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第4話 皇太子殿下は、私の筋肉がお好き

「到着いたしましたわ!」


私は爽やかに声を上げ、足を止めた。

ザザァーッという音と共に、私の両足が地面を削り、ブレーキの役割を果たす。

背負っていた馬車のシャフトを下ろすと、心地よい疲労感が肩に広がった。

程よい有酸素運動だった。

森の入り口からここまで、ノンストップで駆け抜けてきたが、息切れ一つしていない。

私の心肺機能は、どうやら永久機関に近いらしい。


目の前には清流が流れている。

水は透き通り、川底の小石までくっきりと見える。

周囲は比較的平坦で、野営をするには絶好のロケーションだ。

西の空が茜色に染まり始めていた。

夕食の支度をするのに丁度良い時間だ。


「クラーク様、着きましたよ。降りてこられますか?」


私は馬車の扉を開けた。

中から、ふらふらと幽霊のような足取りでクラーク様が出てくる。

顔色は紙のように白く、目は虚ろだ。


「……こ、ここは……?」


「川沿いのキャンプ適地です。水も確保できますし、魚も釣れそうですわ」


「は、速すぎる……」


クラーク様は木に手をつき、荒い呼吸を繰り返している。


「景色が……線になって見えた……。君は、本当に人間なのか……?」


「まあ、失礼な。か弱い令嬢に向かって」


私は頬を膨らませてみせた。

確かに少し張り切りすぎて、何度かカーブでドリフトしてしまったかもしれない。

でも、乗り心地には配慮したつもりだ。

大きな岩はすべて蹴散らして進んだので、振動は最小限だったはずである。


「うっぷ……い、いや、すまない。感謝しているよ。おかげで命拾いした」


クラーク様は口元を押さえながらも、気品ある微笑みを向けてくれた。

やはり美形だ。

弱っている姿も絵になる。


「ポチも大丈夫かしら?」


私が馬車の中を覗き込むと、ポチはクッションの上でお腹を出して眠っていた。

どうやらあの速度が揺り籠の代わりになったらしい。

大物だ。


「さて、まずは寝床の確保ですね」


私は周囲を見渡した。

平坦とは言ったが、地面には大小様々な岩が転がっており、テント(馬車)を置くには少し邪魔だ。

整地が必要である。


私は手頃な大きさの岩――大人二人が抱えるほどのサイズ――に近づいた。


「よいしょ」


腰を落とし、岩の下に手を差し込む。

スクワットの姿勢だ。

背筋を伸ばし、大臀筋と大腿四頭筋を意識する。

リフトアップ。


ズズズ……。


地面が鳴動し、岩が浮き上がる。

私はそれを頭上まで持ち上げると、川の方へと放り投げた。


ドッポォォォン!!


盛大な水柱が上がる。

飛び石の要領で、いくつかの岩を川に配置していく。

これで洗濯や水汲みの足場も確保できた。


「……君、魔法を使わずにそれをやっているのか?」


クラーク様が、信じられないものを見る目で私を凝視している。


「ええ。魔法なんて使ったら、筋肉への負荷が逃げてしまいますもの」


私は汗一つかかずに答えた。

魔法で重力を軽減するなど、トレーニングの冒涜だ。

重さとは、筋肉への愛のメッセージなのだから。


「邪魔な木も少し間引きますね」


私は視界を遮る枯れ木に向かって歩いた。

直径五十センチほどの太さだ。

斧はない。

だが、私には手刀がある。


「はっ!」


気合い一閃。

水平に放たれた私の手刀が、幹を捉える。


パァン!


