終.理想と現実
アリスとジョージが略式の挙式で、結婚することになった。
数人でアリスが妊娠しないように手を回す。
もう跡継ぎのヒューバートがいるのだから。
キップリング侍従長は、自分が直接手を下すと申し出た。
キップリングは老齢で、もう既に引退してもいい年だった。何かあった時の責任を取る役割のため、汚れ仕事をする役割のために残っているに過ぎない。
だがベンジャミン・サレンが、自らやると申し出たのだ。ベンジャミンも他の家臣も、この時すでに、今後どうなるのか、自分たちがなにをするのかを、覚悟していた。その時のために、ベンジャミンは自分で幕を引きたかったのだ。他の者に任せる気はなかった。
まわりは止めるよう強く説得したが、かたくななベンジャミンに、ついに周囲も折れた。皆知っていたからだ。ベンジャミンは忠義者だと。その忠義心は今やねじ曲がり、見る陰もなくなっていた。それでもベンジャミンの心から、どうやっても消せなかった。
ベンジャミンが若い頃、亡くなったウォルポール前男爵は影ながら支えてくれた。ウォルポール前男爵は面倒見が良く、父親の仕事に付き添って勉強しに来る子どもの面倒をよく見ていた。ベンジャミンもその一人だ。レオナルドがウォルポール家を売り飛ばそうとした時の、前男爵の顔が今でも頭から離れなかった。
前男爵の訃報を、家族に知らせた時、妻の男爵夫人は静かに微笑んでいた。「もう年でしたから」「運が悪かったのでしょう」と。
ベンジャミンもそうは思う。
だがここまで足蹴にされることを、誰かやっただろうか。
ベンジャミンはこの件に関わる以上、いずれすべての役職を返上する心積もりだ。
◇◇◇◇◇◇
ベンジャミンたちが最後の準備に入った後、思わぬ人物からエリオット伯爵家の牙城は切り崩された。いや予想された人物と言っても良かった。
伯爵家内で横領がされていたのだ。
犯人は現ウォルポール男爵のロウだった。
前ウォルポール男爵が亡くなった後、その息子のロウには謝罪の代わりに、分不相応のポストが与えられた。それには皆反対した。感情的なこじれがあるのだ。やみくもに与えれば良い物ではない。それでもレオナルドは、ロウをそのポストに就かせることを強行した。
レオナルドは冷徹で非情な判断を下せる。それが当主としての強みだったが、自分が謝罪しなければいけない立場になると、急に判断が鈍った。なにが悪かったのかわからず、とりあえず形だけ謝ろうとするから、過剰な謝罪になってしまうのだ。
そしてロウ・ウォルポールは不正を働いた。金銭を不当に流用したのだ。それほど金もなく土地もない、だが誇り高きウォルポール男爵家が、不正を働いたのだ。誰もそれを責める気にはならなかった。なぜならそのポストにわざわざ置いたのは、レオナルド本人だからだ。
取り調べは、ジーニアス・トマスと、ベンジャミン・サレンが行った。
「どうしてこんなことをやった?」
そう聞いたジーニアスは、とても虚しかった。『どうして?』だと。それを聞きたいのはロウのほうだろう。
『どうしてウォルポール家を、売り飛ばそうとしたんだ』
『どうして父親は死んだんだ』
『どうして?』
ロウはずっと黙っていた。
そしてようやく口を開いた。
「なあ、ベンジャミン。あの時のカンパニュラ、どうやって手に入れたんだ?」
ベンジャミンの頭の中に、二十七年前の記憶が色鮮やかに蘇った。ベンジャミンがロザリンドのために、苦労してカンパニュラの花を手に入れた時のことを。
ベンジャミンも、ジーニアスも、そしてロウもまだ、少年だった時の瑞々しい日々を。
花の名前を聞いてジーニアスも、当時のことを思い出したようだ。
そしてジーニアスは答えにたどり着いた。
「ロウ、お前。ロザリンド様のことが好きだったのか」
遅れてベンジャミンも気がついた。そう言われたロウは淡々としていた。
ロザリンドに会った時のことを、ロウは昨日のことのように思い出せる。まるで人形のように美しい作りをしていた。だが目を引いたのは、外見の美しさだけではない。人を射貫くような、強い瞳に惹かれたのだ。
