3.アバン侯爵令嬢ロザリンドの狙い
メアリー・ステイブルフォードは、同級生で親友のエラ・リンガム男爵令嬢と別れると、迎えの馬車に乗り込みアバン侯爵家に向かった。今日はアバン侯爵家で、定例の家族会議が行われるのだ。
侯爵家には、侯爵とその叔父、叔父の息子、メアリー本人と、遅れてアバン侯爵令嬢ロザリンドが加わった。
「それでどんな感じかな?」
「はい、閣下。エリオット伯爵令息レオナルドは、完全にリンガム男爵令嬢エラにのめり込んでいますね。もう周りが何を言っても聞きません。
それにお二人はちょっと人から浮いたところがありまして、そこがよくお似合いのようです。つまり理屈抜きで気が合うので、説得は無理だと思います」
メアリーは、レオナルドとエラに接触した感想を述べた。もし二人が損得、欲得で付き合っていたらなんとかなったかもしれない。だが二人は息ぴったりだった。理屈ではないのだ。
ロザリンドを始めとしたアバン侯爵家では、レオナルドとの婚約に問題が生じ始めたのをきっかけに、動いてくれる年の近い手下を探していた。当事者の一人であるエラの同級生を洗ってみたところ出てきたのが、メアリー・ステイブルフォードだ。メアリーの家は、侯爵家と血のつながりはないが、侯爵領の上流市民で著名な学者を輩出している。なにより優れた研究は、自由に議論できる場所があってこそという考えを理解し、侯爵家の重要さを理解しているところが良かった。
「では我が侯爵家のために、次の段階に移ろう」
「はい、閣下」
「リンガム男爵令嬢エラに、エリオット伯爵令息レオナルドとの結婚を実現するには、なにが必要か助言し、場合によっては指導してやってくれ」
「はい、閣下」
アバン侯爵は、娘のロザリンドに目を向けた。
「ところで、ロザリンド。お前の方はうまくやれたかな」
「上々だと思います。レオナルドはゲームの駒のようにルールにそって動くので」
エリオット伯爵家が他の貴族家のように契約を守り、守れない場合はそれはそれで柔軟に動けるのなら、侯爵家も欲をかかなかった。だがレオナルドを通して、組し易しと考えるようになったのだ。
今の予定では、婚約をぎりぎりまで維持し、レオナルドから不貞の慰謝料を吸い上げる。そしてレオナルドが婚約を解消したら、また慰謝料を吸い上げる。そして解消の条件としてエリオット伯爵家家内の有力者と婚約を結び直し、またしてもエリオット伯爵家から様々なものを吸い上げる予定だ。たいへんおいしい婚約である。
レオナルドが誠実ならロザリンドだって動かなかった。だが事態は動き出したのだ。
「ロザリンド、婚約を結び直す相手はベン……」
「ベンジャミンがいいです」
『ベンジャミンでいいのか?』と言おうとした侯爵を遮って、ロザリンドは言った。
「本当にベン……」
「ベンジャミンがいいです」
次に『本当にベンジャミンでいいのか?』と言おうとした侯爵を遮って、またロザリンドは言った。
「だが……」
「ベンジャミンがいいです」
「…………」
確かにベンジャミンは伯爵家内の有力者の子弟で、将来的には次の家令候補でもある。おまけに現伯爵の妹を母親にもつため、跡継ぎのレオナルドの従兄弟にあたる。
婚約を組み直すとしたら、ベンジャミンが最有力候補だ。だが侯爵家は自由な土地柄であるため、政略結婚を無理強いする気持ちは侯爵にはないのだ。
「お前が他に好きな人がいるのなら」
「好きな人はベンジャミンです」
「あ、はい」
侯爵はとうとう黙り込んだ。
政略結婚を無理強いする気持ちはなくても、娘から好きな人がいるというのを聞かされるのは、おもしろくないものだ。
ロザリンドはもちろん、最初からベンジャミンを狙っていたわけではない。だがレオナルドとの関係が上手く行かなければ、当然次の一手を考える。ロザリンドは、政略結婚でやってきた敵地で、女性として扱ってくれるベンジャミンが気に入っていた。大事な場面では怒ってくれるのも、胸がきゅんとした。だからベンジャミンを好きになったのだと、ロザリンドはそう勘違いしていた。
