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第3話 拾ったのは仔犬と病弱なイケメンでした

目の前で繰り広げられているのは、神話の一場面のような光景だった。

全長十メートルを超えるであろう赤竜が、口腔から煙を吐き出しながら咆哮している。

その威圧感たるや、周囲の空気がビリビリと震えるほどだ。

対峙しているのは、一人の青年。

彼は腰を抜かしたように地面に座り込み、片手で口元を覆っていた。

指の間から鮮血が滴り落ちているのが見える。


絶体絶命のピンチだ。

普通なら。


「ちょっと失礼します」


私は戦場の中央へと割り込んだ。

まるでパーティー会場で、給仕に飲み物を頼むときのような気軽さで。


赤竜が私に気づき、巨大な眼球をギョロリと向けた。

金色の瞳孔が収縮する。

人間という矮小な存在が、あろうことか自らの間合いに入ってきたことに驚いているようだ。

竜は威嚇のために、太い尻尾を鞭のようにしならせた。

狙いは私の頭部。

風を切る音が鋭く鳴り響く。

直撃すれば、岩すらも粉砕する一撃だ。


私は立ち止まらない。

避けることもしない。

ただ、タイミングを合わせて左手を差し出した。


バシィッ!


乾いた破裂音が響いた。

私の掌が、迫り来る尻尾を真正面から受け止めた音だ。

衝撃が腕を伝い、肩甲骨へと抜けていく。

なかなかの威力だ。

王宮のダンスホールで流行っていた「紳士の淑女エスコート(失敗例)」よりも少し強いかもしれない。


「グルァッ!?」


竜が驚愕の声を上げた。

自分の攻撃が、か細い人間の手によって完全に停止させられたことが理解できないのだろう。

尻尾を引き抜こうと暴れるが、無駄だ。

私の握力は、一度掴んだ獲物を決して逃さない。

マンパワーが違う。


「その馬車には、まだ食べられるものが入っているかもしれませんの。壊さないでいただけますか?」


私は静かに、しかしドスの利いた声(令嬢語)で注意した。

竜は言葉を理解していないようだが、本能的な恐怖を感じたのか、たじろぐ素振りを見せる。

だが、遅い。

私はすでに攻撃の体勢に入っていた。


掴んだ尻尾を軸にして、私は身体を回転させた。

遠心力を利用する。

ハンマー投げの要領だ。

ただし、投げるのは鉄球ではなく、十トンの巨大生物である。


「そーれ!」


掛け声とともに、私は竜の巨体を地面から引っこ抜いた。

浮遊感が生まれる。

竜が悲鳴を上げる間もなく、その身体は宙を舞った。

視界の端で、座り込んでいた青年が口をポカーンと開けているのが見えた。

あんなに口を開けては、埃が入ってしまうわ。


私は一回転、二回転と加速する。

風が唸る。

十分に勢いがついたところで、私は手を離した。

狙う方向は、森の奥深く。

生態系への影響を考慮して、できるだけ遠くへ。


「さようならー!」


ドヒュゥゥゥッ!


