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第7話 ドレス選びと筋肉量

案内されたのは、王国の私の自室よりも広い、とてつもなく豪華な客室だった。

天井には天使の絵画が描かれ、床にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。

猫足の家具は金箔で装飾され、窓からは帝都の美しい夜景が一望できる。


しかし、今の私にとって最も輝いて見えるのは、宝石箱のような夜景ではない。

テーブルの上に鎮座する、湯気を立てる巨大な肉塊だ。


「お待たせいたしました、レティシア様。特選リブロースのステーキ、1キログラムでございます」


年配の侍女長が、恭しく銀の蓋を開けた。

瞬間、芳醇な肉の香りが部屋中に充満する。

炭火の香ばしさと、特製ソースのスパイシーな香り。

私の胃袋が、歓喜の咆哮を上げそうになるのを必死で堪える。


「ありがとうございます。……あの、これ全部食べてしまっても?」


「もちろんでございます。クラーク殿下より『彼女がストップと言うまで出し続けろ』と厳命されておりますので」


「素晴らしい指示です」


私はナイフとフォークを手に取った。

王宮仕込みのテーブルマナーを思い出す。

背筋を伸ばし、脇を締め、優雅に。

ただし、切る速度は音速だ。


カチャカチャカチャッ!


食器が触れ合う微かな音と共に、ステーキが一瞬で一口サイズに解体される。

口に運ぶ。

噛む。

溢れる肉汁。


「ん〜っ!」


美味しい。

王国の肉よりも味が濃い気がする。

噛みごたえも抜群だ。

咀嚼するたびに、顎の筋肉が喜び、摂取したタンパク質が即座に血肉となって全身に行き渡る感覚がある。

私の体は燃費が悪い分、吸収効率は異常に高いのだ。


「おかわりをお願いします」


「かしこまりました。すぐに次をお持ちします」


侍女長が目配せすると、控えていたメイドたちが次々とワゴンを運んでくる。

ローストビーフ、子羊の香草焼き、鴨のコンフィ。

まるで肉の見本市だ。

私はそれらを片っ端から胃袋に収めていった。

幸せとは、こういう時間を言うのだろう。


一時間後。

テーブルの上には、綺麗に空になった皿タワーが建設されていた。


「ふぅ……満足しました」


私はナプキンで口元を拭った。

腹八分目。

これくらいが動きやすくて丁度いい。


「お食事の次は、お風呂と身支度でございます」


侍女長がパンパンと手を叩いた。

すると、新しいメイド部隊が入室してきた。

彼女たちは手にメジャーや布地、そして裁縫道具を持っている。

お針子さんのようだ。


「今夜、クラーク殿下の快気祝いと、レティシア様のお披露目を兼ねた小規模な夜会が開かれます。それに合わせて、ドレスを仕立て直さなければなりません」


「今夜ですか? ずいぶん急ですね」


「帝国の流儀でございます。善は急げ、と」


なるほど。

確かに、このボロボロの格好で人前に出るのはマズい。

私は大人しく従うことにした。


まずは入浴だ。

大理石の浴槽にたっぷりと湯が張られ、バラの花びらが浮いている。

優雅だ。

私は服を脱ぎ捨て、湯船に浸かった。

温かいお湯が、酷使した筋肉を優しく解きほぐしてくれる。


「失礼します、お背中を流させていただきます」


若いメイドがスポンジを持って近づいてきた。

私はリラックスして背中を預ける。


キュッ。


「……あれ?」


メイドの手が止まった。

何か固いものに当たったような感触があったのだろう。