ロザリンドは大変頭が良かったが、恋には鈍かった。ベンジャミンを好きになったのは、女性として扱われたからでもなく、怒ってくれたからでもない。好きな人にはなにをされても嬉しいものだ。要は気づかなかっただけで、最初から好きだったのだ。
◇◇◇◇◇◇
レオナルドの不貞が、婚約条件に抵触しているとの抗議がアバン侯爵家からあり、そのための話し合いが持たれた。
エリオット伯爵はひとしきり考え込んでいた。伯爵自身息子のレオナルドに何度も説教もしていた。だがこの件は解決できないだろうとも思っていた。
レオナルドは明らかに人間としてなにかが欠けており、リンガム男爵令嬢エラがそれを満たしているのは事実なのだ。ここで無理に二人を引き離した場合、レオナルドは水面下でエラに接触し、もっと大きな不貞の花を咲かせるだろう。このまま放置してその場合発生する慰謝料を考えると、今回の話し合いで侯爵家に譲歩した方がましなのは確かだ。侯爵家も同じことを考えているのであろう、要求してくる慰謝料の値段はつり上がる一方だった。このままでは相手の思うつぼだ。
伯爵はトマス伯爵家を始めとする主要五家の家臣を集めると、侯爵家から出された条件について話合った。エリオット伯爵家側の婚約者をレオナルドから、別の人間に変更するのだ。侯爵家からは候補を最低三名出すように言われている。しかし誰を出すかは最初から決まっているようなものだった。将来の君主であるレオナルドの、代わりになる人物なのだ。この話がうまく片付いたら、リンガム男爵令嬢をアバン侯爵家の養女にしてもいいと言われた。明らかに侯爵家側はこの結果になるように裏で糸を引いているが、どうしようもなかった。毒を食らわば皿までだ。レオナルドという柔軟さに欠けた駒が大将では、動きに制限があるのだ。
話し合いから戻った主要五家の一人、サレン卿は、自分の執務室に息子のベンジャミンを呼び出した。
「率直に話す。レオナルド卿の婚約が解消される予定だ。学院で出会ったリンガム男爵令嬢と婚約し直す」
ベンジャミンは強く眉をひそめた。
「今後は、リンガム男爵令嬢をアバン侯爵家に養子縁組し直し、卿との婚約を整え直す」
ベンジャミンは拳をぎりりと握りしめた。
「アバン侯爵家との関係を保つため、伯爵家からは新たに三人の婚約者候補を出すことになった」
「……え?」
「一人目はトマス伯爵家の長男、ジーニアスだ。彼はとにかく優秀だし、将来の家令候補だからな。それに家内の派閥に関係なく、信頼されている誠実な点が良い。なにがあってもこの伯爵家を担っていく人物だから、ぴったりだろう。次はお前だ」
ベンジャミンは予想はしていたものの、頭が追いつかずなんとも間抜けな表情をした。
「お前も将来の家令候補だからな。三人目はキングズレー卿だ」
ベンジャミンの眉間のしわが一気に深くなった。
レオナルドの弟キングズレーは、子どもの頃から剣の道を志し、騎士となるべく生きている青年だった。剣士としての腕前は達者で、頭も良かった。だがなにより彼を有名にしているのは、とにかく女性にもてると言うことだった。男ぶりが良くつねに女性に取り囲まれ、エリオット伯爵領の城下だけでなく、王都でも彼のブロマイドは売られていたのだ。キングズレーは家柄良し、血筋良し、そして美形という揃った人物だった。若輩の今は、地位が伴っていないが、それでもかまわないという女性が多く、キングズレーは引っ張りだこだったのだ。
「あんな……、あんな女性にだらしない男は、ロザリンドに相応しくありません」
思わず口をついて出た、ベンジャミンのその言葉を聞いたサレン卿は、呆然とした後、書類で机を叩いた。沈着冷静なサレン卿にしては、ずいぶんと取り乱していた。
「私情で話すな。主君への忠誠心をなんと心得る。部屋で頭を冷やせ」
ベンジャミンは自室に戻ったが、どうやっても冷えそうになかった。絶対に手に届かないと思っていたから、冷静でいられたのだ。もしかしたら手に入るかもしれないと思うと、押さえてきた感情が溢れてしまい自分でもどうしようもなかった。
