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第8話 舞踏会でのダンス

重厚なオーク材の扉の前に立つと、扉の向こうから漏れ聞こえるオーケストラの調べが、腹の底に響いてきた。

社交界。

それは煌びやかなドレスと宝石で飾られた戦場だと言われる。

だが、今の私にとっては、ただの有酸素運動の会場に過ぎない。

ドレスの下で、腹横筋をさらに引き締める。

準備は万端だ。


「行くよ、レティシア」


クラーク様が私の手に、彼の手を重ねた。

その手は震えていない。

私の隣にいることで、彼の魔力過多症が安定している証拠だ。


「はい、殿下。転ばないように支えますので、体重を預けてください」


「ふふ、頼もしいね。でも、今日だけは格好つけさせてほしい」


扉がゆっくりと開かれた。

まばゆい光が溢れ出し、視界を白く染める。


「皇太子、クラーク・アレクサンデル殿下! 並びに、客分のレティシア嬢、ご入場!」


衛兵の腹の据わった大声が響き渡る。

ざわめきが波のように広がり、そして一瞬で静寂へと変わった。

数百人の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。

大階段の上から見下ろす大広間は、まさに光の海だった。

巨大なシャンデリアの下、色とりどりのドレスを纏った貴族たちが、私たちを見上げている。


(……すごい視線だわ)


