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如月の虎と狼

作者: 蒼開襟

 高校二年、如月(きさらぎ)ユエ。新学期にクラス替えは少し憂鬱だった。

 仲の良かった友達と離れて、殆ど面識のないクラスメイトたちと馴染めるかはユエの中で問題だったが教室に入るとどこか今までと違う雰囲気に驚いた。

「おはよう。今日からよろしくー」

 教卓の傍にいた女子の一人がユエに笑いかけると他の子たちも同じようにする。

「よろしくね」

 顔を確認しながらとりあえず自分の席に着く。出席番号で振られた席は窓際の方でユエは机に鞄を置いた。

「お、久しぶりじゃん」

 聞き覚えのある声。隣を振り向くと、背の高い男子がユエを見て笑った。

「うん?ひ、久しぶり?」

 彼は席に座ると苦笑いして首を傾げる。

「あ、覚えてないの?俺、虎二。中山虎二(なかやまとらじ)

 虎二?記憶の隅にあった名前が湧き上がってくる。中学生の頃の虎二の姿が思い出された。中学校のジャージを着て、短くした髪によく日焼けしたスポーツ少年。

「ああ、虎ちゃん」

 目の前の虎二は中学生とは違い、随分とガッチリとして髪も少し長めだ。日焼けしているのは変わらないが、左耳のピアスが少し大人っぽく感じられた。

「そう、その虎ちゃんだよ。よろしくな。同じ学校って知ってたけど、同じクラスになって……なんか嬉しいよな?」

「うん。あ……」

 ユエは周りを見渡して小さな声で聞いた。

「えっと……中山君のほうがいい?虎ちゃんって呼んじゃったけど」

 その言葉に虎二は破顔した。

「いいよ、別に。俺もユエって呼ぶし。いいよな?」

「うん」

 前は名前で呼び合っていたが、少し声色の変わった虎二に心臓が早くなる。とても不思議。

「よろしくね。虎ちゃん」

「ああ。あ、そういや、あいつもいるよ?」

 虎二は体をひねって後ろを振り返る。教室のドア近くに座っている男子に声をかけた。

「おーい、狼!」

 ロウ?ロウって……もしかして

 席に座っていた狼はゆっくりとこちらへ歩いてくると虎二の肩に手を置いてユエの顔を見ると笑った。

「あ、ユエちゃん?」

「ロウって……狼君?え?同じクラスなの?」

「うん」

 間山狼(まやまろう)。彼も同じ中学校だった。虎二と同じでジャージを着てサッカー部で校庭をよく走り回っていた。日焼けした顔にサラサラの髪が印象的だったが、今目の前にいる狼は虎二と同じくガッチリとして背が高く、前髪を長くしてセンターで分けている。少し色が白く優しそうな印象だ。

「わあ、久しぶりだね」

「うん。本当に。同じ学校でもクラスが一緒にならないと中々会わないもんだね?」

「本当に。二人がいるなんて知らなかった。これからよろしくね?」

 狼が頷くと虎二が歯を見せて笑う。

「当たり前だろ?」

「まあな。虎二はユエちゃんがいるの知ってたのか?」

「ああ。一年の時に聞いたから」

 虎二と狼が楽しそうに話している。目の前の幼馴染が中学生の頃とは違ってぐんと素敵に変わっていてユエは少し気後れしそうになる。

「うん?どうしたユエ?」

 ユエの表情が曇ったのに気付いた虎二が顔を覗きこんだ。

「ああ……二人とも素敵になったから。私はあんまり変わってないし」

 ユエが俯きそうになると狼が言った。

「ユエちゃん、顔を上げて。ユエちゃんは綺麗になったよ?三人ともいい感じになってるって。なあ?虎」

 虎二はハハと笑うと頷いた。

「うん、当たり前じゃん。だから俺も一年の時に……」

 そう言いかけて虎二は口を閉ざすと狼の胸を叩く。

「ほら、そろそろ先生来るぞ?」

「そうだな。じゃあ後でね、ユエちゃん」

 狼が席に戻ると丁度先生が入ってきてホームルームが始まった。




 新しいクラスに馴染むのには時間はかからなかった。虎二と狼もいたこともあるが、このクラス全体が皆仲がよく雰囲気が良いからだ。

 夏服が始まる頃、仲の良い女子の一人、ミツキが弁当を持ってやって来た。

「お昼食べよ?」

「うん」

 傍にいた女子たちも、「混ぜてー」と机を寄せると数人でのランチになった。

 サンドイッチを頬張るミヤコがユエに視線を向ける。

「ねえ、ユエちゃん、ずっと聞きたかったんだけど」

「なに?」

「中山君と間山君、どっちが彼氏なの?」

「え?」

 ユエが箸を止めるとその場にいた女子たちが振り子のように頷いてユエを見た。

「あたしも気になってた」「あたしも」口々にそう言われてユエは苦笑すると弁当箱の卵焼きを口に運ぶ。

 どっちが彼氏って。虎二と狼は仲の良い幼馴染で彼氏彼女の関係じゃない。多分それを言っても彼女たちの興味は尽きないだろう。

「で、どっち?」

「ああ、あのね。同じ中学校だっただけなんだよ」

 彼女たちにはやっぱり違う答えが必要だったようだ。

「えー、内緒なの?」「結構気になってる子多いんだよ?」

「そうそう。あの二人めっちゃモテルって知ってる?」

 ミツキが笑って言うとユエは口の中の物をごくりと飲み込んだ。

「そうなんだ」

「うん、だって格好良いし、二人とも優しいからね。ユエちゃんがいるから皆、様子見てるけど、彼氏じゃないってわかったら激しくなりそうだよね」

 ミヤコが笑う。他の女子たちもうんうんと頷き、虎二と狼の噂話をし始めた。

 ユエはそれを聞きながら弁当を食べていたが、噂の中の二人はどこか王子様のように見られているようで、記憶の中にある中学生の二人を思い出すとなんだか不思議な感じがした。

 ランチが終了してユエの周りが静かになると教室のドア近くにいた男子がこちらを向いた。

「如月さん、ちょっと」

 手招きされてドアの傍に駆け寄る。

「どうしたの?」

 クラスメイトの男子が隣で赤い顔をしている男子を紹介する。初めて見る顔に軽く会釈するも彼は話しにくいのか、もじもじとしている。ユエが苦笑すると廊下の向こうからやってきた虎二が男子二人を後ろから羽交い絞めにした。

「何してんの?俺も混ぜて」

「うわ!中山君!」

 虎二はにこっと笑う。

「ユエになんか用か?」

「いやー……ええと」

 虎二は二人をクルっと方向転換させると教室から離れて行った。ユエは三人の背中を見ながら首を傾げる。何だったんだろう?