翌日ベンジャミンは学院を休んだ。動揺し学院でどんな顔をすればいいか、わからなかったからだ。休む知らせを聞いた父親は、ベンジャミンの部屋の前で、軽蔑しきった顔で立っていた。
「こんな情けない息子だったとは。皆に顔向けできんわ」
ベンジャミンはなにも言い返せなかった。子どもの頃から周囲に模範的な家臣になるだろうと、持ち上げられてきたのだ。レオナルドの一番近いところで仕えてきた。沈着冷静なところが、父親そっくりだと言われてきたが、情けないことに今は動揺を隠せないのだ。
「そんなに責めないであげて下さいませ」
めずらしく母親がやってきた。
「あなただってこの年頃はこんなものでしたでしょ」
「私はもっとしっかりしていた」
そういう父親に母親が何事か囁くと、父親は苦虫を噛みつぶしたような顔になり、逃げるように出て行った。その父親の姿を、母親は可愛いペットを見るように眺めながら言った。
「ほら、ベンジャミン、あなたも。しっかりしなさい」
◇◇◇◇◇◇
ベンジャミンは父親の仕事の関係で、エリオット伯爵家に顔を出すと、同じようにトマス伯爵家のジーニアスが来ていた。
「おや、ロウは?」
「体調が悪いそうだ」
ロウに用事があって訪れたベンジャミンは、少し困った顔をした。しかし体調不良なら仕方がない。
二人は応接間に移動した。ジーニアスは侍女にお茶の支度を頼むと、届いた茶器でお茶を入れ始めた。ジーニアスはお茶が趣味なのだ。室内に芳しい花の匂いが広がった。
「見事だな。これはどこのお茶だ?」
「妹のマーガリートが領地で手がけているもので、花のような香りが特徴だ。これから売り出しにかけるところだ」
「ぜひとも声をかけてくれないか」
「もちろんだとも。ところで……、女性への贈り物か?」
ジーニアスが少し意地悪な笑みを浮かべた。
「いや、すまない。ベンジャミン。最近雰囲気が柔らかくなったと思ってな。忠義者にも春が来たのか」
「お前だって、変わったぞ。ジーニアス」
ベンジャミンは困惑しつつ言い返した。
「この間の報告会、綿密に詰めていた企画に急な予定変更があっただろう。そういうのが嫌いなお前は絶対に文句を言うだろうと、みんな身構えていてな。それなのにあっさりと承認したではないか。『仕方がない』と」
「あれは……」
ジーニアスが真っ赤になり、両手で顔をおおった。そして言った。
「俺は緻密に計画をたてないと気が済まないんだ」
「それはみんな知ってる」
「そしてその計画が上手く行かなくなると、腹が立つんだ」
「それはみんなそうではないか?」
「自分の組み立てた芸術作品が壊されたような気がして、衝撃と怒りを感じてな。上手く行かなかったことは仕方がないのだから、さっさと次に行けばいいものを。自分の感情の処理が追いつかなくて、周りに不満をぶつけるのだ」
「それはわかるな」
「まるで子どもだろう?」
「うーん……」
「俺は、みなに八つ当たりをしていたのだ。いい年して馬鹿みたいだ。上手く行かない現実に、大声で文句を言っていたと思うと恥ずかしいものだ」
ベンジャミンは、ジーニアスの言っていることがわかった。計画が予定通りに行かなかったら、がっかりする。
そしてもう一つの言いたいこともわかった。側近として選ばれた少年たちは、大なり小なり子どもの頃から持ち上げられている。沈着冷静だとか、聡明だとか。だがみんな年頃になると、現実の壁にぶつかり思うようにならないことを知るのだ。そして自分が、持ち上げられているほどの人物ではないと思い知る。ジーニアスも持ち上げられてきた立場だ。自分の未熟さに気がつくのは、恥ずかしいことだったろう。
◇◇◇◇◇◇
エリオット伯爵家から婚約者候補の連絡を受けたアバン侯爵家は、じっくりと一週間かけ、三人の中からベンジャミン・サレンを選んだ。
キングズレーは、今後政治に関わる予定はないので、候補からはずされた。ジーニアスとベンジャミンは甲乙つけがたく、侯爵家は大分迷ったそうだ。最終的にその二人の中で、ロザリンドと面識がそれなりにあるベンジャミンにしようと意見がまとまった、と伝えられた。