「あの……レティシア様? 随分と……その、お背中が凝っていらっしゃるようで」


「ええ、少し張っているかもしれません」


彼女は力を入れてこすろうとした。

しかし、スポンジは私の皮膚の上を滑るだけで、全く肉に食い込まない。

私の背中は、リラックス状態でもタイヤのゴム程度の弾力と硬度がある。

力を入れれば鋼鉄になる。


「指が……入りません……」


メイドが困惑している。

マッサージをしようとしてくれているようだが、私の僧帽筋が彼女の指を弾き返しているのだ。

申し訳ない。

私の体は、生半可な指圧を受け付けない仕様になっている。


「あ、そのままで大丈夫です。自分で洗いますから」


私は彼女の手からスポンジを受け取った。

これ以上彼女の指を痛めさせてはいけない。


入浴後、いよいよドレスの試着だ。

部屋の中央に台が置かれ、私はその上に立った。

下着姿といってもドロワーズのようなものになる。


「まあ! なんて細いお体でしょう!」

「折れてしまいそうですわ!」


お針子たちが口々に悲鳴を上げた。

確かに、鏡に映る私は華奢に見える。

腕も細いし、ウエストもくびれている。

これは「圧縮筋肉」の効果だ。

私の筋肉は、肥大化するのではなく、密度を高める方向に進化している。

見た目はササミだが、中身はタングステン。

それが私の肉体だ。


「これなら、最新流行の細身のドレスもお似合いですわ! さあ、採寸を」


お針子の一人がメジャーを私のウエストに回した。


「……えっ?」


彼女が目を見開いた。


「どうしました?」


「い、いえ……見た目よりも、その……数値が……」


彼女は首を傾げている。

見た目は五十センチ台に見えるのに、メジャーの数値はもっと上を示しているのだろう。

筋肉の質量と密度が空間を歪めているわけではないが、計測誤差を生むほどの存在感があるのかもしれない。


「まあいいわ。急いでドレスを選びましょう」


侍女長が数着のドレスを持ってきた。

どれも豪華絢爛なものばかりだ。

その中から、私の瞳の色に似た、深い紫色のドレスが選ばれた。

シルクとベルベットを組み合わせた、上品かつ重厚なデザインだ。


「では、まずはコルセットから」


お針子が、鯨の骨で作られた本格的なコルセットを持ってきた。

それを見た瞬間、私は眉をひそめた。


「あの、コルセットは必要ですか?」


「もちろんでございます! 貴族の女性たるもの、ウエストを極限まで締め上げ、美しいラインを作らねばなりません」


「でも、動きにくくなりますし……」


「我慢です! 美しさとは我慢なのです!」


お針子のプロ根性が炸裂した。

反論の余地はないようだ。

私は溜息をつき、両手を上げた。


コルセットが巻かれる。

背後で二人のメイドが紐を掴む。


「いきますわよ! せーのっ!」


ギュウウウウウウッ!


強烈な締め付けが襲ってきた。

肋骨が軋む……ことはない。

私の肋骨は筋肉の鎧で守られている。

しかし、不快な圧迫感であることは間違いない。


「もっと! もっと締まりますわ!」

「レティシア様のウエストなら、あと五センチはいけます!」


メイドたちが掛け声を合わせ、さらに紐を引く。

彼女たちの顔が本気だ。

私の腹直筋が、外部からの圧力に対して自動防衛本能を発動させる。


(……これ以上は、まずい)


私は直感した。

筋肉が「反発」しようとしている。


「あの、もう十分では……」


「いいえ! あと少し! ここを詰めれば完璧なシルエットに……!」


ブチィッ!!