私は背筋を伸ばし、階段を一歩踏み出した。

彼らの視線には、好奇心以外の何かが混じっている。

値踏みするような、あるいは恐れるような目だ。

きっと、私が「魔力測定水晶を破壊した女」だという噂が広まっているのだろう。

あるいは、ドレスの背中のファスナーが悲鳴を上げているのが聞こえているのかもしれませんが。


私たちは優雅に階段を下りていく。

カツ、カツ、という足音がリズムを刻む。

私はハイヒールの踵に全神経を集中させていた。

この階段は大理石だ。

もし私が普段通りの歩幅で、無意識の加重をかけてしまえば、階段の角が欠けてしまう。

卵の上を歩くように、繊細な筋肉コントロールが必要だ。

これは高度なトレーニングである。


「ようこそおいでくださいました、殿下」


階段を下りきったところで、恰幅の良い貴族の男性が進み出てきた。

禿げ上がった頭に脂ぎった肌。

宰相のベルンシュタイン公爵だ。

クラーク様から、要注意人物だと聞かされている。


「お元気そうで何よりです。森で行方不明になったと聞いた時は、肝が冷えましたぞ」


公爵は笑顔を浮かべているが、目が笑っていない。

爬虫類のような冷たい瞳だ。


「心配をかけたね、公爵。だが、最高の拾い物をしたよ」


クラーク様は私を引き寄せた。


「彼女がレティシア嬢だ。私の命の恩人であり、稀代の聖女でもある」


「ほう……この華奢な御仁が、ですか」


公爵の視線が、私を舐め回すように動いた。

不快だ。

まるで市場の肉を見るような目つきだ。

肉の目利きなら私の方が上である。

この公爵の腹回りの脂肪率は高すぎる。

もう少し腹斜筋を鍛えるべきだ。


「初めまして、公爵様。レティシアでございます」


私は完璧なカーテシーを披露した。

膝を曲げ、背筋を伸ばし、ふわりとスカートを広げる。

その際、内転筋に力を入れすぎて、床の絨毯が少しよれてしまったのはご愛嬌だ。


「噂は聞いております。水晶を破壊したとか。……まさか、何かの『仕掛け』を使ったのでは?」


公爵は扇子で口元を隠しながら、嫌味たっぷりに囁いた。


「いいえ。ただ、少し触れただけですわ」


私はにっこりと微笑み返した。

嘘ではない。

触れて(全力で握りつぶした)だけだ。


「ふん……まあ、後ほどゆっくりお話を伺いましょう」


公爵は鼻を鳴らして下がっていった。

その後ろ姿を見送りながら、私はクラーク様に耳打ちした。


「殿下、あの方、私のことお嫌いみたいですね」


「君が怖いだけさ。彼は魔法至上主義だからね。規格外の存在が許せないんだ」


クラーク様は涼しい顔で答えた。

そして、楽団の方へ合図を送る。

指揮者がタクトを振り上げた。


「さあ、レティシア。ファーストダンスの相手をしてくれるかい?」


「喜んで。……足を踏んだらごめんなさい。骨が砕けるかもしれません」


「その時は名誉の負傷とするよ」


クラーク様が私の腰に手を回す。

私も彼の方に手を置く。

音楽が始まった。

ゆったりとしたワルツ……ではない。

予想よりもテンポが速い。

弦楽器が激しく旋律を刻み、打楽器が情熱的なリズムを叩き出す。

帝国の伝統舞踊曲「双頭の鷲の飛翔」だ。


「ついてこられるかい?」


「運動量が多くて助かります!」


私たちは踊り出した。

ステップ、ターン、そしてリフト。

クラーク様のリードは的確で、病弱とは思えないほど軽やかだ。

やはり私のオーラが効いているらしい。

私は彼に合わせて、床を滑るように動く。

ドレスの裾が遠心力で美しく広がる。


「素晴らしい……! あんなに激しいステップなのに、軸が全くブレていない!」

「なんて優雅なんだ……まるで宙を舞っているようだ」


周囲から感嘆の声が漏れる。

彼らには優雅に見えているかもしれないが、私の内部では高速演算が行われている。

摩擦係数、慣性モーメント、重心移動。

全てを筋肉で制御し、最適解の動きを出力する。


ターンを繰り返すたびに、景色が流れる。

シャンデリアの光が線になる。

その時だった。


(……殺気?)


背中の僧帽筋がピクリと反応した。

第六感ではない。

空気の流れが変わったのだ。

誰かが、踊りの輪を乱すような鋭い動きで近づいてくる。


私は踊りながら視線を走らせた。

三時の方向。

給仕の格好をした男が、銀のトレイの下に手を隠して接近している。

その目が、クラーク様の背中を捉えている。


「殿下、右後方、失礼します」


私は囁くと同時に、ステップのふりをしてクラーク様の体を強く引いた。


「おっと」


クラーク様がバランスを崩しかけるが、私が腰を支えて強引に回転させる。

ヒュッ!

空気を裂く音がした。

一瞬前までクラーク様がいた空間を、小さな針のようなものが通過したのだ。

暗器だ。

毒針かもしれない。


「……気づいたかい?」


クラーク様は表情一つ変えずに、ダンスを続けながら囁いた。


「はい。マナーのなっていない方がいらっしゃるようで」


「相手をしてあげてくれ。ただし、ダンスは止めずに」


「無茶を仰いますね。……望むところですけれど」


私はニヤリと笑った。

ダンスと戦闘の融合。

新しいトレーニングメニューだ。

燃えてきた。


給仕の男が、失敗に舌打ちをして懐に手を入れた。

今度はナイフだ。

彼は人混みに紛れて突進してくる。

周囲の貴族たちはダンスに夢中で気づいていない。


私はクラーク様の手を離し、スピンの動作に入った。

回転の勢いを利用して、近づいてきた男の足元に自分の足を滑り込ませる。


「失礼」


私のつま先が、男の足首を軽く小突いた。

「軽く」といっても、私の基準だ。

コンクリートブロックを粉砕する程度の威力はある。


ボキッ。


鈍い音が音楽に混じった。


「ぐっ!?」


男がバランスを崩して倒れかける。

私はその胸ぐらを片手で掴み、ダンスのパートナーを変えるように引き寄せた。


「シャル・ウィ・ダンス?」


私は男の耳元で囁いた。

そして、そのまま強引にターンさせた。

私の圧倒的な回転力に巻き込まれ、男の体は独楽のように回り始める。


「うわあああああ!?」


男が悲鳴を上げるが、音楽にかき消される。

私は回転の遠心力が最大になったところで、手を離した。


「そーれっ!」


男は弾丸のように吹き飛んだ。

壁際のカーテンに向かって一直線。

ドスッ! という音と共に、男は壁にめり込み、そのままカーテンに絡まって動かなくなった。

周囲の人は「あら、熱烈なダンスで転んだのかしら?」くらいにしか思っていないようだ。


「ナイススロー」


クラーク様が戻ってきた私の手を取った。


「コントロールが甘いですわ。もう少し右なら窓から出せましたのに」


「次があるさ」


クラーク様の言葉通り、次なる刺客が現れた。

今度は二人組だ。

貴族に変装しているが、歩き方が素人ではない。

重心が低く、足音がしない。

彼らは左右から挟み撃ちにするように近づいてきた。

手には短剣が光っている。

もう隠す気もないらしい。


「殿下、跳んでください」


「えっ」


「いいから跳んで!」


私はクラーク様の腰を掴み、天井へ向かって放り投げた。

リフトだ。

ただし、高さ五メートル級の。


「うおおおおおっ!?」


クラーク様が天井のシャンデリア近くまで舞い上がる。

会場がどよめく。

「なんてアクロバティックなダンスだ!」

「これが聖女の舞か!」


クラーク様が空中にいる間に、私は自由になった両手で左右の男たちの手首を掴んだ。


「ダンスフロアで刃物は危険ですわよ」


ギリリリ……。


「ぎゃあああああ!」


男たちが絶叫した。

握力測定の時間だ。

手首の骨が悲鳴を上げ、短剣が床に落ちる。

カラン、カラン。


「それに、ステップが合っていません」


私は二人を同時に引き寄せた。

そして、彼らの頭と頭を、カスタネットのように打ち合わせた。


ゴチンッ!!