竜は砲弾のように飛んでいった。

木々の枝をへし折りながら、遥か彼方へと消えていく。

数秒後、ズドォォォンという地響きが遠くから聞こえてきた。

あれだけ飛べば、当分は戻ってこないだろう。

あるいは、新しい巣を見つけて幸せに暮らすかもしれない。


私はパンパンと手の汚れを払った。

竜の鱗は意外と滑りやすかったので、次はチョークの粉か滑り止めが必要かもしれない。


「さて」


私は振り返り、助けた青年のもとへ歩み寄った。

近くで見ると、息を呑むほどに美しい人だった。

月光を紡いだようなサラサラの銀髪に、宝石のアメジストを溶かしたような紫の瞳。

いや、逆だ。

私の髪が銀色で、彼のは漆黒だ。

興奮して記憶が混濁してしまった。

訂正しよう。

夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪に、黄金の瞳を持つ青年だ。

整った顔立ちは、彫刻の芸術品のように完璧で、神様が気合を入れて作ったことが伺える。

ただ、その顔色は陶器のように白く、病的なまでに青ざめていた。


彼は呆然と私を見上げていた。

口元の血を拭うことさえ忘れているようだ。


「お怪我はありませんか?」


私はハンカチを取り出そうとして、自分のドレスが袖ごとないことに気づいた。

仕方がないので、スカートの切れ端(先ほど破った残り)を差し出した。


「血が出ていますわ。これで拭いてください」


青年は震える手で布を受け取った。

そして、掠れた声で呟いた。


「君は……女神、か?」


「いいえ、ただの通りすがりの筋肉……いえ、令嬢です」


危ない。

つい本音が漏れるところだった。

私はニッコリと微笑んで誤魔化した。


「竜は追い払いましたので、もう安心ですわ。ところで、そちらの馬車にお食事は積んでいらっしゃいますか?」


私の質問に、青年は瞬きを繰り返した。

命の恩人に対する第一声が「飯はあるか」だとは予想していなかったのだろう。

しかし、食料確保は最優先事項だ。

あの竜を投げ飛ばしたことで、私のカロリー消費は加速している。


「あ、ああ……中にある。好きに食べてくれ」


「本当ですか! ありがとうございます!」


私は歓声を上げ、馬車へと駆け寄った。

扉を開けると、そこは天国だった。

高級そうな木箱の中に、干し肉、ドライフルーツ、瓶詰めのピクルス、そしてワインが並んでいる。

さらに、柔らかそうなクッションまである。

素晴らしい。


私はとりあえず干し肉を一本取り出し、口に咥えた。

塩気が効いていて美味しい。

咀嚼しながら青年のもとへ戻る。

彼はまだ地面に座り込んだままだ。

立てないのだろうか?


「貴方、立てますか?」


「いや……少し、貧血気味でね」


彼は自嘲気味に笑った。

その笑顔の、なんと儚いことか。

守ってあげたいという庇護欲を掻き立てる。

私とは正反対の生き物だ。

私は守られるよりも守る側、いや、守る必要すらない「要塞」に近い。


「では、お運びしますわ」


私は残りの干し肉を飲み込み、彼に向かって両手を伸ばした。


「え? いや、僕は男だし、君のような華奢な女性に……」


彼の言葉が終わる前に、私は彼の体を軽々と持ち上げた。

いわゆる「お姫様抱っこ」だ。

しかも、女性が男性を抱える逆バージョンである。

彼の体は驚くほど軽かった。

ちゃんと食べているのだろうか?