「気にしないんだよ、ああいうのは虎に任せればいい」と後ろから狼の声がした。優しく狼の手がユエの頭をポンポンと叩く。

「ほら、教室戻ろうぜ」

「うん」

 席に着くと目の前に狼が座った。

「なあ、ユエちゃん。今日は一緒に帰ろう。虎も一緒」

「わかった」

「うん、一緒に帰るのは初めてか?ならどっか行く?」

 狼は頬杖をつく。

「うーん、そうだなあ。あ、新しいアイスクリーム屋さん出来たの知ってる?」

 さっきランチの時に聞いた話を思い出す。ちょっと興味があったから。

「いいじゃん、行こう」

 気のよい返事が返ってきて「やったあ!」とユエが笑うと狼はなんだか嬉しそうにはにかむ。

「うん?」

「いや……、楽しみだなって思って」

「うん。楽しみ。三人なら色んな味食べられるかなあ?」

 アイスの話で盛り上がっていると虎二が帰ってきた。

「うん?何の話?」

「ああ、今日寄り道するアイスクリーム屋の話。お前も行くだろ?」

「おう」

 ユエは虎二のにっこり笑った顔を見て、あっと切り出した。

「虎ちゃん。さっきの人なんだったの?私に用事みたいだったけど」

「ああ、気にすんな。教科書忘れたらしくて俺が貸しといた」

「ええ?それなら貸すのに」

 虎二は苦笑すると手を伸ばしてユエのおでこを指でつついた。

「いいんだよ。だから気にすんなって。なあ?」

 隣にいる狼に同調を求めると狼も頷いた。

「うん、ユエちゃんが気にすることなんて何もないよ」

 うんと答えたものの二人が目配せをしたのでユエは首を傾げるしかなかった。



 夏真っ盛り。今年は空が高く気温も上昇している。青い空を横目に更衣室の前で虎二とすれ違った。虎二はすでにジャージ姿だ。

「おう、女子はプールだっけ?いいなあ」

「うん。男子はバスケだよね?虎ちゃん頑張ってね?」

「じゃあな」

 虎二が行ってしまうと後ろから合同クラスの女子が声をかけてきた。

「ねえねえ、如月さん。今の中山君だよね?」

 振り返ると柔らかそうな髪を揺らして可愛らしく笑っている。

「うん……えっと。合同クラスの・・・西島(にしじま)さんだっけ?」

 西島は頷くとピンク色の唇をにっと横に引く。

「西島カナだよ。ねえ、如月さんって中山君と仲良いよね?」

 更衣室に入って水着に着替えつつ西島は制服をたたんでいる。

「うん。中学校同じだったから」

 ユエは着替え終えると制服をたたんで置き、ゴーグルを片手に西島と歩き出した。

「そっか……あのさあ、中山君と仲良くしたいんだ。協力してくれる?」

「協力?」

「そう。駄目かなあ?女子で仲いいのって如月さんくらいだし」

「ああ……でも協力って何するの?紹介すればいいの?」

「うん」

 西島は嬉しそうに笑うと頷いた。

 可愛い子だな、とユエは思う。柔らかそうなサラサラの髪に白い肌、小動物みたいな瞳にピンクの唇。誰がどう見ても美少女の西島は女子の中でも視線を引いている。すらっとした体に水着姿はアイドルのようだ。

 授業が終わりバスタオルを肩にかけて西島と廊下を歩く。けらけら笑いながら虎二と狼がユエたちを見つけて手を上げた。

「おー、なんか涼しそうだな?」

「うん。バスケ暑かった?」

 ユエの言葉に狼が頷く。

「うん、でも白熱したよな?ゲームになったから」

「そうそう、狼はバスケ上手いんだよ」

「そっか」

 隣にいた西島が肘でこつんとユエの体を小突く。ああ、と頷くと西島を紹介した。それに続き西島もにこりと笑う。

「西島カナです。中山君、間山君、別のクラスだけどよろしくね?」

 虎二が頷き、狼は笑った。

「よろしく。そろそろチャイム鳴るから急いだほうがいいよ?」

 西島は腕時計を見ると、じゃあねと行ってしまった。

「美少女だったな?」

 狼が虎二を小突く。虎二はああーと笑うとユエの肩からかけているバスタオルをユエの頭にかけてワシワシと拭いた。

「ああっ!いいよ!髪くしゃくしゃになっちゃうよ!」

「でもちゃんと拭いとけ。ユエ、西島って友達なのか?」

 虎二がバスタオルを動かしながら聞いた。顔が見えないがいつもよりトーンが低い。

「うん、さっき授業でね。どうしたの?」

「いいや。ほら、俺らも戻ろうぜ」

 ぐいっとバスタオル越しに体を押されて教室へ戻る。席に着いた虎二はなんだか不機嫌そうに見えた。

 放課後、西島は教室にやってきてユエと話してから虎二の傍に行く。何か話した後虎二は鞄を持った。

「ユエ、悪い。今日は西島と帰るわ」

「うん。じゃあ、また明日ね」

「じゃあね?如月さん。バイバイ」

 虎二と西島が教室を出て行く。ユエは鞄に必要なものを詰め込み、机の中の教材を手で抱える。鞄を肩にかけて教室を出ようとすると狼と出くわした。

「あれ?ユエちゃん。虎は?」

「うん、西島さんと帰ったよ。私も今から帰るとこ」

「そっか、俺も帰るから一緒に帰ろう」

「うん」

 狼は急いで帰り支度をすると鞄を持ってユエの傍に来た。

「帰ろうか」

「うん」




 狼と二人きり、クレープ屋に寄って買い食いして帰る。花束みたいなクレープを二人でつつきながら家の傍の公園に入りベンチに座った。

「美味いな、これ。一人で一つは多いけど、二人で食べるならちょうどいいか?」

 狼はチョコバナナとクリームをスプーンですくい口に運ぶ。

「うん、美味しいね。この間女子のグループで来たんだけど、もっと食べたいみたいな感じだったよ」

「ハハ。女子は甘いものが好きだな?ユエちゃんも好きなのか?」

 ユエはスプーンを銜えると頷いた。

「うん。太るのは怖いけど、美味しいからなあ。今度はおかずのやつも食べてみたい」

「ああ、チーズとハムだっけ?じゃあ次に来た時でも食うか」

「だね」

 クレープを食べ終えて、狼が自販機でコーヒーを買ってきた。暖かい缶を開けて甘いコーヒーを飲み込む。隣で座っている狼は空になった缶を持つとゴミ箱に捨てた。

「そろそろ行こうか。家まで送るよ」

「うん、ありがとう……。ねえ、狼君」

 ユエの家のほうへ歩き出す。

「どうした?」

 放課後の教室から出て行く虎二と西島を思い出してユエは顔を上げる。

「もしかして……虎ちゃん、あんまりああいう形で紹介って嫌だったのかな?」

 狼は苦笑すると頷いた。

「かもなあ……今頃告白されてたりして」

「ええ?……ああ、そうか。そういう……ことだよね」

「フフ、気付いてなかったの?」

「うん。だって仲良くしたいって言ってたから……。悪いことしたかなあ?」

「そんなことないよ。そういうこともあるし」

「え?あるの?」

 ユエが狼の顔を見上げると狼は破顔した。ぽんぽんと頭に手を伸ばして撫でると狼はユエの顔を覗きこむ。

「気になる?」

 気にならないといえば嘘だ。でも、幼馴染の恋路を邪魔したくなんてない。

 内心複雑な顔をしてユエは言う。

「気に……なる……かもしれない」

 狼はケラケラと笑うと両手をポケットに突っ込んだ。

「ユエちゃん、正直だな。俺も気にならないわけじゃない。けどさあ……俺としては虎を応援したいとも思ってる」

「うん。同感」

「俺とユエちゃんの気持ちが同じかはわかんないけどさ。でもチャンスは皆に平等だからさ」

「チャンス?」

「そうチャンス。俺は難しいのかも知れんけど」

 狼は苦笑するとユエの顔を見る。

 もしかして狼も難しい恋をしてる?そう思って狼の袖をぎゅっと掴んだ。ユエの手に狼は驚いて目を見開くと少し困った顔で笑った。

「どうしたの?」

「だって……難しいって……」

 なんだか複雑な気持ちになってしまってユエは狼の顔を見つめた。

「西島さんじゃないけどさ……できる事があるなら何でもするよ?」

「……うん、ありがと。でもユエちゃんにしてもらうことはないかな?」

「そっか」

「うん。手、繋いで帰る?ぎゅっと掴んでるけどさ」

 狼の視線にはっとして手を離す。狼は少し残念そうに笑うとユエの背中を押した。

「ほら、帰ろう。明日になればわかるんじゃない?」

「そうだね」





「俺、西島と付き合うことにした」

 虎二が一間目の始まる前にポツリと呟く。少し困った顔をしていたが笑ったのでユエは頷いた。

「そっか、おめでとう」

「……お、おう。ありがと。……あのさ……」

 虎二が言葉を続けようとした時、先生が来て授業が始まった。

 その後虎二が話を続けることはなく、放課後になるとまた西島と二人帰って行った。珍しくぽつんと一人になった教室でユエは片づけを始める。

 なんか悪いこと言っちゃったかな?虎二とは朝の会話以降きちんと話せていない。椅子に座ってふうっと息を吐くと窓の外を見た。グランドでは部活の生徒達が楽しそうに走っている。その中にクラスメイトの男子と目があって手を振られたので振り返す。

