。
4、反動的だ。
5、現実遊離だ。
6、病的だ。
まあこんなところでしょうか?
こういう批判はロマン主義一般というか
ファンタジー、一般にも共通して向けられる批判のおおよそでしょうね。
ばかばかしいですがいちいち反論?してみましょうかね?
1、反動的というのは、、中世趣味とか、、貴族趣味を称してこういう批判があるのです。
まあでも、、リアリズムの汗臭い?泥臭い?そんな小説ばかりじゃ、
気がめいるばかりですよね。エミルゾラの「居酒屋」「ナナ」を読んであなたは楽しいですか?
私はそんな物読みたくないですよ。こうして現実生活送っていくうえで毎日
そんな俗事、、悲惨な三面ニュースはイヤというほど見聞きしてるんですから。
せめて小説は夢いっぱいの、ファンタジーがいいですよね?
2、国粋的、これは言葉を変えて言えば、、民族的ということでしょうか?
中にはドイツロマン派がナチスを準備したなんて極論を言う批評家もいるのですから
あきれるばかりですよね。ドイツロマン派のドイツこそ世界の中心?というようなドイツ主義を
持ってして、そういうナチを準備したという論法なんでしょうが、、、、、飛躍しすぎでしょう?
まあこの手の言い回しはニーチェがナチスの思想の支柱を
為す、、っていうのと同行異曲?でしょうね?ニーチェの超人思想がなんでナチス
なんですか?違うでしょ?ニーチェの超人とは個人のヂオニュソス的な解放のことでしょ?
3、退嬰的だというのは、純愛とか、まだ見ぬ者への憧れとか、夢想の水晶宮とか?
そういうことなんでしょうね?
でも、それが人間なんですよ。人間って、家があって着るものがあって食うものに困らなければ即
幸せ、、、じゃあないんですよ。それ以上の物、、というか霊的なものにいつも焦がれてしまう
存在なんですよ。
4、反動的?、、、、、、貴族趣味とか、、お姫様とか?民主主義に反する?
まあでも、ポルポトの「原始共産主義」が良いなんて誰も思わないでしょ?
全員農民で、自給自足、貨幣の廃止。本も映画もテレビもない、まるで動物の暮らしって、
いやですよね?
5、現実逃避?じゃあ聞きますが、、人は現実だけで満足できますか?
一切夢的なことはダメって言ったらどうでしょうか?
それじゃあまるで犬畜生でしょ?
人間だけですよ。夢見ることができるのは、幻想を構築できるのは、、
「夢は第2の人生である」(ネルヴァル)
そのとおりじゃあないですか?
「人の生きるはパンのみにあらず、、」ですよ。
パンだけあてがって、、食うだけで、読書も映画もコンサートもダメって言ったら
それじゃあまるで犬猫の暮らしと同列じゃあないですか。
夢見るからこそ人間なんですよ。夢見るのは人間の証なんですよ。
6、「ロマン主義は病的だ。」と、、ゲーテは言って、彼の初期のロマン的な作品から脱却?して
夢から労働へ、逃避から社会参加へ。そういう方向へと舵を切りました。
つまり「ウエルテルの悩み」「修業時代」には色濃くあった、ロマン的な雰囲気を一掃して
「親和力」「遍歴時代」という作風に代わっていったのです。
確かにロマン主義を突き詰めていくと、発狂、自殺、廃人、という極限に多分、到達するでしょうね。
今ネットゲームにはまって、廃人同様になる若者がいるという事実がそのことを証明している
でしょう。確かにロマン主義は、、一種の魔薬?です。
使い方次第で、、人を救済もし、破滅もさせます。さじ加減ひとつでしょうね。
ただその匙加減ができないというのもロマンチストの性癖?でしょうから余計困ったものですね。
公営ギャンブル依存症みたいなもので、、5000円だけと決めてやってればストレス解消、
にもなるでしょうが、、のめり込んで5万10万と賭けだしたら、、危険ゾーンですね。
ギャンブルに限りません。薬物依存症、買い物依存症
みんな心のさびしい人がのめり込む心の病?ですね。
まあ、、のめり込むほどやらなければ楽しくない、、という、真理?もありますが
酒は浴びるほど、、ギャンブルは破産するほど、、やらなければ真の道楽ではないという
一面の真理ですね。「女房を質に入れてまで、、のめり込む、、」それが真の道楽だそうです。
まあここまで行かないように、、ロマン主義も、、気を引き締めて、、適当に?
ほどほどに、、のめり込むしかないのでしょうね?
結論。
夢、無くしてなんの人生。
愛なくして何の人生。
夢は第二の人生である。
人はパンのみにて生きるに非ず、
食って、寝て、働いて、それだけですか?
人には、夢が、、ロマンが、いつだって必要なんですよ。
永遠の夢追い人、、それがまた人間という、夢喰い獏?たる、人間の本質なんですよ。