だが主君の許嫁だ。そんな気持ちを持つことは許されない。それでもロザリンドの役に立ちたかった。だがロウには、ロザリンドのための花を手に入れる力もないのだ。ロウは主要五家の一家として、ウォルポール家の誇りを胸に育ってきた。
そして将来の主君レオナルドと、同輩のジーニアス、ベンジャミンと肩を並べて、そして持ち上げられてきた。だが現実問題、自分の家には誇れるほどの金も土地もないのだ。
矜持しかなかった。
それが現実なのだから受け入れるしかない。
それでも花の一つも捧げられない自分が侘しかった。仕事だからとロザリンドに花壇を用意できるジーニアスや、珍しい花を手に入れられるベンジャミンがうらやましかった。
だがベンジャミンの気持ちには、なんとなく気がついていた。ベンジャミンもロザリンドに心を寄せている。だが所詮は主人の許嫁だ。だからベンジャミンと自分は、同じ立場だと思っていたのだ。
しかしその諦観は崩れた。レオナルドの婚約は解消され、ロザリンドはベンジャミンと婚約をし直したのだ。
その時感じたのは、今まで自分を押さえつけていた反動で湧き起こった、激しい怒りだった。それは自分ではまったく制御できず、直視することも出来なかった。
だからロウはその怒りを心の中に抱えたまま、毎日をなんとかやり過ごそうとしたのだ。どうにもならない現実、ましてや色恋にかかわることだ。時間が経てば収まるだろうと思っていた。事実二十年かけて過去の出来事になっていった。想い出に変わったのだ。
父親が亡くなった日のことは、今でも夢に見る。
倒れたと聞き、エリオット伯爵家に駆けつけた。そこでどうしてそうなったのか聞かされた。一回では理解できなかった。ロウだけではなく、みんなそうだ。
何度も聞いた。
『どうして?』と。
侍従はウォルポール男爵家が、売り飛ばされそうになった話を、冷や汗を浮かべ何度も繰り返した。だがロウは経緯を聞きたい訳ではない。どうしてそんな非常識なことをしようとしたのかを、聞きたかったのだ。
その後エリオット伯爵から、多大な謝罪があった。金額は大きく心はこもっていないものだった。それを粛々と受け取った。
感情に流されるのは無駄だ。貰えるものは貰っておこうと。頭ではそれがわかっている。
だが生活が落ち着いてくると、心の中の怒りがまた首をもたげてきた。『どうして?』と。
多大な慰謝料、借金の肩代わり、約束された昇進やポスト。過剰な俸給。それらは本来被害者の心を慰めるためのものだ。だが心のこもっていない金を、ぽんぽん与えられるごとに、怒りは膨らんだ。『こんなことをするぐらいなら、あんな馬鹿な真似をしなければ良かったのに』と。
だが黙って受け取った。お金がないつらさは、家族全員よく知っていたからだ。
ロウは我慢になれていた。ロザリンドへの恋も、ベンジャミンへの嫉妬も、レオナルドへの怒りもただ内に込めた。そしてレオナルドにより与えられた、分不相応な場所で仕事をするうちに、徐々に壊れていった。
ロウは横領して得た金品を、自分では受け取らなかった。ひそかに家内にばらまいていた。だから長い間誰にも気づかれなかったのだ。
最初は少しずつ少ない金額を、ばらまくところから始めた。受け取った者の中には、それが横領だと気がついていない者すらいた。小遣いにすらならない少額なら、たいていは黙って受け取る。周りも受け取っていたら、自分一人ではないと罪悪感も覚えない。
そして受け取る人数を増やしていき、彼らの感覚が麻痺していくのを見ながら、すこしずつ金額を増やしていった。
ロウは、伯爵家の人々が抱いていた良心に、泥を塗り込んでいったのだ。
自分がレオナルドにそうされたように。
書類を偽造し、経理上の数字をごまかすのは簡単だった。なぜならロウ本人は、なにも受け取らなかったからだ。何年にも渡る不正操作は、会計監査をすり抜け、見つからないはずだった。
だがジーニアスは気がついた。気がついた理由は、不正をチェックしていたからではない。ジーニアスはロウが心配で、ただ気をつけていたのだ。
ロウの横領という不正行為は、私服を肥やすためのものではなかった。エリオット伯爵家そのものを破壊しようとする、ロウの心の叫びだった。ジーニアスはロウの助けを求めるその声に、気がついたのだ。