「元気だなあ」

 後ろで教室のドアが開き振り返る。制服をきちんと着て背の高い男子がポスターを持って入ってきた。

「あ、まだいたんだ?ポスターだけ貼らせてくれる?」

「あ、手伝います」

 彼は掲示板を見て必要ないものを外してからポスターを貼り、見るのに問題ない部分へ外した物を貼りなおす。ポスターには文化祭の文字が躍っている。

「あ、文化祭!」

「うん。今年も良い文化祭にしようね。って……自己紹介がまだだった。僕は生徒会長の霧河(きりが)ミネキ、よろしくね」

 霧河はにこりと笑う。目にかからない前髪を少しあげて黒縁の眼鏡をかけている。賢そうな雰囲気はまさに生徒会長だ。

「あ、如月ユエです。よろしくお願いします」

「ユエちゃんか。僕は三年だから今年で最後だけど、楽しい文化祭にしようね」

「はい」とユエが笑って頷くと霧河は歯を見せて笑った。何気ない会話に花が咲く。会話が途切れたところで霧河はドアの前に立つと振り返った。

「ユエちゃんは部活とかあるの?」

「いえ。もう帰ります」

「ならさ……途中までだけど一緒に帰らない?ちょっと寄りたいとこがあるんだけど一人で行きにくくて」

「はい、私でよければ」

「じゃあ、あと一枚ポスター貼ったら終わりだから少し待っててくれる?」

「わかりました」

 仕事を終えて合流すると二人で学校を出る。霧河が行きたい所は喫茶店らしくお洒落な外観で中は女の子で溢れている。可愛らしいクマの形を模したケーキがショーケースにずらっと並んでいて、ドリンクと一緒に席で楽しめるようだ。

 霧河は二人分注文するとユエを連れて席に着く。

 窓際の席で店内が見渡せる。可愛いユニフォームの店員が注文を運んでくるとテーブルが賑わった。ホットコーヒーと可愛いクマのケーキが二つ。ユエの前にはホットカフェオレが置かれている。

「僕のおごり。付き合ってもらったから」

「ありがとうございます。いただきます」

 フォークでケーキをつついて口に運ぶ。フワフワのスポンジにカスタードクリームがたっぷり。

「うわあ、美味しいなあ。どうユエちゃん?」

「美味しいです。霧河先輩はこれが食べたかったんですか?」

「そう。でも見てのとおり、ちょっと一人では入りにくいじゃない?だからユエちゃんがいて良かったよ」

 喫茶店を出ると、霧河が送ってくれるというので家の近くまで来た。

「ここで大丈夫です」

 もう家まで一直線という場所で足を止めると霧河も頷く。

「そうか。じゃあ、ここで。今日はありがとう」

「はい、ありがとうございます。また明日」

 霧河と別れて家路に着く。自宅の前に狼を見つけてユエは手を振った。

「あれ?狼君、どうしたの?」

 狼はユエを見るとホッとした顔で駆け寄った。

「ごめん、一緒に帰れなかったから……」

 中学生の頃、帰り道で痴漢にあったことを思い出す。あの時は虎二と狼がいつも家まで送ってくれていた。

「遅くならないようにしてるよ?心配してくれてありがとう」

「ああ、うん。そうか……ならいいんだけど」

 狼は少し困った顔で笑う。最近こうした顔をすることが多いのはどうしてだろう。

「あ、狼君、寄って行く?お茶でも飲まない?お母さんも会いたいって言ってたから」

 話題を変えるために中学生の頃と同じように誘ってみる。狼も何かに気付いたのか頷いた。

「うん、そうしようかな」

 中学生の頃と同じ返答、けれど少し違う雰囲気に胸がドキっとした。




 文化祭当日、ユエのクラスは純和風喫茶の模擬店だ。女子男子と和装で給仕をする。

 女子たちは盛り上がって持ち寄った浴衣に可愛らしく化粧をして準備に余念がない。

 ワイワイとしながら男子と一緒になって服装のチェックをしていると、後ろのほうで大きな歓声が上がった。虎二と狼が男性用の浴衣を着ている。

「わあ!中山君、間山君、超かっこいいじゃん」「うん、これはうちの模擬店トップ取れそうじゃない?」

 文化祭ではそれぞれの出展にポイントがつけられる。評価が高かった出展は校長からプレゼントがあるそうだ。

「ユエは遅番だっけ?」

 虎二が制服のままのユエを見る。給仕は交代制で早番、遅番となっている。ユエは早番だったがクラスメイトが彼氏と文化祭を回りたいから遅番と交換したのだ。

「うん、チヤちゃんと換わったんだ。虎ちゃんよく似合うね。格好良い」

「ありがと。でも遅番だと一緒に回れないな?」

「え?西島さんと回るんでしょ?」

 教室のドアに西島の姿を見つけると虎二は苦笑して手をあげた。

「ちょっと行ってくる」

 虎二と入れ替わりに狼が傍に来た。もたもたと腰辺りを確認している。

「ユエちゃん、帯のところ直してくれる?なんか変な感じで」

「あ、うん」

 浴衣が少しねじれているのかユエがそこを引っ張ると帯を触っていた狼の手に触れた。

「あ、ごめん」と狼の両手があげられた。

「大丈夫。よし、これでいい。狼君、格好良いね」

「本当?あんまり着慣れないから変な感じだよ。ユエちゃんは遅番だっけ」

「うん。でも楽しみにしてるんだ。一年の時は緊張もあってか楽しめなかったから」

「そっか。あ、そろそろ時間だな?じゃあまた後でな」

 教室が一気に喫茶店へと変化する。外で呼び込みをしている男子たちは楽しそうに女子に声をかけている。客入りも上々で繁盛しそうだ。

 ユエはふらっと一人で回ってみることにした。皆楽しそうでワクワクが伝わってくる。いくつか店を回って体育館での演劇を見た後、教室へ戻ろうと歩き出した。時間的には遅番までには少し早いけど、早番の子たちも回りたいだろうから。