漫画のような星が飛び散り、二人は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。

私は彼らを足先で器用に蹴飛ばし、テーブルの下へと隠した。

掃除完了。


そのタイミングで、空からクラーク様が落ちてきた。

ナイスタイミングだ。

私は落下してくる彼を、優しくお姫様抱っこでキャッチした。


スタッ。


着地音すらさせない、完璧な衝撃吸収。

私の膝のサスペンションは優秀だ。


「……寿命が縮むかと思ったよ」


腕の中で、クラーク様が目を回している。


「あら、楽しそうでしたよ。高いところからの景色はいかがでしたか?」


「……絶景だったよ。シャンデリアの埃まで見えた」


彼は苦笑いしながら、私の首に腕を回した。

そして、私を見つめた。


「君は本当に、最高のパートナーだ」


その言葉に、胸の奥が熱くなる。

運動による体温上昇ではない。

これが、信頼関係というものだろうか。


「まだ終わっていませんわ」


私は視線を上げた。

ラストの曲調が変わる。

フィナーレだ。

そして、最後の刺客が現れた。


宰相ベルンシュタイン公爵の護衛騎士だ。

全身鎧に身を包んだ巨漢が、抜刀して突進してくる。

もはや暗殺ではない。

強襲だ。


「死ねぇぇぇ! 化け物めぇぇぇ!」


騎士は大剣を振りかぶった。

狙いは私だ。

クラーク様ごと両断する気だ。

会場から悲鳴が上がる。


私はクラーク様を下ろし、彼の前に立った。

一歩。

たった一歩踏み出すだけで、床の大理石にヒビが入る。


「化け物ではありません」


私はドレスの裾を翻した。

素手だ。

武器はない。

だが、私の右腕には、これまでの食事で培った全てのタンパク質が宿っている。


「か弱い、乙女です!!」


騎士が大剣を振り下ろす。

私はその剣の側面を、左手でパチンと叩いた。

パリィだ。

ただし、私のパリィは剣の軌道を逸らすだけではない。

剣身そのものに横方向の衝撃を与え、へし折るための打撃だ。


パキィィィィン!!


鋼鉄の大剣が、飴細工のように半ばから砕け散った。

切っ先が回転しながら天井へ飛んでいく。


「な、なに!?」


騎士が折れた剣を見て呆然とする。

その隙だ。

私は懐に入り込んだ。

ドレスの背中がビリリと音を立てる。

広背筋が限界突破した音だ。

構わない。

今はファッションよりもフィニッシュブローだ。


「失礼いたします!」


私は右掌を、騎士の腹部(鎧の上から)に押し当てた。

寸勁。

ゼロ距離からのエネルギー放出。


ドォォォォォォン!!


衝撃波が騎士の体を貫通し、背後の鎧が弾け飛んだ。

騎士はボールのように吹き飛び、ホールの反対側の壁まで一直線に飛翔した。

壁に激突し、そのままズルズルと崩れ落ちる。

壁には見事な人型のヒビが入っていた。


シン……。


音楽が止まった。

会場中が静まり返る。

全員が、壁に埋まった騎士と、その場に優雅に立つ私を見比べている。


私は乱れた髪をかき上げ、にっこりと微笑んだ。

そして、隣で拍手をしているクラーク様に向かって手を差し出した。


「ダンス、終了ですわ」


クラーク様は私の手を取り、跪いて手の甲に口づけをした。


「ブラボー。君のダンスは、帝国史上最も情熱的で、破壊的だったよ」


「ありがとうございます。少し、汗をかいてしまいました」


その時、会場中から割れんばかりの拍手が巻き起こった。

貴族たちは、今の攻防を「余興の演武」だと勘違いしたらしい。

あるいは、怖すぎて拍手するしかなかったのかもしれない。


「素晴らしい!」

「あれぞ聖女の力!」

「物理攻撃こそ最強の魔法!」


歓声の中、私はクラーク様と視線を合わせた。

彼の瞳は、私への愛おしさで溢れていた。


「さて、レティシア。運動の後は?」


「お肉が食べたいです」


「だろうね。行こう、とびきりの夜食を用意させてある」


私たちは腕を組み、拍手の花道を歩いていった。

背中のドレスが少し破れていることなんて、誰も気にしていなかった。

なぜなら、私の背中の筋肉(オーガの背中)が、あまりにも美しく輝いていたからだ。


こうして、私の社交界デビューは、数人の「転倒者」を出したものの、大成功(?)のうちに幕を閉じたのだった。

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