ロウの処遇をどうするかの議論は長引いた。
「不正を犯してはならない」
それは当たり前だ。
だがこれではまるで、不正を犯すように誘導したようなものだ。
だからロウには謹慎の罰を与え、賠償は請求しなかった。なぜならロウは個人で使い込みをしたわけではないからだ。時間をおいてロウの子どもたちを、ふさわしいポストに登用した。
そして何事もなかったように元に戻そうとしたが、二度と戻らないものがあった。
それはウォルポール男爵家と、不正に関わった人々の忠誠心だ。
不正に関わった人間たちは、「みんなやっている」と罪悪感が薄かった。反省しようにも関わった人間は大勢いて、しかも金額自体は大したものではないのだ。本人たちはそれなりの反省の弁を見せたが、どこか浮ついていた。
――どんなに難しい政治情勢でも、ウォルポール男爵家だけは絶対に裏切らないと、誰もが思った誇り高き忠誠心を、レオナルド自ら破壊したのだ。
◇◇◇◇◇◇
アリスを後継者にしてから、レオナルドはおとなしかった。だから家臣たちもなにもせず、粛々と仕事をした。しかしそこへキップリング侍従長から連絡が来た。ヒューバートの教育が終わりそうだと。
ベンジャミンは無駄だとわかっていても、伯爵家に必要な養子の話を、レオナルドに切り出した。アリスが結婚してから六年経つが、子どもがいないためだ。
「それならヴァージニアの子どもを養子にすれば良い」
レオナルドは言った。ヴァージニアに手を出すのは、国を敵に回すことだと説明しても堂々巡りだった。遙か昔の「女の子は花が好き」方式と一緒だ。レオナルドの頭の中の世界では、ヴァージニアから養子を取ることは決定事項だった。
そしてなんとヴァージニアに直接連絡を取ろうとしたのだ。
その日は妙に冷え込み、エリオット伯爵家に来ていたベンジャミンは、手ずからレオナルドのためにお茶を入れた。レオナルドは午後になって頭痛がすると言い始め、その日は寝込んだ。折悪しくかかりつけの医者が、隣国の学会に向かった日で、別の医者を呼びに行ったが連絡が上手くつかず、手当が遅れた。レオナルドは一週間ほど寝込んだ後、体が上手く動かなくなり、強い倦怠感に悩まされるようになった。気の毒に思った使用人たちは、レオナルドに手厚い世話をした。
このできごとで、どうした訳か伯爵家には妙な安堵が漂った。ほとんどのものはなにが起きているのかは知らない。それにもかかわらず安心感を覚えたのだ。これ以上、伯爵家が崩壊するような出来事は起こらない、と。
家臣たちは倒れたレオナルドに代わり、率先して伯爵家で仕事をするようになった。そして伯爵夫人エラには、判断が必要な難しい仕事ばかり回し、負荷をかけた。
あっという間に半年が過ぎ、養子のヒューバートがやってきた。ヒューバートはすぐにレオナルドの席に馴染んだ。前からずっと座っていたかのごとく。それを周りの者たちは、目を輝かせて支えたのだ。
それを見届けたベンジャミンは、休んでいるレオナルドの部屋に行き、枕元に座った。
「レオナルド。アリスを次期当主に据えた条件は、閣下が後ろ盾でいることです。病に倒れた以上は別の手を考えないと」
「エラがいる。エラに任せれば」
「夫人も過労で参っています」
「ならヴァージニアを呼んでこい」
「なにを今更……。そんなことをすれば国を敵に回します」
「だがアリスがそうしたいと言っているのだ」
レオナルドは力なく言った。
「レオナルド。よく聞いて下さい。世の中にはどうにもならないことがあります。自分の望みと違っても、それで我慢しなければならないのです。閣下も夫人も、頭の中の理想を現実よりも優先しますが、現実の方が強いのです。現実問題、アリスに当主としての能力がなければ、当主にはなれません」
一度口を閉じてもう一度言った。
「もう一度言います。アリスに当主になる能力がなければ、当主にはなれないのです」
「だが……」
なおも言いつのろうとしたレオナルドに、ベンジャミンは言った。
「あなたは昔、アリスが自分の言うことをきかないと言いましたね。『アリスが』『あなたの言うことを』聞いたことはありますか。ただの一度でも」