 教室に戻り、控え室で浴衣に着替えると早番の子に声をかけた。

「交代するよー」

 なんだか疲れ顔の女子がユエの顔を見て泣きつく。

「ユエちゃん!良かったー。すっごい混んでてさ、少し落ち着いて来たけど遅番も大変かも頑張ってね」

「うん、お疲れ様」

 喫茶店は結構混んでいる。待ち札を持った人が席が空くと吸い込まれていくが解消される様子はない。

 ユエはエプロンをして給仕をする。トレイにドリンクとお菓子を乗せて番号のテーブルまで運ぶと見知った顔がいた。

「あれ?ユエちゃん」

 生徒会長の霧河だ。周りには数人の男女がいる。

「会長、知り合いですか?」

 男子の一人がユエを見て嬉しそうに笑うと霧河は頷いた。

「うん、如月ユエさんだよ」

「へえ……可愛いなあ」

 ユエはテーブルにドリンクを置いて軽く会釈する。

「ねえねえ、如月さん!あとで一緒に回らない?」

 男子は少し前のめりになってユエの顔を見た。

「すいません。これから当番なんです。でも誘ってもらってありがとうございます。じゃあ」

「えー、残念!」と悔しがる声を聞きながら奥の控え室に戻ると椅子に座った虎二がいた。

「あ、ユエ。もう交代したのか?まだ時間あっただろ?」

「うん。でもこんなに忙しいと人手があったほうがいいし、早番の子たち皆クタクタだよ」

 虎二も何度か頷く。

「うん、マジで。なんか女子の客を任せれてて、今は狼がやってるけどあいつすげえわ」

 控え室からホールをチラッと覗く。女性客に囲まれながら丁寧に対応し爽やかにてきぱき動いている。

「うわ、凄い。私も頑張らないとね」

「いやいや……ユエは」と被せるように虎二が何か言おうとしたが、ホールの女子から声がした。

「ユエちゃん、来てー。手が足りない!」

「はーい」

 返事をして虎二に断りを入れるとホールに飛び出した。




 男性客から待ち札を貰い席に案内する。注文をとろうとしてユエが顔を上げると数人の男子がユエの顔を見て嬉しそうに笑った。

「うわ、ラッキーじゃん」「まじ、ここの店可愛い子ばっか」

 にこにこ笑う男子にユエは愛想笑いする。

「ええと……ご注文は?」

「あ、えっとねー」

 メニューからいくつか注文を貰いすぐに控え室に戻る。ドリンクとお菓子を用意してトレイに乗せると注文を運んだ。

「お待たせしました」

「あ、来た。ありがとう!ねえ、君なんて名前?」「うんうん、俺はさあ」

 何故か捕まってしまいユエは苦笑しながらトレイをぎゅっと胸にあてる。その肩を大きな手が触れて、振り返ると狼がいた。

「すいません、うちのウェイトレスが。混んでますからこれで」

 狼は威圧感のある笑顔でそう言うとユエの肩を抱いたまま控え室へ引っ込んだ。

「大丈夫だった?」ととたんに狼が心配そうに顔を覗きこむ。

「うん、大丈夫。ありがとう」

「うん……ああ、なるほどな。ユエちゃん、相当似合ってるね?」

「え?ああ、浴衣のこと?」

「凄く可愛い。これは気をつけないとなあ……虎はもう……交代したのか。俺もそろそろ交代だけど、気をつけないと駄目だよ?」

「うん、ありがとう。頑張るね」

 何か言いたげだったがユエが笑ったので狼は頷くだけだった。

 後半戦、女性客がまばらになって男性客が増えてきた。スタッフの女子たちもてんてこまいで回すのがやっと。ユエも少し疲れたのか溜息が出た。

「ユエちゃん!出てー」

「はーい!」

 また呼ばれてホールに飛び出る。にこにことしながら注文をとるとホールを走りまわった。あと一時間ほどで終了というところで教室のドアのほうで声があがった。

「あれ?中山君と間山君、帰ってきてくれたの?」

「うん、急がしそうだし。って男ばっかだな」と虎二はテーブルを片付け始める。狼はホールで疲れた顔をした女子からトレイを貰うと給仕を始めた。

「ユエちゃんは大丈夫?」

「大丈夫だよ。もういいの?」

「うん、十分楽しんできたから」

 虎二と狼が帰ってきたおかげでスムーズに客が回りはじめるとまた少し女性客が帰ってきた。丁度待ち札が切れたところで時間終了となった。

 客が捌けてその場にいた子たちが皆へたり込む。口々に終わったと喜び合うとユエの前に虎二と狼が両手を出す。パチンとハイタッチをして笑いあうと文化祭は無事終了した。

 その後、文化祭の出展でポイント稼いだことが評価されユエのクラスにどっさりとお菓子が届けられた。ジュースもあり放課後に残ってクラス全員で打ち上げとなる。担任に届けを出してから皆で集まると小さなパーティになった。

 仲の良いクラスメイトたちが集まって話している中にポツポツと男女のカップルが出来始める。どうやら文化祭で付き合い始めたらしくそれが話題になった。

 ユエの傍には狼、虎二がいて何気ない話をしている。そこに男子の一人が三人に向かって声をかけた。

「なあ、中山って彼女いるんだろ?間山は?」

「え?」

 虎二が困った顔で笑う。

「俺のことはいいって、なあ、狼?」

「うん、そっちで楽しくやってろよ」

 狼が投げると女子の一人が頬を膨らせる。

「えー!間山君のこともっと知りたいよ。彼女いるの?」「あたしも知りたい!」

 どうやら興味がそこに集まってしまい狼はうな垂れる。

「いや……まじで……困るって」

 それを見ていたユエは笑うと助け舟を出した。

「狼君、困ってるみたいだから……許してあげて?」

 ユエの言葉にカップでジュースを飲んでいた男子が声を上げる。

「あ!如月さんのことも知りたいよ?か、彼氏いるの?」

「え?」

「興味ある。マジで今日の如月さん、めちゃくちゃ可愛かったもんね?」

「そうそう」「俺、立候補したいな!」

 盛り上がる会話にユエは固まると苦笑して狼を見た。狼は鼻を鳴らすとユエの手を握って微笑む。

「ごめん、こういうことだから。だからそういうの聞かないで?」

 突然の言葉にユエは固まったまま握られた狼の手を見つめている。クラスメイトたちはざわめくと「なんだ、そういうこと?」「間山には勝てん」などと話はとりあえず落ちついた。

 ユエは少し困った顔で握られた狼の手を見てから顔を上げた。狼は少し赤い顔をしてユエを見ている。それにつられてかユエの顔も赤くなった。

「まじかよ」

 ユエの耳にだけ聞こえた呟きにハッとして虎二を見る。虎二はなんだかバツが悪そうな顔をしていた。




 午後六時、クラスメイトたちと学校を出てそれぞれが帰路に着く。ユエは虎二と狼の三人で歩いていた。さっきのことがあってか相当気まずい。三人とも喋らずにただ歩いていたが沈黙を虎二が破った。