乾いた音がして、木が幹の途中から綺麗に切断された。

断面は鏡のように滑らかだ。

倒れてくる木を片手で受け止め、薪のサイズにへし折っていく。

バキッ、メキョッ、ボグッ。

リズミカルな破壊音が夕暮れの森に響く。


数分後。

そこには、完璧に整地されたキャンプサイトが完成していた。

焚き火用の竃も組み上げ、座るための丸太も用意した。


「どうぞ、お座りください」


私はクラーク様を丸太に案内した。

彼は呆然としたまま腰を下ろした。


「……帝国工兵部隊が三日かける作業を、君は五分で終わらせた」


「工兵? よく分かりませんが、お役に立てて何よりです」


私は焚き火に火をつけた。

先ほどの摩擦熱着火法だ。

慣れたものである。


夕食のメニューは、昼に狩ったキラーボアの残り肉を使ったステーキと、馬車にあったパンとワインだ。

肉を串に刺し、炎で炙る。

香ばしい匂いが立ち込めると、眠っていたポチも飛び起きて駆け寄ってきた。


「はい、どうぞ」


私は焼き上がった肉をクラーク様に渡した。


「ありがとう。……いただきます」


クラーク様は恐る恐る肉を口に運んだ。

咀嚼する。

その目が、カッ開かれた。


「美味しい……!」


「でしょう? 新鮮ですから」


「いや、それだけじゃない。食べた瞬間に、身体の芯から力が湧いてくるようだ。君が調理したからか……?」


彼は夢中で肉を食べ始めた。

上品な所作だが、そのスピードは早い。

普段は小食だと言っていたが、見る見るうちに平らげていく。

顔色にも赤みが差し、目の下の隈が薄くなっている気がする。

私の「美味しくなる魔法(物理的な下処理の完璧さ)」のおかげだろうか。

あるいは、単純に空腹だっただけかもしれない。


食後、私たちは焚き火を囲んでハーブティー(馬車にあった高級品)を飲んだ。

夜の森は静かで、パチパチと薪が爆ぜる音だけが聞こえる。

ポチは私の膝の上で丸くなっている。


「レティシア嬢。改めて自己紹介をさせてほしい」


クラーク様が居住まいを正した。

その瞳は真剣そのもので、先ほどの弱々しさは消えている。

漂う気品は、隠しきれない王者の風格を帯びていた。


「僕は、クラーク・アレクサンデル。隣国、グラン・マレ帝国の第一皇子だ」


「……えっ?」


私はカップを取り落としそうになった。

慌てて空中でキャッチする。

握りつぶさなくてよかった。


「こ、皇太子殿下……でいらっしゃいますか?」


「ああ。今は訳あってお忍びで視察に来ていたんだが、護衛とはぐれてしまってね。そこで君に拾われた」


グラン・マレ帝国。

我が国の北に位置する軍事大国だ。

魔法技術が発達し、大陸最強の国力を誇ると言われている。

そんな国の次期皇帝が、なぜこんな森で野宿をしているのか。

ツッコミどころは満載だが、まずは礼儀だ。


私は慌てて立ち上がり、膝をつこうとした。


「ご無礼をお許しください、殿下。私としたことが、あろうことか殿下を馬車で引きずり回し、あまつさえ荷物扱いするなど……」


万死に値する。

国際問題だ。

我が国との戦争の火種になりかねない。


しかし、クラーク様は慌てて私を制した。


「やめてくれ! 謝る必要なんてない。君は僕の命の恩人だ。それに、あんなに爽快なドライブは初めてだった」


彼は私の手を取り、立たせてくれた。

その手は冷たいが、微かに震えている。


「座ってくれ。僕の方こそ、君に頼みがあるんだ」


私は再び丸太に腰を下ろした。

心臓が少し速く打つ。

頼みとは何だろうか。

国境まで送れということだろうか。

それとも、先ほどの肉の代金を請求されるのだろうか(馬車の食料を勝手に食べた件で)。


クラーク様は私を真っ直ぐに見つめた。

焚き火の明かりに照らされた黄金の瞳が、妖しく輝いている。


「レティシア嬢。君のその力……その筋肉は、美しい」


「はい?」


予想外の言葉に、私は首を傾げた。

美しい?

筋肉が?


「僕は生まれつき魔力過多症で、身体が魔力に耐えきれずに壊れかけている。魔法を使えば命を削り、ただ生きているだけで苦痛が伴う体質なんだ」


彼は自らの胸に手を当てた。


「だが、君のそばにいると、その苦痛が消える。君から溢れ出る圧倒的な生命力――君が『筋肉』と呼ぶその力が、僕の過剰な魔力を中和し、活力を与えてくれるんだ」


難しい理屈はよく分からない。

要するに、私は彼にとっての人間空気清浄機みたいなものらしい。


「君が岩を砕く姿を見た時、僕は恐怖ではなく、感動を覚えた。人体の可能性、生命の輝きそのものだと思った」


クラーク様は熱っぽく語る。

少し頬が紅潮している。

変な人だ。

元婚約者のカイル殿下は、私の力を「野蛮」「恥晒し」と罵ったのに。

この人は、それを「美しい」と言う。


「レティシア嬢。単刀直入に言おう」


彼は私の手を取り、その甲に口づけを落とした。


「僕の国に来てほしい。そして、僕の専属護衛……いや、もっと近くで僕を支えてほしい。具体的には、僕と結婚してくれないか?」


「…………」


思考が停止した。

結婚?

出会って数時間で?