レオナルドもエラも、自分の周りのものすべてを支配し、思いどおりにしようとした。二人にとって、自分の思いどおりにならない、曖昧で、整理できないものは、その存在自体がストレスなのだ。だからアリスが生まれた時に、真っ先にヴァージニアに押しつけて、面倒ごとから逃げ出した。だがその先に待ち受けていたのは、アリスに翻弄される人生だった。
「アリスが言ったから」とすべてを聞いてやり、自分の人生だけでなく、他者のものまで捧げた。二人はアリスから逃げるために、すべてのものを捧げ、皮肉なことに奴隷になったのだ。
「あなたは、すべてを自分の思いどおりにしないと気が済まないのに、自分の言うことを聞かないアリスの奴隷になる人生を歩んでいるのですよ」
「……」
レオナルドは長い間黙っていたが、やがて口を開いた。
「次期当主はアリスだ。それは絶対だ。皆も支えてくれ」
レオナルドはアリスの存在に疲れ切っていた。もうこれ以上考えたくなかったのだ。
「残念です」
ベンジャミンは本当に残念そうに言った。
その日の夕方レオナルドはひどい吐き気を覚え亡くなった。朝から詰めていたエリオット伯爵家専属の医師は、検視報告書に署名すると、それをベンジャミンに回した。レオナルドの遺体は火葬され、その黒い煙が伯爵家に覆うようにまとわりつき、白か黒かの答えを望むレオナルドも、遺体になれば曖昧模糊とした煙になったのだ。ベンジャミンは、結局のところ現実には勝てないのだと感慨深げに眺めた。
レオナルドは、自分の世界はすべて支配できると思っていた。自分が制御し、邪魔なものは一つもない世界で生きていた。完璧な娘ヴァージニアが生まれ、それが絶頂だった頃に、初めて思いどおりに動かせないアリスが生まれたのだ。アリスはまったく普通の娘だったのに。
そのアリスを嫌がり逃げ惑ったレオナルドは、アリスの言うことをなんでも受け入れることで、煩わしさから解放されたのだ。そうやって自分の世界を支配し続けた。だがアリスの言うことを聞けば聞くほど、世界の整合性は取れなくなり、最後にはレオナルドの理想の世界は破壊されたのだ。
破壊したのはアリスではない。レオナルドだ。なぜなら、アリスの言うことを聞く必要は、まったくなかったからだ。レオナルドはアリスの言うことを聞く方が楽だから、言うことを聞き、その結果、自分の世界を破壊したのだ。
破壊に至った経緯も道理だ。なぜなら、頭の中の理想の世界は、どれだけがんばっても現実には勝てないからだ。多くのものが若い時に学ぶ真理を、レオナルドはどうしても認めることができず、その結果自分の人生そのものを破壊したのだ。レオナルドはアリスという外敵に破壊されたわけではない、現実よりも理想を優先する自分自身に破壊された。まさしく自滅という言葉がぴったりだった。
ベンジャミン・サレンがヒューバートと打ち合わせをしていると、伯爵夫人エラがやってきて、アリスを領地にやった件について騒いだ。レオナルドの死の核心につながる発言をしたが、その場にいた人々は微動だにしなかった。
エリオット伯爵家で起こっていることは、ほんの一握りの人間しか知らない。だが『自分たち』の家で起こっていることだ。事実を知らなくても憶測で見当がつくのだろう。そもそもエリオット伯爵家は『自分たち』が動かしているのだ。異物のエラよりも、使用人たちはよほど物事を見ていた。
エラはしばらく伯爵家で軟禁されたが、そののち療養が必要になり、エリオット伯爵領にある大きめで、戒律の厳しい修道院で過ごすことになった。聞こえの良い解決策だ。エラとアリスは一見仲が良さそうに見えたため、アリスと同じ場所に送る案も出た。
だが、古くからの使用人の多くが反対した。そんなことをしては『アリス様が可哀想』だと。
アリスのせいで、エリオット伯爵家は今にも壊れそうだ。
だが、古くからの使用人には、その必要がないのに、アリスに振り回される道を選んだ、伯爵夫妻の責任の方が重く見えるようだった。
特に、伯爵としての仕事ぶりは評判だったレオナルドに比べて、あらゆる面で失格だったエラに対する批判は強かった。そのくせエラは、自分は一流の伯爵夫人だとアリスに教え込んでいたのだ。使用人たちは憤懣やるかたない様子だった。