「俺、聞いてないけど?」

 ユエが同じく頷くと狼は歯を見せて笑う。

「ごめん、あの場ではああしたほうがさっさと終わるって思ったんだよ」

「はあ?嘘か?じょ、冗談かよ」

「悪い」

 虎二が心底ホッとした顔で笑うと狼は仕方ないという顔をして笑った。

「ごめんな、ユエちゃん。巻き込んじゃって」

「そっか……ごめんね?私のほうこそ。うまくかわせなかったから」

「ううん、本当ごめん。手を握っちゃって」

「いいよ、中学生の頃は手を繋いだことあるでしょ?」

 ハハと狼は笑う。

「それにしてもああいうのはびっくりすんな。俺、凄いショックだった」

 虎二は情けない顔をして腕を組む。

「お前ら二人が付き合うってなったら……そらあ……応援はするけどさ。でも……う、ああ、うん」

 言葉を濁して虎二が俯いた。

「虎ちゃん?」

 ユエの顔を見て虎二は優しく笑う。

「あのさあ……ユエ。もしお前に好きな奴ができたらさ……俺、応援するから。だから……」

「だから?」

 聞き返した声が少し震えている。自分でもどうして動揺しているのかわからなかった。

「だからそれまではさ、俺と狼がお前を守るよ。いいかな?」

「う、うん……」

 小さく頷いて返事をする。なんだか頭が真っ白で俯いた。

「ユエちゃん?」

 狼に呼ばれて顔を上げる。狼と虎二の顔が驚いたように赤くなった。

 片手で頬に触れると濡れていた。視界がゆがむほどに涙が溢れて零れては落ちていく。

「あ、ご、ごめん」

 両手で顔を押さえると余計に涙が止まらなくなった。

 だめだ、これじゃ虎ちゃんも狼君も困ってしまうよ……。

「ごめんなさい。変だな?おかしい、おかしいよ」

 涙声でそう言うと虎二がそっとユエの頭を撫でる。

「おかしくない。俺こそごめん」

「うん、おかしくなんかない」

 狼もまたユエの肩に手を置くとユエの頭に額を寄せた。

 何故かホッとしてユエは抑えていた声を上げて泣いてしまった。

 小さい頃のように泣いて、それを二人が宥めてくれる。泣き止んでまた歩き出すと左手を虎二、右手を狼が繋いだ。

「ほら、ユエ、帰るぞ?」

「うん」

「ユエちゃん、しっかりしな。でもその顔じゃ、小母さんになんか言われそうだ」

「ああー、本当だ。まずいー」

 三人は笑いあうと、いつもの三人に戻っていた。




 季節は冬。制服の上からコートを羽織って登校するも息が白い。下駄箱で靴を履き替えると名前を呼ばれた。上り框に生徒会長の霧河だ。

「おはようございます。霧河先輩」

「うん、おはよう。朝は一人なんだね?」

「え?」

「いつもほら、ユエちゃんの傍にはナイトが二人いるじゃない?」

 霧河が笑うとユエは頷いた。

「虎ちゃんと狼君」

「そうそう。また誘うチャンスがないかな?って思ってたんだけど……なかなかね」

「チャンス?」

 ユエが首を傾げると霧河は頷いた。

「デートにね。って言うのは冗談で、またクマのケーキ食べたいなって」

「ああ!私でよければ誘ってください」

 そう言ったユエの肩にぽんと何かが乗る。振り向くと虎二の両手がするっとユエを抱きしめるように動いた。

「霧河先輩!ユエに何の用ですか?」

「ほら、ナイトの登場だ」

「そうですよ、先輩。俺たちを無視はできません」と虎二の後ろから狼が顔を出す。霧河は苦笑して頬を指でかいた。

「仕方ないな。じゃあ、ナイトたちの前でデートに誘おう」

「え?」

「ユエちゃん、今日放課後あのケーキを食べに行こう?」

 堂々とした態度に虎二は苦笑する。

「強いなー、生徒会長になると強くなるんすか?」

「さあね……で、ナイト君たちはどうするんだ?」

 狼はユエの顔を見て笑う。

「ユエちゃんはどうするの?」

「うーん……せっかく誘ってもらったから行きます」

 ユエの返事に狼は頷くと虎二に目配せした。

「じゃあ放課後に」と霧河は行ってしまった。三人で教室へ向かう途中、虎二が聞いた。

「なあ、ユエ?」

「うん?」

「先輩のことどう思ってんの?」

「え?」

 狼はただ黙ってユエの隣を歩いている。

「どう……って……」

「好きなの?」

 好き?ええ?ユエの顔が真っ赤になって片手で顔を押さえると虎二をにらみつけた。

「そん、そんなの!知らないよ!!」

 虎二に鞄をぶつけて廊下を走り出す。バタバタと足が縺れてそこにへたり込んだ。

「ユエー、大丈夫か?」

 傍に来た狼が転んだユエの手を引き上げてコートの汚れを掃う。

「大丈夫?怪我してなくてよかった」

「ごめん、狼君」

「いいよ、さっきのは虎が悪い」

 そう言われて、なんだか違う気がした。

「そんなこと……ない。ごめん、狼君、虎ちゃんも!」

 後からきた虎二は、おうとだけ言って頷いた。

 放課後、生徒会長の霧河がユエを迎えに来て一緒に以前行った喫茶店へと入る。相変わらず女性客ばかりで店内は賑わっている。注文を終えて席に着くと霧河がユエを見て噴出した。正確にはユエの後ろ。後ろの席には虎二と狼、そして虎二の彼女・西島が座っている。

「まさかのナイト付きとはね」

 霧河は頬杖をつくとユエにケーキを食べるように促した。

 ケーキは美味しいものの、視線がちくちく背中に刺さるし、周りの女性客たちの視線も何故か集めているようだった。

「ちょ、なんでこんな見られてんの?」「二人がかっこいいからでしょ?あたしちょっと優越感?」「西島さんってそういう感じなんだ?」「なに?間山君ってそんな意地悪なの?」

 後ろからヒソヒソ声で聞こえてくる話にユエが笑うと虎二が小さく怒った。

「何笑ってんだよ!ったくよ!」

「ごめん、虎ちゃん」

 ユエが両手を合わせて笑うと霧河は困ったように呟く。

「参ったなあ……」

「どうかしましたか先輩?」

「うん、どうやら俺は君が好きみたいだよ。ユエちゃん」

 突然の告白にユエが固まり、その後ろの虎二、狼も固まった。唯一西島だけが口をぽかんと開けて、近くの席の女性客と同じ顔になった。





「まあ、俺が卒業するまでに付き合うかは考えてみてよ」

 霧河の突然の告白に驚きながらもすぐには答えは出せず猶予を貰っていた。ユエは一人部屋の中でベットに横たわると両手で顔を隠した。

「好き……か」

 高校一年の時、好きだと言ってくれるクラスメイトがいた。ユエの気持ちはまだ彼には傾いていなかったけど仲良くなれるなら、そういう思いでいたが一向に進まない関係に苛立ちを覚えた彼はひどい言葉で詰りユエを振った。突然打ちのめされて絶望したのをよく覚えている。

 丁度文化祭の頃で同じクラスというのもあり緊張で何も楽しめなかった。というかあまり記憶がない。今年は彼の顔は見ていないけど、充実した文化祭でよかったと思う。

 あれから色恋は少し苦手意識があった。周りの子達が恋をしているのは楽しそうに見えるし応援もしたくなる。けどいざ自分となるとどこか考えないようにしていた。

 二年の仲の良いクラスメイトたちから虎二や狼のことを聞かれるたびに、やっぱりどこか線を引いて話していたけれど、虎二と狼が言ってくれた「俺と狼がお前を守るよ」が胸の中で暖かく力をくれている。

 霧河のことが好きか?と考えると難しい。霧河は優しい人で会うたびに挨拶もしてくれるし、なんだかんだと良き先輩、規範となる素敵な人だ。

 それは虎二も狼もよく知っている。だから放課後の喫茶店に付き合うくらいは普通だったけど、いざ恋人となると想像できない。

 はあ、と溜息をついて両手を放り出すと机の上で携帯電話が鳴った。体を起こして画面を見る。

「はい、狼君?」

「うん、今大丈夫?」

「大丈夫だよ。どうしたの?」

 狼は今日勝手にデートに付き添ったことを詫びた。

「いいよ、もう済んだことだし」

「ユエちゃん……先輩のことどうするの?」

「……わかんない。だってまだよく知らないし……」

「そっか。……ユエちゃん、あんまり無理しなくていいよ?そういうの苦手ならさ」

「え?」

「……あのさ、俺知ってるんだ。一年の時の事。中学のときに交流があった奴がいてさ……そいつがさ、文化祭の後、教えてくれた」

「……そうなんだ」

 ユエが黙り込むと狼は優しく言う。

「ごめんな。一年の時に傍にいられれば、そんなことさせなかったのに。虎だって同じだと思う。ほんと、ぶっ飛ばしてやりたいくらいだよ」

「フフ、大丈夫だよ、もう平気だし」

「でもまじで俺怒ってたんだよ、話聞いた時。悔しかったし」

「悔しい?」

「うん、なんでユエちゃんが傷つけられなくちゃいけないんだって。俺や虎二にとっては大事で宝物みたいな女の子なのに」

 くすぐったい言葉にユエの頬が熱くなる。

「だからさ……ちゃんとゆっくり考えたらいいんだよ?俺たちがついてるし。もう絶対泣かせないし、傷つけさせないから」

「うん」

「わかったらいい。ごめん、いきなり電話して。じゃあまた明日」

 電話が切れてユエは顔がゆるむ。なんだか嬉しくて微笑みが零れた。

 狼君……。なんであんなに優しいんだろう?

 虎二と狼は中学の時に本当に仲良くなった。小学校から一緒ではあったけど、一気に距離が縮まったのは中学の校外マラソン。木枯らしの吹く中で足をくじいて歩いていたら逆方向から駆けてきたのが虎二。負ぶさって学校に戻って、保健室で手当てしてくれたのが狼。二人とも優しい男の子だった。

 意地悪なことを言うことがあるけど、絶対に傷つけないしいつでも優しかった。

 高校二年で同じクラスになって、中学生の時よりももっと格好良く、もっと優しくなっていて、他の女の子たちが二人に憧れるのはよくわかった。

 でも虎ちゃんは……。西島の顔が浮かんで大きく息を吐いた。西島と虎二、二人が並んでいるところはお似合いだった。誰が見ても理想的。

 ちくんと胸が痛むのは一緒にいてくれる虎二が他の女の子に取られた気がしたからだろうか?

 ユエはベットに突っ伏すとそのまま目を閉じた。




 クリスマス前。ユエは突然西島に呼び出されてカラオケボックスの中で西島の歌を聞いていた。アイドル顔負けのルックスにパフォーマンスつきの歌声はきっと見る者の目を奪うだろう。

