第11話 クラーク様の溺愛と、聖女認定
帝城の朝は、小鳥のさえずりではなく、私の腹筋運動のカウントで始まる。
ふかふかの絨毯の上で、私は足を家具の猫足に固定し、上体を起こす。
九千九百九十八、九千九百九十九、一万。
よし、ウォーミングアップ終了だ。
額に滲んだ汗をタオルで拭う。
今日の筋肉の調子は最高だ。
昨日の「騎士団投げ」が良い刺激になったようで、広背筋がいつもより艶やかにパンプアップしている気がする。
「レティシア、入ってもいいかな?」
ノックと共に、クラーク様の声がした。
私は慌ててトレーニングウェア(侍女に頼んで改造してもらった動きやすい服)の上に、ガウンを羽織った。
「どうぞ、殿下」
ドアが開き、クラーク様が入ってきた。
今日の彼は、いつにも増して気合が入っている。
純白の礼服に、赤いサッシュ。
胸には数々の勲章が輝き、王冠を模した髪飾りが黒髪に映えている。
正装中の正装だ。
「おはよう、レティシア。……うん、今日も君から溢れる生命力が眩しいよ」
クラーク様は眩しそうに目を細めた。
どうやら私の発汗による蒸気が、オーラのように見えているらしい。
「おはようございます、殿下。今日は随分と仰々しい格好ですね」
「ああ。今日は君にとって、そして帝国にとって歴史的な日になるからね」
彼は私の手を取り、真剣な眼差しで見つめてきた。
その黄金の瞳に、私は少しドキッとする。
最近、彼の距離感が近い。
以前よりも甘さが増しているというか、独占欲のようなものが滲み出ている気がする。
「歴史的な日、ですか?」
「そう。父上――皇帝陛下への謁見と、君への『称号』の授与式だ」
称号。
昨日の騎士団撃退の功績だろうか。
「帝国の守護者」とか「剛腕令嬢」とか、そんな感じだろうか。
まあ、褒められるのは悪い気はしない。
美味しいご褒美(お肉)が出るなら大歓迎だ。
「準備をしておいで。最高級のドレスを用意させた。……もちろん、君の筋肉を締め付けない特注品だ」
クラーク様がウィンクした。
分かっている。
彼は私の最高の理解者だ。
一時間後。
私は身支度を整え、クラーク様と共に「玉座の間」へと向かっていた。
用意されたドレスは、純白のシルクで作られた、女神のようなデザインのものだった。
背中は大胆に開いており、私の自慢の広背筋が美しく見えるようになっている。
さらに、生地には伸縮性のある魔法繊維が織り込まれており、私がポーズをとっても破れる心配がない。
素晴らしい。
このドレスなら、ドラゴンとプロレスもできそうだ。
玉座の間の扉が開く。
そこには、数百人の貴族や騎士、そして高位の聖職者たちが整列していた。
空気が重い。
全員の視線が、私一点に集中する。
正面の階段の上、黄金の玉座に座るのは、巨躯の老人だった。
グラン・マレ帝国皇帝、ヴォルフガング三世。
白髪の髭を蓄え、鋭い眼光を放つその姿は、老いたライオンのようだ。
強そうだ。
筋肉量も、老人にしてはかなりのものだと見受ける。
「面を上げよ」
重低音の声が響いた。
私とクラーク様は、玉座の前で跪き、顔を上げた。
「クラークよ。その娘が、噂の?」
「はい、父上。彼女こそが、魔力なき最強の守護者。レティシア・ヴァン・クロイツ嬢です」
クラーク様が誇らしげに紹介する。
皇帝陛下の鋭い視線が、私を射抜いた。
値踏みするような目だ。
普通の令嬢なら震え上がるところだろうが、私は平然と見つめ返した。
眼力勝負なら負けない。
私はキラーボアと睨み合って勝った女だ。
「ほう……」
皇帝陛下が、わずかに口角を上げた。
面白がっているようだ。
「レティシアとやら。余の耳には、お前の武勇伝が届いておる。関所の水晶を粉砕し、城内で暗殺者を壁に埋め、昨日は王国の騎士団五十名を地面ごと放り投げたとな」