骨密度が心配になるレベルだ。


「うわっ!?」


青年は目を白黒させている。

至近距離で見ると、彼の瞳の中に私の顔が映っていた。

整った顔が真っ赤に染まっていくのが分かる。


「暴れないでくださいね。落とすと危ないですから」


「き、君……力持ちなんだね」


「ええ、少しだけ。瓶の蓋が開かないときは任せてください」


私は謙遜した。

城門を開けるのも得意だが、それは言わないでおく。


その時だった。

馬車の陰から、クゥーンという小さな鳴き声が聞こえた。

私は視線を向けた。

車輪の間に、何かが震えながら縮こまっている。

白い毛玉だ。

いや、よく見ると仔犬のようだ。

真っ白でフワフワの毛並みに、つぶらな青い瞳。

額には三日月のような模様がある。


「あら、可愛い!」


私は青年を抱えたまま、しゃがみ込んだ。

仔犬は私を見ると、怯えるどころか、尻尾をパタパタと振り始めた。

そして、よちよちと私の方へ歩み寄ってくる。

どうやら、竜を追い払った私を味方だと認識したらしい。

賢い子だ。


「この子も、襲われていたのですか?」


「……ああ。僕と一緒にいた」


青年の腕の中で答えた。

彼は少し居心地が悪そうに身じろぎしたが、私のホールドからは逃れられないと悟ったのか、大人しくなった。


「君、その子はただの犬じゃない。フェンリルだ」


「フェンリル?」


私は首を傾げた。

伝説の魔獣、神をも食らうと言われる最強の狼。

それが、こんな可愛い毛玉だというのか。


仔犬……もといフェンリルは、私の足元にすり寄ってきた。

そして、私の裸足のつま先をペロペロと舐める。

温かくてくすぐったい。


「キャン!」


「あら、お腹が空いているの?」


私はポケット(破れたドレスの切れ端で作った即席のもの)から、先ほど狩ったキラーボアの肉の切れ端を取り出した。

焼いてあるやつだ。

鼻先に差し出すと、フェンリルは目を輝かせて肉に食いついた。

ガツガツと食べる姿は、やはり野性味がある。


「よしよし、いい子ね。名前はあるのかしら?」


「いや、まだない。森で拾ったばかりだ」


「では、今日から貴方は『ポチ』よ」


「ポチ……?」


青年が絶句した。

伝説の聖獣に付ける名前としては、あまりにもあんまりだと思ったのだろうか。

しかし、フェンリルは「ワフッ!」と嬉しそうに吠えた。

気に入ったようだ。

単純でよろしい。


「君、ネーミングセンスが独特だね」


「シンプル・イズ・ベストですわ。覚えやすいでしょう?」


私は満足げに頷いた。

左腕に美形の青年、足元に伝説の聖獣。

そして目の前には食料満載の馬車。

なんという充実ぶりだろうか。

追放されて数時間で、私の資産は爆発的に増加していた。


「ところで、お名前をお聞きしても? 私はレティシアと申します」


私はポチの頭を撫でながら尋ねた。

青年は一瞬ためらったような表情を見せたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「……クラークだ。助けてくれてありがとう、レティシア嬢」


クラーク。

どこかで聞いたことがあるような響きだが、思い出せない。

まあいい。

この森で出会ったのも何かの縁だ。

彼一人では、この危険な森を生きていくのは不可能だろう。

ドラゴンに襲われて座り込むようなひ弱さでは、明日にはスライムの餌食になっているに違いない。


「クラーク様ですね。お怪我の具合はどうですか?」


「ああ、不思議なんだ。君が近くにいると、なぜか体が楽なんだ。いつもなら、魔法を使った反動でもっと苦しむはずなんだけど」


彼は不思議そうに自分の胸元を押さえた。

顔色が、先ほどより少し良くなっている気がする。

私の気のせいだろうか?


実は、私は自分の体質の詳細を完全には把握していない。

私の体から溢れ出る過剰な生命エネルギー(オーラ)は、周囲の生物にも影響を与える。

植物は異常成長し、動物は活性化する。

そして、魔力欠乏や生命力枯渇に苦しむ人間にとっては、歩くパワースポットのような効果があるのだ。

もちろん、今の私はそんなことは露知らず、「私の筋肉が見る者に元気を与えているのね」とポジティブに解釈していた。


「それは良かったです。きっと、森の空気が美味しいからですね」


「……そうかもしれないね」


クラーク様は優しく微笑んだ。

その笑顔の破壊力は凄まじかった。

心臓が一瞬トクンと鳴る。

これは恋の予感?

いや、不整脈かもしれない。

最近、脂っこいものばかり食べているから気をつけなければ。


「では、とりあえず安全な場所へ移動しましょう。この馬車、動かせますか?」


「馬が逃げてしまったんだ。動力がない」


「問題ありません。私が引きます」


「えっ」


クラーク様が再び絶句した。

私は彼を馬車のクッションの上に座らせ、ポチをその膝の上に乗せた。

そして、馬車の前方にある引きシャフトを両手で掴んだ。

ずしりと重いが、持てない重さではない。

車輪も生きている。

いける。


「しっかり捕まっていてくださいね。少し揺れますから」


「待って、君が引くの!? 馬車を!?」


「はい。馬より速い自信があります」


私は地面を踏みしめた。

太ももの筋肉が膨張し、ドレスの残骸が悲鳴を上げる。

パワー充填完了。


「出発進行!」


ダッ!


私は駆け出した。

馬車がガクンと動き出し、すぐに加速する。

ゴゴゴゴゴ……という轟音とともに、豪華な馬車は森の中を爆走し始めた。


「うわああああああ!」


背後からクラーク様の悲鳴が聞こえるが、風の音にかき消されてよく聞こえない。

きっと、スピード感を楽しんでいるのだろう。

ポチも「ワオン!」と楽しそうに吠えている。


私は風を切って走った。

目指すは、水の流れる音のする方角。

水場を確保し、拠点を築くのだ。

今夜は豪華なキャンプになる予感がする。

新しい仲間も増えたことだし、これからの森ライフがますます楽しみになってきた。


こうして私は、仔犬とイケメンを拾い、物理的に彼らを引っ張って、新生活の第一歩を踏み出したのだった。

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