 一曲歌い終えてマイクを置くと西島はジュースを飲む。ユエはじっと静かにしていたが西島に促されて曲を探していた。

「ねえ、如月さん。どういうつもりなわけ?」

「え?」

「え?じゃないわよ。中山君、とうとう別れるとか言い出して」

「なんで?」

「こっちが聞きたいわよ!そもそも中山君は誰かさんの代わりにしてたんだし」ぼそぼそと西島は言う。

「で、如月さんは誰が好きなわけ?あの先輩、生徒会長の、それとも間山君?」

「ちょ、ちょっと待って。なんでそんなこと」

「如月さんがいい加減決めないからこうなってるんじゃないの?如月さんが決めてくれたら中山君だって踏ん切りがつくでしょ?」

「踏ん切りって……」

 ユエが困ると西島はむっとした顔で睨んだ。

「鈍感もいい加減にしないと罪だよ?あたしは直球で勝負してる。あたしは中山君が好き。大事にしてくれるし、手は出さないけどちゃんと見てくれてる」

「……うん」

「ちゃんと考えてよね?あたしは別れるつもりなんてない。ちゃんと好きなんだもん。うそでも何でも手に入れたからには離すつもりなんてない」

 西島はまた立ち上がると曲を入力してマイクを握った。

「本当で!今日は鬱憤晴らすために付き合ってもらうから!」

 西島とのカラオケを終えてフラフラと帰宅する。少し耳が疲れているせいで瞬きが多くなっていた。

「はあ……」

 ゆっくりと歩いていると家の傍に虎二を見つけた。

「虎ちゃん?」

 虎二はユエを見つけると片手を上げてにっこり笑う。

「おう!」

「どうしたの?何か用事だった?」

「いや……近くに来たから寄っただけだよ」

「そっか。お茶でもしていく?お母さんが昨日パイを焼いてたから……虎ちゃん好きだったでしょ?」

「うん……でもいいのか?今、ユエ一人だろ?」

「うん。大丈夫だよ?」

 ユエは鍵を差し込むと玄関を開ける。

「そういうことじゃない……んだけどなあ」ぼそっと虎二が呟いたがユエが笑うと仕方なく頷いた。

「わかった、ご馳走になる」

「どうぞ、上がって。お母さんももうじき帰ってくるだろうから」

「うん」

 ユエはキッチンに入るとお湯を沸かす。

「虎ちゃん、コーヒーがいい?紅茶?それとも緑茶?」

「コーヒーで。ブラックでいいよ」

「はーい」

 小分けのドリップコーヒーを入れて、冷蔵庫のパイをオーブンで暖める。それを虎二の前に出した。

「サンキュー」

 虎二はコーヒーを飲み、パイに齧り付く。おいしそうに食べる姿にユエは暖かいカップを両手に持つと笑った。

「なんだよ?」

「ううん、おいしそうに食べるなって思って。中学生の時と変わらないね」

「食うもんはな。けど成長はしてる」

「うん、虎ちゃんは素敵になったよね。背もぐんと伸びて手だってすごく大きい」

「ハハ、そりゃそうだよ。男は女を守るために体が大きいんだからな」

 虎二はカップに口をつける。

「それはそうと……生徒会長のことどうするんだ?」

「え?……まだ決めてない」

「ちゃんと決めないと駄目だぞ?中途半端はよくないから」

 ユエは少し膨れて抗議した。

「虎ちゃんだって、西島さんとどうするの?」

「なんで西島?」

「言ってたよ?別れるとかどうとか。ちゃんとするのはお互い様じ……」

「お前には関係ない!」ユエが言い切る前に虎二が言葉を被せた。しんと静まり返って虎二がやってしまったと口に手を当てる。その顔は真っ青だった。

「ごめん。怒鳴るつもりなんてなかったんだ。……ごめん」

「うん……私のほうこそごめんなさい。そうだよね?関係ないもんね」

 ユエが俯くと虎二は慌てて何か言おうとしたが、玄関のドアが開く音がして軽快な「ただいまー!」のユエの母親の声に邪魔された。



 クリスマス。クラスメイトたちとのパーティ。カラオケボックスのパーティルームではワイワイ楽しそうに賑わっている。普段あまり話ができない子とも仲良くなれる機会ともあってほぼ全員参加していた。

 ソファの隅に座ってユエはジュースを飲む。隣には仲の良い女子ミツキが座っていたがいつの間にか男子が交代していた。

「如月さん、歌わないの?」

「う、うん。歌は上手じゃないから。みんな上手だね?」

「ほんと、でも如月さんの歌も聞いてみたいな。それとも一緒に歌う?」

 場の雰囲気なのか今日は皆積極的に見える。

「う……うん……私は今はいいかな」

「そっか、じゃあ俺もいいや。ねえ、如月さんはさあ……」

 話題をつがれてユエはにこにこと聞いていたが視線を感じてカップを取るときにそちらを見た。虎二がこっちを見ている、不機嫌そうに視線を逸らすと男子と話し始めた。

 なんか怒ってる?いたたまれなくなってユエは隣の男子に断ると席を立つ。部屋を出てレストルームに向かうと女子たちがメイクを直していた。

「あ、ユエちゃん。楽しんでる?」

 色つきリップを塗ってにっこり笑う。

「うん、楽しいよ。なんだか今日可愛くしてるね?」

「フフ、今日こそはね?じゃあ先に戻ってるね?」

 パタパタと女子たちが出て行き、ユエは用を済ますと洗面台で手を洗う。冷たい水で冷えた手をハンカチで拭いて、鏡で髪を整えてから外に出た。

 廊下は少し室内の歌声がぼやぼやと響いている。カラオケボックスの面白い所だ。部屋に戻る途中のドリンクバーの前で狼が俯いて立っていた。

「狼君?」

 ユエの声に狼が顔を上げる。少しホッとした顔に見えた。

「どうしたの?何か飲むの?」

「うん、ユエちゃんもなにか作る?」

「そうだなあ……そうしようかな」

 狼の隣でカップを持った。

「皆すげー浮かれてる。今日は結構カップルが出来そうな感じ」

「そうだね?けど楽しそうだよね」

 ジュースのボタンを押すと色のついた水がシュワシュワとカップを満たす。

「狼君は楽しんでる?」

「まあね?ユエちゃんは?疲れてない?」

「フフ、大丈夫だよ。でも皆ジュースで酔っ払ってるよね?」

「アハハ、違いない。三年はまた違うクラスになる奴もいるからなあ……。思い出作りたいんだろうな」

「そうだよね」

 狼は一つジュースを作るとユエに笑いかけた。

「そろそろ戻ろう」

 パーティルームに戻ると少し人数が減っていた。元から家族との予定などで前半は参加するという形にしたらしい。

 ユエはソファに座り隣の女子たちの話に加わった。が恋の話に急遽変わり傍の男子も加わって盛り上がり始めた。女子一人一人に話が飛び、ユエの番が来た。隣に座っていた女子が男子に交代して何故か、付き合えば?みたいな雰囲気になりユエは視線を泳がせる。

 困った。そう思った時、ワイワイ盛り上がっていた会話がぴたりと止まりユエが視線を上げる。虎二が不機嫌そうにユエの手を引くと空いているソファに座らせて隣にどかっと座った。

「なんか文句ある?」

「ないです」と口々に言うクラスメイトたち。場が悪くなったが虎二がにこっと笑った。

「俺はユエの騎士だからさ。ちゃんと俺に断って?」

 その言葉にドッと場が和み、冗談に受け取られたのか笑いが起きた。それに乗じて「頼むぜ?」と虎二がパチっと目配せした。



 正月明けの登校、久しぶりのクラスメイトたちに挨拶を交わしながら席についた。どこか正月ボケの子もちらほらいて教室はまったりしている。

 教室のドアの傍で名前を呼ばれて見ると霧河がいた。

「こんにちは、霧河先輩」

 ドアの傍に駆け寄って軽く会釈する。霧河は少し雰囲気が変わったのか大人っぽかった。

「久しぶりだね、今日は時間ある?」

「はい。でも……お正月結構食べちゃったからケーキは駄目ですよ?」

「アハハ、それは俺も同じ。少し話でもしないかなって思って」

「……ええと」

「そんなに気負わなくても大丈夫だよ?別に返事が欲しいとかじゃないから」

 ユエが苦笑して頷くと約束をして霧河は行ってしまった。

 放課後、帰り支度を済ませて教室で霧河を待っている。教室はがらんとして人がいないとこんなにも静かなんだと思い知らされた。窓際の席に座りぼんやりと外を眺める。ガラッとドアが開くと霧河が入ってきた。

「ごめんね、待たせちゃって」

「いいえ、大丈夫です」

 霧河はユエの前に座ると同じように窓を外を眺める。

「ここからはよく見えるね?いい眺めだ、ユエちゃんの席なの?」

「はい。夏は少し陽射しがキツイですけど冬は暖かくて好きです」

「そうか……」

 教室のドアのほうを向き霧河は足を組む。机に右手で頬杖をついて息を吐いた。

 その顔に疲れが見える。

「先輩、なんだか疲れていますか?」

「ん?ああ……そうだなあ。受験もあるし、生徒会の仕事も引き継ぎで忙しい。なんだかんだあって……うん、疲れてるんだろうなあ」と小さく息を吐く。

「まだ休めそうにないですもんね?」

「まあね。ユエちゃん、今日はね、君と話をしたいって言ったじゃない?」

「はい」

「あれはさあ……俺は君が好きなのは本当なんだけど、君が誰を見ているのかもわかったからなんだよね……」

「え?」

 霧河の言葉に心臓が走り出す。

「先輩何を……」

「君は選べないんだろ?中山君と間山君、どちらかなんて」

「や……ま、待ってください。虎ちゃんも狼君も幼馴染で……」

 言葉を紡ごうにも頭が回らなくてしどろもどろに声になる。

「ほら、ね?」

「ち、違いますよ!ちが……」

 否定しようとすると霧河の指先がユエの唇に触れた。

「俺はさ……百戦錬磨ってわけじゃないけど、好きな子が誰を見てるかなんてわかるよ。特別な視線ってわかるから。君は中山君と間山君、どちらも好きなんだろう?けど二人ってのはいただけない。だからさ、俺にしなよ」

 霧河がにっこり笑う。

「俺はユエちゃんを傷つけたりしないし大事にする。君が二人を思ってても振り向かせる自信はある。でも君が選んでくれなければそうもいかない」

 霧河の手が頬に触れた。

「選んでよ、俺の事。本当は期限なんてつけたくない。でもそうしないと君は動かないだろ?だから考えて欲しい、俺のこと。好きになって欲しい」

 真剣な眼差しにユエは俯いた。心臓が早いのはただ動揺しているから?それともこの人の思いに触れたから?