乾いた破裂音が部屋に響いた。

一瞬、時が止まった。


メイドたちが尻餅をついている。

手には、千切れた紐と、弾け飛んだコルセットの残骸が握られていた。

私の腹部で、コルセットの留め具が粉砕されたのだ。

内側からの圧力(腹圧)に耐えきれず、鯨の骨が敗北したのである。


「…………」


お針子たちが、信じられないものを見る目で私と、床の残骸を見比べている。


「あ、あら? 老朽化していたのかしら?」


侍女長が震える声でフォローを入れた。

無理がある。

それは新品の最高級品だ。


「申し訳ありません。少し、呼吸をしてしまいました」


私は正直に謝った。

腹式呼吸をした瞬間、腹囲が数ミリ膨張し、それが致命的な破壊力となって伝わってしまったようだ。


「……コルセットは無しにしましょう」


侍女長が諦めたように言った。


「しかし、それではドレスのラインが……」


「私が腹筋で支えます。常にコルセットを巻いているのと同じ状態を維持しますから」


私は宣言した。

腹横筋に力を入れ、内臓を引き上げる。

ドローインの状態をキープするのだ。

これならコルセットなしでも美しいくびれを維持できるし、何より動きやすい。

物理的な締め付けよりも、自前の筋肉コルセットの方が遥かに高性能だ。


「は、はあ……左様でございますか」


お針子たちは納得していないようだったが、これ以上備品を破壊されるのを恐れたのか、渋々承諾してくれた。


次はドレスの着用だ。

袖を通す。

背中のファスナーを上げる。


「き、きついです……」

「肩幅が……入りません……」


お針子が泣きそうな声を出した。

見た目は華奢なのだが、私の広背筋と三角筋の厚みが邪魔をしているらしい。

特に、腕を上げると筋肉が隆起するため、袖の縫い目が悲鳴を上げる。


「生地が伸びないのが悪いのです」


私は自分に言い聞かせた。

ジャージ素材なら問題ないのに、なぜ貴族は伸縮性のないシルクなどを好むのか。

機能美という概念を学ぶべきだ。


「レティシア様、少し力を抜いていただけますか? 筋肉が硬すぎて、生地が馴染みません」


「抜いています。これが私のリラックス状態デフォルトです」


「そ、そんな……」


悪戦苦闘すること三十分。

ようやく、特注サイズにお直しされた(というより、縫い代を限界まで広げた)ドレスを着ることができた。

鏡の前に立つ。

そこには、深紫のドレスを纏った、見目麗しい令嬢の姿があった。

背筋はピンと伸び、立ち姿は凛としている。

ただし、そのドレスの下には、ドラゴンと殴り合える肉体が隠されているのだが。


「お似合いです、レティシア様。とても……強そう……いえ、お美しいです」


侍女長が言い直した。

本音が漏れている。


コンコン。


その時、ドアがノックされた。


「入ってもいいかな?」


クラーク様の声だ。


「どうぞ」


ドアが開き、正装したクラーク様が入ってきた。

白を基調とした軍服風の礼服に、金色の刺繍が施されている。

腰にはサーベルを下げ、マントを羽織った姿は、まさに絵本から出てきた王子様そのものだ。

昼間の病人オーラは完全に消え失せ、堂々たる皇太子の風格を漂わせている。


彼は私を見た瞬間、足を止めた。

その黄金の瞳が、少しだけ見開かれる。


「……どうでしょうか? 変ではありませんか?」


私は少し不安になって尋ねた。

どこか破れていないだろうか。

背中のファスナーは耐えているだろうか。


クラーク様はゆっくりと歩み寄ってきた。

そして、私の手を取ると、甲に優しくキスをした。


「美しい。言葉を失うほどに」


彼は真剣な眼差しで私を見つめた。


「そのドレスも素晴らしいが、君の内側から溢れる生命力が、何よりの宝石だ。君が立つだけで、この部屋が明るくなった気がする」


「お上手ですね。筋肉を褒められたのは初めてです」


「筋肉も含めて、君の全てだよ」


クラーク様は微笑んだ。

甘い。

デザートのクリームブリュレより甘い。

この人は、私の異常性を全て「個性」として肯定してくれる。

それがどれほど心地よいことか。

王国の元婚約者からは得られなかった安心感が、ここにはあった。


「さあ、行こう。皆が君を待っている」


クラーク様が肘を差し出した。

エスコートの合図だ。

私はその腕に手を添えた。

彼の腕は細いが、芯にはしっかりとした意志が感じられる。

これなら、私が少し力を入れても折れることはないだろう。


「転ばないように気をつけてくださいね、殿下。私が支えますから」


「ふふ、頼もしいエスコートだ。でも、今夜だけは僕にリードさせてほしい」


私たちは部屋を出た。

廊下には、煌びやかなシャンデリアの光が続いている。

その先にある大広間からは、オーケストラの調べと、大勢の人々のざわめきが聞こえてくる。


いよいよだ。

帝国の社交界へのデビュー戦。

言葉のナイフが飛び交う戦場だと言われているが、私にとっては物理的な戦場より遥かに平和な場所だ。

何せ、岩も飛んでこなければ、ドラゴンもいないのだから。


(お腹もいっぱいだし、準備万端ね)


私はドレスの下で、腹筋にぐっと力を込めた。

さあ、帝国の貴族たちよ。

私の筋肉(ドレス姿)を見るがいい。


「参りましょう、殿下!」


私は一歩を踏み出した。

ヒールの音が、高らかに廊下に響き渡った。

その足取りは、これから始まる騒動を予感させるように、力強く、そして軽やかだった。

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