会場がざわめく。
改めて聞くと、なかなかの暴れっぷりだ。
少し恥ずかしい。
「事実か?」
「……概ね事実でございます、陛下。ただし、騎士団に関しては、ただの『模様替え』のつもりでしたが」
私は謙虚に答えた。
皇帝陛下が「くくっ」と喉を鳴らして笑った。
「模様替えか。愉快な表現だ。……だが、口先だけなら何とでも言える。余は自分の目で見たものしか信じぬ主義でな」
皇帝陛下が指をパチンと鳴らした。
すると、玉座の間の床が低く鳴動し始めた。
魔法陣が浮かび上がり、床下から巨大な影がせり出してくる。
それは、高さ五メートルはある巨大なゴーレムだった。
全身がミスリル銀で作られており、魔法防御と物理防御を兼ね備えた、帝国の最終兵器の一つだ。
無機質な瞳が赤く光る。
「これは『守護者』。宮廷魔導師団の総攻撃にも耐えうる硬度を誇る。……レティシアよ、このゴーレムに傷をつけることができれば、その力を認めよう」
「傷を、ですか?」
「うむ。指一本分でも凹ませれば合格だ」
皇帝陛下は余裕の笑みを浮かべている。
周囲の貴族たちからも、「さすがに無理だ」「ミスリルは物理攻撃を完全に弾くぞ」という囁きが聞こえる。
クラーク様を見上げると、彼は心配するどころか、「やっておしまい」という顔で微笑んでいた。
なるほど。
これはデモンストレーションか。
私の力を、この場の全員に認めさせるためのショータイム。
ならば、期待に応えなければ失礼というものだ。
私は立ち上がり、ゴーレムの前に歩み出た。
見上げるほどの巨体。
ミスリルの表面は鏡のように磨き上げられ、私の姿を映している。
硬そうだ。
叩いたらいい音がしそうだ。
「では、失礼いたします」
私はドレスの裾を少し持ち上げ、右手を握った。
軽く握る。
全力ではない。
この城の床を抜いてしまっては申し訳ないからだ。
インパクトの瞬間にのみ、全神経を集中させる。
寸勁。
あるいは、空手の正拳突きに近い。
「はっ!」
気合一閃。
私の拳が、ゴーレムの腹部(装甲が最も厚い部分)に突き刺さった。
ドォォォォォォン!!
轟音。
しかし、それは金属を叩く音ではなかった。
爆発音だ。
私の拳が生み出した衝撃波が、ゴーレムの内部構造を通り抜け、背後へと突き抜けた音だ。
「……あ?」
誰かの間の抜けた声が響く。
私の拳は、ゴーレムの腹部にめり込んでいた。
いや、めり込んだだけではない。
その周囲には蜘蛛の巣状の亀裂が走り、次の瞬間――
パァァァァァン!!
ゴーレムの上半身が、内側から弾け飛んだ。
ミスリルの破片がキラキラと舞い散り、シャンデリアの光を反射して美しい雪のように降り注ぐ。
残ったのは、私の拳が触れていた下半身と、粉々になった上半身の残骸だけだった。
「……傷をつける、でしたっけ?」
私は手を払いながら振り返った。
少しやりすぎただろうか。
傷どころか、解体してしまった。
玉座の間は、死んだような静寂に包まれていた。
皇帝陛下は口をぽかんと開け、髭が震えている。
貴族たちは目を剥き、何人かは失神して倒れていた。
「……ば、化け物……いや、神か……?」
誰かが呟いた。
その言葉が呼び水となり、会場が爆発的な歓声に包まれた。
「うおおおおお!」
「ミスリルのゴーレムを一撃で!?」
「物理! 物理バンザイ!」
皇帝陛下が立ち上がった。
その顔には、驚愕と、それ以上の歓喜が浮かんでいた。
「素晴らしい……! これほどの剛腕、余の生涯で初めて見たわ! 魔法などという小細工ではない、純粋なる力の結晶!」
陛下は手を広げ、高らかに宣言した。
「レティシア・ヴァン・クロイツ! その力を以て、帝国に仇なす全ての障害を粉砕せよ! 余はここに、其方を帝国の『聖女』として認定する!」
「へ?」
聖女?
今、聖女と言っただろうか?