しかも相手は帝国の皇太子だ。

シンデレラストーリーにも程がある。

普通なら、頬を赤らめて「喜んで」と答える場面だ。


しかし。


私は自分の心に問いかけた。

私は何のために国を出たのか。

自由のためだ。

王宮の堅苦しい生活、ドレス、お茶会、コルセット。

それらから解放され、思う存分体を動かし、美味しいものを食べ、筋肉と共に生きるためだ。

皇太子と結婚すれば、またあの窮屈な生活に逆戻りである。

しかも帝国は寒そうだ。

関節が冷えるのは良くない。


答えは決まっていた。


「お断りいたします」


私は即答した。

食い気味に。


「なっ……!?」


クラーク様が目を見開いた。

振られるとは思っていなかったらしい。

無理もない。

一国の皇太子の求婚を断る令嬢など、歴史上存在しないだろう。


「な、なぜだ? お金ならある。地位も名誉も、最高級のプロテインも用意しよう」


プロテイン。

その言葉に一瞬心が揺らいだが、私は首を横に振った。


「申し訳ありません、殿下。私はつい数時間前に婚約破棄され、自由の身になったばかりなのです。今は誰のものにもならず、この筋肉と共に大自然の中で生きていきたいのです」


私は拳を握りしめ、力説した。


「王宮の生活はもうこりごりです。あそこでは岩も砕けませんし、ドラゴンを投げることもできません。私は、ありのままの私でいたいのです」


クラーク様は呆然としていた。

しかし、次第にその表情が変わっていった。

失望ではない。

より一層の興味と、執着の色へと。


「……岩を砕くのが条件なのか?」


「はい。あと、毎日お肉を三キロ食べたいです」


「城の庭に岩山を作ればいい。食料事情は帝国の方が豊かだ」


彼は食い下がる。


「それに、僕の護衛騎士になれば、合法的に暴れられるぞ。帝国には武闘大会もあるし、未開のダンジョンもある。君のその拳を求めている場所は、山ほどあるんだ」


「ダンジョン……?」


その響きは魅力的だった。

ダンジョン。

それは未知の強敵と、美味しい魔物肉の宝庫。

王宮では絶対に行かせてもらえなかった場所だ。


「そう、ダンジョンだ。君なら最深部のボスもワンパンだろう。素材は全て君のものにしていい」


クラーク様は畳み掛けてくる。

さすがは策士と言われる皇太子だ。

私の弱点を的確に突いてくる。


「うぅ……」


私は唸った。

揺らぐ。

非常に揺らぐ。

森でのサバイバルも楽しいが、一生ここで暮らすのは現実的ではない。

お風呂にも入りたいし、柔らかいベッドで寝たいという欲求もある。

帝国に行けば、その全てが叶う。

しかも、ダンジョン付きで。


「……少し、考えさせていただいてもよろしいでしょうか」


私は保留を選択した。

即答での拒否から、大きな進歩である。


「ああ、もちろんだ。時間はたっぷりある」


クラーク様は満足げに微笑んだ。

彼は知っているのだ。

私がすでに、彼(の提案する条件)に惹かれ始めていることを。


「夜も遅い。今日はもう休もう」


クラーク様は馬車を指差した。


「君は中で寝てくれ。僕は外で……」


「何をおっしゃいますか! 病人を外で寝かせるわけにはいきません!」


私は立ち上がった。

このひ弱な皇太子を夜風に晒せば、明日の朝には凍った彫像になっているだろう。


「殿下とポチが中で寝てください。私は外で寝ます。筋肉の発熱量が高いので、焚き火のそばなら毛布一枚で十分です」


「しかし、レディを野宿させるわけには……」


「いいえ、譲りません。これは護衛(仮)としての判断です」


私は彼を強引に馬車へ押し込んだ。

ポチも一緒に放り込む。


「では、おやすみなさいませ!」


バタン、と扉を閉める。

中から「あっ、ちょっと待って……」という声が聞こえたが、無視した。


私は焚き火のそばに座り、膝を抱えた。

満天の星空が広がっている。

王都では見られなかった、美しい星々だ。


「……帝国、か」


呟いてみる。

悪くない響きだ。

私の筋肉を「美しい」と言ってくれた、変わった皇太子様。

彼のそばにいれば、退屈することはなさそうだ。


それに、彼からは微かにいい匂いがした。

高級な香水の匂いではない。

もっと本能的な、私の守護本能をくすぐるような匂い。


「ま、とりあえず明日の朝ごはんを考えてからね」


私は大きくあくびをした。

焚き火の暖かさと、森の静寂に包まれて、私は深い眠りへと落ちていった。

夢の中で、ダンジョンのボスを素手で調理する光景を見ながら。

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