「もっと話したいけど今日はもうこれで帰るね。俺が送らなくても外で誰かさんが待ってるから」

 霧河は笑うとユエの頭をぽんぽんと叩いて教室を出て行った。

「熱い……」両手で顔を押さえて俯いた。真剣な言葉、考えて欲しいと言われてそうしなくちゃいけないと自分自身が言っている。机に突っ伏すと大きな溜息が出た。窓の外を見つめて、ただぼんやりと目を閉じた。



「さむっ……」

 ハッと目が覚めて自分が教室で眠ってしまったことに気付き顔を上げる。ユエは周りを見渡すと教室のドア付近、椅子に座って本を読んでいる狼に気付いた。

「狼君?」

 狼は視線を上げて本を閉じた。

「おはよう」

「お……はよう、ってどうしているの?」

「内緒」

 本を鞄にしまい狼が立ち上がるとユエの傍に来た。

「帰ろう、もう遅いし」

「うん……」

 帰り支度をしてコートを羽織ると二人並んで学校を出た。日が落ちて随分と暗い。部活の生徒たちも下校している時間だった。

「ごめんね?待っててくれたんだよね?」

 ユエが狼を見上げると狼はただ首を横に振る。

「別に……そんなこと気にしなくていい。俺は好きでしてることだし」

「でも……風邪引いちゃったら」

「それはユエちゃんのほうだろ?教室で寝るなんて」

 そういえば霧河が「外で誰かさんが待っている」と言っていたが狼のことだったんだろうか?だとすれば随分と長い間待ち続けていたことになる。

「狼君」

「うん?」

「ありがとう」

 ユエの言葉に狼は優しく微笑む。

「うん……いいんだ。そんなことはさ」

 ゆっくりと歩幅をあわせてくれているのか狼は時々ユエのほうを見る。

「狼君は優しいね……」

 思ったことが零れ落ちた。

「うん。ユエちゃんだからね」

 今までに聞いたことのないほど優しい声にユエは足を止めた。その時ゆっくりと狼の顔が近づいて額が触れた。息が触れてしまいそうなほど近くに狼の唇がある。

「俺はさ、ユエちゃんだから優しいんだよ。覚えておいてね」

「うん……」

 狼は体を起こすと恥ずかしそうに笑う。

「なんかキザだったな」

 その言葉にユエもつられて笑う。

「ううん、狼君は格好良いよ。キザなんかじゃない」

「そうか」

 二人は顔を見合わせて笑うとまた歩き出した。

 その夜、ベットに入ったユエは沢山の事を思い出していた。中学生の頃に優しくしてくれた虎二と狼。いつでも見守り助けてくれた。

 そして高校生になって出会った霧河。誰よりも大人で優しい頼れる人。

 誰かを選ぶなんて、本当は自信のないユエには夢のような話だ。

 求めてくれるならそう思いかけて、ふと以前のことがちらついて両手で目を覆った。

 酷く詰る言葉が体中を支配する。聞こえもしない声がした気がして耳を覆う。

 どうして?こんな時に思い出すの?どうして私は忘れないの?

 涙が溢れてぼろぼろと零れ落ちた。




 バレンタイン。浮き足立った男子たちがちらちら女子に視線を送っている。本命チョコ、義理チョコ、貰った子たちが幸せそうにするのを横目に不平を言う男子の声が聞こえる。それを聞いて仕方なしとクラスメイトにお徳用チョコレートを配る女子の笑う声が響く。

 ユエはそれを見ながら笑っていたが、教室の開かれたドアの向こう側で虎二が西島にチョコレートを貰うのが見えた。少し困った顔で虎二はそれを受け取ると、その後他のクラスの女子がチョコレートを抱えてやってきては受け取っている。

 虎ちゃん、モテルなあ……。

 ユエが笑ってみているとやっと終わったのか沢山のチョコレートを制服のセーターで包んで持って帰ってきた。

「すごいね?」

 声をかけると虎二は眉をひそめて笑う。

「どうせ義理ばっか。嬉しいけどこんなに食えねえよ」

 ユエは持ってきていたチョコレートの包みを虎二の机の上にぽんと乗せた。

「ユエから?」

「うん……でもいらないか?いっぱいだもんね」とそれを引っ込めようと手を伸ばすと虎二が阻止する。

「貰う。だってこれ手作りだろ?ありがとう、嬉しい」

「どういたしまして」

「狼にはあげたのか?どうせあげるんだろ?」

「あげるよ。でも狼君、今呼び出されてていないんだよ」

「ああ、狼もモテルからなあ……。で、先輩にはあげるのか?」

 虎二は椅子に座る。ユエの困った顔を見ると苦笑した。

「まあ、ユエのことだから作ってはきたんだろ?世話になってる人にはあげるくせがあるもんな?」

 確かに霧河の分も作ってある。三人分、同じチョコレートで同じ包装だ。透明のナイロン袋を上で縛ってブルーのリボンがちょこんとついている。

「うん……」

「だったらあげてこいよ。俺は教室にいるからさ。もし思いを伝えるなら……ガンバレよ?」

「え?ああ……うん」

 ぽんと背中を押されてユエはチョコレートをポケットに入れると三年の教室へ向かう。教室で居場所を聞くと霧河は生徒会室にいるらしく、そちらへ足をむけることになった。廊下を進み、時々隅のほうでチョコレートを渡しているカップルが目に入る。皆幸せそうに見えてユエは顔が緩んだ。

 ああいうの……いいな。

 生徒会室のドアをノックして返事を待ってから開ける。中では忙しなく仕事をしている生徒たちがいた。その中でひときわ険しい顔の霧河がユエを見つけて微笑む。

「ユエちゃん。どうしたの?」

「あの、バレンタインなので」

 ポケットから包みを取り出して霧河に差し出す。霧河は笑うと両手でそれを受け取った。

「ありがとう、手作り?嬉しいなあ」

「あ……あの」

 ユエが言葉を探していると霧河を呼ぶ声が部屋の中でした。

「ごめん、戻らないと。これありがとう。じゃあね」

「はい」

 ドアを閉めてユエは息を吐く。私、何を言おうとしたんだろう?

 踵を返して廊下を歩いていく。階段に差し掛かり視線を上げるとユエは凍りついた。足が動かずに硬直する。

「如月……」

 階段の踊り場に一年の時の彼がいた。どこかバツの悪そうな顔をしてユエから視線を逸らすと階段を上がって行ってしまった。

 ユエの心臓が早く走りだす。冷や汗が出て両手を握り締めるとその場から逃げ出した。別に何かしたわけじゃない。ただ目があっただけなのに、膝が笑っている。頭の中で罵声が聞こえる。ユエはしゃがみこむと両手で耳を押さえた。




 人気のない廊下の隅にうずくまって体の震えが止まるのを待っていた。じっと両手で体を抱き自分を落ち着かせる。膝が笑ってうまく立てずにへたり込むとユエは情けなくなって息を吐いた。