普通、聖女といえば癒やしの魔法を使ったり、祈りで結界を張ったりする儚げな存在ではないのか。
ゴーレムを殴って粉砕する聖女など聞いたことがない。
「称号は……そうだな、『剛腕の聖女』とする!」
「ぶっ」
私は噴き出しそうになった。
剛腕の聖女。
あまりにも直球すぎる。
もう少しオブラートに包んでほしかった。
「奇跡の聖女」とか「白銀の乙女」とかあるだろうに。
「父上、お待ちください」
そこで、クラーク様が優雅に進み出た。
「『剛腕』では少々、レディに対して無粋かと。彼女の力は、物理法則を超越した奇跡。神が与えたまいし純粋な力です。ここは――『物理聖女』と呼ぶのが相応しいかと」
「物理聖女か……うむ! 良い響きだ! 採用!」
決まってしまった。
私の称号は「物理聖女」に決定した。
歴史の教科書に載りそうな、インパクト抜群の名前だ。
私は遠い目をした。
まあいい。
「魔力なしの出涸らし」と呼ばれるよりは、一億倍マシだ。
その後の儀式は、滞りなく(というか興奮冷めやらぬまま)進行した。
私は聖女の証であるティアラを授与され、教皇から祝福(物理防御アップの祈り)を受けた。
元々高い防御力がさらに上がった気がする。
式典が終わり、夜の祝賀会までの僅かな時間。
私はクラーク様に連れられて、城の最上階にあるバルコニーに来ていた。
ここからは帝都の夜景が一望できる。
街のあちこちで、新しい聖女の誕生を祝う花火が上がっていた。
「……物理聖女、ですか」
私は手すりに肘をつき、夜風に吹かれながら呟いた。
手すりを握りつぶさないように注意しながら。
「嫌だったかい?」
クラーク様が隣に並んだ。
彼は私の顔を覗き込み、心配そうに眉を下げた。
「いいえ。ただ、少し驚いただけです。私のような筋肉だらけの女が、聖女だなんて」
「筋肉だらけじゃない。君は美しいよ」
クラーク様は私の手を取り、自分の胸元に当てた。
薄い布越しに、彼のリズミカルな心拍が伝わってくる。
「君のその筋肉が、僕を生かしてくれている。君がそばにいるだけで、僕の身体は嘘のように軽くなるんだ。……僕にとって、君は紛れもなく聖女だよ」
彼の言葉は、甘く、そして重い。
本気だ。
この人は、私の全てを肯定し、必要としてくれている。
王国の元婚約者が私を「不要」と切り捨てたのとは対照的に。
「レティシア」
クラーク様が私に向き直った。
その黄金の瞳が、月光を浴びて妖しく輝いている。
彼は私の腰に手を回し、ゆっくりと引き寄せた。
「僕は君が欲しい。護衛としてでも、聖女としてでもなく……一人の女性として」
「えっ……」
心臓が大きく跳ねた。
これは、プロポーズだろうか。
出会ってまだ数日。
展開が早すぎる気もするが、私の心拍数は正直に反応している。
顔が熱い。
筋肉のパンプアップによる熱ではない。
これは、恋の熱だ。
「君のその拳で、僕の未来を切り開いてくれないか? そして、その剛腕で、一生僕を抱きしめていてほしい」
なんて口説き文句だ。
普通なら「一生守ってほしい」だろうに、「抱きしめて(物理)」とは。
でも、それが彼らしくて、愛おしい。
「……私、握力が強いですよ? 抱きしめたら、殿下のあばら骨を折ってしまうかもしれません」
私は照れ隠しに軽口を叩いた。
「構わない。君に折られるなら本望だ。それに、帝国の医療技術は優秀だからね。すぐに治してくれるさ」
クラーク様は笑って、私の額にコツンと自分の額を合わせた。
「覚悟しておいてくれ。僕は君を絶対に離さない。国中の岩を全部砕いてでも、君を幸せにするから」
「岩を砕くのは私の役目ですわ、殿下」
私は彼の首に腕を回した。
華奢な彼の体。
でも、その心は誰よりも強く、私を支えてくれている。
「謹んで、お受けいたします。……私の筋肉は、貴方だけのものです」
私たちは月明かりの下、初めてのキスをした。
触れるだけの、優しい口づけ。
でも、その衝撃はゴーレムを殴った時よりも強く、私の全身を痺れさせた。
帝都の夜空に、また一発の花火が上がる。
それはまるで、私たちの(主に物理的に)激しく明るい未来を祝福しているようだった。
こうして、帝国に「物理聖女」という新たな伝説が刻まれた。
彼女の拳の前には、どんな困難も、魔獣も、そして常識さえも粉砕される。
だが、その最強の拳が唯一優しく包み込むのは、病弱で腹黒い皇太子殿下ただ一人なのだった。
「……あ、殿下。お腹空きました」
「ふふ、雰囲気がないなぁ。……よし、特大のウェディングケーキ(試作品)を食べに行こうか」
「はい!」
色気より食い気。
そして筋肉と愛。
私の幸せな第二の人生は、ここからが本番だ。