そしてとうとうヒューバートの就任式の日がやってきた。
正当なる血筋、前々伯爵の息子キングズレー卿を父親に持ち、有力なトマス伯爵家の長女マーガリートを母親に持つヒューバートが、伯爵の座に着いたのだ。たくさんの出席者たちがつめかけて、拍手を送っていた。引退したキップリング前侍従長が、無理を押して出席し、むせび泣いているのが見えた。隅の方にヒューバートの母親のマーガリートがいたが、胸を張り堂々と立っていた。ヒューバートの姿に誇らしげだ。
ベンジャミンは中座した。そして馬に乗り、追い立てられるように郊外を走り回った。その内先に馬の方がへばってしまったが、じっとしていられなかった。レオナルドとも昔、こうやって楽しく遊んだことがあった。
レオナルドはどこで道を間違えてしまったのだろう。
そしてレオナルド以上に、大きく道を間違えたのは自分だ。
もう取り返しのつかない所まで来てしまった。
ベンジャミンは、自分が間違っているとは思わない。
だが自分自身が、馬鹿馬鹿しくて仕方がなかった。
レオナルドに言った、自分の言葉を思い出す。
『閣下も夫人も、頭の中の理想を現実よりも優先しますが、現実の方が強いんです』
何が現実だ、何が理想だ。
馬鹿馬鹿しい。
反吐が出る。
レオナルドが自分にとっての理想の君主ではないという理由で、自分はレオナルドを壊したのだ。
現実を認められなくて、理想の世界にしがみついたのは自分の方だ。
馬鹿馬鹿しい。
ベンジャミンは虚しくて仕方がなかった。
すっかり体も冷え切って家に帰ると、妻のロザリンドが待っていた。
「今まで支えてくれてありがとう。私は…………」
「お疲れ様。これからは夫婦二人で、ゆっくりしましょう」
ベンジャミンが最後まで言えず、途中で黙ると、ロザリンドは言葉を引き取ってくれた。
ベンジャミンは手を汚してしまった以上、新しいエリオット伯爵家に加わるつもりはなかった。だが厳しい情勢の中、重鎮のベンジャミンが手を引くのは難しかったのだ。
かといって汚れ仕事を、誰かに任せる気にはなれなかった。
迷いが言葉となり、ロザリンドには引退の言葉が言えなかったのだ。ロザリンドには言いたいことがたくさんあるだろう。それでも理解してくれた。
ロザリンドはベンジャミンの曖昧さを丸呑みしてくれたのだ。
◇◇◇◇◇◇
エリオット伯爵家は長い間、冬の時代が続いた。
だが誰も希望を捨ててはいなかった。元々伯爵家は個人を伸ばすことで、家をもり立ててきた家だ。それは今も昔も変わりない。ヴァージニアが国に取り込まれたように、その後何人もの若者が、社会で活躍した。中には国の中枢にまで入り込み、居場所を作っている者もいる。
ヒューバートが跡を継いだことで、王宮は手を緩めることにしたらしく、エリオット伯爵家に関する噂は、波が引くように消えた。今ではまるで何事もなかったかのようだ。噂の発信源であるアリスが消え、それを広めるララ・クリスが黙ったことで、
ヒューバートは積極的に表に出た。大きな不祥事を起こし、その上若輩だ。なめられるのはわかっていても地道に続けた。
だがようやく転機が訪れた。
ヴァージニアに書いていた、嘆願の手紙が受け取られたのだ。
ある日王城の目立つところで打ち合わせをしていると、そこに夫のローレンス卿を連れた、ヴァージニアが通りかかったのだ。
気がついたふりをしたジーニアス・トマス伯爵が、声をかけた。ヴァージニアを跡継ぎとして、長く仕えたジーニアスは、懐かしく思い出話をした。ヒューバートは、ヴァージニアを紹介されたのだ。ヴァージニアは家を出た身とは言え、伯爵家の主君にへりくだり、おもねった。ヒューバートも寛大に声をかけヴァージニアを称賛した。
二人は世間話に興じた。
その様子を周りに宣伝したのだ。
自宅に戻り、疲れ切ったヒューバートに、ジーニアスが声をかけた。
「今日のお話は素晴らしかったです」
「さすがに今日だけは少し休むよ。働くのはまた明日からだ」
「はい、後は我々にお任せ下さい。末永くお仕えいたします」