「誰もいなくて良かった」

 周りを見渡すと廊下はしんと静かだ。遠くで人の声が小さく聞こえるくらいでユエ以外には誰もいなかった。

 あの時は沢山の目があった。嘲笑とも哀れみとも取れる目がユエに向けられていた。

 もう少しここにいようかな、と壁にもたれると廊下の向こうで走る靴音が聞こえた。

 人影が現れてこちらを見ている。

「ユエ?どうした?」

 駆け寄ったのは虎二だ。心配そうに跪くとユエの手を握った。

「虎ちゃん……こそ、どうしたの?」

「教室にいたけど帰ってこないから……」

「え?そんなに時間経ってた?」

 腕時計を確認すると結構な時間こうして座っていたみたいだった。

「ごめんね、心配かけて」

「それはいいけど……立てるか?」

 虎二に立たせてもらうと足元がふらついて虎二の胸にもたれかかった。

「ごめん……だいじょう……ぶ」

 そっと虎二の胸に手を当てて離れようとした時、虎二の腕がユエを抱きしめる。

 ギュッと抱きしめられて時間が止まった気がした。

「虎ちゃん?」

「ユエ、俺、お前のこと好きだよ」

 虎二の声が優しく響く。

「凄く好きだ、中学のときからずっと……」

 耳元で虎二の鼓動が早く聞こえた。

「でもさ、俺、西島のことを大事にしたいって思ってる。馬鹿みたいだけど、あいつ……俺がユエのこと好きって分かってて付き合いたいって言ったんだ。だからじゃあいいよ?って。俺悪いやつでさ、西島のことおまえの代わりにしてんだ。でも……あいつ本気でぶつかってくるんだよ」

「うん」

「だからさ……ユエ、俺のこと振ってくれないか?俺、ちゃんとあいつと向かい合いたいって思ってる。駄目かな?」

 虎二は体を離すとユエを見下ろした。その目は前と変わらない。

「虎ちゃん……西島さんのこと好きなんだね?」

「どうかな……まだわかんないんだ。でも中途半端なのはひどいなって思う」

「うん」

「前に西島にカラオケ誘われただろ?あれさ、別れ話してすごい泣かれたんだ。俺がユエを好きでもいいって。もうめちゃくちゃ。あいつあの後すっきりした顔で、片思いでも上等だって言って」

 虎二が思い出したように笑う。

「なんか可愛いとこもあんだよ……そりゃあユエと比べたら全然違うけど」

「そんなことないよ?西島さん可愛いもん」

「そうだな」

 ユエは虎二の目を見ると笑った。

「虎ちゃん、ごめんね」

 虎二は息を吐くと頷いた。

「でも、やっぱりきついな」

「フフ、でもありがとう」

「うん。教室戻るぞ?」虎二はそっとユエの手を繋ぐと廊下を歩き出す。

「なあ、ユエ?俺はずっとユエのナイトだからな?」

「それは駄目だよ」

「駄目じゃない。狼がいない時は必ず俺が守るよ、だから頼れよ?」

 虎二の笑顔にユエは苦笑する。

「また西島さんにカラオケ呼び出されちゃうよ」

「それはまずいな」




 卒業式。ユエは花束を抱えて卒業生の中にいる霧河に声をかけた。

「ご卒業おめでとうございます」

 手渡した花束に霧河は嬉しそうに笑う。

「ありがとう。で、答えはもらえるかな?」

「はい……先輩、すいません」

「そっか……その後は言わなくていい。おめでたい感じで送り出してくれると嬉しいな?」

 気を使ってくれたのか、霧河は遠くを見ると頷いた。

「はい、色々とありがとうございました。霧河先輩と過ごせて楽しかったです」

「うん、俺もそうだよ。ありがとう」

 霧河と別れ、ユエは教室に戻る。そこには本を読んでいる狼がいた。静かな教室にぽつりと座っている。

「狼君、待っててくれたの?」声をかけると狼は顔を上げにこっと笑った。

「うん、大きな花束渡してきたんだろ?ちゃんと渡せた?」

「うん。喜んで貰えた」

「そっか」

 ユエはゆっくりと狼に近づいた。狼は何も言わずにじっとユエを見ている。

 いつもこんな風に待ってくれている。バレンタインの後、虎二から電話で聞いた。狼はバレンタインの日、女子が持ってくるチョコレートを全部断っていたと。

 真摯に謝って、もらったのはたった一つ。ユエの小さなチョコレート。

 狼は虎二に言ったそうだ。

「これが一番欲しいチョコレートだから」って。

 それからずっと考えていた。ユエの心に一番近いのは誰か。

 あの日、虎二が伝えてくれたようにユエも心から素直になろうと思った。

「狼君。あのね?」

「どうしたの?」

 狼が机に腰掛けて少し視線を下げた。両手を足の上で組んで微笑む。

 ユエは両手を組むと何から切り出そうか言葉を捜した。

「ユエちゃん、俺が先に話をしてもいいかな?」

「うん」

 そういわれて顔を上げると狼がはにかむ。

「まだホワイトデーじゃないけど、チョコレート美味しかった。ちゃんとお返しはするけど……伝えておきたかったんだ」

「ありがと……嬉しい」

 なんだか顔が熱くなって顔をあげられなくなってきた。視線を落として狼の手を見る。大きな手がぎゅっと重なりあっている。

「ユエちゃん、先輩に告白したの?」

「う、ううん、してない」

 俯いたまま首を横に振る。頭の先で大きな溜息が聞こえた。おそるおそる顔を上げると狼は心底安心した顔をして笑った。

「よかった……」

「よかった?」

「うん、先輩ならユエちゃんを任せられる。でもそんなの嫌だった」

 狼の両手が外れてユエの手に触れた。熱い手に心臓が走り出す。

「譲るなら虎二がよかった。でも俺は諦められなかったんだ」

「狼君?」

「知らなかった?俺の気持ち。ずっとユエちゃんを見てたよ。ずっと好きだった」

 優しい声に視界が滲んだ。

「うん」

 狼の手が優しくユエの手を包み込む。

「俺はユエちゃんを守るよ、俺がいない時は虎が君を守る。でもいつも傍にいるのは俺がいい」

「うん」

「ユエちゃん、俺の彼女になって。一緒にいよう?」

 ユエは涙が零れるのを我慢できずに俯いた。

「うん、一緒にいたい」

 そう言って泣きながら笑ってしまった。




 初めて手を繋いで廊下を歩く。人はまばらだけどユエは隣を歩く狼を見上げて微笑んだ。

「なんか……ドキドキする」

「うん、でもこれからはこれが普通」

 狼はぐっと握った手を持ち上げてにこりと笑う。

「そう……だね」

 玄関で靴を履き替えて校門前を通り過ぎる時、一年のあの彼が友達と笑ってそこにいた。ユエの心臓がドクっと跳ね上がり視線を逸らした。

 そっと隣を歩く狼の手がユエの手を包み込む。顔を上げると狼は頷いた。

「大丈夫、俺がいる。傍にいる。絶対に守るから安心して」

 その言葉がユエの胸に光をともす。

「うん」

 ぎゅっと握り返してそれでも前を見られなかった。

 狼はユエの耳元で囁く。

「大丈夫、こっち見て」

「狼君?」

 顔をあげると狼はとびっきりの笑顔で言った。

「俺のほうが格好良いから。ユエちゃんは俺の彼女だし」

 ユエが噴出すと狼も笑った。

「よし、帰ろう?どっか寄ってく?あ、クマのケーキ」

「え?」

 狼はユエの手を引くとさっさと一年のあの彼のグループの隣を通り過ぎて行った。

 帰り道、霧河先輩と寄り道した喫茶店の前に立つ。中はやっぱり女性客たちでごった返している。

 手を繋いだまま中に入り席に着くと、少し落ち着かないのか狼はコーヒーを口にした。

「狼君?」

「うん……上書きのために来たけど……慣れないなあ、ここ」

 女性客の視線を集めている狼は椅子にもたれかかった。

「上書き?」

「うん、だってこの前は付き添いだもん。これがデート」

 クマのケーキをつついてユエは笑う。

「そっか……そうだよね?」

 ユエがケーキを口に頬張ると狼は頬杖を着いて微笑んだ。

「でも先輩がユエちゃんを誘ったり理由もわかる、こんなに可愛くておいしそうに食べてくれたら嬉しいよ。やっぱりさ」

「そうかなあ……。普通だと思うよ?」

「わかんないだけ。ユエちゃんはいつも素敵なんだから、あんまりフラフラしないで俺の傍にいなさいよ?」

 狼は苦笑するとユエの手を掴んでケーキを一口食べた。

「うん、美味い」

「気に入った?また来る?」

 ユエが意地悪に聞くと狼は笑う。

「うん、けどテイクアウトして俺んちで食べる。ってのはアリかな?中学生の頃はそうしたけど……恋人としてどう?」

 ユエの顔が熱くなる。

「う、うん」そう答えるのが精一杯だった。


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