エラ・リンガム男爵令嬢は、アバン侯爵家と養子縁組した。それらすべてと今後の費用はエリオット伯爵家持ちで。つまりエリオット伯爵家はレオナルドに限り、何の旨みもない婚約を締結したことになる。それでも二人は喜んでいた。
この問題に関して苦言を呈したものが多かった。
家を構成している人々は、何かしら使命を持って殉じているのだ。それを後継者が自ら好き勝手した。レオナルドの性質を考えると、選択肢が限られているのはわかる。それは仕方がない。だがこの選択は多くの者の忠誠心を少しだけ削り取った。一人一人は見えないほどだろう。だから皆その時は気にするほどではないと思った。だがその出来事は大勢の心をすり潰し、後から毒のように蝕んだ。
アバン侯爵はレオナルドとロザリンドは、水に油のようだと思った。アバン侯爵家は『巻物の家』と呼ばれ、多くの研究者を擁している。そしてその家の根本は、自由な議論を活発に行えるという、多様性を受け止めるところからきている。だからロザリンドは、曖昧模糊したものを見ると、まず受け止めるところから始める。だがレオナルドは、結論が決まっている議論しか受け付けないのだ。他者との対話や、現実の変化を受け止めない。頭の中の理想の世界で生きているのだ。現実主義のロザリンドと、理想主義のレオナルドを無理に組み合わせるのは、労力に見合った結果を生むとは思えなかった。
「メアリー、あなたのおかげよ」
エラは、親友のメアリー・ステイブルフォードに抱きついた。レオナルドもメアリーに感謝しており、様々な助言を授けてくれたことにお礼をすることになった。メアリーはアバン侯爵家からの基本給だけでなく、レオナルド個人からも一時金を貰い、自分の研究に役立てようとはりきっていた。
そしてこれからは研究一筋に生きようと決心するが、アバン侯爵家とロザリンドが、こんな便利な駒を手放すはずなかった。今後も侯爵家の駒として、そしてベンジャミンに嫁ぎ、エリオット伯爵家の中に入るロザリンドの駒として動かされるのだ。エリオット伯爵家当主の妻エラの親友として。
学院の中でロザリンドは、悲劇の女性として扱われていた。レオナルドとエラの不貞は、皆知っている。そして二人の無神経な言動も。
最終的にレオナルドの側近、ベンジャミン・サレンと婚約し直すことになったのだ。
だがこういった婚約の組み直しは、すごく珍しいわけではない。幼い頃に結んだ婚約を、年頃になっても維持するのは難しいものだ。だから噂になるほどではなかった。だが事実として人々の記憶に残った。
この十数年後に、レオナルドとエラの娘、ヴァージニアとアリスの確執が噂になると、「そういえば……」、と消えそうな暖炉の火を再生する燃料になったのだ。
だからアリスの爆弾のような激しい感情を、人々は不思議に思わなかった。なぜなら、学院でレオナルドとエラの、人の心がない振る舞いを、ずっと見ていたからだ。そのため、レオナルドと同じ世代では、アリスに同情的な人がそれなりの数いた。
「ほら、婚約解消なんて、なんの問題もないではないか。ロザリンドはベンジャミンと婚約できたんだろう」
レオナルドが、まるで二人の恋のキューピッドのように胸を張って言った。
「おめでとうございます。統計では婚約を組み直したカップルのほうが、上手く行くんですって」
その隣でエラもいつものように無神経な発言をした。
「……」
ロザリンドはたまたま行き会った二人に、軽く会釈だけして立ち去った。あわてたベンジャミンが、追いかけてくる。
「ロザリンド、すまない」
ロザリンドは裏庭のベンチに座ると、自分の隣をぽんぽんと叩いた。
「う……」
まだ従者の癖が抜けないベンジャミンは、少し赤くなって戸惑った。
ロザリンドは隣をぽんぽんと叩き続けたが、座らないベンジャミンを見て、上目遣いで悲しそうに眉を寄せた。ベンジャミンが勝てるはずもなく、へなへなと横に座ると、途端にロザリンドの機嫌は良くなった。
ベンジャミンはまったく気がついていないが、横に座っているロザリンドの目は、肉食獣のそれだった。




